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04

   【follow up】


ノエン達の眼前にある釘の山。それは、森の中に似つかわしくない奇異な様子だ。

釘にはそれぞれ長短があって、元々は殆どが同じ長さで同じ形状のものだが

埋め込まれている深さが違っていた。段差を成して中心に行くほど高く、

山を形成しながらもその形は円状に広がっている。


「それで、この釘はなんなの」

針の山を見つめるキーリアは首を傾げている。

同じように、ノエンと後城も意味深長な釘のサークルに頭を抱えた。


ノエンが拾っていた 飛来した釘を手に、

後城が釘の山を隅々まで調べて、得心して頷く。

「この部分が一本抜けているようだ。

 恐らく、さっき飛んできた釘が刺さっていたのだろう」


釘の山から少し離れた所で、後城が俯瞰していると閃いた。

「俺はそういうことに疎いんでよく分からんが……

 配置からして、何らかの儀装結界だろうな」


「儀装結界?」

見聞したことのない用語にノエンは反応する。


「儀式を模して展開する結界だ。教徒の方術の一種らしいが

 滅多に使われない珍しい術だ。」


キーリアは屈んで釘を様々な方向から覗き込むと、

今度は立ち上がってノエンの居る木陰へ歩み寄った。

「そんなのがなんでここに?」


「わからん。釘で作られているのも奇妙だ」

キーリアの疑問も尤もだが、これは後城にも考え及ばぬ奇行であった。



樹木が茂る入り組んだ森の樹間に潜む三人の影は、

離れた位置からノエンたちを観察していた。


「アれがターゲットカ。」

顔を包帯で覆ったチャコールグレーのステンカラーコートを着た男、ベルテが

独特な口調で殺気立つ。


「あっちの二人はまだ子供じゃないか?」

その隣、ハンチング帽を被った黒いコートの男 サワードは

ノエンとキーリアの方を一瞥して、そんな事を言った。


「同伴者に構うな。あくまで我々の標的はあの男だ。」

そして、リーダー格の スーツを装うオールバックの男

ウィザーが両者の間に立って、仕事の再確認をする。

どうやら獲物は後城俊次らしい。


「そんなに警戒するものか」

公官とはいえ、一介の"捜査官"相手に三人掛かりとは

無用なのではないか とサワードは思っていた。


「ドうでもいい、早く殺させロ」

包帯の男、ベルテは今にも飛び出しそうな殺意を溢れさせる。


「慌てるな。」

ウィザーが制止するとベルテは多少大人しくなった。


ノエンたちを遠目で目視できる距離ではあったが

その周辺の状況は視認し難い。そこで、

背中のバッグから取り出した双眼鏡をサワードが覗いて異変を告げる。

「それはそうと、

 人払いの結界が破られているようだが。」


釘の山は人払いの結界に類する低級の儀装結界だ。

何分、急ごしらえである為か外部からの干渉に脆く、

一部分の欠損は結界全体の崩壊に直結してしまう。


「奴等の前に先客がいたようだ。だが、やることに変わりはない。

 所詮あの仕掛けも教会の仕業と思わせる為だけのものだ。」

ウィザーはその事態を考慮していた。冷静に判断して

ノエンたちが来る以前に釘の結界を壊す何らかの出来事が起きたのだろう。

結界は事後工作の一つとして

犯人が教会側の人間であると錯覚させる目的もあったのだ。


「しかし、何故"釘"なんだ」

サワードは何気なく訊ねた。


「……結界を扱えるベルテの趣味だ。」


「あんな奴…信用できるのか」

サワードが不信しているベルテは同志ではない単なる協力者だった。

今回の計画に賛同した発案者の一人が

実際に計画を実行する代理人として遠国から招聘したという暗殺者だ。


「異端者とはいえ、腕は確かだ。」

ウィザーの指揮下に置かれたのも偶然ではない。

命令違反を繰り返していたベルテが

唯一、ウィザーの指示を遂行したからだ。

そんなベルテをウィザーは暗殺者として評価していた。


