市場に行こう
「こんにちは。バイン殿の具合はどうですか?」
あれから日課となった診察に付いて行き、ご機嫌伺いに訪れると、部屋の面々が恐縮して立ち上がった。
「セレス様…。」
寝たきりだったバインも、ようやくベットの上でなら起き上がれるようになってきた。出血の割に傷が浅かったことが幸いし大事には至らなかったが、抜糸したばかりの背中は何度見ても痛々しい。
「このような姿で申し訳ございません。」
「バイン殿。そんなこと気になさらないで下さい。比較的傷が浅かったとはいえ、あの出血です。無理をしてはいけません。思うように動けず辛いでしょうが、もう少し辛抱して下さいね。」
「恐れ入ります。」
バインが身体の力を抜いた事を確認すると、グレオスに向き直る。
「天気もいいですし、良ろしければ中央市場に出かけませんか?バイン殿はうちの七番隊の医師達がみていますので、みなさんで一緒に出かけるというのは、どうでしょうか?」
あれから天気が崩れることが多かったから、外出もままならなかったことだろう。男性だけならともかく、女性を連れて歩くのに雨は大敵だ。やっと晴れた今日を逃すのは勿体ない。
「しかしセレス殿、そんなにしてもらっては…。」
「セレスで構いませんと何度も申し上げましたよ?せっかく我が国に訪れて下さったのに、このままお帰しするのは、私も本意ではありません。どうぞ遠慮なさらず。」
「セレス…。ありがとう。」
この数日グレオス達と接してみて、この人達の人柄の良さに本当に驚かされた。真っ直ぐで裏表がなく、とても素直だ。その上、情熱的でとても愛情深い。よく晴れた日の太陽が似合う人達だと思う。
女性陣の部屋に連絡してもらい、用意が出来たのを待って一緒に出かけることになった。
グレオスの妹のフィオリアは、兄に似て明るく朗らかで元気な女性だった。しかも流行りに敏感で、とてもハイセンス。数日前に、こっそりリリィを連れて訪れたら、それはもう凄かった。
話が合うだろうとは思っていたが、想像以上の意気投合ぶりとかしましさで、グレオスに睨まれたくらいだ。
中央市場に着くと若い三人はワイワイしながら、あちらを見たり、こちらを見たりと忙しそうにしている。本当にこの三人は仲が良い。
「フィオリア様は、素敵な女性ですね。」
「そうか?無茶ばかりして頭が痛いぞ。今回の件なんて過去最悪だ。」
グレオスはそう言って渋い顔をしながらも、フィオリア様を追う目はとても優しい。
「……本来、私が口を出す事では無いのですが、友人として少し思った事を話してもいいですか?」
「ん?あぁ、もちろん構わない。」
グレオスは不思議な顔をしながらも、先の言葉を促す。きっと私がこれから話す内容が例え受け入れ難い事だったとしても、この人なら頭ごなしに否定したりせず、耳を傾けてくれるだろう。本当に懐の深い人達だ。
「フィオリア様に、もっと役割を与えてみてはどうでしょうか?貴族の女性ですし、国の風潮もありますから、色々と難しいかも知れません。けれど、おそらく彼女が無茶をするのは、溢れるほどの才能があるにもともと関わらず、女性だと言うだけで抑圧されているからだと思うのです。
あの方は、大人しく部屋で本を読んで過ごすのを好む女性ではないですよね?頭の回転も速いですし、何より物の流れや流行を読むのに長けています。
ほら、見てください。彼女が選んだあの帽子は今、蒼国で一番人気のあるものです。何より“あの”リリィに負けないセンスの良さは脱帽ものなのですよ?
