壁に耳あり障子に目あり
壁に耳あり障子に目あり
ヒロカツと人目の話をしていて急に出された言葉だ。
どこに人の目があるのかわからないという解釈をしていいのだろう。
「目があるのは人だけではない。」
ヒロカツは仰々しく説明を始めた。
虫だって見ている、床や天井を這うネズミだって、身近な飼い猫、飼い犬だってだ。と言った。
要は、何かの目は常にある。と考えた方がいいのだろう。
ヒロカツと何故そんな話になったかというと、彼と一緒にいるミユキは私の妹であったからだ。
ヒロカツから話されたのは、彼女の束縛の愚痴だ。
「ミユキはスマホも見るしなー、この前なんかGPSで探られていて、同僚と呑んだだけなのにめっちゃ追及されたんだ。」
ヒロカツはそこからミユキの愚痴を始めた。
別にミユキの愚痴を聞きたいわけじゃない。だいたい女と一対一で会うのはどうなのだ?
そう言うとヒロカツはだいたい言葉を濁す。
分かっている。ヒロカツは私と付き合うためにミユキに近付いた。
ミユキの愚痴や相談をしているうちにあわよくばと考えているのだろう。何てわかりやすい男だ。
だが、それがこのヒロカツの良いところだ。わかりやすく変わる表情は、思慮の浅さも見られるが、少年らしい。誠実とは言えないが、嘘がつけない。
ミユキは大切な妹だ。だから私は絶対にヒロカツに手を出さないし出させない。
「さっき、人目の話をしただろ?」
ヒロカツは話題を急に戻した。そんな必死に取り繕うとしなくてもいいのにな。とため息をついたが、どうやら真面目な話なようだ。顔が真顔だ。
ヒロカツはぜんぜん真顔をしない。就職活動に苦労するほど真顔が苦手だったらしい。面接中ににやにやしていくつか落とされたと言っていた。彼が真顔の時は真面目な時とトイレを我慢しているときだけだ。
「・・・・何かあったの?」
私もヒロカツに合わせて真面目な顔をした。
「・・・・実は・・・・」
ヒロカツは今、ミユキと暮らしている。
ストーカーがいるようで、常に見られているような感覚らしい。
神経質なんじゃないかと言ったが違うようだった。
変な物音を聞いているし、人影も見ている。
ミユキのストーカーはないし、ヒロカツは心当たりがないと言っていたようだ。
「考えすぎじゃない?」
「いや・・・・だって人の視線があるんだ。誰もいないはずなのに!」
ヒロカツは声を荒げた。
「心当たりないの?本当に?」
私はヒロカツに改めて訊いた。
「・・・・ない!!」
考え込んでヒロカツは断言した。なんてわかりやすい男だろう。
「そう・・・じゃあ、ヒロカツの家に行く?」
私がそういうとヒロカツの目は変わった。
なんてわかりやすい男だ。
あれよあれよのうちに家に案内され、気が付いたら彼の部屋で私が茶を淹れて、話し込んでいた。今彼は、席を外しているが、きっとお酒を持ってくるだろう。
異性の部屋で二人きり、お酒となるともうだいたい流れは決まっている。
この手際のよいと言っていいのかわからないが、流れを見ると、もしかしたらストーカーや視線の話は嘘だったのではと疑ってしまう。だが、私は彼の言っていることが本当だと分かっている。
ヒロカツは分かりやすい男だ。私はそれに感謝している。
「ビール飲む?」
「いやいいよ。それより・・・ミユキは・・・・?」
私は彼の薦めるお酒を断った。
「ああ・・・・」
彼は少し残念そうな顔をしていた。わかりやすい。
「・・・・こっち。」
ヒロカツは私を別室に通した。ミユキの部屋だ。
ミユキの部屋に入ると私はヒロカツに座るように言った。私の指示にヒロカツはしぶしぶとした様子で従った。
「さっきの相談だけど・・・・視線を感じる理由わかったよ。」
私はさっき、ヒロカツがお酒を取りに行っている間に取った、部屋にあった盗聴器を取り出した。
盗聴器を見てヒロカツの顔色は変わった。
「たぶんこれかもしれない。視線は・・・・・ヒロカツ心当たりないの?」
ヒロカツは青白い顔色のまま首をぶんぶんと振った。
「そうなんだ。」
私はそう言うと盗聴器を投げ捨てた。ふとミユキの方を見た。
ヒロカツも私と同じようにミユキを見た。
ヒロカツはわかりやすい男だ。
ミユキを見る目は怯えている。縋るような目だ。
震える口が彼のやったことを表している。
私は久しぶりに見るミユキに微笑んでしまった。
「ミユキ・・・・」
涙が流れる。かわいいかわいい妹。
穴が開くほど見つめた写真の前に立つ彼女は私を恨めしそうに見ている。でも、わかってくれている。
「ミユキを殺したやつ、お姉ちゃんが懲らしめてやるからね。」
私は知ってる。
私の大切な妹。心配で心配でずっと聞いていた。
分かりやすい男にしては頑張ったのだろう。だが、私は全て聞いていた。
私の変化に気付いたのかヒロカツは飛びかかってきた。
分かりやすい男だ。行動まで予測しやすい。
ヒロカツは崩れ落ちた。やっと効いたようだ。このまま効かないのかと思った。
彼は何があったのかわからないという表情をしていた。
だが、崩れ落ちたと同時に飾っている花と花瓶を倒したのはよくない。ミユキの好きなカサブランカだ。花が開くと広がる香りが好きだと言っていた。ただ、花粉がついたら落ちないと嘆いていた。
ふとミユキの方を見ると笑っていてくれた。写真に写るミユキは変わらない笑顔だった。