「さて、時間だ。行くぞ」

ウィザーの掛け声と共に、ベルテは跳躍すると木々を飛び移って一目散に駆け抜けた。

サワードはウィザーに追従して森の中を走って行く。

目指す先の、ノエンたちに向かって。



後城は情報の整理をする、と言って結界の近くを行ったり来たりして思索に耽っていた。

ノエンとキーリアは後城が休息を促し、木陰の下で一休みしていた。

休憩を勧めたのは多少なりとも疲弊していたノエンを気遣ったことでもあった。


木陰に座り、樹木に体を預けて暫しの安息。

ノエンと並んで、キーリアも木の根を枕に仰向けになって寝転んだ。


ここまで元気一直線だったキーリアが退屈からか

欠伸をして、睡魔に襲われそうになった頃、 ノエンは不穏な気配を察知した。


「どうしたの、ノエン」

キーリアは急に立ち上がったノエンに驚いて、声を掛ける。


「……何か、来る…!」


ノエンは急速に接近する敵意を感じ取り、短剣を右手に 臨戦態勢を取った。


程無く、音のない一撃が棒立ち状態で思考していた後城の真横を掠める。

この直前にノエンが短剣を上段に構えて光の反射で周囲を眩ましていなければ

後城に命中していたであろう。


「おっ、おい…なんだ!」

完全に無防備だった後城は慌ててM97Sを取り出した。


キーリアも飛び起きて、ノエンの後方に付いた。

「ノエン~っ」


「一人…いや、三人いる…!」

こちらに迫り来る敵意が三種類あると識別したノエンは

正面を注意しながら、多方面にも気を配った。


後城の左下に一本の長い物体がある。

先の一撃は、鉄製の棒が投げられたようだ。

投擲が余りにも速いため、音がしたのは地面に突き刺さった瞬間だけだった。


そして、すぐにベルテが尋常じゃない速度で

ノエンの背後に現れると、標的である後城に見向くこともせず

鉄製の棒を地面から引き抜いて、右肩に掛けたキャディバッグのようなものへ収納した。


反応的に、ノエンは振り向いてベルテと対面する。

間近に直面するとノエンとベルテには大きな体格差があった。


「ジゃまするナ……!」

包帯の男はノエンに対し、憤慨していた。

正確には、先程の攻撃はノエンが作為した反射光によって手元を狂わされたのではなく

包帯の隙間から視覚する光量が唐突に増大したせいで命中地点をずらされたのだ。

光に誘導されたといってもいい。

元来、暗闇での活動を得意とする暗殺者が放った正確無比な攻撃が逸らされるほど

ノエンの、光を反射するタイミングが完璧だったのだ。

それらを寸時に把握した今、ベルテは最大の障害となるノエンに敵愾心を燃やしている。


ベルテは大小様々なの釘が埋め込まれた棍棒を左手に携えていた。

禍禍しいその見掛けは釘バットならぬ釘棍棒といったところか。

釘の大部分が深紅に染まっていることから、

これが使い込まれた得物であると見て取れる。


ノエンがベルテと睨み合う中、森を突っ切ってウィザーとサワードが現れた。


「ベルテが一回で仕留められんとはな。優秀なボディガードがいるようだ」

ウィザーはベルテに後退するよう手振りで示す。

ベルテは尚、ノエンを見つめ続けるが、ウィザーの指示に従って後ろへと下がった。


「お前さん達は…?」

後城の問いかけに答えたのはウィザーではなく、後城から見て

右側から姿を現したサワードだ。

「名乗る必要はない!」


「君の存在は我々の計画の妨げになる。

 後城俊次、ここで死んでもらう。」

ウィザーも名乗りはしないがその目的だけは告げた。


「……まったく、物騒な世の中になったもんだ。」

後城は己に降りかかる危機を嘆息する。

そして、ノエンの前にゆったりと出て行くとキザったらしく告げた。

「お嬢さん方、こいつはどうやら俺の問題のようだ。

 こっちは何とかするから先へ行ってくれ。"地図"を見てな。」

正直、後城一人で何とかなる状況ではなかったが

観念した面持ちで覚悟を表す。

加えて、森に入る時に渡していた地図のことを強調した。


「……!