もし彼女が商人であったならば、きっと良いバイヤーになれるでしょう。」
「バイヤー?」
グレオスは不思議そうな顔をしている。
「はい、買い付けを行う商人の事です。私も一応バイヤーなんですよ?」
「団長なのに?」
団長なのに…か。よく聞く言葉だな。女なのに、王族なのに、若造のなのに、とかね。
「はい。確かに騎士団に入団してからは、もっぱら開店休業中ですが、だからといって閉業したつもりもありませんよ。
もともとこの国は、国自体が商人のようなものなのです。物が流れなくなると国の具合まで悪くなる。不思議ですか?」
「国自体が商人…。」
「えぇ、貿易国家なんて大層なことを言っていますが、つまりは物を流す商人なのです。
そもそも蒼国自体がひとつの大きな港町ですしね。黄国のように酪農や田畑で大きくなった国ではなく、船が着く港を拠点に“商人が集まって出来た国”なんですよ。」
蒼国は大陸において、輸送の拠点だからこそ成り立っている小さな国。言わば、大陸の港町だ。
「国自体が港町…。」
グレオスは何やら思うところがあるのか、考え込んでしまった。
「そうです。…あっ、彼女たちが次の店に移動しそうですよ?」
動かなくなってしまったグレオスの腕を引っ張り連れて行く。
「なぁ、セレス…、蒼国の港町とうちの港街がすごく違っていて驚いたんだが…。」
ようやく動き出したと思ったら、声が小さい。もう少し大きく言ってくれないと聞きとれないって。
「そうですね。うちの港町は街と言うより倉庫みたいだったでしょう?生活や販売の拠点は王都にあって、港町は業務専用の町ですから。」
「業務専用?」
目がキラリと光る。興味があるのかな?確かにうちの港町はちょっと変わっている。
「えぇ、船の積み荷を上げ下げをするために、一時的に保管しておく倉庫や、商人達が出航前に泊まる宿、商談ができる飯店などが集まっています。なので一般の人は、港町を素通りして王都に来ますね。港から王都までそれほど遠くありませんし。」
「じゃあ、俺らが目立っていたのは…。」
あぁ、アレね。確かにずいぶん浮いてたらしいよ。
「えぇ、仕事も商談もしていないのに、のんびりとただ宿泊していれば、せわしない商人達から見たら間違いなく奇異に映るでしょうね。なんせ商人にとったら“時は金なり”ですから。」
「なるほど…。」
三人に視線を戻す。フィオリアと侍女が次々に買っていく商品を少年が山のように抱え、よたよたと歩いて付いていく。その様子をフィオリア達は笑いながら見ては髪飾りを手に取って、髪に合わせて微笑み合う。
「ふふっ。」
「なんだ?」
「いえ、嬉しいなと思いまして。今、フィオリア様が選んでいる髪飾りは、以前私が黄国で仕入れて、この店に卸したものなんです。」
「………。」
自分が選んだ商品をこうやって買ってくれたり、身に付けてくれるのを見ると、嬉しくて気分が高揚する。この喜びは同業者しか分からないかもしれない。
「そう言えば、フィオリア様は普段侯爵家でどのように過ごしているのですか?」
「……あいつは女だから。」
「………あぁ。では女性はやはり、どの国も刺繍や読書でしょうか。彼女でしたら、色々な知識をすぐに吸い上げて、有能な人材になりそうなのに。ただ飼い殺してしまうには、ずいぶん勿体無い気がします。いっそ、蒼国にお嫁に来てくれればいいのに‥‥。」
女の役割を否定するつもりはない。だけど能力があるにも関わらず、女性というだけで自由に羽ばたけないというのは、何と窮屈な現実だろう。
「フィーには婿をとらせて、領地に残すつもりでいる。絶対に他国(お前)には、やらん!!」
なるほど。フィオリア様はグレオスを支えることが出来る有能なお婿さんを貰うのか。
「そうですか。う~ん、それは残念。」
願わくは、女性に対して理解のある旦那様だといいな。
買った荷物を、宿の部屋まで届けるように店の小間づかいに頼んでいると、フィオリア様が緊張した面持ちで近づいてきた。手には可愛いリボンがついた袋を持っている。
「セレス様。こちらを受け取って頂けますか?」
「えっ?私に?」
フィオリア様は少し頬を赤く染めて、伺うように下から覗き込む。うわっ!すごく可愛い!!何、この破壊力!抱き締めたい!!可愛い!
