アゲート公爵邸
屋敷の前まで来て、改めて自分を見おろすと、さっき感じていた以上に自分が汚なく見えてきた…。
だって、さっき塀を乗り越えたら、白い塀に黒い手型が付いたんだよ?それって相当汚ないくない?
「ねぇ、アル。このまま屋敷に入ったらリリィに怒られる気がする。」
私に負けず劣らずアルも相当ひどい格好だ。髪はベタベタで、ずっと服も替えてないから、臭さも汚れも重量級。
小綺麗なアルのベビーフェイスさえ、今は見れたものじゃない。
「しょうがねぇじゃん。」
「そうだけど…。ねぇ、庭の小川で ある程度洗ってから行かない?」
「………別に、いいけど。」
私達が住んでいるアゲート兄様の公爵邸は敷地も広くて、裏庭には小川まである。踝くらいまでの浅い川だけど、水は綺麗だし汚れを落とすくらい出来るだろう。
本音を言えば、すぐにお風呂に入って石鹸使ってゴシゴシ洗いたいけど、ここまで汚いと身体が綺麗になる前にバスルームの方が先に汚れて掃除する羽目になりそうだ。
アルと小川まで行くと、さっさと服を脱いで下着のまま川に入り、じゃぶじゃぶと身体の汚れを流し落とす。すると月明かりでも分かるくらい、川の水が濁って流れていった。
「あぁもうっ!汚い!」
我慢出来ず川の中に座り込み、さっきまで着ていた肌着を丸めて肌を擦り、ゴシゴシと夢中になって洗う。
はぁ…髪もベタベタ。流石にこれ以上は無理かな。下着、邪魔だな。いっそのこと下着も脱いじゃう?
「……お前さぁ、俺が男だってこと忘れてない?」
私より少し下流で洗っているアルが不機嫌な声をだす。
「別に?アルは男だけど、アルだし。」
「はぁ?確かにお前みたいなガキ、こっちから願い下げだけどな。何、目の前で簡単に脱いでんだよ。全く意識してないとか有り得ねぇ。身体は女でも、中身はガキだなんて本当残念なやつだよなぁ?」
アルは左手を前に出し、目を細めてこちらを見ている。ねぇ、それってもしかして、ひとの顔を隠して身体だけ眺めてるの?何だそれ、イラッとするわ。
「別に下着まで脱いでるわけじゃないのに何言ってるの?エロじじい。まさか、散々ガキとか言っといて、私の身体にドキドキしちゃってるんじゃない?」
童顔で下手すると私より若く見られるアルだけど、実はこいつが30歳近いことを私は知ってるんだ。
いくら見た目が若くとも、実際はただのジジイでしかない!この若づくり野郎が!
「ガキは趣味じゃねぇっつってんだろ!それにじじぃでもねぇ。俺は十分ピチピチなんだよ!」
「ピ チ ピ チ !? 何それ、おっさんくさい。」
おっと、回し蹴りが入った。
何て大人げないヤツだ。女に足出すなよ。
次々に襲ってくる攻撃をかわしながら、反撃のチャンスをうかがっていると、突然 怒りの込められた声が響いた。
「お止めなさいませ。」
決して大きくはないその声に肝が潰れそうになる。逆らってはいけないと全身が硬直する。
同じく、ずぶ濡れで硬直しているアルと一緒に恐る恐る振り向けば、やはりそこには鬼の形相をしたリリィが立っていた。手にはバスローブが二つ。
これはヤバイ…すごく怒ってる。
「…貴女には貴婦人としての自覚がないのですか?」
すかさず「ないだろ」とアルが呟いたのが聞こえて、隣を睨みつける。
「たとえ、夜で暗くとも、塀に囲まれた敷地の中であるとしても、ここは屋外なのですよ?貴女はご自分の年齢を分かっておいでですか?いったい、いつまで童のような振る舞いをなさるおつもりです。‥‥それにアル様もアル様です。貴方こそ、もういい歳なのに……」
ぷっ!リリィに普通におじさん扱いされてる。ざまぁみろ。
矛先がアルに向いてるうちに、リリィからバスローブを受け取ると、アルを置いて先に屋敷の中へ逃げた。
廊下の途中で、疲れた顔をしたスティーブ達に会う。スティーブ達も今戻ったんだね。一軒一軒 潰して回ったんだから、大変だったと思う。みんなお疲れ様。
相手を労りつつ、お互いの報告や今後の話などをしていると、後ろからリリィがぐんぐん近付いて来たっ!
