楽園
「おーい。家はどこなんだよ」
そう声を掛けてみるが気の抜けた声しか返ってこない。
明日は、土曜日で仕事の心配はないが初夏とはいえ女性をこのままに置いて行くわけにもいかない。かといってホテルに連れて行くわけにもいかない。他に、こいつの家を知っている奴もいないだろうから聞くことはできない。残る選択肢はただひとつ。俺の家に連れて行くしかない。
こうなったのは数時間前にさかのぼる。
山積みだったプロジェクトも無事に終わり、チームで打ち上げをしていた。翌日は、休みのためみんな羽目を外しているようにも感じる。
事実、俺も少し外していた。
普段、酒を飲む事はあっても接待する側がほとんど。もてなす側なので、酔いが回るほど飲む事はない。だが、俺自身ザルなので若い時ほど悪酔いをしたことはない。
乾杯のビールから日本酒の冷酒にシフトして、手酌をしようとしたところで慌てたように隣に座っていた部下の桜井が注いでくれた。
「ありがとう」
「いいえ」
「あ、俺ももらっていい?」
「はい」
そう言ったのは、後輩の高木だ。普段は、ヘラヘラしているがやるときはやる。そういうのが俺含め上の評価だ。
「桜井さんも飲んでる?」
「はい。飲んでますよ」
桜井は、ちょこんとパラダイスの入ったグラスを掲げた。
このカクテルは、ドライジンベースにオレンジジュースとアプリコットブランデーを使っていて飲みやすいがアルコール度数は、25度と少し高め。頬もほんのわずか染まっている。早めにソフトドリンクに変えてやったほうがいいだろう。あとでさりげなくソフトドリンクでも頼んでやるかと考えていると、
「かんぱーい」
高木は、自分の持っていたおちょこと桜井のグラスをぶつけた。予想していなかったのか、カクテルの入ったグラスが波打ち桜井の手を濡らした。
「ごめん。服濡れなかった?」
「気を付けろよ」
そう言いながらこぼれたカクテルをふき取り、桜井に目を落とすとブラウスの袖口が濡れシミを作っていた。
「冬馬さんは、濡れなかったですか?」
「俺は、大丈夫。手洗ってきたら?」
封の切られていないおしぼりを渡しつつ促した。
「ありごとうございます」
軽く頭を下げて騒がしい会場から出ていった。
「相変わらず、目ざといって言うか抜かりないですよね。冬馬先輩」
頬杖を付き俺を恨めしげに見ながら呟く。
「なにが?」
「しかも無意識とかって」
「だからなんだよ」
「桜井さんの事どう思いますか?」
桜井の消えた方をちらりと見ながら言う頬は酒のせいかはわからないが赤い。
噂で高木は桜井に気があると聞いたことがある。いろんなアプローチをしているにも関わらず毎回うまい具合に断られているようだ。
「要領は、悪いけど頑張り屋だと思うよ。手を抜かないし」
おちょこをあおり飲み干して手酌で残りを注ぐ。
「そういうことじゃなくて。先輩は、桜井さんの事どう思ってるんですか!」
酔っぱらっているせいか声が大きくなっている。そして、間の悪いところに桜井が戻ってきた。
「えっと」
それから、話をうまい具合に変えて少し気まずい雰囲気は残ったものの二次会に行く奴らと帰宅する奴らと別れた。
桜井は、足元がおぼつかない様子でふらふらしている。それなのに二次会に行こうとしている。
「お前はこっち」
俺は、桜井の手を引き駅へと目指す。以前、飲んだ時に聞いていた最寄りの駅は俺と同じだったから不本意ながら送ってやることにする。
電車に乗っているときもフラフラしていて目が放せなかった。
こうして、家を聞き出すことに失敗した俺は、自宅に連れて帰った。
ソファーに座らせてアルコールを抜くために水の入ったペットボトルのふたを開けてから渡してやるが酔っぱらっているせいか飲み口から零れて服を濡らした。
「なにをやってるんだよ」
バスルームからタオルを持ってきて隣に座って拭いてやると、ポツリ桜井が漏らした。
「最近、高木さんからメールが多くてあまり寝られてないんです」
「へぇ。どんなのが来るんだ?」
「好きな食べ物とか」
「好きな食べ物はなに?」
「オムライスが好きです」
「あとは、どんなこと聞かれたんだ?」
「嫌いな食べ物とか」
「嫌いな食べ物は?」
「納豆が嫌いです。あとは、牛乳」
「そのほかは、なに聞かれた?」
「好きな動物」
「好きな動物は?」
「動物はみんな好きですけど、一番はパンダとペンギンです」
「ひとつじゃないのかよ。あとはなに聞かれたんだ?」
俺は、思わずつっこみを入れた。
「好きな人はいないのかって……」
「好きな人は誰?」
しばらく、考えているのか沈黙があった。
「好きな人は……」
そう呟くと、肩に重みがあった。ちらりと横を見ると桜井が寝息を立てて寝ていた。
深い息を吐き俺は、桜井の膝と背中に腕を差し込み抱え寝室に連れてベッドに寝かせてやった。眼に掛かった前髪を払い除け額があらわになる。二十歳そこそこだったと記憶しているがその顔は、まだあどけない。男の家に簡単に連れ込まれたのに安心しきったように眠る部下に腹が立ちその額に顔を近づけ……。
指を弾きデコピンを一発かます。一瞬、身じろいだが目を覚ますことなく規則正しい寝息を立てている。
俺は、リビングに戻りテーブルにあるペットボトルに口を付けひと口飲む。そして、ソファーに座り眼を瞑った。
ここには、まだ彼女の甘い匂いと温もりが残っている。わざわざ、メールで好きなものを聞き出したりしないで、直接聞くこともできる。
社内は、別に恋愛禁止じゃない。同じプロジェクトをやっていて結束感が生まれ恋愛に発展した同僚や後輩もいる。桜井は、面倒を見ている部下だし、後輩の想い人だ。それを知りながら連れてくるなんてなにをやっているんだ。
酒じゃなくこの甘い匂いに酔いしれ眠りについた。
翌日、寝室から聞こえてくる慌ただしい音に起こされた。おそらく眼が覚めた桜井は知らない天井と部屋に驚き、ベッドから落ちたのだろう。面白いので、そのままにしておきコーヒーを二人分用意していると顔面蒼白の桜井が申し訳なさそうに顔を出した。
「おはよう」
「……おはよう……ございます」
「コーヒー飲む?」
「いただきます」
桜井は、居心地悪そうにもソファーに座りカップを両手で包み込み息を吹き掛けている。
ほろ苦いコーヒーが喉を焦がしていく。相変わらず桜井は俺の方を見ようとしない。かすかに頬が赤いような気もする。これは、なにかあったと誤解しているのだろう。
「昨日大丈夫だったか?」
桜井は、きょとんとして俺の方を見た。
「へ?」
声が上ずっている。面白いので、さらにからかってみることにした。
「濡らしただろ?」
みるみるうちに耳まで赤くなっていく。
「服、濡らしただろ?」
指摘すると、なにかと勘違いしたのだろうか、
「冬馬さん意地が悪いですよ!」
叫び声と共に顔めがけてクッションを投げつけられた。
誰かと迎える朝も悪くないものだなと少し思った。




