夜明け前の夜空
昨日は騎士団の宿舎ではなく、久しぶりに屋敷の方に帰宅した。今か今かと帰宅を待ち構えていたリリィに遅いと怒られ、そのままバスルームへ直行。
あれよあれよと言う間に磨かれて、色々と塗ったり揉んだりされ、最後に謎の物体を背中に貼り付けられたところで、睡魔に負けて意識がとんだ・・・。
気が付けば早朝。日の出前の暗い部屋で、マッサージの揺れと指圧の痛みで目が覚めた。
……………。
もしかしてこれ、昨日からずっとやってたりしないよね?
まさか……徹夜!?
日の出とともに朝食を食べ終わると、急いで騎士団に逃げ…いや、出勤した。
昨日の今日で何かあるわけないけど、一応ね。ほら仕事だしさ、別に避難してきたわけじゃない、うん。異常がないのを確認がてら一息つく。
あぁ、でもさっさと屋敷に帰らないと式典に間に合わない。
渋々重い腰をあげて、執務室を出ると廊下で出勤してきたクラウドとすれ違った。「気合いが入っていますね」と笑顔で言われたけど、すでに疲れていた私は適当に返事して通り過ぎた。クラウドごめん。
春の宴、初日
厳かな雰囲気で始まった式典は、まず文官(内務官・領主)の任命式から始まり、やがて武官(船団・騎士団)に移る。初めて着た第二騎士団の正装は紐やらボタンやら腕章やら沢山ついていて、正直なところ邪魔くさいけど、こう言う式にはよく映える。
これで今日から、正式に団長。なんともくすぐったい気分だ。
屋敷に戻るとリリィが相変わらず凄かった…。昼食もそこそこに、夜会へ向けて次々と服を広げていく。それを見ながら『夜が』とか『夜明けは』とか『星が』『空が』とブツブツ…。
………ねぇ、ドレスの話だよね?
着付けと髪のセットにメイクも終わり、やっと解放されて扉を出ると、今度は部屋に入れなかった家人達にぐるっと囲まれてしまった。あぁ、もう勘弁して下さい。夜会にたどり着く前に倒れそうだよ。
「本当、お美しいです姫様。」
「悪い虫が寄って来ないか心配で…。」
「やはり我らの姫様が一番ですね。」
「まるで海王の寵姫アンフィのごとき輝かしさでございます。虜にならぬ男がおりましょうか。」
私がうんざりしてることに気づいているだろうに、我が家の身贔屓な家人達は久しぶりのお姫様スタイルを愛でるのに忙しい。
執事のアーバンを始め、厨房のマーサにジャンク、薬師のエドまで、これでもかと褒めちぎってくる。貴方達、仕事はいいの?
しかも、褒められれば褒められるほど、逆に底知れないプレッシャーを感じるのは何故だ……。お願い、みんなもう少し離れて下さい……圧迫感が‥‥。
願い虚しく、皆の賛辞に被せるように今度はリリィが熱弁し出した。
「当然ですわ!私の姫様ですよ?皆様もっと近づいてよくご覧になって。この月夜のごとく輝く銀の美しい髪。星々を散りばめたような髪飾りとイヤリングがまたよくお似合いでしょう?