「いつまで、そのような格好で殿方とお話しなさっているのですか!!さっさと身支度なさいませ!」
可愛い顔で、唸るような声を出すリリィは迫力満点だ。慌ててバスルームに駆け込んだ。
すっかり汚れも落ちて、元の肌の色と髪のツヤが戻ると、リリィが仕上げにと香油を塗り込んでくれる。
はぁ…、マッサージ気持ちいいです…。
それが終れば下着・肌着と順に着る手伝いをしてくれる。髪を丁寧に櫛でとかれると、驚くほどサラサラの髪になった。
至れり尽くせりで、どこの国のお姫様だよ…って、そう言えば私ってばお姫様だったわ。
ドレスに袖を通そうとした時、ノックもなく突然扉が開いた。もちろん、そんなことをするのはコイツしかいない。
「できたか?アゲート様から支度が終わったら王宮に来いって連絡があったぞ。あ、そのドレスは止めろよ。じゃ。」
とっくに支度を済ませたアルは、言いたい事だけ言って、さっさと扉を閉めた。リリィの額には血管が浮いている…。
リリィ、ど、どうか落ち着いて…。
「姫…さま?レディの…着替え中に…ノックも、入室の許可もなく、突然入るなど…。」
あぁ、うん。普通は、しないよね。
うわっ!リリィの手、震えてるよ?
……あの野郎。
「えっと‥‥、私は気にしてないから…、ね? あ~、なんか王宮に行かないといけないみたいだし、急いでた…のかな?
あっ、王宮には裏から行くから、ドレスじゃなくて、いつもの…。」
リリィがキッと睨む。
「姫様!そこは気にして下さいませ!アル様のあの振るまいを許容なさって、どうするのです。貴女は王妹殿下であらせられます。王家に連なる者であり、女性であるという事を、いい加減にご自覚なさいませ。毎度、毎度あのように、無神経で無礼な…。アゲート様は、何故あのような男を姫様のお側に置くことをお許しになっているのでしょう。あんな…、デリカシーのない。なのに…なのになぜ…。」
こ、これはストレス限界値を振りきってるね…。
リリィはブツブツと呟いていたかと思ったら、急にハッと顔を上げた。
「まさか…!アル様は姫様のお婿様候補だったのですか!?」
「違うし。」
ここは誤解のないよう即答しておく。
混乱するリリィには申し訳ないけど、ごめんね。時間が気になるんだ。さっさと自分で動きやすい服に着替えると、急いで部屋を出た。
扉の側で待っていたアルは、壁にもたれながらこちらに視線を向ける。
「ガキが嫁に行くのはまだ早くないか?」
「……私とっくに成人してるんですけど?」
「18はまだガキだろ。」
ガキガキ言うな、ジジィ。蒼国の成人は15歳だ。
「それよりノックくらいしてよね。」
「ちゃんと下着は着てたんだから騒ぐほどの事でもないだろうが。」
「下着を着てれば良いとか、おかしいでしょ。」
「……………………。」
「……………………。」
ふと小川の時とは真逆のやりとりに気付いて、お互いに続く言葉を失う。
「…何か、おかしいな。」
「……………………。」
「行くか。」
「……うん。」
何かモヤっとしたものを抱えながら、王宮へ急いだ。