婚約破棄をお望みのようですが、お忘れですか?
「エレナ·フォン·マーベリウス、君との婚約は破棄させてもらう!」
王立学園の卒業パーティーも後半に差し掛かる頃、会場に響き渡るその声に誰もが口を閉ざし注目した。
一瞬の沈黙の後、ざわざわと生徒達の間に動揺が走る。
私に婚約破棄を突きつけたのはこの国の第一王子にして王太子、ベルゼナート殿下。
「恐れながら殿下、私共の婚約は当初よりいずれ解消されるものであると決まっておりましたが、これは陛下からのお達しでございますか?」
国王陛下の元、決められたこの婚約は私達の間で勝手に破棄できるものではもちろんない。
そして、まだ時期ではないはずだった。
婚約解消が早められたというのなら、私にも連絡が来ているはずである。
「婚約解消が決まっていた…?どういうことだ!私は知らんぞ!!」
何を言っているのか。
知らないはずはない。
あの時一緒に居たではないか。
まさか、聞いていなかったのか。
意識が散漫になりやすい彼のことだ、ちゃんと話を聞いていなかったのだろう。
「では、陛下はこのことを知らないのですね。」
「そうだ!だが、この話を聞けば陛下からも許可は下りよう!!」
「ですから、私共の婚約解消は決められておりますのでご心配なく。」
陛下からの命でない限り、今この話をするのは無意味だ。
衆人の目もあるし、パーティーの最中だ。
早急に切り上げて私は退場するとしよう。
楽しい一時を中断してしまったことを参加者たちに詫びようと、周りを見回したその時。
ベルゼナートの後ろに隠れるようにしていた少女と目が合った。
「逃げないでください、エレナ様!!今ならまだ、間に合います!!」
なんとなく嫌な予感がして直ぐに目を逸らした筈が、遅かったらしい。
ぐっとベルゼナートを押しのけるように出てきたその少女が、私の前まで来て訴え始めた。
しかし、何が間に合うというのか。
話の続きを待って少女を見つめていれば、その娘は何やら検討外れなことを口走った。
「今ここで、これまでの事をわたしに謝ってくれれば、ベルゼナートにも貴女のこと許すようにわたしからお願いしますから!!」
ね?と念を押すように言われたが、身に覚えのないことで謝るつもりは毛頭ない。
だいたい、誰だこの娘は。
私が知らないということは、平民なのだろう。
貴族の娘なら顔と名前は全員覚えている。
困惑したままベルゼナートを見れば、なにやら勝ち誇ったような顔をしてこちらを見ていた。
アレは使えないらしい。
「なんの事だか、存じ上げませんね。」
「しらばっくれる気か!!?」
後ろからの気配に条件反射で扇を振り抜けば、ベルゼナートの側近候補の1人の顔面にぶち当たった。
「ぐっ…!」
強打したらしい鼻を押さえて蹲りながらこちらを睨みつけてくるその顔は、騎士団長の息子だった。
まさか、その鍛え上げた肉体をもって仮にもか弱い女性につかみかかろうとしたのか。
見下げた男だ。
以前から猪突猛進な所があったが、脳筋な上に考え無しとみた。
「無礼な、この私に断りなく触れようとは……どういう躾をしているのです?」
非難めいた視線をベルゼナートに向け、再び脳筋に視線を戻せば懲りずに掴みかかろうとしてきたのでもう一度引っぱたいておいた。
この扇はもう使えませんね。
「アレスタに酷いことをしないでください!わたしが、わたしが悪かったんです…!!ベルゼナート達に助けを求めたりなんてしてしまったから!!」
この娘はさっきから何を言いたいのか全く伝わってこないのですが。
もしや、被害妄想と言うやつですか。
「もう、エレナ様に逆らったりなんてしません!言われたこともちゃんと聞きます!!ベルゼナートにも、近づきません!!だから、わたしはどうなってもいいから…!みんなには酷いことしないで…!!!」
「メリーベル!!そんなこと言うな…!!言わなくていい!!」
泣き出した少女……メリーベルとやらを抱きしめて私から庇うようにして睨見つけてくるベルゼナートを冷ややかに見つめる。
なんです、この茶番は。
「殿下、この娘は?」
その言い方では、まるで私がこの娘の心に酷い傷でもつけたかのようではないか。
「エレナ様は、わたしがベルゼナート様に近づくのが許せなくてわたしに酷いことをなさっていたのでしょう?……でも、エレナ様という婚約者の方がいらっしゃるのにベルゼナートと仲良くなってしまったわたしが悪いんです。分かってます!!だから、もうやめてください!!」
「この茶番をやめたいというのなら殿下に言ってください。私は貴女のことなど存じ上げません。しかし殿下、ご自分の身分と立場をお考えの上行動してくださいませと常々申し上げておりましたのに。平民の娘を召し上げたいのでしたら、正妃を娶った上でせいぜい妾にするのですね。」
言いがかりとしか思えない言い分を堂々と口にする少女と、それを愛おしげに見つめるベルゼナート、と取り巻き数名。
何故か途中取り巻きの1人と目が合い、微笑まれたが気にするだけ無駄だろう。
あれは、隣国アルフェリア皇国の第一皇子か。
国を背負う立場の者が揃いも揃って、こんな小娘に現を抜かしているとは呆れる。
一息に言いきり、今度こそ切り上げるため淑女の礼をもって退席の意を示す。
「では、私はこれにて。皆さま、お楽しみのところ申し訳ありませんでした。この後もどうぞゆっくり楽しんでいってくださいませ。では皆様、また明日王城でお会いしましょう。あぁ、もちろんお迎えは結構ですよ、兄上。御機嫌よう。」
言いたいことだけ言って出口に向かえば、人垣が割れて道ができる。
そのまま会場を出ると馬車に乗り込み、公爵家へ伝令を飛ばし私は王城へと向かった。
念の為公爵家にも連絡を、と使者を送ったが恐らく叔父上も王城にいることだろう。
城門に馬車が着くと、特に確認もなく通される。
公爵家と王家の紋章が入った馬車は私専用のものであり、素性がわかっている以上更なる確認は無礼に当たるからだ。
先程の騒ぎも既にベルゼナート付きの者によって知らされていたのだろう。
中へ入れば、直ぐに陛下の執務室に案内された。
「失礼致します、エレナ·フォン·マーベリウス公爵令嬢をお連れしました。」