 わかりました。」

ノエンは後城の意図を汲み取って素直に承諾する。


「ちょっと、おじさんは!」

キーリアのおじさん呼ばわりに若干反応する後城であったが

すぐに軽い調子で返事をした。

「なーに、心配いらんさ。こう見えても役人だからな」

なんの根拠にもなっていないが何処か自信有り気な後城は

手先で銃弾の装填を確認して、M97Sをいつでも撃てるように身構えた。


「……行こう。」

ポケットに仕舞っていた地図を取り出して、ノエンは忽ち本来の進行方向へ走る。


「あっ、待ってよノエン!」

それを追随してキーリアも後城から遠ざかっていった。



残った後城と対峙する三人の敵。

「さてと、どうするか。」

後城の面前にいる三者、真ん中のスーツの男は何も所持していないようだが

統率者だけあって何があるか分からない威圧的な恐ろしさが感じられる。

片や黒コートの男は高性能そうなライフルを手にし、一方で包帯の男は

見るからに撲殺系の凶器を肩に置いている。

特に、素人目でも包帯の男は極めて危険だろうと判断できた。


幾らか沈黙したところで 包帯の男、ベルテが開口する。

「オれはあっちを殺ル……」

ベルテはノエンを追って、大きく跳躍すると後城を通り過ぎた。

そしてそのまま、森の奥へと姿を消す。

ノエンに邪魔されたことを根に持っているのか、

いや暗殺者としては脅威となる対象を先に排除するのも当然のことかもしれない。


「何を勝手に…!」

サワードはベルテの独断に不信感を募らせるがウィザーは気にしていないようだ。

「放っておけ。いずれにせよ目撃者は排除しなければならんしな」

ここまでくれば、後城俊次の始末はベルテが不在でも遂行できると確信しているのか、

はたまた、ベルテが後城の連れを抹殺してすぐに戻ってくることを確信しているのか、

ウィザーはベルテの行動を容認した。


これは、後城にとっても幸運だ。一番の強敵が居なくなったのだから。

公官であるなら、民間人の保全を優先しなければならないのだが

後城には何があってもノエンが生き延びると直感していた。


ウィザーとサワードが押し黙って距離を詰める。

反して、後城は一歩ずつ退いていった。


「まぁ、平和的に解決しようじゃないか。」

後城がウィザーから距離を保ちながら、半円を描くように歩む。

「お前さんたちが俺を始末したいってのは

 要するに、俺が大人しくしていればいいのだろう?」

一考の末、排除を無力化に置き換えて、後城は妥協するよう方策を提言した。

「ここで、俺が抵抗して時間と労力を費やすより、

 お前さんたちにとっても良いはずだ。

 ……約束しよう。俺は一切関与しないと」

後城はこの場を収めるべく、無抵抗で見過ごし、

これから起こる出来事にも介入しないことを誓約する。

その代わり、自分を生かしておいてほしいというのだ。


しかし、それはウィザーにとっての抹殺と同等の価値ではなかった。

「信用できんな。それに、

 君が生きているだけでも周りの連中に影響を及ぼしかねん。」

仮に、後城がその通りにしたとして

後城俊次という男が存在するだけで不測の結果を生じさせてしまうかもしれない。

それだけに、当人が思うよりも影響力というのは発生する。


「お前さんたちは今、手を引くだけでいい。

 俺は生かされる。…それを口約してくれ。」

後城のそんな口上もサワードにはまったく響かない。

「……話にならん」

殺しに来たのだから当然だ。


だがウィザーは態度を変えて、後城の話に興味を持ち始めた。

「待て、反故にしないという根拠はなんだ」


「取引できる材料があるってことさ。

 見たところ、お前さんたち

 列国の人間だろう」

やや憶測ではあったが後城がそう決め付ける材料は

列国出身者の特徴が随所に垣間見えたからだ。

北東の民特有の語調、服装、所作それぞれを深く洞察すれば違和感がある。

しかし、この場合はそうではない。

話し方の違いは方言であるが、訛りがあるなど明確に判別できるほどではなく

公用のものと僅差であり、人によって少々間がある程度だ。

格好や動作も決め手ではない。後城は、

北東の列国という在所にある環境に適応した呼吸の仕方で判断したのだ。


北東の列国と央都以南の現地住民の呼吸を比較すると

特に北極寄りの気候では無意識で呼吸に変化がある。

それは、緊張状態にあるときや運動直後に際立って見られる。

これも個人差の域を出ないが後城の鋭い観察眼はウィザー達の本質を見抜いた。


「!?」

サワードは驚愕した。ウィザーは反対に無反応だったが

