オオカミ撃退
突然聞こえた声に、レオ殿の注意が一瞬逸れ、拘束する力が緩む。その隙を逃さず手首を外し、全体重と怒りを込めて、溝尾に拳を叩き込んだ。
「ぐぅ………。」
油断していたのだろう、受け身をとりそこねたレオ殿は、言葉にならない声を残して、あっさり崩れ落ちた。
珍しく、意識までとんでいる。
「……ふぅ~。」
助かったぁ……。
相変わらず、なんて馬鹿力。
こんなピッタリしたドレスで無ければ、思いっきり蹴り上げれたのに。
憎々しげにレオ殿を見上げていれば、場違いなほど、のんびりした声がふってきた。
「お見事ですね。私の出る幕もありません。」
あっ、そう言えば…。
声の方に顔を向けると、そこには無表情のクラウドがいた。いつもの微笑みは欠片もなく、抜け落ちた表情にのんびりした口調がミスマッチ過ぎて違和感が酷い。
えっと、なんだ…あ~。うん?
初めて見たクラウドの様子に、ただ首をひねる。
取り敢えずお礼を言わなくてはと、レオ殿の下から這い出して、ドレスの乱れを直した。
「助か、りまし た…。」
思った以上に声が出ない…。そんな様子をクラウドは目を細めて、責めるように見下ろす。
「私は『狼が狙っている』と言いましたよ?」
うっ。確かに、そんなこと言ってたけどさぁ。これ、オオカミと言うよりゴリラ…。
クラウドはベンチに近づき手を差し出すと、この場所からの移動を促した。
「どうぞこちらへ…。“誰にも会わずに”ドレスルームへ行ける道がありますよ?」
少し険を含んだ様子に引っ掛かりを感じながらも、差し出された手をとり、引かれるままに付いていく。するとクラウドは途中で立ち止まり、こちらをじっと見つめた。
「……信用してくださって嬉しいですが、私も男です。本当にこのまま“誰にも会わない”道に付いて来ていいんですか?」
「………………。」
成る程、それか…。
言ってることは分かるけど、見境なく全ての人間を警戒しなけれぱいけないのかと思うと正直ウンザリする。
気持ちが顔に出ていたのか、クラウドは私を見て笑う。
「冗談ですよ。せっかく築いた信頼を失うような真似はしませんから、安心して下さい。
でも…、そうですね。今夜の貴女はとても美味しそうだ。味見くらいなら、してもいいですか?」
こちらの返事も待たず腰を引き寄せられたのに、抵抗しなかったのはきっと疲れていたから…。
クラウドの腕に包まれ、その暖かい唇が近づく――。
大きな手が背中を撫で上げた途端、急に驚いた顔をして離れた。
「っ!!コルセットをしてないんですか!?」
……それって背中を触っただけで、分かるものなの?
「……それが、何か?」
コルセットではないけれど、下着はちゃんと着ている。下着の種類が違うだけだ。何をそんなに驚くのか分からない。
つい、動揺で目が泳ぐクラウドが物珍しくてそのままじっと眺めていた。笑顔以外に、こんな表情も出来るんだ…。
でも、それも一瞬のこと。クラウドはすぐにいつもの笑顔を浮かべると、厳しい口調で咎め始める。
「これでは、レオナルド殿の気持ちも分からなくはないですね。今日の貴女は男を挑発し過ぎる。馬車まで送りますから、真っ直ぐお帰りなさい。」
わぁお…。こんな早々に帰れだなんて、昨日よりも酷い。色々、上手くいかないな…。
馬車が待機している場所まできて、うちの馬車を確認すると、クラウドは何も言わずに同じ道を引き返し始めた。
「待って。」
クラウドは背中を向けたまま止まる。
「明日の朝、執務室に来て。皆に話があるの。」
そのまま『承知しました。』と呟くと、振り返ることなく会場に戻っていった。
馬車の中で一人になると、ホッと力が抜ける。なんとも今年の宴は波乱の多いことで…。
屋敷に向かって馬車を走らせていると、ふと手首を見てマズイことに気が付いた。そこにはレオ殿の指の跡がくっきりと残っている。
まぁ、これくらいなら朝には治るだろうけど…。このまま帰れば、間違いなく屋敷中が大騒ぎになるし、リリィが泣く。それは絶対に避けたいな。
行き先の変更を御者に伝え、そのまま騎士団へと向かってもらった。
髪は手ぐしで編み込みをほどき、緩くサイドでひとつに括る。
化粧は修正不可能なので、湿らせたタオルで一旦全て拭きとり、一からやり直す。
リリィのような神業メイクは出来ないけど、ある程度なら自分でも出来る。馬車の中に備えてある簡易の化粧道具で下町風の顔に仕上げた。
ドレスはこのまま。少しヨレてるけど、破れてないからこれでいいや。
装飾品は全部はずして…ってあれ?
