26。幸せ時間
本日何度目かの来客を知らせる電子音に、あたしはまたもファミレスの入り口に向かって首を伸ばす。
ゆっくりと閉まっていくドアに、外から入ってきた日差しの明るさが、線となってドアと共に閉じて消えていく。
黒い短髪に見慣れた不愛想な顔が店内を大きく見渡す姿に、あたしはイスからちょこっとお尻を持ち上げて大きく手を振った。
「腹減ったぁ」
肩に掛けていたカバンを外して席にかけるイチにメニュー表を差し出してあげる。
「お疲れ様」
イチとは、さっき彼がかけてきてくれた電話で和解済み。
「新城先輩は無事におうちに帰れたの?」
イチは女の子を放置して帰るような人じゃないけど、あの絡み方はちょっと心配になっちゃう。
「ちゃんと家の前までは送ってきた。
デカい家だったよ。社長令嬢なんだとさ」
メニューに集中するイチの声は何だか上の空なんだけど。
社長令嬢……。
あたしの中でこの一言が引っかかる。
どこかで聞いたぞ、この言葉。しかも最近。
「カエは? 何頼む?」
イチの声に思考が引き戻される。
あ。今日はこの話はやめておこう。
折角合流できたんだもんね。
「あたしはさっき食べちゃったんだ。
帰り道でばったりジュニアに会ったの。そこのコンビニに買い物に来てたんだって。
でね、あたしがボッチだったから、なんでイチがいないのって話から新城先輩のこともいろいろ話てくれて」
あたしの言葉に、イチの顔がきょとんとする。
「え。で、ジュニアはどこ」
テーブルの上はあたしの飲んでいたドリンクだけを残してキレイに片付けられて、ここで食事をしていたような痕跡は何もない。
「うん。イチも来るからって引き留めたんだけど、今日はいいんだって」
「そうか」
メニューを閉じたイチは注文をするために備え付けのベルを押した。
「って事はジュニアも一緒にメシ食ったの?」
「ん? ジュニアは話に付き合ってくれただけ。お昼はカイリと食べたからって言ってたけど」
イチの質問の意図はよく分からないけど、ジュニアは一緒にご飯をしたわけじゃないし。
直ぐに来てくれたウェイトレスさんに注文をしたイチは、少し考えるようにあたしに向かって口を開く。
「さっき新城さんにメシ誘われて、それを断ったら
カエも他の誰かと今頃は昼メシ食ってるんだから。
ってキレられてさ……。
いや、偶然だな」
自分の中で結論付けたイチは、小さく笑うとドリンクバーに向かって席を立った。
んー。あたしがあのタイミングでコンビニを通りかかるなんてことは、ジュニアにも誰にもわかんないだろうしね。
「そう言えばジュニアが、『イチは行きたい所があるみたいだよ』って言ってたんだ」
席に戻ると、アイスコーヒーにストローも刺さないで口をつけたイチがブフッとコップの中にコーヒーを吹き戻した。
「うわっ。何、どうしたの」
「……何でもない」
ちょぴっと口元を濡らしたコーヒーを紙ナプキンで拭き取ると、時計に目を走らせた。
あれ、そういえば映画館でも何だか怪しい動きをしていたぞ。
「なんか2人して怪しいー。」
「ジュニア経由じゃ余計にやりにくいっての。っつか絶対ワザとやってるし。
この時間からじゃ駅前まで戻って買い物も面倒だし、もうこの辺りでまったり過ごそう」
今度こそアイスコーヒーを口に含んで、イチはあたしの目を覗いた。
「悪いな。折角楽しみにしてた映画だったのに」
あ。気にしてたんだ。
イチの顔が寂しそうに影を落とす。
「うーん。イチが悪いことなんて何にもないよ。
映画は面白かったし、今ここで2人で一緒にいられているし。
でも、ジュニアにはちょっと怒られちゃったんだよね。
後は概ね問題なし。終わりよければすべてよし」
にっこり笑顔で閉じたつもりなんだけど。
「ちょっと待て。ジュニアに怒られたって何を?」
イチがテーブルに身を乗り出して迫ってくる。
「そこ気になるの?
じゃあ、内緒。
これでイチが気にしてる今日のことと、帳消しね」
にひーっと笑ってあたしもテーブルに身を乗り出す。
「あっと。それと1個だけ、ちゃんと言っておきたい。
1回しか言わないからね」
グイッと近づいたイチの顔。
うん。あたしの大切な人。
「イチのこと、すごくすごく大切だから、絶対に新城先輩にはあげられないの。だから、イチのこと信じてるからイチもあたしの側にいてくれる?」
ちょっと不安。すごく不安。
新城先輩綺麗だし、押しが強いし。
「そんな顔しなくても大丈夫。
ずっとカエだけを見てた。やっとこうやって一緒にいられるようになったんだ。俺もカエを手放す気はないから」
優しく笑ってくれる顔に、心がふわっと軽く温かくなる。
「うん。
ねね。『ずっと』っていつから好きでいてくれたの?」
ちょっと上目遣いに見上げたイチに、前から聞きたかったこと。
「え。いや、まぁ……。
あ、料理来たから」
キョドったイチの前に、笑顔のウェイトレスさんがお料理を並べてくれる。
むぅ。
食欲をそそる鉄板の焼ける音。
「パリパリチキン美味しそう」
『1口ちょうだい』
完全に重なった声に、びっくり顔のあたしを見てイチが吹き出した。
「俺の昼メシ」
むむぅ。そうだ、この前も同じようなやり取りしたぞ。
「不貞腐れるなよ。ほら、1番美味いとこ」
大きく切り分けてくれた1口目を、もちろん大きな口を開けていただきます。
「んー。美味しい」
パリパリの鶏皮に柔らかいお肉の食感。噛むたびにあふれる肉汁に、香ばしい匂いが鼻腔に抜けていく。
「幸せ」
「メシに負けた気分」
自分の1口目を頬張ったイチの一言に笑っちゃう。
「この空間全てひっくるめての、幸せ時間なの」