夜明け前の夜空を切り取ったような、この静謐なドレスもまた、姫様の清楚で儚げな美貌をよく引き立ててくれてますわ!」
ホゥッとため息をつき、リリィがウットリする。儚げって…、モノは言い様だよね。これ、疲れて憔悴してるだけだからね。
でも確かに相変わらず芸術的な仕上がりになっている。ドレスや宝石を選ぶセンスも、髪を結い上げる技術も、メイクの腕まで超一流のリリィのおかげで、神がかった出来映えだ。これはもう別人レベルだよ。さすがです。
近すぎる距離でみんなに囲まれて動けずにいると、少し離れた場所から、笑い混じりの低音が聞こえた。アゲート兄様だ。
「用意は出来たかい?そろそろ行こうか。」
兄様、ずっと見ていたならもっと早く助けてください。
ようやく、溺愛モードの家人達から抜け出して、兄様に手を引かれて馬車に乗り込むことができた。
屋敷から離宮までは馬車で15分くらい。貴族の屋敷が建ち並ぶこの辺りの警備は第一騎士団の管轄になっている。今日は春の宴があるので普段より厳しい体制が敷かれているのだろう。警備の人数が多い。
馬車のカーテンの隙間から、外を眺めていると、アゲート兄様の申し訳なさそうな声が聞こえた。
「セレシア。実は、明日エスコートが出来なくなってしまってね。必ず代わりを探して迎えに行かせるから、少し待ってもらえるかい?」
あれ?急用?兄様の予定が狂うなんて珍しい。
「分かりました。何か緊急の御用事ですか?」
「いや、たいした事はない。陛下からのお呼び出しでね。内容は…大体分かっているから大丈夫。」
これまた珍しく、口を濁す。言いにくそうにしているってことは、仕事よりもプライベートな話っぽい。ついにお兄様に縁談が?なんてね。
兄様は、モテるけれど王位争いを避ける為にずっと独身でいらしたから…。今では、王太子も第二王子も成人したことで、兄様の王位継承順位も下がった。だから、結婚しても何も問題ないはずだ。何と言っても今は恋の季節。
アレコレ勝手に妄想しているうちに馬車の速度が落ちた。どうやら目的地についたみたい。
馬車から降りれば、離宮は既に多くの人で溢れかえっていた。右も左も青の洪水。
蒼国の女性は青色のドレスを好む傾向が強い。たまに桃色や藤色のドレスを着る人もいるけれど、多くはない。私の着ているこのドレスも、極薄い青だ。
他国の人からは、なぜ同じ色を纏うのかと驚かれるけれど、そこは蒼の国サフィニア。実は誰も同じ色だと思っていないところが面白い。
リリィが『夜明け前の夜空』と言っていたように、それぞれが拘りのあるオンリーワンの青なのだ。これは騎士団や船団の制服の色にも通じるところがある。
色とりどりの青いドレスで、さながら会場は海のように揺らめいている。そんな光景が、私はとても好きだ。
男性の場合は主に白地、もしくは濃紺を選ぶ人が多い。他には珊瑚色や光沢のある薄いグレイを選ぶ人もいる。
会場をぐるっと見渡した後、兄様と一緒に一般招待客とは別の、少し高くなった壇上に上がり、それぞれの席についた。
壇上の中心には国王様と王妃様の席が、その向かって左側に王太子と第二王子、そして未婚の姫君達と並ぶ。右側には兄様と私、そして来賓席が用意されるが、右側の順番は来賓によって毎回変わる。今日はお兄様と私はお隣りのようだ。
席は薄い天幕でカーテンの様に左右に遮られており、中心の国王夫妻はよく見えるけれど、脇へ行くほど天幕で隠れて見えにくくなっている。
つまり……国王夫妻以外は適度に隠れているので、比較的落ち着けるようになっているのだ。何てありがたい。
やや寛いだ雰囲気の中、お兄様が穏やかに話し始めた。
「そう言えば、近衛をおねだりしたいんだって?」
きた。
「はい。先日、スティーブ達が屋敷を出ましたので、何かと心配で、近衛から一人頂けたら心強いと思いまして…。」
黒騎士が撤退した後の我が家は、随分と淋しくなった。残っている者のうちアーバン、マリン、ジャンクは剣を扱えるけど、残りは武器を扱えない。
万が一、刺客が来た時、このままではリリィ達が心配なのだ。出来るなら、セレスがセレシアだと内外に知られる前に備えておきたい。ただでさえ私とアルは騎士団の宿舎にいて、屋敷はほったらかしだから。
「そう。ところで何故ユリウスなのかな?」
お兄様の目が穏やかなものから、感情の籠らない冷やかなものに変わっている。仕事モードに切り替わった証拠だ。
この、上に立つ者の特有のまなざしは、値踏みをされているようで少し居心地が悪い。
「彼は、信頼の出来る友人なのです。」
ふむ。と小さく呟くと、長い沈黙のあと言葉を続けた。
「彼は子爵家の次男だから、君の近衛に付けるのにも不足はない。許可しよう。だが一人ではなく、近衛は二人求めなさい。もう一人は僕が選んであげるから。」
おしっ!