両者とも、こうも的確に素性が判明して、後城への警戒心を強めた。


「央都が混乱している今だからこそ、各国の"使者"がこの地を訪れる。

 その狙いは教皇の打倒か、はたまた央都自体の掌握か。

 どちらにせよ、何か大掛かりな企てがあるようで」

後城がウィザー達を北東列国連盟の人間だと言い当てたもう一つの要因は

現在の央都の情勢だった。使者の大半は親善の目的で来訪するが

中には良からぬ思惑を秘めて央都へ侵入する者もいるだろう。

それが、西方諸国の使いならばもっと早く行動を起こしているだろうし、

この時機になって現れるのはそれ以外の第三の勢力、

列国連盟の可能性が大きい。いや、他の国家や組織も該当するが

たとえ混迷した央都であっても敵対するようなことがあれば

央都に匹敵する大勢力でなければ太刀打ちできないのだから

消去法としても、列国連盟が関係しているのは自然でもあった。


混乱を招く事態すらも予期された事だったなら相当、根は深いが

その前後であれ、これを機会と考える者は多い。

中央を制することは世界を御することに最も近しく、

首府としての央都を転覆させるのは、世界を揺るがす大事件だ。

西端紛争の頃は単なる宗教組織だった教会が

今では教徒が"方術"というちからを身に付け、大国から一目置かれていた。

央都が注目されるのも全世界に影響を及ぼしかねない教会が

本拠を据えているという所も一因している。


「…さすがは機構の諜報員だった男だ。

 そこまで分かっているのなら、君を殺す理由も明白だろう」

ウィザーがそう評する後城は公官になる以前、

特殊対策機構で表向きは幹部に近い役職だったが

主な仕事は諜報活動にあった。知りすぎた故に左遷された

といっても過言ではないくらいに当時の後城俊次は優秀だった。

ウィザーが今回の抹殺対象に選んだのもそんな過去の実績があったからだ。


「……情報の断絶、といったところか」

諜報員でもあった後城を抹殺するという目的は情報を絶つことに繋がる。


「そうだ。すべての情報は我々が制御し、内部から中央都市を侵攻する。

 しかし、君のような者がいればいずれ正確な情報が伝播してしまう。」

ウィザーは大層な事を語った。

彼らの組織的規模は分からないが、央都を内側から侵攻するということは

真っ向から全面対決できる勢力ではなく、しかしながら小規模ではない

央都の情報を掌握する戦力と力量を兼ね備えた央都への敵対者といえる。

その上で、確実に遂行するならば障害となる存在は極力排除しなければならない。

情報戦を行うにも、後城のような諜報に長けた人物は厄介なのだ。


「…他にも大勢いると思うがな」

後城にはそんな中でも何故、自分をターゲットにしているのか不思議で仕方ない。


「無論、粗方警戒が必要な人物に目星は付けている。

 ここへ来るまでに既に二人、始末した。」

手際がいいことに、ウィザー達は後城より前に二人も抹殺していた。

恐らく後城同様に情報に影響力のある者なのだろう。


「そして、俺は第三の被害者ってわけだ。」

後城は自らを憂う。とんでもない輩に目を付けられてしまったと。


そんな後城の姿を見て、サワードは語気鋭く迫った。

「観念したか!」


「いいや、まだ死ねないね。

 さて、ここで俺と取引だ」

窮地に変わりないが、後城は当然死ぬつもりはない。


「……貴様、この期に及んで…!」

サワードはまったく態度を軟化させない後城に苛立ち始めていた。


「今 俺を殺すより、生かしておいたほうがいい理由を教えてあげようか。」

二対一にして、戦闘はどちらかといえば不向きな後城は

こんな危機的状況に陥っても、心なしかほくそ笑んでいるようだった。



所変わって雑木林を疾走するノエンとキーリアは

地図の印に従って、森の出口へ向かっている。


後ろを何度か振り返りながら、何とかノエンの走りに付いていったキーリアは

後方より迫り来る強烈な殺気を感じ取った。

「ノエンさん、追ってくるよ!」


「……わかってる…!」

ノエンも、それには気付いていた。

しかし、後城と別れてから全速力で走ってきたが

こうも早く追いついてくるとはノエンも想定していなかった。


奴だ、大きな釘の棍棒を担いだベルテが立ち塞がる樹木を荒々しく粉砕しながら

ノエンたちに急迫する。

「ニがさんゾ…!!」


高速で移動している所為か、顔面を覆っていた包帯が殆ど剥がれ、

ベルテはその薄黒い素肌を露出させていた。

黒人というには少し異質な、酷い火傷のような醜悪さが見て取れるが

赤く濁った瞳からは狂気染みた深い殺意だけが(おぞ)ましくノエンを睨み付けた。


