逃げたその後で
会場から少し離れたところに来て、追っ手がないことを確認すると、クラウドはゆっくりと私を地面に降ろした。
離宮の入口で馬車を呼び、御者に第二騎士団まで行くよう指示する。当然の様に隣に座ったクラウドは、至極機嫌がいい。
「逃げ切れましたね。」
「……えぇ、お疲れ様。でも、私まで連れてきてどうするの?」
「分からないですか?」
……何、その言い方。
追手もかからずに、ここまで来たということは、ラピス殿下があの場を上手く納めたんだろうってことくらいは分かる。
けれど、どこまで予定通りで、どこからが予定外なのか、さっぱり分からない。
「私を巻き込むなら説明くらいして欲しいのだけど?」
クラウドを見ると、少し困ったような、淋しそうな顔をした。
「う~ん。私としては、求婚する前にいい加減思い出して欲しいんですけどね。」
え? 何を思い出すって??
「……他に約束してたっけ?」
「あぁ、そうですね。約束もしましたか。ずっと守っていますよ?あの時のことは誰にも話していません。なんせ、私と貴女の“秘密”ですものね?」
「は?……な に?」
クラウドと私の秘密?ずっと守ってたって…何を言ってるの?
探るように視線を向けても、クラウドは肩を竦めるだけで教えてくれる気はないようだ。
「流石にそろそろ思い出して下さいね?……あぁ。セレス、口紅がとれていますよ。向こうに着く前に塗り直しますか?……私もお手伝いしましょう。」
そう言うとこちらの返事も待たず、優しく唇を合わせる。何度も食み、視線を合わせては嬉しそうに笑う。時々舌でなぞる様子は、レッスン室の時とは違い、どこか悪戯めいている。
「………これの、どこが手伝いなの…。」
睨んだところで、クラウドは堪える様子もなく、むしろ愉しげにしている。
「塗り直すのであれば、まずは全部とった方がいいでしょう?」
嬉々として、なおも続けようとするクラウドを引き剥がす。
何度も重ねたことで口紅が移り、クラウドの唇もほんのり紅く色付いていた。
こうして改めて見ると、やっぱり綺麗な顔立ちをしてるよね。しっかり化粧をすれば女性でも通りそうじゃない?あ~、でもさすがに身長が高過ぎるかな…。白い花の冠とか似合いそうなんだけど。
まじまじと見ていたら、流石に怪訝な顔をされてしまった。眉間にシワを寄せてもサマになるなんてズルい。
でも、何だろう…。確かにさっきから何か記憶にひっかかるような……。
「何ですか?」
「…いや、何でもないよ。クラウドは白い花が似合いそうだなって思っただけ。」
頭の中で女装させてたなんて言えるわけない。
クラウドのアッシュブラウンの髪とヘーゼルグリーンの瞳に、口紅の紅を足すと、どこか苺を彷彿させる。
これで白い野ばらの花かんむりでもすれば、クラウドこそ春の妖精…違うな、春の女神だ。
「はぁ…。何を言ってるんですか。」
クラウドは溜め息をつき、ゆっくり首をふる。
「イヤ、真面目な話。似合うと思うよ?髪飾りに…」
「“野ばらの花かんむり”ですか?」
「そう!」
って、あれっ? 私、口に出したっけ?
「……何度も言いますが、私は男ですよ?それに…、もうすでに一度いただいていますしね?幾つも花かんむりをいただいても…。」
「……………えっ?」
待って!
花かんむりを貰った??
私が作った花かんむりを貰ってくれた人なんて、後にも先にもたった一人しかいない。………でも、それはクラウドじゃない。
「クラウドって、妹がいたりする?」
記憶の中にいるあの子は、腰まである長い髪を横で1つに纏めて、色白の肌に物憂げな瞳をした“女の子”だ。
子どもの頃でさえ、あれだけ綺麗だったのだから今頃は相当な美女になっているはず。
いや、もしかして彼女の言っていた兄とはクラウドのことだったのだろうか?確か、クラウドは次男だったよね…。あれ?二人もいるって言ってたっけ?
「…確かに妹はいますが、違いますよ。貴女に会ったのは私、本人です。」
「だから違うって!私が約束したのは女の子なの!」
「いいえ、男です。」
「女だった!」
「……全く。貴女が勝手に女と間違えたんですよ。当時もきちんと男の格好をしていたのに、何故間違えるんでしょうね?
