表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/21

第15話 グランセル公爵邸襲撃

 夜会警備の詳細を詰めるための会合は、その後数日に渡って続けられた。

 王太子ヴィルジールの護衛騎士として正式に復帰したセルジュは、会合の傍ら、ヴィルジールの出立の準備に忙しいロランを手伝って城内を駆け回る日々を送っていた。

 元の生活に戻っただけだというのに、業務の合間に手が空いたとき、忙しない一日を終えてひと息ついたときに、ふと物寂しさを感じてしまうのは、一足先にグランセル公爵領に戻ったリュシエンヌに連れられて、コレットが王城を去ってしまったからだろうか。

 以前は華やかだった王城の一角も、リュシエンヌやコレットの姿が見えないだけで、すっかり寂れてしまったように、セルジュには感じられた。


 リュシエンヌの不在を嘆くヴィルジールの話は日に日に煩わしさを増していたものの、夜会当日を待ちわびる気持ちはセルジュにも理解できた。ヴィルジールがリュシエンヌとの再会を果たすときは、同時にセルジュがコレットと再会するときでもあるからだ。


 セルジュがコレットと言葉を交わしたのは、夜会警備の打ち合わせ前、王太子の執務室での会話が最後だった。

 それ以降、何度か声を掛けようとはしたものの、長いあいだ女性を避けて暮らしてきたセルジュが気の利いた話題など思いつくはずもなく。結局セルジュはコレットを影ながら見守ることしかできなかった。

 ロランに聞いた話では、コレットはグランセル公爵邸での夜会を最後に行儀見習いを終えるという。リュシエンヌの侍女でなくなるのなら、コレットが王城を訪れることもなくなるだろう。

 婚約を解消したはずの男が娘の元を訪れることを、コレットの父であるマイヤール卿が歓迎するとは思えない。セルジュがコレットと話すことができる機会は、おそらく今度の夜会が最後だった。

 恋人でなくとも構わない。せめて友人で居られるように。セルジュは夜会当日に向け、己の気持ちに整理をつけようとしていた。


 グランセル公爵邸での夜会を明後日に控えたその日、馬車への荷積みを終えたセルジュは、ロランと共に王太子の執務室を訪れていた。

 前倒しにした執務をほとんど片付けたヴィルジールが、最後の書類にサインをし終えた、ちょうどそのとき。騒がしい靴音が執務室へと近付いてきた。

 けたたましくノックされた扉をロランが押し開けると、執務室の前には警備兵を伴った見慣れない制服姿の男が立っていた。

 グランセル公爵の伝令を名乗るその男は執務机に向かうヴィルジールの姿を目にすると、跪いて顔をあげ、息を荒げたままその言葉を口にした。

 知らせを耳にしたヴィルジールが、これまでにない激情を露わにする。


 グランセル公爵邸が革命軍の襲撃を受け、制圧されたのだ。



***



 蒼白い月明かりに凍て付く荒野。

 吹き荒ぶ風の中を、デュラン王家の紋章が刻まれた分厚い外套をはためかせながら、セルジュは無心で馬を駆った。二馬身ほど遅れてロランが付いてきていたが、セルジュには後方を気にかける余裕などない。

 伝令によれば、グランセル公爵邸を制圧した革命軍は、公爵夫妻とその令嬢、及び、屋敷の使用人を人質にして公爵邸に立て籠っており、要求は未だ不明のままだという。

 王城からグランセル公爵領まで馬車で三日ほどの距離がある。乗り潰す勢いで馬を駆っても一昼夜はかかる距離だ。

 その間、革命軍の手に落ちた公爵夫妻やリュシエンヌが——側仕えであるコレットが、無事でいられる保障はない。


 不安と焦りで気が逸る。

 馬の尻をさらに打とうとセルジュが鞭を振り上げると、すぐ隣まで追い上げてきたロランが良く通る声を張り上げた。


「おやめなさいセルジュ! それ以上は馬の脚が保ちませんよ!」


 振り上げた手が止まる。ぐっと歯を食いしばり、セルジュは前方へと目を向けた。


 グランセル公爵の伝令を受けたのが昨日夕刻のこと。すぐさまヴィルジールの命で王城を発ってから四半日が過ぎていた。

 既に日付は変わり、遠方の街の灯りも消え失せて、目の前には薄ら寒い月明かりの荒野だけが広がっている。

 一刻も早くグランセル公爵邸に駆け付けなければならないのにと。やりきれない思いのまま、セルジュは馬の手綱を握り締めた。


 夜明けと共に姿を現した太陽が、ふたたび水平線の向こうへと沈む頃、セルジュはようやくグランセル公爵領に辿り着いた。

 警察の詰め所へと向かう道中、すれ違う人々は皆、不安に怯え、疲れ切った表情をしていた。

 無理もない。公爵邸に雇われている使用人の多くはこの村の出身であり、彼等は人質として革命軍に捕らわれている。それなのに、公爵邸が制圧されてから既に丸二日、未だ革命軍からの要求はなく、人質の安否も不明なのだから。