ベルテは釘の棍棒で大木を薙ぎ払うと、勢いそのままに

巨大な木片をノエンたちの目の前に飛ばした。


「!」

ノエンたちの行く手を塞ぐように、絶妙な位置に収まった木片に

前方を遮られ、急停止するノエン。


「わわっ!!」

キーリアは、尻餅をついて、地面を転げる。


地べたの倒木を踏み締めて、高く跳躍するとベルテは

飛ばした木片の上に降り立ち、ノエンの眼前に回り込んだ。


「オ前は昔、おれを邪魔した奴によく似ていル…!」

ノエンへの異常な敵意はベルテの過去に関係していた。

暗殺を妨害したノエンの行動によって、

以前自分の任務を阻害した出来事を想起したのだ。

それはノエンに類似した少女だったのだろう。


もはや交戦は避けられまいと、ノエンは一心して腰に提げた短剣を手に取った。

一方の片手で、地図を握り お尻を撫でながら立ち上がったキーリアを見やって、

地図を放り投げた。


「いたた…。って、ノエン?!」

丸められた地図を咄嗟にキャッチするキーリア。


「持って、隠れてて。」

激しい戦いになると予想した、ノエンはキーリアに地図を預け隠れるよう指示をした。

キーリアは何か、言いたそうだったが冷静に考えて

足手纏いになるだけだと思い止まった。

そして、静かに頷くと隠れられそうな場所を探して、ベルテから距離を取った。


「殺ス……!」

キーリアなど始めから眼中になく、ベルテは釘の棍棒を掲げて、ノエンに飛び掛った。


ノエンは素早く足下の土を軽く均し、左へステップを踏むと

ベルテの破壊的な振り下ろしを紙一重で躱した。

そのとき、短剣を逆さに、棍棒の軌道に沿って受け流すことで衝撃を弱め、

ベルテの攻撃に伴った強烈な風圧を受けて横へと押し出された。


振り下ろした直後の姿勢のまま、

動作を継続して、ベルテは空いた片方の手で背中のバッグから鉄製の棒を

取り出すと腕を後ろに捻って乱暴にノエン目掛けて投げつけた。


後城を狙った最初の一撃と同じか、それ以上の速度で

空を切って真横に放たれた鉄製の棒をノエンは

鋭利な短剣の鞘を地面に投げて刺し、その鞘を足場にして

大きくジャンプした。


瞬間、鉄製の棒が真下を通って向かいの樹木へ貫くように突き刺さった。


ここまでの一連の動きは僅かな刹那だったが、まだ終わりではない。

息つく暇さえ与えず、ベルテは大地に減り込んだ釘の棍棒を引っこ抜き、

バッグから出したもう一本の鉄製の棒を片手に、

二つの凶器を交差させながら未だ滞空するノエンに跳躍して近接した。


空中から落下するノエンは

ベルテの武器の半分にも満たないリーチしかない短剣を前に構え、

相手の攻撃に備えた。受け止める気だ。


ベルテが攻撃範囲の間合いにノエンを捉えると、

まずは片方の鉄製の棒を打ち付けた。

ノエンは短剣を縦に、棒に滑らせてそれを払い除けると

すぐに釘の棍棒が別の角度から振り上げられた。

常人の反応速度を超越して短剣をくるりと回転させつつ、

ノエンが器用に切っ先で弧を描くと棍棒の先端と触れ合って

威力が少し相殺された。そこから、力を反対に加え、力強く切り払い、

釘の棍棒は一回転するようにベルテの手元へ戻った。


そして程無く、互いに着地した。

双方の"最初"の動作はここで途切れる。

キーリアはそんな戦いを陰から見守っていたが

素人には何が何だかさっぱりわからなかった。


仕切り直しと言わんばかりに、ベルテは

さっきのノエンの防御によって弾き飛ばされた

鉄製の棒を拾い、背中のバッグに入れて釘の棍棒を左手に持ち直した。

二人は着地位置から、互いの様子を探るように上下に分かれ、攻撃の機会を窺った。


早くも動いたのはやはりベルテだ。

攻撃手段が乏しいノエンと違ってベルテは底が知れない。

ノエンに緊張が走る。だが、不思議と高揚感に似た妙な集中力があった。


ベルテはバッグに収納したはずの鉄製の棒を再び取って、

右手でそれを抛射(ほうしゃ)した。

狙いはノエンかと思われたが、飛んでいった先は何もない空間。

そうして棒が到達したのは、何の変哲も無い樹木だった。

投擲を誤ったか、そうも考えられたが反対側にこれと同じ場景があった。


始めに投げた別の鉄製の棒だ。

左端と右端の立ち木に刺さった棒を比較すれば、直線が浮かび上がる。

まるで計算されたかのようにこのスペースの両端の木に鉄の棒が突き刺さっていたのだ。


奇怪な様子だったが、これの意味するところは判然としない。

しかし、一見 無意味と思われるこの行動こそ

ノエンを絶体絶命な危地に追いやる一手だった。



―――【釐毫(りごう)冀望(きぼう)


