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第3話 セルジュの失態

 早朝の訓練を終えて自室へ向かう途中、ロランと廊下ですれ違った。


「ああ、セルジュ。ちょうど良いところに」


 そう言うと、ロランは一通の手紙を差し出した。

 真紅の封蝋に刻まれた紋章は、セルジュの生家であるヴァレス家のものだ。ぴくりと眉を顰めると、セルジュはその場で封を開けた。


 手紙は兄からのものだった。

 それといって重要なことは書かれておらず、両親や兄の妻子が変わりなく暮らしていることや、たまには顔を見せにくるようにといった社交辞令的な言葉が記されていた。


「ご実家で何かありましたか?」

「いや、いつもの近況報告だ。手間をかけさせたな」


 手紙をポケットに突っ込んでロランを労うと、セルジュはふたたび自室に向かって歩き出した。


 兄がセルジュの世話を焼くようになったのは、セルジュが屋敷に引き篭もるようになった頃からだ。

 辺境伯令嬢であるコレットに非礼を働き、彼女からの手紙にも目を通さないセルジュに対し、怒り心頭だった父を宥めてくれたのは、他でもない兄だった。

 部屋から出られないセルジュの話を親身になって聞いてくれたり、王国騎士団への志願書を取り寄せてくれたりと、随分と長いあいだセルジュが社会復帰する手助けをしてくれて。セルジュが城にあがってからも、兄はこうしてたびたび手紙を寄越していた。


 兄がいなければ、きっとセルジュは今でも屋敷に引き篭もって、自堕落で最低な人生を送っていたに違いなかった。



***



 その日、朝食の席で、リュシエンヌが唐突に庭園の散策を願い出た。

 デュラン王城の庭園には広々とした花畑がある。城下で暮らす人々の噂にものぼるその花畑を、リュシエンヌは以前から一目見たいと思っていたという。

 リュシエンヌに対しては食後のデザートよりも甘いヴィルジールだ。彼は婚約者との安らぎのひとときを期待して、二つ返事でその願いを聞き入れた。

 だが、朝食を終えて執務室に顔を出したヴィルジールの目に止まったのは、うず高く積み上げられた国内各地の治水工事に関する書類の山だった。

 ヴィルジールは政務に追われて執務机に齧り付くことになり、その日のリュシエンヌの散策には、護衛も兼ねてセルジュが同行することになった。


 散歩道の両脇に並ぶ植え込みの前に立ち、セルジュはぼんやりと花畑を眺めていた。風に吹かれて波を打つ淡い花の絨毯のうえに、リュシエンヌと彼女に付き添う侍女の姿がある。

 涅色の髪の侍女は、確か名をジゼルと言った。初日にもリュシエンヌの傍に控えていたが、騒がしいコレットと違って大人しくて目立たないため、セルジュは今朝顔を合わせるまで、その存在すら忘れかけていた。

 ジゼルは無口で無表情で何を考えているか判らないが、見目は良く品もある。落ち着きなく騒ぐだけ騒いで仕事も満足にしない誰かと比べれば、格段に優秀な人材だと思われた。


 コレットの姿が見えないことで、ほっと肩の力を抜く。花を愛でるリュシエンヌの可憐な姿に、セルジュはしばし見惚れていた。

 清らかな少女がふたり花と戯れるその光景は、一枚絵のように洗練された美しさを感じさせる。女性と接するのは苦手だが、こうして遠目で眺めているだけで荒んだ心が洗われる気がする。

 たまにはこんな仕事も悪くない。心地良い安らぎを胸に、セルジュが頬を緩ませたときだった。


「セールージュさんっ」


 唐突に背後から声を掛けられる。聞き間違えようのないその声に、セルジュはチッと舌を打った。


「……居たのか」


 渋々振り返ると、ナプキンを被せた篭を片手に提げて、コレットが大きく手を振っていた。小走りでセルジュの元に駆け寄ると、彼女は見やすい位置まで両手で篭を持ち上げてみせた。


