夜会の子犬
R15
「しばらく一人で頑張っておいで。」
額にそっとキスをして、兄様は何処かに行ってしまった。
頑張るって兄様…。衝撃的な事実を突きつけておいて、そのまま放り出すとは、相変わらずの鬼っぷりですね……。
取り合えずグラスを傾けながら、壁の花に撤して作戦でも練った方が良さそうだ。
……さて、状況を整理してみよう。え~と。つまり、嫁入り先を自力で探せ、と。それで、ちょうど春の宴だから、今から誰かいい人を見つけて、引っかけておいで、と言う事で間違ってない?
…う~ん。まだ若干、ショックから立ち直れていないというか…。
いや、やるよ? もちろん、やりますとも。
ここは気持ちを切り替えて、優良物件(いい男)を探しに行けばいいだけだ。
でも、そうなると…何から始めればいいんだろう?目ぼしい人に声をかけるとか?会話をしながら、向こうが望む結婚条件をそれとなく探って…。うん、そうだね。それが大事だ。結婚で大切なのは、お互いの利害一致と相手に好感を持てるかだよ。
でも、あれ‥‥?さっき兄様は特に相手の条件をおっしゃらなかったよね。どういう人を望んでいらっしゃるのだろう?肝心なことを伝え忘れるなんて、兄様らしくない。
………まさか。望んでいた条件を満たす相手は全滅だったとかないよね?この際、貰ってくれるなら誰でもいいって感じだったらどうしよう。
…………。
うわっ。なんか、物凄く不安になってきた。
だんだん心細くなって辺りを見渡す。そう言えばセレスの時ならともかく、セレシアの時に一人になった事って無かった。
舞踏会や夜会には兄様かアゼーが必ず側にいてくれたし、昼間の社交の時にはアルかリリィが付いていてくれた。改めて一人になると寂しいというか、心許ない気分になってきてしまう。いけない、いけない。
弱気を振り払うように背筋を伸ばし、もう一度会場をザッと眺める。
ダンスも三曲目、四曲目となり、パートナーも最初のエスコートの相手から、新たな男女のペアに変わって、それぞれ楽しんでいる。
同じように壁際に立つご令嬢達も、一人また一人と誘われて輪に入って行く。
……………ん?
私を誘ってくれる人が、いない……よ?
隣に誰か来ては誘われていなくなり、また来てはいなく…って、やっぱり私だけがずっとここにいる!
うわっ…。
さすがに泣いてもいいですか?
どうするの、これ。やっぱり自分から行くしかないって…。こうなったら近くにいる男性から順に声をかけてみる?
よし、なら手っ取り早く、一人で歩いている男性にターゲットを絞ろう。ここは行動あるのみだ。
取りあえず、ちょうど目についた人をロックオンする。
じっと見詰めて
(こっちに気付け…気付け…。)
目があったタイミングでふんわり微笑んでみる。
(止まれ、止まるんだ…。よし!)
気分はハンター。逃がさないように、視線をそらさず、ゆっくり近く。
「お久しぶりです、ラシード伯爵様。今宵は、お一人ですか?」
「こ、これは、セレシア様!えっ?お一人ですか!?」
ラシード伯爵はどこか落ち着かない様子でキョロキョロと誰かを探し始める。
「はい。伯爵は、もうダンスを踊られましたか?」
「はっ…いえ、いや………。」
「……………。」
「……………。」
………えっ?だんまり?
何かマズかった?実はダンスが苦手だったとか?あ~…それなら無理矢理連れていくのは、違うよね。ここはソッとしてあげとくべき?
「まぁ…すみません。お気になさらないで下さい。では、ごきげんよう。」
一緒に踊ろうよって流れにしたかったんだけどな。女性から誘ったらいけなかったっけ?いきなりダンスはガツガツし過ぎ?よし、次は気を付けよう。
少し歩き、また目についた人に声をかける。
「こんばんは、アラモス子爵様。今年の宴は何日まで参加されるご予定ですか?」
「いっいえ、あの…。セレシア様っ!その。あっ!では、ごきげんよう!」
は??