執務室の中には、予想通り私の育ての親である叔父上も居た。
マーベリウス公爵は陛下の弟であり、この国の摂政でもあるので当然といえば当然だ。
淑女の礼をとりながら他に集まっている人物を確認する。
凡そ騒ぎに関与した者の親達は揃っているようだった。
親の監督不行届も一因とされるだろうから、仕方ない。
宰相、尚書長官、外務長官、宮廷騎士団長と国の中心人物のうち4人が揃っていた。
その息子達だからと将来を期待して王太子の側近候補になったというのに、卒業間近に問題を起こすとは本当に彼らは馬鹿なことをしたものだ。
親の顔に泥を塗ったばかりではない、自らの行いで彼らが築きあげてきた信頼すら失う事になりかねない。
「面を上げよ、早速だが此度の件は我々も聞き及んでおる。この場での意見としては、ベルゼナートの王位継承権の剥奪。その他の子息達はそれぞれの親の預かりとし、暫く社交界に出ることを禁ずる。また監督不行き届きで此奴らにも罰を……と思ったが居なくなられては困るのでな、次の代より家格降格とする。」
まぁ、妥当なところだろう。
優秀といえば優秀な者達だ、本来なら。
社交界に出遅れるのはなかなかの痛手だろう。
廃嫡までにならないのは、そこまで大きな問題にはなっていないことと、国家に与える影響が少なかったことによる。
それに、本日をもって卒業したとはいえまだ学生であったことも考慮されているはずだ。
「メリーベルという少女だが、他国の間者である可能性を考慮し捕縛の上禁固刑10年とする。また、お前達の婚約は解消。エレナ·フォン·マーベリウスは正式に王家に戻り、エレンナート·デア·スティーセルを立太子する。以上、異論はあるかエレンナート。」
「拝命致します、父王陛下。」
このような形でこの方を再び父と仰ぐことになろうとは。
国王と臣下としての付き合い方しかしてこなかったため、父と息子としての記憶は殆どないが、よく気に掛けてくれていたことは知っている。
深く垂れた頭を上げて叔父上を伺い見ると、優しげな瞳と目が合った。
これからは王太子として、この城で過ごすことになるだろう。
あの公爵家の屋敷に足を運ぶことも少なくなるのかと思うと少し寂しい。
「またお前とこの城で過ごせること、父として嬉しく思うぞ。それから、明日のデビュタントでは予定通り王太子の正式な婚約者を発表する。同時にお前の王太子任命式を行おう、間違えてもドレスで来ることの無いように。」
「私も……いえ、承知致しました。では私はこれで、失礼させていただきます。」
執務室を出る時、「エレンナート様は随分、淑女の振る舞いが身についてしまったようですなぁ。」なんて宰相の声と「自慢の娘ですから。」という叔父上の声が聞こえた気がするが、聞かなかった事にする。
そもそも、何故私が第二王子の身で公爵家の令嬢として振舞っていたのかというと国に古くからある言い伝えが始まりだった。
私とベルゼナートは双子としてこの世に生まれ落ちた。
この国で双子は運命の子と呼ばれ生まれた家には神の試練が与えられ、運命の子によって大いなる幸へ導かれるとされていた。
試練の間、双子の身に何かあるとその後は恐ろしい不幸に見舞われるとも。
そしてこれが王家ともなると、国を揺るがすものとなる。
それは民に不安を与える要因になるだろう。
これらの言い伝えはただの言い伝えではなく、過去の史実を元に真実であるとされているのだ。
そこで国王は双子の片割れを密かに他家に預け育てることにした。
幸い、貴族の子女は五歳を過ぎるまで外に出ることは無い。
誰に気づかれることも無く隠すことが可能であった。
そうして我が叔父上の公爵家へと預けられた私は、同時に貴族間の派閥争いを避けるためベルゼナートの婚約者の肩書きを背負わされ、令嬢として育てられた。
これが、真相である。
公爵家で世話になっている間は令嬢教育と共に王族としての教育も施されたし、いずれは叔父上と同じように摂政となるための勉強もしていた。
私達の誕生パーティーで国民に真実を話す予定だったが、こうなってしまっては仕方ない。
私も腹を括ろう。
本番は、明日だ。
結果的に兄であるベルゼナートの立場を奪うことになる。
果たしてそれで本当に試練を乗りこえたことになるのか、いささか不安ではあるが。
間違えてもベルゼナートを失うことの無いようにしなくてはならない。
あれで私の半身、幼い頃から共にすごしてきた。
途中からは婚約者としてだったが、ベルゼナートは確かに私の中で兄だった。
それが何故、あんなにも愚かな行動に出てしまったのか。
本当に、いつの間にあのような娘と接点を持っていたのだろうな。
知っていたら窘めていたというのに。
せめてあのような事態になる前に……いや、今更だな。
「エレンナート様。」
馬車から降り、公爵家へ足を踏み入れると同時に掛けられた声に意識を戻される。
先程の王城での話も早馬で報せが来ていたのだろう。
公爵夫人が自ら迎えてくれていた。
「……叔母上。」
「立太子、おめでとうございます。」
寂しげに微笑まれ、これからは立場が変わってしまうのだと実感する。
私に令嬢としての振る舞いを教えてくれたのは叔母上だった。
本当の家族のように育ててくれた彼女とも、もうこれまでのように接することは叶わない。
城勤めの伯父上とは違い、病弱で社交にもなかなか顔を出せない彼女とは顔を合わせることも少なくなるだろう。
震える喉を押さえ込み、精一杯笑顔を作る。
「ありがとう、ございます。」
「よく、頑張りましたね。」
ゆっくりと、優しく抱きしめられる。
今日は随分と色々なことがあった。
これから私の人生は大きく変わるだろう。
貴女の娘として、最後まで公爵令嬢らしく振る舞えただろうか。
育ての親である貴女達が、恥じることの無いように務めを果たそう。
「いままで、ありがとうございました……お母様。」
「ご活躍を期待しておりますわ、殿下。」
そっと抱きしめ返していた腕を解き、涙ぐむ彼女に最後の淑女の礼をしてみせる。
「本当に、立派になりましたわね……。さぁ、明日から大変でしょう、今日はもうお休みになってくださいませ。」