「リュシエンヌ様が庭園でお茶にしたいと仰っていたので、厨房で焼き菓子をいただいてきました」

「誰もそんなことは訊いていない。それより、二度と俺に近付くなと言ったはずだ」

「昨日あのあと、セルジュさんがなんで怒っているのか考えてみたんですけど——」


 冷たく突き放すように言ったのに、コレットは相変わらず素知らぬ顔だ。両手で篭を持ったまま、きりりと表情を引き締めると、彼女ははっきりとした物言いでセルジュに告げた。


「やらかしたことが多すぎて全くわかりませんでした!」

「……もういい、お前と居ると疲れる。そっとしておいてくれ……」


 軽く額に手をあてて、セルジュは小さく溜め息を零した。視線を花畑に戻し、癒しの空間に見入る。

 隣に並んだ小さな影には気が付かないふりをした。


 しばらくのあいだ、コレットは黙ってセルジュの視線の先を眺めていた。

 珍しいこともあるものだとセルジュが密かに感心したところで、コレットはセルジュを見上げ、小首を傾げて呟いた。


「セルジュさんて、リュシエンヌ様のことが好きなんですか?」

「は?」

「昨日からずっと熱い視線送ってますよね」


 率直に指摘され、セルジュは反射的に隣を見た。榛色のつぶらな瞳にみつめられると、後ろめたいことでもしているような罪悪感にかられてしまう。

 確かにリュシエンヌは可憐で美しく、セルジュにとっては理想の女性だ。だが、セルジュが彼女に抱いている感情はコレットが言うような恋愛のそれとは違う。


「……リュシエンヌ様のように可憐でお美しい女性をお護り出来ることは、騎士としてこれ以上ない誉‎というだけのことだ」


 美しく可憐な姫と英雄と呼ばれる騎士の恋物語は、昔から大衆に人気のある王道中の王道だ。

 多くの少年は騎士に、少女は姫に憧れるもので、幼い頃のセルジュも例外ではなかった。女性恐怖症になどならなければ、セルジュもきっとコレットの言うような夢を抱いていた。

 だが、現実にセルジュは女性恐怖症であり、それが治らない限り、女性に恋をしようとも思えない。触れられない相手に好意を抱いたところで欲求が満たされることはないし、好意を抱いた相手に馬鹿にされて嫌われるのも御免だ。

 なにより、リュシエンヌは王太子の婚約者で、セルジュはその王太子に仕える騎士だ。そこにあるのは主従という覆しようのない関係だけだ。


 セルジュとしては充分に納得のいく答えを出したつもりだった。だが、コレットにとっては違ったようだ。

 彼女はふうんと頷くと、セルジュを置いて小走りにリュシエンヌの元へと向かい、ジゼルとともに花畑の中央でお茶会の準備をはじめた。

 程なくして、あまい花の香りに混じって焼き菓子と紅茶の匂いが漂いはじめ、リュシエンヌがぱたぱたとセルジュの元に駆けてきた。


「コレットがお茶とお菓子を用意してくれたの。セルジュさんも、どうぞこちらにいらして」


 ふわりと微笑んで、リュシエンヌがセルジュの手に触れる。瞬間、びくりと身体に震えが走り、セルジュは反射的にその手を払い除けた。

 ぱちんと軽い音が響く。場の空気が凍りつき、庭園に静寂が降りた。

 はっと我に返ったセルジュの瞳に、呆然と眼を瞬かせるリュシエンヌが映る。


「も、申し訳ございません! 私は……私はッ!」


 酷く動揺していた所為か、セルジュの声は情けないほど震えていた。心臓がばくばくと耳触りな音を立て、嫌な汗が額に滲む。全身の肌が粟立ち、血の気が引いた。

 弁解する余裕もなかった。とにかく気を落ち着けたくて、セルジュは脇目も振らずその場から逃げ出した。



***



 城壁と居館のあいだの暗がりで、セルジュは頭を抱えて蹲っていた。

 先の行動はとんでもない失態だった。一連の話は夕刻にでもヴィルジールの耳に入り、セルジュは程なく厳罰に処されるに違いない。仮にリュシエンヌが無礼を訴えなくとも、職務を放棄したことに変わりはないのだから。