森の中、後城に対峙してウィザーとサワードは互いに未だ距離を保ったまま

冷たい風と共に静かな緊張が流れる。


「直接協力するわけにはいかないが、俺の管轄内なら黙認する。

 それに、俺を殺した方が他の奴等が勢い付くかもしれんぞ」

公官の身分でありながら、後城は有ろう事か事件の看過を交換条件に出したのだ。

下手をすれば、間接的な幇助になりかねないが

自分の命を天秤に賭けているのだから譲歩せねばなるまい。


勿体振って尊大な態度を取った割には普通の答えだったが

後城の言い分を傾聴するウィザーは意外にもあっさりと受け入れたようだった。

「……確かにな。それも一理ある。」


「ウィザー!?」

サワードは考えるまでも無く拒否すると思っていたウィザーの受け答えに動揺する。


「だが、君がいずれ脅威になるのはわかっている。

 君はそういう男だ、後城俊次。」

一度は肯定したかに見えたウィザーは

後城を見透かすような言い様で聞き入れなかった。


「……俺の何を知っている…?」

自分の経歴だけでなく、全知であるかのようなウィザーの発言に、

後城は言い知れぬ不気味さを感じた。


「我々は事前に調査するタイプでね。」


「俺のあらゆる情報もご承知というわけだ。」

皮肉を込めて言った。


さっきまでとは打って変わって、敵意を剥き出しにするウィザー。

「ともあれ、交渉決裂だ。」

ウィザーの合図を契機にサワードが前進してライフルの照準を後城に合わせた。


形状からいって、自動小銃の類であろうそのライフルは、

明らかに後城のM97Sを凌駕する性能だ。

何故なら、銃口や照準器、銃把に至るまで念入りにカスタマイズされているからだ。

まともに遣り合っても後城に勝ち目はないだろう。


だが後城にはまだ、ショットガンのVDI338Mと

スタングレネードのような性質を持つDCS82がある。

といっても、現時 手元にあるのは拳銃のみ。

相手の銃火より手早く背嚢のVDI338Mを取り出して構えるには無理がある。

DCS82もその特殊性から、単体では使えない。

加えて、後城が射撃技能に長けていないことも敗北を決定付けていた。


「俺はまだ死ねないんでな!」

苦し紛れか、拳銃を発砲する後城。


自棄になったと思うほどその射撃精度は甘く、

一撃で仕留めようと最適な射撃ポジションに走り込むサワードのかなり手前に着弾した。

「貴様の下手な射撃で当たるものか!」


後城の射撃性能も知り得ているようで、

射撃の失敗に嘲るサワードは

照準越しに後城を狙って、今まさに引き金を引こうとしていた。


それを遠目に不動だったウィザーは、後城の

意図的な何かを感じ取ってサワードを戒めた。

「迂闊だぞサワード!」


「何っ!?」

だが既に遅く、 後城の計略に掛かったサワードに、地中から衝撃が炸裂した。

痺れる様な鈍い閃光が迸れば、五感は消滅し、緩やかな失神へと誘われる。

地面に埋没していたDCS82が爆発したのだ。


内部の元素を分け隔つ構造のDCS82には二つの性質があり、

単数の刺激によって起爆した場合、主に爆発時の閃光で

既製のスタングレネードとほぼ同じ失調効果を発揮するが

複数の刺激による起爆であれば燃焼しない為、発光はなく連続した衝撃波が発生する。

非常に複雑な仕組みの為、これらを使い分けるには繊細な注意が要る。


今回においては、予め

拳銃の銃弾一発でも爆発する細工を施したDCS82を数箇所に埋めておき、

その近辺へ相手を誘導した後、

多少着弾がずれても銃弾が地面に衝突した余波で

適当な所に設置しておいた手頃な小石をDCS82にぶつければ起爆はできる。


さらに、相手との距離の誤差をカバーするべく