「はい、先に休ませて頂きます。おやすみなさい、叔母上。」
「えぇ、……おやすみなさいませ。」
叔母上と別れ自室に戻ると早々にメイドの手伝いのもとドレスを脱ぎ捨てる。
これからはあの窮屈なものからも開放されるのかと思うと、少し嬉しい気もする。
湯船に浸かりながら自分の身体を見る。
成長するにつれ男らしくなる身体も多めのフリルと長手袋で誤魔化しては来たが、いい加減隠し続けるのも難しくなってきたところだった。
令嬢として生きるのに筋肉をつけすぎる訳にもいかず、身体を引き締める程度にしかつけていないさり気ない筋肉は男としては頼りないように思う。
身を守るための剣術も、異国の主に女性が習得しているものを教わった。
身軽な体と剣の重みを武器とする剣術だ。
これも、やはり男としては物足りなかった。
今後は身体も鍛えて、王国剣術も身につけたい。
風呂から出て寝支度を整えられながら鏡の中の自分を見る。
長く伸ばした銀糸の髪は王家特有の色だ。
王弟である叔父上もこの色だから怪しまれることも無く、今まで過ごしてこれた。
ずっと下ろしたままの長い髪は体格を隠すのにも重宝した。
「セリエ、髪を切ってくれますか。」
「はい、どの辺までお切りになられますか?」
「耳が出るくらいで頼みます。」
何故か周りのメイド達が息を呑む音が聞こえた。
男に戻るのに長い髪は邪魔だろう。
それに、必要も無い。
「ぇ、襟足だけでも、残しても構いませんか?」
「………何故です?」
何故か涙目のセリエに首を傾げる。
襟足だけ残してなんになるのか。
周りを見れば、他のメイド達も涙目で首を縦に振っている。
「折角美しい御髪ですのに、もったいのうございますわ。」
「それに、エレナ様の背に揺れる髪が無いなど寂しゅうございますわ。」
彼女達の思い入れもあるということなのか。
そう言われると、ここに来てから伸ばし続けてきた髪がなくなってしまうのは惜しい気もする。
「わかりました、好きにしてください。」
そうして切られた髪は一風変わった形になったが、気持ち残された襟足の長い髪も結んでしまえば前からは見えない仕上がりとなった。
長いうちは分からなかったが、私の髪は少し癖があったらしい。
ところどころ流れるように跳ねている。
「ありがとう、君たちも今までご苦労でした。明日も最後までよろしく頼みますよ。」
「有り難きお言葉、我ら一同最後までエレナ様のお世話努めさせていただきます。」
セリエの言葉に合わせてメイド達が頭を下げる。
本当に、今まで世話になった。
他の使用人達にも挨拶をしたかったが、また明日にしよう。
しかし、セリエは頑なに私のことをエレナと呼ぶな……癖が抜けないのか。
「では、おやすみなさいませ。」
メイド達が退室していき、静かになった部屋を見回す。
ここを使うのも明日で最後か。
いくつかのものはあちらに届けてもらうつもりだが、残りは処分してもらうことになるだろう。
机の上に飾られた公爵家の家族写真を手に取る。
叔父上と叔母上、それからエディル。
公爵家に私が来てまもなく生まれたエディルは、私にとって弟のような存在。
幼なじみであり、親友でもある。
姉上と呼ぶことを嫌がりいつもエリーと私を呼んでいた。
私としてはエリーも嫌だったが。
彼は今、留学のため隣国に行っている。
エディルとも暫く会えなくなるだろうから、最後に顔を見ておきたかった。
そっと写真を元の場所に戻し、ベッドに横になる。
やはり、思ったよりも疲れていたらしい。
直ぐに睡魔が襲ってきて、私の意識は落ちていった。
__________
翌朝、屋敷の中は大騒ぎだった。
主に私の準備で、だったが。
「エレンナート様、こちら旦那様からでございます。」
手持ちの燕尾服を着るつもりでいた私にセリエが差し出したのは、白のガラ·ユニフォーム。
軍服を模したそれのボタンには王家の紋章が刻まれている。
マントまでついているのか……目立ちそうだな。
それに袖を通して、身嗜みを整えてもらい玄関ホールへと向かう。
先に待っていた叔父上と叔母上に礼をとるとにこやかに迎えられた。
「素敵なプレゼントをありがとうございます。」
「あぁ、よく似合っているよ。」
「えぇ、素敵ですわ。」
連れ立って馬車に乗り込もうかと言う時に、王城からの使者が現れた。
何か問題でも起こったのだろうか。
使者の報告を聞く叔父上を、叔母上と馬車の中で待つ。
やがて馬車に乗り込んできた叔父上から聞かされた話は昨日の卒業パーティーで会ったメリーベルという少女のことだった。
どうやら昨日の時点で捕まえることは出来なかったらしい。
それどころか、あのパーティー以来見た者はいないと。
まさかとは思うがベルゼナートといるなんてことはないだろうか。
少なくとも側近候補の誰かといるに違いない。
もし、本当に他国の間者であったならば既に国から逃げ出している可能性も考えられる。
しかし、その可能性は低いように思えた。
間者にしては口が軽そうというか、単純そうというか。
それが演技であったならなかなか優秀な間者だとも言えるが、そんな者が他国にいるとなると末恐ろしい。
「平民の身で城に入り込むことなど無いとは思うけど、今日の舞踏会は気をつけてくれよ。」
「分かりました、ベルゼナートや側近候補達はどうなりましたか。」
「あの娘と繋がりがあるかもしれないからね、今のところ監視付きで泳がせることにしたらしいよ。今日は何も知らずに舞踏会に参加するだろうね。」
「そうですか。」
今日の舞踏会は、デビュタントを迎える子女たちとその家族による昼の部と、その他の貴族を招きデビュタントを迎えた子達をお披露目する夜の部がある。
恐らく私の紹介は夜の部で行われるだろう。
それまでは会場に紛れていればいい。
「折角今日のためにエレナのドレスも新調しましたのに、見ること叶わず残念ですわ。」
会場である大広間へと続く廊下を歩きながらこぼす叔母上に叔父上が苦笑している。
叔母上は本当に今日という日を楽しみにしていたのだ。
毎日毎日ドレスだなんだと付き合わされたのは記憶に新しい。
叔父上がこんなドレスコードを用意してくれていたことにも驚いたが。
「まぁ、あの方はどなたかしら?」