イヤリングが片方ない…。
落としたのだろうか?まぁ、しょうがない。最後に、甘い香りのする香水をつければ、派手な下町お姉さんの出来上がりだ。勿論、手首は馬車にある予備用の手袋で隠す。
早目に馬車を降り、騎士団まで歩く。門を抜け、驚く騎士達に横目に、迷いない足どりで執務室を目指した。
もちろん、途中で何人かの騎士に止められたけど、どこか遠慮がちな静止なので、簡単に押し切れてしまった。本来、不審者は門のところで止めなきゃダメなんだけどね?
「ねぇ騎士様。アル様を呼んで来てくださらない?」
食堂あたりになるとさすがに人数も増え、進めなくなったので、しょうがなくアルを呼ぶように伝えると、若い騎士が真っ赤な顔をして慌てて走って行った。
さほど待たずして現れたアルが、私を確認するなり駆け寄り「おいで」と、短い言葉とともに、執務室まで連れて行ってくれた。
執務室に入ると野次馬だろうか、扉の向こう側に何人もの騎士が聞き耳を立てている気配がする。
アルもそれに気付いて苦笑しながら扉を開けると、再度人払いをした。
「で?どうした。」
「ん。クラウドと各隊長に、明日打ち明けようと思って。朝イチで来るように招集をかけて欲しいんだけど。」
「……分かった手配する。で?それは?」
手袋で隠しているのに、アルは目ざとく指摘してきた。このドレスにこの手袋は違和感があるそうだ。しょうがないので、片方を外して見せる。
「レオ殿だよ。未遂だけど情熱的でしょ?」
アルが目を細める。
「リリィが知ったら荒れるぞ。今日はこっちに泊るんだよな?」
「もちろん、そのつもり。でも、この格好でいきなり自分の部屋を使うわけにいかないから、ここで仮眠とらせて。」
言いたいことを伝えると、さっさと続き部屋にある仮眠用のベットに横になる。
隣の部屋からライアンを呼ぶアルの声が聞こえたのを最後に、あっという間に眠りに落ちた。
「……。………、………………。」
ん?声が聞こえる…?誰?
ここ、どこだっけ?
「…すっげ………。……の女?」
「違……?……あ、俺……もいい?」
「あっ。起きた。」
寝てる私に覆い被さってくれてるのは、一体誰だ。
「ストップ!!待てっ!お前、それ死ぬから。止めろって、離せ!」
ん?アル何?ダメなの?
う~ん。目が霞んで、よく見えない…。腕の中の男を確認するのに、両手で頬を挟んで、ぐっと顔を近づける。
ふふっ、間抜け面。えっと、これ誰だっけ?あぁ…カイゼルだ。頬をペチペチと叩く。
「あ~ごめん、寝ぼけてた。アル、今何時?」
「あっぶねぇな、お前。カイゼル 殺す気なの?」
寝ぼけて反射的にした行動を怒られているらしい。
「ん~悪い。何か邪な気配がして…。昨日のゴリラの反動かも。ごめんね?」
小首を傾げて謝るが、カイゼルは固まって微動だにしない。
「そろそろ起きろよ、セレス。もうすぐ夜が明ける。貴族組もそのうち来るぞ。」
その言葉に全員が一斉にこちらを見た。見渡すと10人いる隊長のうち、貴族でない隊長は既に全員そろっているようだ。
「みんな、おはよう。」
ニッコリと挨拶をしたのに残念ながら返って来たのは、ちょび髭の溜め息と、カイゼルの叫びだけだった。
カイゼル煩い。