「………ごきげんよう。」
すごい…ぶつ切りダッシュだ。急いでた?まさか逃げたなんて…………いやいや。気にしない気にしない。
さぁ次だ、次。
「こんばんは。トニール侯爵家のアラン様。しばらくお見かけしないうちに、より魅力的になられましたね。」
友好的に…、焦らず穏やかに…。逃げないでね…。
「えっ!?セレシア様!あっ、そっそうですか?」
よし、大丈夫そうだ。
「はい。とても素敵ですわ。」
嬉しくなって、思わず笑みが出る。
「!!!!!」
「……あの?」
「……………………。」
またか。
この人も黙っちゃったよ。
何で?今度は何がいけなかったの?
はぁ………。
「…………では、ごきげんよう。」
「えっ?あっ、はいっ!」
諦めて話を終わらせれば、何故か急に正気に戻るアラン様。なんだろう、ツライ……。これはもう、縁談以前の問題じゃない?別に取って食いやしないのに。
ちょっと風にあたりたいな……。
一旦、作戦を中止してバルコニーに出てみると、会場の賑やかさが遠のき、涼しい夜風が気持ちよく頬をうつ。
ふぅ…。 何だか早くも疲れた。
空を見上げれば満天の星空が広がり、その美しい星空に心が洗われる。こんな風にゆっくり星を見るなんて、どれくらいぶりだろう?
うん、バルコニーにきて正解。気持ちが楽になってきた。
つい見とれて、そのまま星空を眺めていると、後ろから誰かがやってきた。ボッチ仲間だろうか?
「夜空に、とけてしまいそうですね。」
……え? この声って!?
勢いよく振り返りそうになるのをなんとか堪え、斜め後ろにゆっくりと向き直る。そこには、すっかり見慣れた微笑みがあった。
「…こんばんは。」
「こんばんは、セレシア様。今夜も、とてもお美しいですね。」
標準装備である微笑みも、こういう場所だととても自然に似合うんだな…。
「ありがとうございます。クラウド様も、一段と華やかでいらっしゃいますね。」
「光栄です。御一人でいらっしゃるのは珍しいですね。先程は何を見ていらしたのですか?」
あっ、そう言えば普通に会話が続いてる…。
クラウドはホワイトパールのタキシードを着て、胸に華やかなグリーンの花を差している。うん、派手だね。これを着こなしてるのがすごいわ。
質問に何と答えればいいかと星空を仰ぐと、それだけでクラウドは「あぁ」と納得したようだった。
「アゲート様は、お忙しそうですね。よろしければ、私が代わりにエスコートいたしますが…。」
その言葉に馬車でのやり取りを思い出す。もしかして兄様の代わりのエスコートってクラウドになったのかな?
「それは、お兄様が?」
「……えぇ。」
そっか。兄様に言われて相手をしに来てくれたのか。余興の打合せもあって忙しいだろうに…。
「そうでしたか、それは申し訳ございません。どうか、よろしくお願いいたします。」
本当、女性はエスコートがいないと参加出来ないって不便だよね。
「……まだ、中には戻らないのですか?」
あっ、それ聞いちゃう?すごく言いにくいけど、下手に誤魔化して後でバレた時の方が、こういうのは恥ずかしいからな。正直が一番。
「実は…上手く馴染めなくて…。いけませんね、覚悟を決めて男性に声をかけても、どこか拒絶されているようで、会話すら難しく…。」
思わず苦笑が浮かぶ。クラウドは顎に手をあて、静かに聞いてくれる。
クラウドのこう言うところ好きだな。下手にお世辞やフォローを挟まず、ただ黙って最後まで聞いてくれるところ。
「こう言った場所には、今まで必ず誰かが隣にいてくれましたので、皆さんが話しかけてくれていたのが私ではないと、気が付かなかったようです。何ともお恥ずかしい限りです。」
セレシアは病弱という事になっている。今まで夜会や舞踏会にほとんど出席してこなかった。
それでもたまに夜会に出ると、途切れる事なく声を掛けてくれていた人達は、隣にいる兄様やアゼーに話かけていたのであって、セレシアにではなかったと言う事だ。
セレシアとしての人脈が皆無って、何とも情けない。
「少し風にあたれば、気分も変わるかと思いまして。」
『大丈夫』という気持ちを込めて微笑むと、クラウドは自分の顎から手を離し、優しく微笑み返してくれる。
「貴女にそんな事を思わせる男や、まともに受け答えすら出来ない意気地無しなど、放っておけばいいのです。」
うっ、優しい…。それにクラウドの声を聞いてると、何だかホッとしてくるのが不思議だ。まだ半年しかたっていないのに、いつの間にか側にいるのを自然に感じるくらい、心を許している。
ユリウス達に対する気持ちとも、兄様やアルに対する気持ちとも少し違う。近すぎると落ち着かないのに、見かけるとホッとする。この気持ちは何だろうな。
あっ。それより、クラウドはこんなことをしていて大丈夫なのだろうか?エスコートの為に帰りは一緒に退出するとしても、今は自由にしてくれて構わない。ずっと私のお守りさせるのは申し訳ないよ。
「あの…、クラウド様は戻らなくて大丈夫なのですか?私といつまでも一緒では、お困りになるのではないでしょうか。
私は、もう少しこちらで風にあたりましたら、また中に戻りますので、どうぞお気になさらず、先にお入り下さっても…」
「そんなもったいないこと、しませんよ?」
クラウドは何か裏がありそうな笑みでこたえた。
…ん?もったいない?