「初めて見るな。おい、あれは誰だ?」
「あら、あの方はまさか……!」
「そんな、そんなことがあるはず……。」
「しっ!皆様お静かに。」
二人の後に続いてざわつく会場を真っ直ぐに突き進む。
視線を集めている自覚はある。
パートナーを連れずに現れたことも注目される理由だろうが、見知らぬ者というのが最ものそれだろう。
まぁ、令嬢の中には気づいた者も居るようだが。
一番私の近くにいたのは彼女たちだから、それも当然と言える。
下位の者から入場するのが常である舞踏会で、公爵家と同じくして入場した私は上位の者であると宣言したも同然であった。
この後は恐らくベルゼナートが入場するはずである。
ゆっくりと会場の中央へと進みながら周りの様子を伺うと、どうやら側近候補達もまだ居ないようだ。
ベルゼナートと一緒にいるのだろうか。
彼らは側近候補といえども、本来なら家格の通りに先に会場入りしてベルゼナートを待っているべきであるはずだった。
やはり、我々の目が節穴だったということなのだろうか。
これでは他の高位貴族達を侮辱しているのも同然である。
それに、彼らの婚約者達は既に会場入りをしているようだ。
エスコートを受けられなかったのであろう令嬢達が固まっているのが分かった。
デビュタントで高位の貴族令嬢が婚約者のエスコート無しに会場入りするなど酷い醜聞にも程がある、その両親たちの顔はにこやかなのに殺気を纏っているように見えた。
思わず近寄るのを躊躇う程である。
そんな時、入口が俄に騒がしくなった。
遠巻きにされながら入場してくるのは、案の定ベルゼナートとその側近たち。
そしてその真ん中を陣取り堂々と歩いているのは、煌びやかなドレスを纏ったメリーベルだった。
やはり、一緒にいたのか。
しかも舞踏会に連れてくるとは、ベルゼナートは何を考えているんだ。
仮にもその娘は容疑をかけられている罪人だというのに。
さっと会場を見回すと、メリーベルに気づいたらしい衛兵達が次々に配置に着くのがわかった。
隊長格らしい人物がこちらと、あちらを見て何やら指示を出している。
それを横目に、私はベルゼナート達の元へと歩く。
私が進めば何も言わずとも開けていく道、その先のベルゼナートが私の存在に気づいた。
「何者だ!」
警戒を顕に私を睨みつけるベルゼナートを無視し、メリーベルに話しかける。
「可憐なお嬢さん、この私と踊っていただけますか?」
優しく微笑みかけて、すっと手を出せば戸惑うように目線を泳がせて彼女は恥ずかしそうに私の手を取った。
「えっと、よ、喜んで……?」
そのまま唖然としているベルゼナート達を置いて会場中央までエスコートすると、先ほど指示をしていた隊長格らしい人物に目配せをする。
私の意図が伝わったのだろう。
その隊長の合図で、音楽が流れ出し私達は踊り出す。
学園で少しは学んだのか、平民にしてはそれなりに踊れるようだった。
「あ、あの、お名前をお伺いしても?」
「エレンナートと申します。」
「エレンナート様……わたしは、メリーベルです!」
まだ陛下も現れていないのに踊り出した私たちを遠巻きに、困惑したような空気が漂う。
注目されることに慣れていないのか、どこかそわそわとしている彼女はたくさん私に話しかけてくる。
しかし、それも好都合。
私に集中してくれているのならそれでいい。
一曲踊り終えた頃には、期待通り衛兵たちに囲まれていた。
「ぇっ、え??これは、一体……あの、エレンナート様?」
困惑する彼女の手をぎゅっと握りしめると、こんな状況だというのに何故か恥ずかしそう俯いた。
「離しませんよ、メリーベル嬢。………衛兵!!この者を捕らえよ!!!」
「「「はっ!!!」」」
私の合図に一斉に動く衛兵に、掴まれたままのメリーベルが驚いたように顔を上げた。
「な、なんで!!???エレンナート様!!!!いや、離して!!!ベルゼナート!!!助けて!!!!!」
衛兵が彼女を捕らえたことを確認し手を離せば、同時に背後からその手を掴まれた。
そのまま、強引に体の向きを変えられる。
「お前!!何者だ!!!このようなことをして、ただで済むとでも思っているのか!!!?」
私に掴みかかるベルゼナートをいなして距離をとる。
「兄上……私のことをお忘れですか。」
さぁ、兄弟感動の再会だ。
ずっと傍にいましたけどね。
「お、まえ……まさか、エレン……エレンナートか?」
「覚えていてくださったのですね、兄上。もう、忘れられてしまったのかと思っていました。」
亡霊でも見たかのような顔で私を見つめるベルゼナートの目が何故だかだんだんと潤み始める。
私たちの近くでは未だメリーベルが騒いでるというのに、ガン無視だ。
「エレン、お前は死んだとばかり……よかった!!エレン!!!」
「は、兄上……っ!?」
泣き出してしまったベルゼナートが、そのまま抱きついてくるという事態にさすがの私も戸惑う。
本当に感動の再会になってしまったようだ。
皆何も知らないはずだが、この場の空気に流されてしまったのだろう。
周囲からは拍手が送られ、啜り泣く音も聞こえてくる。
何故だ。
私の肩で泣き続けるベルゼナートを宥めるように背を撫でる。
「何故、私が死んだなどと思ったのです?」
「……聞いたのだ、お前が城から消えたあの日に。」
誰だ、そのような話をベルゼナートに聞かせたのは……。
城の中でも私の存在は秘密裏に隠されていたはずだというのに、その上幼かった兄上が混乱するようなことをお教えするとはタチが悪い。
そして婚約の時は話を聞いていなかったと、ほぉ。
まぁ、この兄ならそれも仕方ないと思えてしまう。
昔からそういう人だから。
しかし、このような場所で衆目の的になりながら泣いてしまうとは、完全なる失態だ。
そろそろ泣き止んで頂こう。
声を落として囁くように話しかける。
「兄上、私はずっとお傍におりましたよ。」
「なん!?ぇ、まさか……エレナ……。」
「はい、殿下。」
私の顔をじっと見つめ、既視感を覚えたのだろう。
にっこり令嬢スマイルで応える。
条件反射だったが効果は的面のようだ。
「では、私はエレンと婚約……?」
「ですから、解消は決められていると申したではありませんか。」
