第十話:禁じられた遊戯<ロマンス>(2)
かつての三澤倫子は、女だけの走り屋集団「ロスヴァイセ」の絶対的エースとして八神峠の地にその名を馳せていた。
そんな彼女の走り屋としての技術と経験のすべてと、全身全霊の誇りを掛けた大勝負。
伝説の走り屋。
八神の魔術師。
「ミッドナイトウルブス」のミブローこと壬生翔一郎との真剣勝負。
それが倫子の最後の遊戯。
数年前に八神峠で開催された「八神街道最強決定戦」である。
ブルーマイカのトヨタ「MR-S」
それが倫子の戦闘機だ。
小排気量の自然吸気NAエンジンを持つ軽量コンパクト・ツーシーター。パワーは控えめであるが、加速と運動性の良さが定評のミッドシップエンジンを搭載。下り坂を攻める走り屋に人気の車種である。
連戦連勝。向かうところ敵なし。彼女は相棒MR-Sと共に、八神峠でスター街道を猛進していた。
対戦を熱望したのは倫子だった。
そんな彼女の心意気を組んでくれたのか。かつての孤高の狼は満を持しての新車で挑んだ。
スバルGRB「インプレッサWRX・STI」
EJ-20水平対向エンジン搭載の三百八馬力。常識外れの出力を発揮する、ファイブドアハッチバックのモンスターマシンで。
普段の彼は落ち着いた大人の男性。真夜中の八神峠を疾風怒濤に駆け抜ける伝説の狼とは思えない人柄だ。
あれほどの腕と実績とを誇りながら、それでもなお自らにいっさい驕りを感じさせない翔一郎。その姿勢に、倫子ははもう畏敬の念を抱くことしかできなかった。
――伝説の男ミブローが、わたしを好敵手として認めてくれたんだ。女であるこのわたしを――
その心配りと気遣いが、何よりも倫子は嬉しかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
決戦当夜。八神街道二十三時。
八神の女王として君臨する倫子。「青い閃光【シャイニング・ザ・ブルー】」の異名を奉られる彼女の大一番を見られるということで、普段からは考えられない数のギャラリーがこの地に押し寄せていた。
ざっと見た限りだが、その人数は三、四十人に及んだのではなかろうか。
チーム「ロスヴァイセ」のエースにして現在「八神街道表コース」のタイトルホルダーでもある倫子は、文字どおり本日の主役だった。
対戦相手はかつての伝説の走り屋とはいえ、所詮は時代遅れのロートルだ。
八神の絶対的 女王による華麗なる完全勝利。その瞬間を誰もが確信していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
対戦直前。女王は落ち武者を気遣うような素振りを見せつつ、むしろ不敵な笑いを浮かべながらこう述べた。
「あなたに全力を尽くしていただかないと、戦いを挑む意味がありませんから」
双眸があふれんばかりの精気に満ちて、燃えるような光を爛々と放ちながら。
ひとたび腹を括ったオンナというのは実に怖いものなのである。
バトルの立会人は「ロスヴァイセ」の主要メンバーである山本加奈子と長瀬純。共に峠を駆け抜けたかけがえのない仲間だ。
そしてもうひとり。対戦相手である伝説の狼の、若くて可愛いポニーテールの恋人。
MR-SとインプWRX。並列する二台の前に山本が立った。
その右手が上がり、詠みあげられた数字とともに折られた指が一本ずつ開かれていく。
発進までのカウントダウンが始まった。
観衆全体が息を飲むのが、倫子には「MR-S」の運転席からでもはっきりとわかった。
これまで感じたことのない得も言えぬ緊張感。彼女の臓腑をぎりぎりと締め付ける。
十秒前、九秒前──
アクセルを空吹かししながら、じっくりとタイミングを計る。
八秒前、七秒前──
「翔兄ぃ、負けるな!」と叫ぶ彼女に、親指を立てて合図を送る伝説の狼。
六秒前──
完全に開かれた山本の指が、今度は逆の順番に折り曲げられていく。
集まった観衆がいつの間にか声を合わせ、残り時間のカウントを集団で口ずさんだ。
五
四
三
二
一
GO!
この瞬間、倫子の舞台が幕を開けた。
彼女の果て無き、狂おしくも切ない悲劇の幕が。