去り際に“女同士の秘密”なんて言われても困るんですよ?」
訂正する間も無かったじゃないかとクラウドが不満を漏らす。
「えっでも、どこか似てて、お互い頑張ろうって……。男ぉ!?」
「しつこいですよ…。物分かりが悪いですね。私が男だってこと、これからじっくり覚えてもらわなければいけませんね。……聞いてますか?」
マジか。あの可愛い女の子がクラウドだったなんて……。
強い衝撃を受けると、人って記憶が飛ぶのかな…。気が付いたら何故かクラウドの膝の上で、無くしたはずのイヤリングをつけられている最中だった。
「やっと戻ってきましたか?私は今も、貴女に会えたことを感謝しています。
境遇に腐ることなく、今の自分があるのは、たった6歳の貴女の言葉がきっかけでした。
おかげさまで、今も兄とは仲が良いのですよ?」
そう言うと、穏やかな顔で笑う。
「クラウド…。」
私もあの時、蒼国を一望出来るあの丘で、弱音を全て吐き出した。
否定されるのが怖くて、誰にも言う事が出来なかった気持ちも全部。
あそこは私が唯一泣くことの出来る秘密の場所だった。そこで出会った女の子は全てを受け止めてくれた。
きっとあの子も頑張ってる。どこかで会った時、胸を張って会える人になりたいとずっと思ってきた。
クラウドだったんだ…。
………ん?
「あれ?そう言えば馬車止まってない?」
「ずいぶん混乱しているようでしたし、待ってもらってるんです。落ち着いたのなら降りますか?」
おぉっ!もう着いてたのか。なら早く降りたい。この体勢も恥ずかしいしね。
クラウドに続いて馬車から降りようとすると何故か横抱きに抱え上げられた。
抗議の視線を送っても、有無を言わさない笑顔の圧力で返される。
裏口のドアを開けるのに、身体が落ちそうになり、反射的に首に手をまわすと、何故かそのまま おでこにキスをされてしまった。……え?何、この甘い空気。
宿舎に入ると騎士達が集まってくる。こんな状態でどんな顔をすればいいか分からず、クラウドの首筋に顔を隠した。
「お疲れ様です…って、えっ?」
「え?副団長の恋人?」
まだ何も知らない騎士達が、アルに続き今度は副団長が女を連れて現れたと騒ぎ出した。
騒ぎを聞き付けて迎えに来たアルと一緒に会議室に入ると、中には何故か隊長達が勢揃いしている。あれ?私、集めた覚えないんだけど…。
「聞いたぜ。第一の奴らを振り切ったんだって?さすがクラウド!やってくれる。」
「団長!すっげぇ可愛いっス!!こっち見て。」
「レオナルド団長や第一の奴らの、あの悔しそうな顔。近衛の連中なんて、いつもはエリートですってすかしてるのに、今日は必死な顔してたな。」
貴族組も平民組も、今日の余興の話で盛り上がり始める。平民組はともかく貴族組の隊長達はどうやって私達より早く戻ってきたんだろう?
私を抱き上げたまま、いつまでたっても降ろそうとしないクラウドにアルがニヤニヤしながら近付いてくる。
「で、何?クラウドは、とうとう我慢出来ずにさらってきちゃったの?」
「我慢がきかない男みたいに言わないでくれますか?今日の私は盗賊ですからね。宝を頂いて来ただけですよ。」
クラウドは私を抱えたまま椅子に座る。この体勢、いつまで続くんだろう…。
「まぁ最初からクラウドは、セレスの事を意識してるのバレバレだったしな。まだ皆が男だって誤解してた時から、一人だけせっせとアプローチ始めるからさ、ついにそっち方面が開花したのかって、言ってるヤツもいたんだぜ?」
アルの言葉にクラウドが呆れたように返す。
「そんなわけないでしょう。しかし、これでセレスも私に嫁ぐしかありませんし、ようやくホッとしましたよ。」
ん?
「セレスが隊長集めて女だってバラしたから、内心ずいぶんと焦ったんだろ?今朝なんてすごい形相だったもんな。」
クラウドは眉をピクッとさせただけで何も言わない。
二人の会話が落ち着いたところに、隊長達が口を挟む。
「しかし団長も人が悪い…。まだ隠してることがあったなんて…。」
んん?
「あぁ。全然知らなかったから、王太子殿下が婚約を発表をした時は本当驚いたよな。」
はぁ?
婚約って何?クラウドを見ると肩を竦めてとんでもないことを言いだした。
「あれだけの貴族の前で、派手に王族をさらってきましたからね。たとえ殿下であっても二人の仲を認めるか、私を断罪するしかないでしょう。勝手に王族を連れ去って、冗談でしたなんて通用するわけがないのですから。
つまり、追っ手が来なかった時点で、認めていただけたと言うことですよ。これから、よろしくお願いしますね?婚約者殿。」
「「「…………。」」」
「力強くかよ!」
「大丈夫か?アゲート様に殺されるんじゃ…。」
途端に隊長達の顔色が変わる。
「いえ、それこそ今更でしょう?ご自分で私の側に姫を送っておいて、手を出すなって言われてもねぇ?それに、王太子殿下が皆の前で宣言したのですから。アゲート様であっても、覆すことなど出来ませんよ?それこそ国の威信にかかわりますから。」
クラウドの満面の笑みに、隊長達が一斉に頭を抱えた。