しきりに首を傾げているベルゼナートに容赦なく告げれば、気落ちしたように項垂れてしまった。
そこへ、ベルゼナートの側近候補が断りもなく話しかけてくる。
やはり躾がなっていないのでは無いだろうか。
「殿下!!!何をなさっておられるのです!!?メリーベルがっ!メリーベルが連れていかれてしまったではありませんか……っ!!!」
その声に我に返ったらしいベルゼナートが周囲を見渡すが、既に彼女は衛兵に連行された後だ。
これ以上場を混乱させるわけにもいかない。
一度彼らを連れて別室に移ろうかと考えた時、高らかな宣言が会場に響いた。
「静粛に!国王陛下、並びに王妃殿下の御成りに御座います!」
ざわついていた会場が一気に鎮まり、皆一様に平伏す。
騒動は収まり、危機は去ったと判断されたのだろう。
ゆったりとした足取りで父上に続き母上が入場する。
宰相他、国の重鎮が座に着く頃。
父上が厳かに口を開いた。
「皆の者、面を上げよ。」
その声に皆が陛下に注目する。
これから祝福の言葉が、若者たちに贈られるだろう。
「まずは、成人を迎える諸君、おめでとう。今日の主役は君たちだ、存分に楽しむが良い。そしてこれまで学園で学んだことを生かし、国の為に尽くして欲しい。さて、先程の騒ぎだが我が城でこのような事が起きたこと、申し訳なく思う。此度の件に関わったもの達には追って沙汰を伝える、覚悟しておくように。私からは以上だ。」
本来、ファーストダンスは陛下と王妃もしくは王太子とその婚約者が行うのだが、この場合はどうするのだろうか。
デビュタントでは位の高い公爵家や侯爵家の者が務めることも多い。
しかし、今年のデビュタントには私達王子が二人もいる。
皆遠慮して踊り出す気配もない。
誰か相手を見繕って、ダンスの相手を申し込むか。
「エレン。」
すっと、隣から手が差し出される。
これは今までよく見てきた光景だ。
そうか、ベルゼナートにはまだ婚約解消の話が伝わっていないのか。
しかし私のこの格好を見て、尚且つ弟であると分かっているはずなのに何故。
どう考えてもこのような公式の場で常識外れな行動だ。
それに、さっきまで狼狽えていたのはどうした。
「ほらエレン、踊ろう。」
早く、と目線で訴えられるが……この手を取って良いものか。
助けを求めて父上を仰ぎ見れば、実に楽しげな表情で私たちを見ていた。
隣の母上も微笑ましげである。
腹を括るしかないのか。
「お受けしましょう、兄上。」
衆目の中、兄上と二人だけでステップを踏む。
お互いの癖を知り尽くしたダンスは、ドレスではないせいかいつもより踊りやすい。
それにいつにも増して息があっているように感じた。
ターンの度にお互いのマントが閃く。
楽しげなベルゼナートの顔を見ていれば、私も思わず笑顔が零れた。
一曲踊り終えると盛大な拍手に包まれた。
先程の感動の再会の余韻も相俟ってか、体のいい余興になったようだ。
次々に行為の子女を先導に男女のペアが中央に進み出てくる。
それに合わせて私達も次の相手の手を取り踊った。
__________
「ざ、罪人!!?」
「他国の間者の疑惑が掛けられています。」
「そ、そうか……いや、でもメリーベルがそんな……。」
夜会までの間休憩を兼ねた茶会が開かれる。
その時間を利用してベルゼナートを別室に連れ込んだ。
現実を受け入れられないと首を振るベルゼナートを奮い立たせるべく、畳み掛ける。
「昨日私を告発しましたね、貴方にそれを促したのは誰ですか。」
「っ、メリーベル……だ。そうだな、エレンがあのようなことするわけもない。メリーベルの虚偽の申告だったと考えるのが、正当か。」
「兄上、間者の疑いが晴れれば少しは罪も軽くなるでしょう。それまでは長くて10年牢屋ですが。」
しかし、このままではよくて国外追放か。
知らなかったとはいえ王族、エレナを名乗っていた時点でも私は準王族ではあったが、その私を貶めようとした上に、王太子であったベルゼナートに偽りを述べ操ろうとしたとなれば死刑も考えられるだろう。
それは、立派な国家反逆罪だ。
目的は分からないが、これで間者である可能性も高まった。
「知らなかったこととはいえ、大変なことをしてしまったな……。エレンにも迷惑をかけた、すまない。」
「いいえ兄上、私のことを信じてくださって嬉しいです。」
エレナの時は目の敵のように見られていて、全く信じてくれなかったというのに弟へのこの信頼具合はどういったことなのか。
ベルゼナートからしたら10数年ぶりに再会した感覚なのかもしれないが、複雑な気持ちだ。
「ですが、疑うことも覚えてください。私は陛下からもこの身を保証されてはいますが、仮にエレンナートを騙る偽物だったら如何するおつもりです。」
「私がエレンを見間違えることなどないだろう。」
「おや、ずっとお傍におりましたのに死んだと思っていらっしゃったのは何方だったでしょうね。」
「それは……!悪かった。」
詰まるつもりはなかったのだが、少し責めるような口調になったのは否めない。
素直に謝罪を口にしてくれるところは、ベルゼナートらしいと感じた。
どちらともなく笑いだせば、昔に戻ったような気分になった。
「兄上、私は陛下より王太子の座を与えられるでしょう。」
「このようなことになってしまったのだから、それも仕方の無いこと。私の責任だ。今回のこともお前が忠告してくれていたことに耳を傾けなかったのは私だ。エレンナート、お前にならこの国を任せられる。今度は私が支えよう。」
力強い瞳が私を捉え、差し出された右手を固く握り合う。
立場が変わっても、二人でこの国を導こうと誓い合った。
「他の者達はどうなるだろうか。」
「さぁ……彼らの家が決めることです、私達にはどうすることも出来ないでしょう。」
「そうだな……お前の側近も選ばなくてはいけないな。」
「あぁ、それですが______。」
ずっと考えていたことを兄上に話すと、今まで見たことがないほど呆れた顔をされてしまった。
「それ、父上には話したのか?」
「いえ、まだです。」
「だろうな。……ふ、お前でもそんな突拍子もないことを考えるんだな。」