 だが、罰せられるだけならまだ良い。それよりも問題なのは、セルジュの女性恐怖症が明るみに出てしまうことだ。

 王太子の護衛を務める騎士が女性に触れられるだけで平静を保てなくなるなどと、冗談でも笑えない。すぐにでも護衛騎士の任を解かれてしまうに違いない。

 恋愛も結婚も諦めて、騎士として王家に忠誠を誓い、剣を捧げた。若くして王太子に腕を買われ、護衛騎士に任ぜられた。それだけが誇りだった。

 それなのに、こうも簡単に先が閉ざされることになろうとは‎——。


「セルジュさん?」


 暗がりに響いた声にハッとする。

 顔をあげて振り返ると、陽のあたる場所からこちらを覗き込むコレットの姿が見えた。

 セルジュの姿を見つけると、彼女は真っ直ぐにセルジュの元に駆けてきた。


「……リュシエンヌ様を傷付けてしまった」


 わなわなと震える両手を見下ろして、セルジュは呟きを漏らす。草のうえに膝をついたコレットが、セルジュの顔を覗き込んだ。


「大丈夫ですよ、()()()()はあの程度のことで怒ったりしませんから。それより、さっきの反応は……一体どうしちゃったんですか?」


 優しい言葉にほっとする。普段の彼女の言葉には苛立ちばかりを覚えるのに、荒んだ心が凪いでいくのはセルジュが弱っているからだろうか。

 彼女が紡ぐ言葉のひとつひとつが胸の奥まで染み渡るようで、セルジュはつい、ぽろりと本音を漏らしてしまった。


「……女性が怖いんだ」

「……はい?」


 セルジュの肩に伸ばしかけた手を止めて、コレットが小首を傾げた。


「女性に触れられると緊張して、動悸が激しくなって嫌な汗が止まらなくなる」


 正直に打ち明けて顔を上げる。セルジュの目に映ったのは、引き攣った笑みを貼り付けたコレットの顔だった。

 複雑な感情が綯い交ぜになったその表情は、嘲笑とは程遠いものだったのかもしれない。

 だが、そのときのセルジュは酷く繊細になっていて、笑われたという単純な事実しか認識することができなかった。


「……せいだ」

「え?」

「お前のせいでこうなったんだ! お陰で寄宿学校時代から散々な目にあった!」


 ふつふつと湧き上がった怒りが激情となって溢れ出す。突然のセルジュの豹変ぶりに、コレットは驚いて目を丸くしている。

 狼狽えるコレットを壁際に追い詰めて、セルジュはさらに責めるように捲し立てた。


「どうして思い出さない! あんな……あんな破廉恥な真似をして……俺を辱めて、なんの罪悪感もなかったのか!?」

「は、破廉恥な真似……って、それは……」

「人を散ッ々弄びやがって、全ッ然反省してないだろう!」


 コレットは何やら口籠っているが、彼女の話を聞く余裕などセルジュには欠片もなかった。

 元はと言えば、セルジュの人生を狂わせた元凶はコレットだ。純情な少年だったセルジュを彼女が辱めたりしなければ、先の失態を犯すこともなかった。このまま適当に済まされるのでは、どうしても気が収まらない。

 セルジュの胸の奥に燻っていたどす黒い感情が、ぐっと鎌首をもたげた瞬間だった。


 ——悪びれもせず馴れ馴れしく絡んできたのは彼女のほうだ。


 興奮したセルジュを宥めるように突き出されたコレットの腕を力づくで引っ掴み、セルジュは怒りに任せて吐き捨てた。


「良いだろう、お望み通り仲良くしてやる。ついて来い!」


 呆気に取られるコレットを暗がりから引き摺り出して、セルジュはずかずかと居館に向かって歩き出した。小走りでついて来るコレットの腕を引き、渡り廊下を通り抜ける。

 細い腕を握り締めた手のひらが、じわりと嫌な汗をかいていた。



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