爆発の効果が延長するように支燃性の気体を通した長細いチューブが

逆様の導火線の役割を果たし、有効範囲を拡大させた。


こうして倒れたサワードを、中間に

ウィザーと後城は動かずして向かい合った。


「そちらの相棒は戦闘不能のようだ…。さて、どうする?」

そう挑発する後城は、安堵した。

成功するかどうかわからない策でどうにか一人撃破したのだから。


後城は釘の山を見たときから、警戒してこのような備えをしていた。

思索に耽ってこの地を踏査していたのも罠を仕掛けるためだった。


「……。少しずつ移動していたのもこの為か。

 やはり侮れないな、君は。」

ウィザーは賞賛する。


極めて不利だと思われた状況の中、ウィザーの警戒心すら出し抜いて

後城は自然な足運びで見事にサワードを誘導したのだ。


「正直、上手くいくとは思ってなかったがな。

 後はお前さん一人だが……

 ここはお互いのためだ。退いてはくれないか」


残りのトラップは2箇所ある。十分、勝機はあったが

この時点で、ウィザーを誘導するのは不可能に近いだろう。

またも、交渉を持ち掛ける後城はウィザーに同じ手が通用するとは思えなかった。


「……ベルテが戻らないということは、そうした方が良さそうだ。

 君の始末はいずれ付ける、 また会おう後城俊次」

いつもなら、既にベルテがここへ戻っているはずだった。

ベルテが打倒されたとは考えにくいが、苦戦しているのは確かだろう。

形勢を見て、不十分だと判断したウィザーは素直に引き下がった。


「…二度と御免だね。」

森の中へ立ち去って行くウィザーの姿を確認して、

後城は溜息混じりに呟いた。



同じ頃、

後城たちのいた場所から遠く離れて、森の出口間際の大きく広がった林間に

ノエンと 離れた所に隠れるキーリア

そして、不可解な行動を取ったベルテが対立している。


ベルテが棍棒を地面に突き立て、両の手の平を合わせると

左右の木に刺さった棒と棒を線で結んだ直線上に

突如として、空から無数の釘が降り注いだ。


雨のように降ってきた釘はどういうわけか、上を向き

尖った部分を連ならせて境界線を作り上げた。


これだけならば、忍者が使う撒菱を連想させるだけで大したことはなさそうだが

ノエンはそれが単純な釘の一線ではないと感じていた。


「コれでおれの領域になった……始末を付けル。」

ベルテは威圧的な容貌でノエンにこの戦いの決着を宣言した。

結界によって勝利が確実なものとなったのだ。


暴力的な見た目に反して、繊細な結界を扱うベルテは

殺し屋稼業を始める前は最も使徒に近い修道士といわれていた腕前だ。

現在は独自のアレンジを加えた極めて異質な結界を使うが

その効力は師範クラスの方術にも劣らない。


「………」

ノエンは手を拱いた。自分から攻撃する機を逸している。

ここまでノエンが防戦に徹しているのも決定的な攻撃が欠如していたからだ。


この上、ノエンの前には釘が並び、ベルテに接近しようにもできない。

釘が地面に列するだけの風景はやはり只事ではない。

それは、ノエンの次の行動で証明された。


このまま何もしないでいても状況は好転しない。

ノエンは意を決して、ベルテへ向かっていった。

その場に落ちていた木の枝を幹の小片で括り付けた短剣を突き出し、突進する。


枝の先が、境界線を越えたそのとき、

見えない糸が張り巡らされていたかのように、枝が縦断された。

ノエンはそこで急ブレーキして、立ち止まる。

無策で突っ込んでいれば八つ裂きになっていただろう。


上向く釘の空中には、何も見えないが 障壁がある。

それは抜き身の刃のように静止した荊棘(けいきょく)