楽しげに笑うベルゼナートが言いたいことはわかる。が、そんな突拍子もないことでもないと思う。
確かにそれによって大きく変わることもあるだろうが、学園で得た経験は活かしてなんぼだろう。
それに国にとって悪いことばかりでもない。
ある程度の縛りは必要になるだろうし、すんなり通る案件だとは思っていないが、まずは私の周りから変えていくつもりだ。
「変な噂だけはたてるなよ。」
「分かってますよ。」
自分のことを棚に上げて話さないでいただきたい。
そろそろ夜の部が始まる頃だろうと腰をあげる。
茶会に出ず勝手に行動してしまったから、今頃探されているかもしれない。
歩きながらふと気になったことを聞いてみる。
「何故、メリーベル嬢だったのですか。」
隣を歩くベルゼナートが私の顔を見て瞬いた。
そしてからかうように笑う。
「なんだ、嫉妬か?」
「どう解釈したらそのように聞こえるのですか。」
確かに、私が女で元婚約者の立場だったならそう聞こえたかもしれないが。
「なに、冗談だ。そう拗ねるなエレン。」
「拗ねてません、私ももう子供じゃないんですよ。」
「……そうだったな。」
やはりベルゼナートの中で、私の時はあの頃のまま止まっていたのではないかと思ってしまう。
それほど寂しげな横顔だった。
「メリーベルは、変わった娘だった。平民のくせに物怖じしないところは好ましく思ったが、その分いつか何かやらかしそうで目が離せなかった。恋とか愛とかそういうのよりは、手のかかる妹が甘えてくるみたいな感覚か。………お前がいなくなってから、きっと私は寂しかったんだ。エレナはどちらかと言うとしっかりしてたからなぁ…。お前と私は良くも悪くも対等だった。甘えてくることもなかったしな。」
「一応、婚約者でしたからね。貴方を支える立場で甘えられるはずもないでしょう。」
可愛げのない弟ですみませんでしたね。
と言外に訴えれば、また楽しげに笑われる。
寂しかった、か。
「なぁ、エレン。」
「甘えませんよ。」
「………まだ何も言ってないぞ。」
言われなくても、その顔を見ればわかる。
__________
ベルゼナートに続きゆっくりと会場入をする。
先程より人口密度の増えた広間からは、また好奇の目が注がれた。
「ベルゼナート、エレンナート。ここに。」
「はっ。」
陛下が入場してすぐ、呼ばれる。
二人揃って陛下の居られる上段の階下、その階段の中程にある踊り場で膝をつく。
それを見届けた陛下が貴族達に向けて口を開いた。
「この場を借りて皆に報告がある。此度知らずとはいえこの城に平民を連れ込み場を騒がせた罰と、この国を揺るがしかねない問題へと発展させかねたその責任能力の無さを考慮し第一王子ベルゼナート·アゼル·フォード·スティーセルの王位継承権を剥奪。第二王子エレンナート·デア·フォード·スティーセルを王太子とする。」
「承知致しました。」
「謹んでお受け致します。」
深く頭を垂れる私達に満足げに頷いた陛下が、再び階下に目を向けた。
「異論のある者は申し出よ。」
未だ困惑に包まれている会場からポツリポツリと拍手の音が生まれ、やがて全体を包む喝采となった。
ベルゼナートと二人、陛下に促され立ち上がり振り返って集まった人々を見下ろす。
「改めて皆に紹介しよう。我が息子エレンナート·デア·フォード·スティーセル、ベルゼナートの双子の弟だ。」
陛下の紹介に合わせて一礼する。
皆が拍手を送る中、双子という言葉に動揺を露わにする者、神からの祝福と喜ぶ者等様々な反応があった。
世継ぎがベルゼナート1人であればなんの争いもなく貴族達は従うことが出来たが、王子が2人となれば派閥も出来よう。
継承権を失ったベルゼナートを担ぎあげるには障害も多いが、新参者ともみえる私を支持するというのも受け入れ難いものがあるのかもしれない。
例え貴族達の間でそのような問答があろうと、私達は変わらず二人で国を治めていくつもりだ。
拍手の波が収まる頃、陛下に許しを貰い発言する。
「エレンナート·デア·フォード·スティーセルです。お初に御目に掛かる方もいらっしゃるでしょう、どうぞお見知り置きを。この場を借りて我が学友達に感謝と祝福を。貴女方と共にこの日を迎えられたことを誇りに思います。これからも私達を、この国を支えてください。私達も国の為に尽くしましょう。」
私の言葉を理解したのであろう令嬢達が膝を折って一斉に頭を垂れた。
その光景を見てざわめく人々を見届け、ベルゼナートと目を合わせる。
何気なく差し出されたその手を握り、二人で空いている手を掲げれば再び会場が拍手で包まれた。
「もう一つ、発表することがある。」
陛下の合図で進み出てきたのは、隣国の第一皇子。
「デルモベート、何故。」
「やぁ、ベルゼナート。今回の件、残念だったね。」
にこやかにベルゼナートに話しかけているのは、間違いなく昨日私に意味深な視線を送ってきた彼だった。
その後ろに続くように見知らぬ令嬢が、誰かにエスコートされて私達のすぐ側まで来ていた。
「エディル?」
「ひさしぶり、エリー。」
エスコートしている人物を見て、思わず首を傾げる。
何故、留学中のはずのエディルがここに居るのだろう。
それもこんなタイミングで現れるなんて。
「まぁ、このお方がエリー様ですの?わたくし、てっきり女性の方だとばかり……わたくしをお騙しになったのね、エディル様?」
「はは、君が勝手に勘違いしたんでしょう?」
鈴を転がすような声がすぐ側で聞こえた。
そういえば、エディルはどこかのご令嬢をエスコートしていたのだった。
色々と聞きたいことはあるが、後でゆっくり聞けばいいだろう。
「エディル、ご紹介頂けますか?」
「私から、皆に紹介しよう。」
口を開こうとしたエディルを遮って陛下が声を掛けた。
令嬢が膝を折るのに習ってデルモベート、エディルも陛下に頭を垂れた。
「アルフェリア皇国第一皇子、デルモベート·ウィル·アルフェリア殿下並びに第一皇女ルミリア·ウィル·アルフェリア殿下だ。」
「お初にお目にかかりますわ。」
すっと顔を上げた彼女に淑やかに微笑まれ、私も礼をとる。
皇国の秘宝と呼ばれた姫君が、何故。
という疑問は直ぐに晴らされた。
