これでも勇者と魔王と戦いです
『フェレムの花園』にいくには、深い森を通過する必要がある。
森といっても、モンスター出現の恐れがない安全な場所だ。鳥ののどかなせせらぎや、優しい葉擦れの音。立ち並ぶ木々は頼もしく天を貫いている。ふさふさと柔らかい土が、足をふんわりと受け止めてくれる。
アレンは和やかな気持ちで森林を歩いていた。さっきのモヤモヤも、ここに戻ってくると自然に薄れていく。
すべてが懐かしかった。ひとときの憩いを求めて、この森を歩く昔の自分。嫌なことがあったら『フェレムの花園』にいって、花と幸福な時間を過ごす自分。
そうだ、名声や恋人なんかより、僕はここが――
と。
突然襲ってきた寒風に、アレンは両肩を震わせた。
なんだ? と思う間もない。
ギャッという悲鳴が聞こえたかと思うと、上空から何匹もの小鳥が墜落してきた。おそるおそる近寄り、そして驚愕する。
白眼を剥いて死んでいた。
それだけではない。
暖かかった陽射しは嘘のように消え失せている。力強く伸びていた木々は不気味な茶に変色し、途中で反り返っている。地面では細々とした詳細不明の幼虫たちが、焦るように駆け巡っている。森全体が、かつてない暗闇に包まれる。
なんだ? なんなんだ?
アレンはごくりと唾を呑んだ。自然と腰の鞘に手が伸びる。
ふと嫌な気配を感じ、アレンは後ろを振り返った。
なにもない。
すると、
「はずれじゃ、勇者アレン」
「なっ……!」
急いで上空を振り仰ぐ。そして戦慄する。
そこには――いわゆる『化け物』が浮いていた。
性器と胸部を星の紋様で隠した不気味な女。黒髪を腰のあたりまで伸ばし、紫色の巨大な大蛇をまとっている。その圧倒的オーラは、見る者すべてを恐怖させるほど禍々しい。
「あ……あ……」
全身の力が抜け、アレンはぺたんとその場に尻餅をついた。
こいつこそが、ミレーユ姫をさらい、国王に宣戦布告をし、大勢の兵士たちを呆気なく散らした恐るべき存在――
魔王リステルガー。
リステルガーは極小の眼球でこちらを見下ろしながら、不敵に笑った。
「勇者アレン、じゃな?」
「…………」
「聞いておるぞ……? 『勇者メンバー』のなかで貴様が、最も弱いとな」
空白な思考のなか、アレンは必死にあたりを見回す。
リュザークも、ただの国民さえいない。ここにはもう、自分ひとりしかいない。
なにをされる。死ぬのか。僕は死ぬのか。
そう思ったらたまらなかった。
「う、うあああああああああ―――――っ!」
がむしゃらにジャンプし、魔王リステルガーに剣を投げつける。しかしそれは『攻撃』とは到底呼べないものだった。剣はあさっての方向に飛んでいき、当のアレンは情けなく地面に直撃した。鋭い痛みが全身を襲う。鈍い声でうめく。
リステルガーは、低い声で笑いながら、ゆっくりとアレンのそばに落下してきた。
「ふはは、自爆しおるとは滑稽なものよ」
――嫌だ。死にたくない。こんなところで死にたくない。
アレンは絶叫をひきながら、今度は拳をリステルガーに振り上げた。
しかし途中で見えない壁に遮られ、後方に吹っ飛ばされた。大木に激突し、そのままずるずると地面に座り込む。
「いや……だ。死に……たくない……」
それだけを繰り返しつぶやくアレンに、リステルガーは蔑むような嘲笑を浮かべた。
「はん、無様な奴めが。――おまえたち」
突如、なにもなかった空間から、全身に黒ローブをまとった人間がふたり現われた。彼らは乱暴にアレンをつかみあげた。
アレンにはもう、抵抗する余力も気力もなかった。