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Lady-Mの悲劇  作者: 祭人
第一章 純愛はひとつの禁忌
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第五話:淑女【Lady】の名は倫理(3)

「隠したって無駄だ。おじさんはちゃーんとすべてお見通しなんだぞ」


 水山は店の駐車場の方向を指差した。


 ショップ駐車場の裏手コーナー。従業員用の駐車スペースだ。そこには一台の颯爽とした青い車体のスポーツカーが。


 TOYOTAトヨタMRエムアール-エス」 ZZW-30型。


 小排気量の自然吸気NAエンジンを持つ、手動ソフトトップ・オープンタイプのスポーツクーペだ。


 車重970kgの軽量コンパクト・ツーシーター。パワーは控えめであるが、軽量化による加速と運動性の良さが定評のミッドシップエンジンを搭載している。


 主に下り坂【ダウンヒル】を攻める走り屋に人気の車種。またオープンドライブなど、運転が楽しめるスタイリッシュな車としても定評がある。


 それが長年大切に乗り続けている、倫子の愛車こいびとである。


「お前さんの恋人は、仕事じゃなくてそっちだろ。そのブルーマイカのMR-Sが本当の恋人って、密かに想い続けているくせに」


 してやったりの表情で水山が言い放つ。


「そう顔に書いてあるぜ。その油とすす塗れのキレイな顔の下にしっかりとな」


 おもわず慌てて顔を拭う倫子。余計に顔が汚れてしまう。


「そんな仕事人間キャリアウーマンの仮面で隠したところで、本音は趣味の愛車クルマが一番大事。まあ三澤が幾らべっぴんさんでも、人間がクルマと結婚するのはどだい無理な話だがな」


「まいったな、やっぱりバレてましたか」


 オイルと火傷の跡。倫子は苦笑しながら、傷だらけの左手でショートの髪を掻いた。


「店長には一本取られました。チェックメイト、完敗です」


「ふふっ、時代と友に進化するベテランドライバーをナメてもらっちゃあ困るぜ。Mrミスター. おっさん進化系エボリューション!」


 びしっと決めポーズで従業員用の駐車スペースの方向を指差す水山。


 倫子のMR-Sの横には、彼の愛車である三菱「ランサーエボリューションワゴン MR」GH-CT9W型が止めてあるのだ。


 通称「エボワゴン」。沢山の荷物を詰める社用車として実用的な車載形状ながらも、レーシング仕様四百馬力のモンスターカーだ。


 車名に冠した「MR」とは、Mitsubishiミツビシ Racingレーシングの略称。同社の最高峰スポーツモデルに与えられる名称である。


 白い車体には仕事関係のスポンサーとおぼしき、メーカーロゴのステッカーがふんだんに張られてある。


「俺もこの道二十年以上のプロだからな。MR-Sがいいマシンだってのは重々承知だが。そんな遠の昔に生産中止になった古い年式のクルマに一体、何年乗り続けるつもりだよ」


「はあ」


「そろそろ新車か若い年式の中古に乗り換えたらどうなんだ。そっちの方が絶対に幸せになれるって。手頃なのはいくらでもあるんだ。なんなら社員価格でお安くしときまっせ」


「ごめんなさい、遠慮しておきます」


 店主のおせっかいなアドバイスを、またしても即答で打ち返す倫子。


「わたしはこう見えても一途な女ですから」


 虚勢を張りながらも、何故だかホッと安堵の表情を浮かべている。そして愛車MR-Sの方向をちらと覗き込んだ。


 ――よかった、やっぱりバレてなかった――


「さてと、無駄話はここまで。そろそろ本日の売り上げの会計入力でもするかな。悪かったな仕事の邪魔して」


「いえ」


「お前さんも残業ほどほどにな」


 壁のアナログ時計をちらと見る。もう午後八時前だ。


「テキトーにさぼりながらやれよ。がんばりすぎは長距離運転には逆効果だ。それ知り合いが道楽で乗ってるおんぼろセダンだから。納期の融通は利くんだ」


「さぼったりしませんよ、ちゃんと納期を守りたいですから。いくら本音は愛車が一番とは言っても、業務時間内は何よりも仕事が第一ですから」


 スパナを握る右手に思わず力がこもる。


倫子のりこの倫は倫理りんりの倫。この名に変えても、今晩中にきっちり交換作業を完了をさせます」


「ふふっ、お前さんらしいな」


 店主が笑みを浮かべながら、大きく背伸びをする。


「あーあ、パソコン打つの苦手なんだよな俺。慣れないから肩が凝ってしょうがない。役所の住民課でデスクワークに勤しむ、ホワイトカラーの公務員さんと違ってな」


 経営者の口から、おもわず仕事の愚痴がこぼれる。


「それって……壬生みぶさんの事ですか」


「他に誰がいるんだよ、誰が」


 水山が意味深な表情を浮かべる。おもわず倫子は生唾を飲み込んだ。


「んじゃあ、デリカシーのないブルーカラーのショップ店長はここいらで事務所へ篭城キャスリングするわ。さてと仕事、仕事っと」


 チェス用語の駄洒落を織り交ぜながら、踵を返しひらひらと手を振る水山。そのまま彼は「ああ、めんどくせぇ」と口ごもりながら、のそり店内へと戻って行った。


 シャッターを下ろしたガレージ傍の勝手口。その扉が閉まるのを見届けた倫子は、速やかにファンベルトの交換作業を再開した。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 閉めた扉を背にする水山。


「ああ、めんどくせぇ」


 ダークグレーのツナギのポケットをまさぐる。


「あの男の他に誰がいるんだよ、誰が」


 店主は百円ライターと、くしゃくしゃの煙草を取り出した。


「当人同士にはバレないように、さりげなく花里さんを引き合わせつもりだったんだが。思うようにうまくいかないもんだな。こういうの慣れないから、肩が凝ってしょうがない」


 年季の入った傷と油が染み付いた厚い両手。最近は皺も目立ち始めている。


「花里さんは本当に誠実ないい人なんだ。いつまでも古い失恋クルマにこだわってないで、新しい恋に乗り換えちまった方が絶対に幸せになるのに」


 その手で煙草をゆっくりとつまみ出し。


「そんな仕事の油に塗れた化粧っ気のない仮面で隠したところで。お前さんの汚れのない純粋な素顔は、おじさんはすべてお見通しなんだよ。まったく仕事は器用なくせに、性格は見てられないほど不器用なやつだ」


 徐にライターで火を付ける。


「倫子の倫は倫理の倫。わたしはこう見えても一途な女ですから……か。この先、どんなに一途に想い続けても、倫理的な、幸せな結末なんてありえない」


 紫の煙をため息と共に夜空へと吐き出しながら。


「MR-S乗りの淑女レディーさんよ、本当は自分でも分かっているんだろ。不実の恋なんて結末は悲劇に決まっているんだぞ」


 Mスポーツの店主は、ひとり小声で呟いた。


「切ないな、三澤みさわ

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