「此度、アルフェリア皇国と同盟を結ぶにあたってルミリア皇女を王家に迎え入れることが決まった。よって、ここにエレンナート·デア·フォード·スティーセルとルミリア·ウィル·アルフェリアの婚約が結ばれたことを発表する。」
婚約……そんな話を昨夜聞いた気もする。
まさか、隣国の皇女殿下だったとは思いもしなかったが。
アルフェリアのルミリア皇女と言えば、皇帝がなかなか外に出したがらない他国からすれば幻のような存在だった。
とても頭が切れるとも、大変我儘で手が付けられないから外出の許可が降りないとも、病弱だとも噂された姫君だ。
今まで以上に盛大な拍手の中、ルミリア皇女の手を取ってフロア中央へと誘う。
陛下の合図で流れ出した曲に合わせ、ゆっくりと踊り出す。
「先程のダンス、わたくし実はこっそり見ておりましたの。」
「それは……お見苦しい所をお見せしてしまいましたね。」
舞踏会に兄弟でダンスを踊っているところを他国の皇族に見られるとは、それも婚約者に。
「いいえ、仲が宜しくて素敵ですわ。わたくしもお兄様とよく踊りますし。」
それとこれとはまた別だと思う。
ルミリア皇女は未婚の女性だから家族のエスコートが許されていただけだ。
「それに、我が国にいらしていたエディル様からもお話を聞いておりましたが、わたくしのお兄様からもこちらの学園でエレンナート様とベルゼナート様の様子をお聞きしておりましたの。お二人にお会いするのがとても楽しみでしたわ。」
デルモベート皇子は私達の監視役だったということか。
しかし第一皇子が自らとは、他国で危険なのではないだろうか。
それに今回の件にもベルゼナートに巻き込まれたというよりは、自分から突っ込んで行ったようだし。
「お兄様は変わっていますでしょう?あれでわたくしのことを本当に大事にしてくれていますのよ。少し度が過ぎる気も致しますが、今回の婚約が決まる前にこちらへの留学を決めてしまいましたの。お二人のことはお兄様も大変気に入ってしらっしゃいますわ。これからもよろしくしてやって下さいませね。」
「もちろんです。デルモベート様とはあまり学園でお話する機会がなかったのですが、これから友誼を結ばせて頂ければと思っております。ルミリア様も婚約者として、これからよろしくお願い致しますね。」
嬉しそうに、楽しげに話す彼女に私も優しくほほ笑みかける。
ルミリア皇女とはこれから、いい関係が築けそうだ。
皇女にしては素直そうなところも、兄弟想いなところもとても好感が持てた。
きっと家族に愛されて育ったのだろう。
貴族や王族にしては珍しい。
アルフェリア皇国ともいい関係が築けそうだ。
「わたくし、貴方なら信じられると感じましたの。ですから______。」
二曲続けて踊って、ベルゼナートにルミリア皇女を託す。
離れていく二人を見送って一度輪から離れると、聞きなれた声に呼び止められた。
「御機嫌ようエレナ様。酷いですわ、わたくし貴女のこと親友だと思っておりましたのに。」
「私は今でも親友だと思っていますよ。お手をどうぞミゼリアナ嬢。」
拗ねたように唇を尖らせるのは、照れている時の彼女の癖だ。
怒っている風を装っているのに彼女の纏う雰囲気は柔らかい。
「では、わたくしを召し上げて下さいます?……冗談ですわ、貴方の妾になどなりたくありませんもの。ドレス姿ではないエレナ様なんて見慣れなくて変な感じでしてよ。」
「ふふ、手厳しいですね。私としては貴女にベルゼナートを支えていただきたい。」
「まぁ……ふふ、ではわたくし、エレナ様のお義姉様になりますのね。」
「それは、不思議な感じですね。」
「エレナ様とダンスをしている時点で、わたくしとしては不思議な感じですわ。」
いつもの様に軽口を叩きあいながら、ステップを踏んでいく。
私をエレナと呼び続けるのは、彼女なりの意趣返しと意地だろう。
「ではエレナ様、またお茶会に呼んでくださいましね。」
「えぇ、きっと。」
一曲踊り終えて別れた彼女が、本当にベルゼナートの婚約者として私の前に現れるのはそれからひと月もしない内だった。
__________
「あら、御機嫌ようエレナ様。」
「御機嫌ようミゼリアナ嬢、ベルゼナートに逢いにいらしたのですか?」
王城の廊下を優雅に歩く彼女が歩いてきた方向にはベルゼナートの執務室がある。
帰り道だろうかと声をかければゆったりと首を振られた。
「ルミリア皇女殿下とお茶の約束をしておりますの。エレナ様も御一緒にいかがかしら。」
「そうでしたか、手が空いたら顔を出しましょう。ルミリア様によろしくお伝えください。」
「そう言って先日もいらっしゃらなかったでしょう?ルミリア様はお優しいですけれど、あまり構って差し上げないと嫌われてしまいますわよ。」
令嬢ばかりの空間にいると、つい癖が出てしまうので避けていたのを見破られたようだ。
ルミリア様とは毎日時間をとって過ごしているし、ミゼリアナ嬢も聞いているはずだからこれはちょっとした嫌味だ。
「では、今日はベルゼナートも誘って顔を出しますよ。必ず。」
「ふふ、お待ちしておりますわ、エレナ様。」
ミゼリアナ嬢と別れて自分の執務室に入ると、すでに側近たちが書類を前に仕事を始めていた。
私の側近として上がってきたのは3名。
元エレナの取り巻きであったノーリゼア·フォン·ショコラティア侯爵令嬢とシエル·フォン·ダリアル子爵令嬢、それからフレデリック·フォン·メーベル侯爵子息。
それにエディルが学園卒業後に加わる予定だ。
私の提案は陛下の命の元受け入れられ、貴族女性が政に関わることが認められ役に着くことが可能になった。
試験的に数名既に働き始めているが、各署で既にその頭角を表しているようだ。
今後は学園での成績によって女性の受け入れも考えることになる。
優秀な者を女性だからと地方で埋もれさせてしまっては勿体ないと訴えたのが陛下の心に響いたのだろうとは、ベルゼナートの見解だ。
実際領地を取り仕切っているのは夫人等であることが多いのは公然の事実であったりする。
それを踏まえての今回の陛下の決断であったのではないかと私は考えていた。
「ご苦労さま、早速で悪いんだが今日の執務は早めに切り上げます。」