許可が出たことにホッと一息つく。しかし、二人に増えたことを不思議に思っていると、それに気付いた兄様が小さい声で付け足した。
「年頃の娘が、年頃の男性を名指しで求めるのはちょっとね…。」
うわっ…、そうか。
危ない、ユリウスにまで迷惑がかかるとこだった…もっと気を付けなくちゃ。
国王夫妻がご着席され、夜会が始まった。日が落ちて灯りが灯る。軽快なワルツが流れて皆が踊りだすと、ホールはまるで竜宮城のように幻想的な光景となった。
国王夫妻、そして王子様方に続き、私と兄様も踊りの輪に入る。兄様とのダンスはとても楽しい。リードが上手く、安心して身を任せられる。
一生のうち一度でもと、兄様と踊ることを夢見る御令嬢が未だ数多くいるというのに、妹というだけで毎回ダンスが踊れる私は、何てラッキーなんだろう。
ふと見上げると、優しい瞳と目があう。
「ねぇセレシア。誰か想う方はいるかい?」
兄様の魅惑的な低い声が耳に残る。実の兄なのに、こんな時にドキッとしてしまうことを許して欲しい。
仕事モードの厳しい表情も素敵だけれど、こういう時に見せる華やかで優しげな雰囲気も、とても魅力的だ。兄様に惚れてしまった御令嬢は大変だろうな。本当にそう言う意味でも妹で良かった。
誰か想う方…。想う方ねぇ?
……誰も浮かばないな。
「お慕いするほど親しくしている殿方は、おりません。」
候補すら浮かばないところが切ない…。
「“あちら”でもかい?」
“あちら”って、それ騎士団のことだよね。……騎士団かぁ。
「確かにあちらでしたら、親しくしている方は多くおりますが、その…、意外な一面もよく見えて、何と言いましょうか、想いを寄せるとは、また違うような…。」
言葉を選びながら、答える。だって、あいつらだし。一緒にいると飽きないけれど、恋とは全然違う。
くふっ。
アゲート兄様から堪えきれなかった笑いがもれる。感情を抑えきれないなんて珍しい…。思わず仰視してしまった。
「ごめんごめん。レオとキスしたって聞いたから、お兄ちゃんは少し妬いてたのになぁ。」
うわ!!
それ、すっかり忘れてた。一体誰から聞いたの?アル?アルなのか?あのおしゃべりめ。兄様にまで話すなんて…。苦々しく思っていると、兄様が少し目を細めた。
「おや?私には内緒にするつもりだったのかい?」
「い、いえ…。そう言うわけでは…。それに、あれは単に手段と言いますか…。仲直りするのに…他に方法が思いつかなくて、その…。」
レオ殿は話よりまず剣だって感じだったし。もし負けたら、二度と隣に立てない気がした。卑怯には変わりないのだけど。審判もいない状態で勝つには、咄嗟にあれしか浮かばなかったんだよね…。
「それで、キスしたら仲直り出来た?」
「違っ…!いえ、違わない、ですけど。でも、えっ、と、その…。あの……まだ、です。」
「へぇ、それはまた朴念仁な男だねぇ?」
「お兄様!」
絶対に分かってて、からかってるでしょ!曲が終わって、ダンスの輪から少し離れると、兄様は『悪い悪い』と軽く謝り、笑いながら飲み物を取ってきてくれた。
私がしぶしぶ一口飲んだのを確認して、また話し始める。
「セレシア。さっきのは冗談として、そろそろ君も自分の相手を真剣に考えてごらん?もう18だ。女性であるお前は、僕のように独身でいる事は出来ない。もし心に決めた人がまだいないのなら、この宴を上手く利用しなさい。」
「……はい、お兄様。」
同じ王族でも、兄様と私では置かれている立場が違う。それは分かる。
リリィ達がやけに気合いが入っていたのはこのことを知っていたからだろうか?
縁談、か…。しかもこの言い方って、自分で掴まえて来いって感じだよね?王族の婚姻って普通、政略結婚じゃないの?
…………。
まさか! 貰い手が見つからなかったとか!?
マジか…。
そっと兄様を見つめ返すと、兄様は微笑んで頷いた。
「…………………。」
そっかぁ…。いなかったのかぁ…。
奇しくも、今日から春の宴。頑張れば運命的な出会いが……、ある、のか?