「…はい。最初はカフスをと思ったのですが、リリィ様に『セレス様は普段、裾の長いケープをよくお召しになる』と伺いまして、飾りボタンにしました。……お好みに合わないですか?」
「いえ、まさか。私にプレゼントしていただけるとは思っていなかったので、少し驚いてしまっただけです。
それに、自分の物を買ったり選んだりするのはどうも苦手で…。いつもリリィ任せっきりなのですよ?他でもない、フィオリア様のお見立てです。大切にします。」
よく考えてみれば、こうやって女の子とショッピングを楽しむなんて、これが初めてかも知れない。
「良かったら御礼に、私にも何か贈らせていただけませんか?」
ここの近くに若い娘の間で流行っているブレスレットを売ってる店があるのだ。その小物店を見つけるとショーケースの前まで連れていく。
「色にはそれぞれ運を呼び込む力があるそうです。こうやってショーケースの中から好きな天然石や鎖を選んで、セミオーダーのブレスレットを作ります。最近、蒼国では娘達の間で流行り初めているんですよ。一種のおまじないの様なものですね。」
「たくさん種類がありますのね。」
フィオリア様はショーケースの中を楽しそうに眺めている。可愛いと指差しているリボンのチャームを含めて素材を選ぶことにした。
「店主、ベースは金の鎖に黄色の天然石で。プラスでピンクのリボンの形をしたチャームと5ミリの球に加工した鼈甲をつけて作って欲しい。」
店主は慣れた手つきでパーツをショーケースから出すと、奥の机で早速作り始める。
「欲を言うと、決断力の青や人脈のオレンジも入れたかったのですが、あまり欲張るとごちゃごちゃして可愛いくなくなってしまうんです。」
こういうのはシンプルにしないとね。欲張り過ぎるとみっともない仕上がりになるのは、何とも現実を揶揄してるよなぁ。
「選んで下さった色には、どんな意味があるのですか?」
フィオリア様は目の前でだんだんと出来上がっていくブレスレットを興味深げに眺めながら質問する。
「鎖の金色は金運、メインの黄色の天然石は仕事と幸せ、フィオリア様が選んだピンクは女性らしさ、茶色の鼈甲は独立心と大人の落ち着きですよ。」
ひとつひとつ説明するとグレオスがニヤリと笑った。
「もっと、茶色を増やしてやれ。」
「お兄様!!」
フィオリア様がグレオスを睨んでいるがそんな様子も可愛い。
「あの…セレス様。せっかくメインの色を仕事として頂いたのですが、…私、国で特に何もしておりません…。」
話すフィオリアの顔が徐々に曇り、どこか悔しそうに口を結ぶ。
「えぇ、聞きました。ですから、これは『貴女の才能が埋もれてしまいませんように。』という、私の勝手でワガママな願いが込められています。受け取って頂けますか?」
「セレス様……。」
店主から出来上がったブレスレットを受け取り、フィオリア様に贈ると、フィオリア様は潤んだ目で言葉を詰まらせ、返事の代わりに身を寄せて胸の中で頷いた。
か、可愛い…。これ、抱き締めていいよね?ここは抱き締めるところだよね?背中に手を回しそっと抱き締め、フィオリアのこめかみにキスをする。
「可愛いフィオリア。貴女の想いが叶い、幸せな未来が訪れることを祈っていま…、ぐぇっ!」
後ろから襟を勢いよく引っ張られて、首が絞まる。
「フィーに触るな!!」
振り向けば、そこには激怒したグレオス。ちょっとくらい、いいじゃないか、ケチ。