「まぁ、如何致しましたの?」
手を止めて顔を上げたノーリゼア嬢に同調するように他のふたりも顔を見合わせている。
皆仕事を溜めるようなことはしないから少しくらいなら、と思ったのだがもしや難しいのだろうか。
「ルミリア様とミゼリアナ嬢のお茶会にきっと来るようにと誘われてしまいまして。」
「「あら!」」
肩を竦めて苦笑を零したところ何故か嬉しげな声が女性陣から上がった。
「素敵ではありませんか、ここは私たちに任せてどうぞ行ってらしてくださいな。」
「お二人もきっとお喜びになりますわ。」
楽しげな声に送り出され、申し訳ない気持ちでフレデリックを見ればにこやかに手を振られた。
あれはあれで気にしない質なのだ。
だからこそ私の側近になれたわけだが、侯爵家の三男としてはなかなかの職を掴んだ幸運の持ち主とも言える。
仕方ない、ベルゼナートを攫ってくるか。
数回のノックの後に扉を開いて中に入ると、呆れた顔のベルゼナートが溜息と共に私を嗜めた。
「相変わらず、返事を待たずに開くのだな。」
「兄上以外にはしませんよ。」
特にレディのいる部屋に入る時はね、と返せば当然だと返ってくる。
書類に走らせていた筆を止めて、聞く体制に入ったベルゼナートの傍によりながら本題に入る。
「先程ミゼリアナ嬢にお茶に誘われたんですが、兄上を連れていくと約束してしまいまして。」
「それでこんな時間に顔を出したのか。今は執務の時間だろう。」
仕事はどうしたと、暗に言われて苦笑が零れる。
「ここはいいから行ってこいと追い出されてしまいまして。」
「そうか。私の弟君は優秀な側近を持ったようで羨ましいよ。」
「変に気を回されている気がしますよ。」
くつくつと喉の奥で笑うベルゼナートに肩を竦めてみせると、いいじゃないかと他人事のようにあしらわれた。
じゃあ行くか、と席を立つのを目で追って茶会が開かれているであろう庭園へと並んで歩く。
「なぁ、エレン。ミゼリアナ嬢を嗾けたのはお前だろう?」
「人聞きが悪いですね、ただ兄上にはミゼリアナ嬢が相応しいと。弟として、彼女の親友として思ったままを伝えてみただけですよ。」
実際一緒にいると心地よいのでは?と聞いてみれば複雑な表情をされた。
実は険悪な関係なのだろうか。
先程のミゼリアナ嬢の感じではそんな感じはしなかったが、少し不安になる。
「お前にすべて見透かされている気がして気に食わん。確かに彼女は素晴らしい女性だ、だがお前に言われて私を選んだのかと思うと……」
「おや、嫉妬ですか兄上?」
「なっ!?ちがっ…!!」
まさか、ベルゼナートから恋愛相談どころか嫉妬されるとは。
思ってた以上に二人の関係は好ましいものになっていたようだ。
微笑ましく狼狽えるベルゼナートを見ていたのがバレてしまった。
機嫌を損ねる前にアドバイスでもするべきか。
「そうですね、彼女は物より言葉、言葉より行動に喜ぶ方ですから。そっと抱きしめるくらいして差し上げれば宜しいのでは?」
「そ、れは……無理だろう。」
「何故です?」
急に勢いが弱まったベルゼナートを訝しむ。
きっと彼女は唇を尖らせて悪態をつきながらも嬉しそうに笑ってくれるだろうに。
「恥ずかしい。」
真顔で放たれた言葉に開いた口が塞がらない。
この人はそんなことを感じるような人間だったろうか。
「メリーベルに抱きつかれていた時は、平然としていたではありませんか。」
「あれは妹のようだと言っただろう。」
貴方には弟しかいませんがね、という言葉はのみこんでもうすぐそこに迫る庭園と隣を見比べた。
本当に、この兄をここまで変えてしまうとは。
恐ろしい女性ですよ、ミゼリアナ嬢。
「お待たせしました、レディ達。」
「ようこそお越しくださいました、エレンナート様、ベルゼナート様。」
こちらへどうぞと手で指された席に腰掛けてルミリア様のおもてなしを受ける。
「待ちくたびれましてよ、エレナ様。」
丸テーブルに向き合うように座っていた二人の間に座ったわけだが、先程の会話で意識してしまったらしいベルゼナートが固まっているのを尻目にミゼリアナ嬢が私に話しかけてくる。
「それは申し訳ありません、執務を放り出して直ぐに参ったつもりだったのですが。」
「まぁ、お仕事は大切ですわ。ミゼリアナ様、あまりエレンナート様を困らせないで差し上げてくださいませね。」
「あら、ルミリア様もエレナ様とお茶がしたいと申していたではありませんの。」
「嫌ですわ、それは内緒にしてくださるお約束でしょう?」
楽しげな少女達に挟まれて、少したじろぐ。
女性の会話とはこんな感じだったろうか、少し前までは自分もこんな会話を繰り広げていたのかと思うと感慨深い。
「それにしても、この4人でお茶をするのは初めてでしたわね。」
「えぇ、わたくしベルゼナート様とはあまりお話させて頂く機会がありませんでしたから本日はご一緒できて嬉しいですわ。」
にこりと微笑まれたベルゼナートはすぐさまよそ行きの顔を作り、滑らかに美辞麗句を述べる。
「私も可憐な姫君とご一緒できて大変光栄ですよ。ぜひ、エレンの話など聞かせて頂きたい。」
まぁ、と口許を押さえた扇を自然な動作で閉じたルミリア様は、私とミゼリアナ嬢に滑らせるように視線を向けてからもう一度ベルゼナートと目を合わせると、これまた花が綻ぶような笑顔でひと言。
「ベルゼナート様がお聞きしたいのはミゼリアナ様のことで御座いましょう?」
唖然とルミリア様を見たまま動きを止めたベルゼナートと、ぱっと頬を染めて視線を外したミゼリアナ嬢の様子に楽しげな笑い声を漏らした彼女はそのまま私に同意を求めて小首を傾げた。
本当に、彼女には敵わない。
その猫のような瞳は一瞬で物事の本質を見抜くようだ。
皇国が彼女を外に出すのを渋るのが解る。
彼女の魅力はそれだけではないと、もう私は知ってしまったけれど。
あの舞踏会の日、彼女が私に言った言葉が頭を過る。
『ですから、愛してとは申しませんわ。けれど、どうかわたくしを大切にしてくださいませ。』
にこりと微笑むだけに留めて、紅茶の香りに身を委ねる。
この和やかな時が続くように、いつか彼女を愛せる日が来るようにと心の中で願った。
fin.