「あぁ。でも確かに、少し困っていますね。」
なんだ…。やっぱり、もて余してたんじゃないか…。
「それなら…」
「長くいると、我慢出来なくなりそうだ。」
はい?
何を、と思う間もなく、腕ごと抱き込むように引き寄せられた。いつの間にかクラウドの広く筋肉質な胸に頬が密着している。
驚いて見上げれば、至近距離にクラウドの顔が!うっ。なんてキラキラしい!
あまりの近さに困惑して、腕から抜けようと試みたけれど、クラウドは慣れた手つきで私の顎に右手を添えて上へ向かせると、優しく口付けを落とした。
………はぁ!?
えっ? えぇぇっ?
混乱しているのを間近で眺めながら、クラウドはやたら嬉しそうに言う。
「セレシア様、一緒にダンスを踊って頂けませんか?」
いやっ、色々と順番がおかしくないか?このタイミングでダンスの誘いって、どういうことなの??
目を見開いて驚く様子に、クラウドはクスッと笑うと、更に唇を重ねてきた。
「!?」
初めは軽くついばむように。そしてだんだん長く味わうように食まれる。とても状況についていけず、混乱したまま硬直していると、まるで口を開けと促すように唇の間を舌で舐められた。
いーや!ちょっ!待て!
このままじゃいけない。そう!返事!
「……っします! 踊りますからフロアに戻りましょう!」
身体を捩り、慌ててこたえると。
そうですか?と言い、抱きしめる力を抜いてはくれたけど、腰はしっかり抱いたまま、フロアへエスコートされた。ち、近いです…。
これは一体どういうこと??
訳が分からず、さっきとは別のストレスで胸が苦しくなってくる。
よたよたした足取りでフロアに戻ると、ゆったりとしたワルツが演奏されていた。良かった。これなら多少動揺してても、間違えずに踊れそう…。少し胸を撫で下ろし、クラウドと踊りの輪に入った。
ゆったりとしたリズムに徐々に気持ちも落ち着き、おもむろに顔をあげれば、何故かクラウドは見たことがないほど優しく微笑んでいる。
………貴方は誰ですか?
ワルツの終盤、クラウドが再び近付き囁いた。だから、近い!耳元もやめて!せっかく落ち着いた心臓がまた暴れだすじゃないか。
「公爵に頼まれたと言うのは嘘ですよ。セレス?」
「!?」
嘘って、兄様に頼まれたってのは嘘?いや、それより、今 セレスって言わなかった??
「たくさんの狼が貴女を狙っていますから、気を付けて。」
動揺がおさまらず、ろくに返事も出来ないまま、クラウドに手を引かれ歩く。やがて前方に兄様が見えた。どうやら兄様のところまで送ってくれたらしい。
ここは御礼を言うタイミングなのだろうけど、御礼の言葉が上手く出て来ない。代わりに残っている気力を振り絞り、クラウドを睨み上げた。
「貴方が狼なのでは?」
クラウドはそんな様子すら楽しげに見つめ、肩を竦めてこたえる。
「いいえ、まさか。私なんてまだ子犬ですよ。」
どこがだ!!