 警察の詰め所は、海岸沿いの小高い丘に建つグランセル公爵邸がよく見える村の外れにあった。

 詰め所の中には警官と村の自警団の面々が集まっており、彼等は王国軍の制服を着たセルジュを見ると、憔悴しきった顔で深々と頭を下げた。


「王太子護衛騎士のセルジュだ」

「王太子従者のロランです。ヴィルジール殿下の命令で状況の確認に来ました」


 セルジュは手短に名を名乗ると、警官から報告を受けるロランを置いて、ずかずかと詰め所の奥に踏み込んだ。

 自警団員に囲まれた広いテーブルの上には、グランセル公爵邸周辺の地図と屋敷の見取り図が広げられていた。

 団員のひとりがセルジュを振り返り、小さく敬礼してみせる。テーブルに広がる見取り図を見下ろして、セルジュは説明を促した。


「現況を説明してくれ」

「公爵邸は革命軍が制圧。グランセル公爵夫妻とご令嬢、他使用人が人質として屋敷に捕らわれております。内部で交渉が行われたようで、先ほど公爵令嬢の侍女二名が解放され、奥の部屋で保護しております」

「交渉……? 革命軍の上層部はテレジア人のはず。一体誰が……」


 いつの間にやら隣に立っていたロランが呟いて、はっと顔を上げる。セルジュは既に広間を飛び出していた。

 狭い廊下を駆け抜けて、建てつけの悪い扉を勢いよく開け放つ。


「コレット……!」


 薄暗い室内に、セルジュの声が反響した。

 頭から毛布を被った使用人服の女性がふたり、暖かい湯気の立つカップを手に椅子に掛けていた。奥の椅子に座っていた女性が顔を上げ、ぽつりと呟きを洩らす。


「セルジュさん……?」


 弱々しい声を耳にして、セルジュは弾かれるように女性の元に駆け寄った。震える肩に手を伸ばし——はっとして動きを止める。

 頭を覆う毛布の陰から覗いた紅茶色の柔らかな髪。それが誰のものなのか、セルジュはすぐに理解できた。


「リュシエンヌ様……」


 分厚い毛布がはらりと落ちる。

 不安に揺れる翡翠の瞳でセルジュを見上げたのは、黒いドレスに白いエプロン姿のリュシエンヌだった。

 セルジュはすぐさま後方を振り返った。だが、セルジュが抱いた一縷の希望はあっさりと打ち砕かれた。リュシエンヌと向かい合う席に座っていたのは、ジゼルと呼ばれていた涅色の髪の少女だった。

 両手で拳を握り締め、ぎりと奥歯を噛み締めると、セルジュはリュシエンヌの前に跪き、掠れた声を絞り出した。


「……どういうことか、説明していただけますか」


 開きっぱなしの扉の前に、灰色の瞳を見開いて立ち尽くすロランが見える。

 ゆっくりとうなずいてセルジュに向き直ると、リュシエンヌはぴんと背筋を伸ばし、ひとつひとつ記憶を辿るように言葉を紡ぎだした。


「一昨日の朝、父も母も屋敷の使用人も、遠方からの来客を迎える準備で大忙しでした。わたしもコレットも階上の使用人を手伝って、ホールや客室に花を飾る予定でした。わたしは朝食を終えて、動きやすいドレスに着替えるために部屋に向かいました。ちょうどそのとき階下が騒がしくて、わたしが不審に思っていると、コレットが代わりに確認しに行ってくれたんです。わたしは二階の踊り場で、ジゼルと一緒にコレットが戻るのを待っていました。そうしたら、コレットが階段を駆け上がってきて……」


 そこまで話して大きく息を吸うと、リュシエンヌは膝の上で両手をきゅっと握り合わせた。


「わたしは驚いて、コレットに何があったのか訊ねました。彼女はわたしの問いに答えず、強引にわたしとジゼルの手を取って、わたしの部屋にジゼルとわたしを押し込みました。それから躊躇いなく使用人服を脱いで、すぐに着替えるようにとわたしに手渡したんです。何がなんだかわからなくて、わたしは彼女に言われたとおり使用人服に着替えました。そうしているあいだに、階下の騒ぎは落ち着いたようでした。けれどそれも束の間、今度は扉を蹴破るような荒々しい音がホールのほうから徐々に近付いてきたのです」


 セルジュが苦々しく唇を噛む。

 その後の展開は想像に難くなかった。

 リュシエンヌら三人は、部屋に押し入った革命軍に捕らえられた。その際、コレットは自らを公爵令嬢リュシエンヌと偽り、リュシエンヌの身代わりになったのだろう。

 革命軍の主導者はテレジア人だとロランが言っていた。テレジア語を扱うコレットは革命軍に交渉を持ちかけ、彼らと同じテレジアの難民だったジゼルと、その友人であるもうひとりの侍女としてリュシエンヌの解放を求めた。そして交渉の結果、()()()()()()()()()()の望みは承諾され、()()()()()()は解放されたのだ。


「ごめんなさい、セルジュさん。コレットはわたしの身代わりになって……」


 か細い声を震わせて、リュシエンヌはドレスの膝を握り締めた。ゆっくりとセルジュを見上げた翡翠の瞳が大きく見開かれる。

 険しかったセルジュの顔にふと薄笑いが浮かんでいた。


 王太子の婚約者であるリュシエンヌの身の安全を何よりも優先し、確保する。

 実にコレットらしい——先代より以前から国王に仕えるマイヤール辺境伯家の跡取り娘らしい判断だ。

 そして、そんな彼女を護るために、かつてのセルジュは騎士を目指した。


 握り締めた拳にちからが込められる。

 セルジュは真っ直ぐにリュシエンヌと向かい合い、その言葉を口にした。


「お任せください。コレットは——コレットも、公爵夫妻も使用人の皆も、必ず無事に助け出してみせます」


 幼き日の騎士の誓いを胸に、腰に携えた剣の柄を握る。

 扉のそばで、ロランがくすりと笑った気がした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