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Lady-Mの悲劇  作者: 祭人
第一章 純愛はひとつの禁忌
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第六話:飼い慣らされた狼(1)

「まあ、いつもおアツいこと。若いっていいわね真琴ちゃん」


 小型犬の散歩紐を掴んだ主婦が微笑みを浮かべている。


 平日出勤前の月極駐車場。壬生家のファミリーカー、スバル「インプレッサWRX」の運転席にて、翔一郎しょういちろうは妻の真琴まことが車内に戻るのを辟易としながら待ちわびていた。


 フロントガラス越しに見えるのは、初秋の早朝だというのに「ああ、暑い暑い」と手団扇で首筋を仰ぐ、自分と同世代とおぼしき美人のアラフォー女性と真琴の姿だ。


「いやあ、ボ……わたし照れちゃいますよ。新山にいやまさんの奥さんっ」


 桃色エプロン姿の真琴が、屈託のない表情で笑っている。


「毎朝、駐車場まで旦那さんの鞄を持ってのお見送り。若いのにしっかりしてるわ。ほんと旦那さんが羨ましい」


「えへへ。そんなことありませんって」


 謙遜しながらも満更でない様子である。


 真琴が跳ね返りの強い栗色ポニーテールの付け根を右手で大げさに掻いている。エプロン胸元の黄色いひよこの刺繍ししゅうも左右に揺れる。


 赤い長袖シャツの左手には夫の通勤鞄。核弾頭の愛妻弁当も偏らないよう、しっかりと臨戦態勢で投入済みだ。


「旦那さん、お役所にお勤めなんでしょ。生涯安泰じゃない。一人っ子でお姑さんとも別宅」


 新山のゆったりとした淡いベージュのブラウスに包まれた、隠し切れない豊満な胸。その白い胸元を左手で軽く押さえている。


「それによく見たら結構男前だし」


 自分と同世代とおぼしき、近所の素敵な旦那さん。社交辞令か、はたまた隣の芝生は青く見えるものなのか。


 夫とは倦怠気味の新山。長いまつげの大きな瞳を潤ませながら、車内でじっと可愛い妻の帰りを待つ男前の公務員をちらと横目で見る。


「もうっ、”よく見たら”は余計ですよぉ」


 地団駄を踏む真琴。紺色デニムの膝上ミニスカートから伸びる健康的な太ももが揺れる。


「でも翔に……いえ、ダーリンをいっぱい褒めてもらって嬉しいな」


 最近はネットのブログでも、対外的な亭主の二人称を「翔兄ぃ」ではなく「ダーリン」で通している。彼女なりに少しは世間体を意識し始めたのだろうか。


 新山は口元を押さえて、うふふと好色を含んだ笑みを浮かべた。


「とっても真面目で、浮気なんか絶対しなさそう。本当に羨ましいわぁ。おまけに車内で、こっそり『行ってらっしゃい』のキッスもしちゃってるでしょ」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 スバルGRB「インプレッサWRX・STI」


 スバルが三菱自動車ランエボとの熾烈な性能競争の果てに市場へと投入したファイブドアハッチバックのモンスターマシンだ。


 ボンネット下に収められたEJ-20水平対向エンジンは、カタログスペックで三百八馬力という常識外れの出力を発揮する。


 夢のマイホームを目指して倹約中の新婚家庭の車としては、オーバースペックすぎるにも程がある代物しろものだ。


 それが壬生家のファミリーカー。であると同時に、翔一郎が独身時代から乗り続けている大切な相棒でもあった。


 かつては「八神の魔術師」と呼ばれた伝説の走り屋。真夜中ミッドナイトウルブス「ミブロー」の、栄えある三代目の戦闘機マシン。それが最近は、まったくと言っていい程に真価を発揮する機会がない。


 せいぜいこうやって、通勤の脚にするのが関の山である。


 WRXのフロントガラス越しに、妻と近所の主婦とのやり取りが目に映る。いわゆる女の井戸端会議だ。まったく何を話しているのやら。


「どうせ、互いの亭主の悪口でも言っているんだろう」


 翔一郎はチッと舌打ちをしながら、ひとり車内でボヤいた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「おまけに車内で、こっそり『行ってらっしゃい』のキッスもしちゃってるでしょ」


 口元を押さえて、うふふと好色の笑みを浮かべる新山。ひと回り年の離れた主人の翔一郎と、同世代とおぼしき年代だ。


 豊満な胸をした笑顔の愛らしい美人ではあるが。年のせいか髪の艶も落ち始め、笑う目尻にはしわが少々目立ち始めている。


 三人の子供の育児や家事や、おまけに姑の小言に追われてくたびれ気味の毎日。密かに最近は、夫との夜の生活もご無沙汰だ。


「えへへ、バレちゃってました?」


「そうよぉ。私こないだ見ちゃったのよ。隠したって、おばさんはちゃーんとお見通しなんだからね」


 崩れ始めた体型をカモフラージュする、花柄フリルのロングスカート。その足元には、小型犬のパグがチョロチョロとまとわり付く。


 新山が「ねっ、毘沙門びしゃもんっ」と足元の愛犬に話掛ける。忠実なる下部しもべは「ワン」と素直に即答した。飼い主の手には散歩紐がしっかりと握り締められている。


「やだなあ、恥ずかしい」と言いながらも、まったく悪びれる様子もない真琴。


「私は真琴ちゃんみたいに自分の脚を出すのが恥ずかしいわよ。だから最近は、いっつもロングスカート」


 ため息交じりで自嘲しながら、新山は恥じらいの表情で足元のスカートを軽く押さえた。


 真琴の太ももをちらと見る新山。ストッキングすら履いていないむき出しの生脚。すらりと健康的に伸びている。学生時代は陸上部の短距離走で鍛えた、しなやかなプロポーションだ。


「ほんっと、若いって羨ましいわ。はぁ、私も若い頃は自信があったんだけどなぁ」


「今も素敵ですよぉ新山さんは。とっても美人さんだし若く見えるし、旦那さまもハンサムでマメで優しそうだし。こんな素敵な大人の夫婦になりたいなって、わたし密かに憧れてるんですよ」


 ハアハアとよだれを垂らす毘沙門。そして世間知らずの新米主婦の足元に威勢よく飛び掛かった。


「こら、だめよ毘沙門」


 ちょっと若くて可愛いからって、朝の忙しい時間帯に公衆の面前で見せ付けんなっつーのと言わんばかりの勢いだ。


「いえいえ、わたしワンちゃん大好きですからっ」


「こらっ、いいかげんもう止めなさいっ」


 真琴のふくらはぎにさばり付く飼い犬。


「ごめんなさいね真琴ちゃん。若いからって盛りが付き過ぎちゃって。ほんっと困った子だわ」


 飼い主の意味深な言葉。散歩紐を両手で強く引っ張る。


 そんな先輩主婦の皮肉に気付く事もなく。真琴はデニムのミニスカートの下の膝を折り、その場にしゃがみ込んだ。


「かわいいねー、元気だねー。よーしよしよし毘沙門っ」と真琴。パグの頭をハグしておもいっきり撫で廻す。


 若い後輩主婦の弾ける太ももの隙間から、白い下着がちらと垣間見える。それが夫との倦怠期を迎えた新山の目には、眩し過ぎる程に妬ましかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 翔一郎が激しく貧乏ゆすりをしながら前方を睨み付ける。


「まだかよ」


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