そこを通るものを切り裂き、領域を寸断する不可視の障壁。


だがこれでは、ベルテ側からも手出しできないはず。

如何様にノエンを始末するというのか。

しかし、そんな考えは安易だったとノエンは思い知らされる。


ベルテは突き立てていた釘の棍棒から一本ずつ釘を引き出し、

計八本手に乗せた。それから、一本 また一本と時間を置いて投げた。

手裏剣の如く旋回しながら境界線に差し掛かる、次の一瞬

一つ目の釘は裂けたかと見えれば破片が分裂して飛び散り

二つ目の釘は巨大化してノエンを襲った。


ノエンは短剣を上下左右に振って角度を変え、釘の破片を打ち返すと

打ち返した破片で巨大化した釘の勢いを弱めて

間近に迫ったそれを短剣の面で下へと叩き付けた。


此方側からは無力化される釘の結界だが、ベルテの側からは自在に

攻撃を強化する"フィルター"の役割を果たす。


それでも単調な攻撃なら、ノエンは対処できる。

確固たる始末を行うにはまだ攻撃の手が足りない。


ベルテは残った釘の内、二つを直角に放り上げ、

続け様に三本をまた 正面に投げた。


上空から結界を過って釘は天へと舞い上がる。

したらば、釘は落っこちて結界を生成したときのように降り注ぐ。

ノエンを包囲する形で釘は落下していき、ノエンの足場を侵食する。

だがこの釘は普通と違う。今度は、下向く途轍もなく長い釘だ。


こうして釘の檻に閉じ込められたノエンは

続く三本の釘に、狭い空間で満足に身動きできないまま

何とか防御しようと短剣を前面に向けた。


その三本は結界による強化が見られない釘だったが、

ノエンをあわや致傷させるかという所で、それぞれ別々の方向へ曲折し

果てに木々へと突き刺さる。


三点が逆三角形を模して、ノエンを囲った。

結界の生成時と同じくこの釘にも意味がある。


「ソれは、動けば釘が飛ブ」

ベルテはそう警告した。

釘の列は遮断する効果と術者を強める効果があったが

この結界は攻撃的で、内側にいる対象の動作を感知すると三方から釘が発射される。


ベルテは、残った一本の釘を棍棒の中心に刺すと、

棍棒を持ち上げて、手持ちの鉄片で何やら棍棒に刻みだした。

追い詰めた獲物を前にしての余裕、ではあるまい。

最後の総仕上げとして確実に止めを刺す用意をしているのだ。


これから仕掛けるそんな大技は準備に時間が掛かるらしい。

その間を埋めるため、わざわざ多重に結界を張ってノエンの動きを封じたのだ。


これでは死を待つのと一緒だ。

ノエンは内心少し焦慮したが

今は、呼吸を最小に 微細な動きもしないように気を張るしかない。


こんな場面で、自由が許されているのは遠巻きにいたキーリアだけだった。


{ノエンさんがピンチだよ……!}

何の知識も感性もないキーリアにとって、戦局は計り知れないが

ノエンが劣勢であることは忖度(そんたく)できた。


だが心配したところで、キーリアがベルテに立ち向かえるはずもなく

どうにもできない。


{考えろ…考えるのよ…!}

それでも打開策はないものかと心中で唸りながら黙考していた。

すると、

遠くから戦闘を観察していたキーリアだからこそ、気付けたことがある。


それは、

ベルテの技の基点となっているのが釘の列による結界であるということだ。

あの結界の効力は、発生した時点で永続する隠された性質があった。

釘の列を張ることで他の結界を展開するときなどで本来必要とされる手順を省略でき、

維持も同時に軽易にする。ベルテの望む"狩場"を創造するには欠かせないのだ。


簡単に言ってしまえば、釘の列を崩壊させれば

ノエンを閉じ込めている結界も消失し、三方の結界も機能しなくなる。

忽ち形勢逆転 いや、戦局を振り出しに戻せるはずだ。


しかしどうやって結界を崩壊させるというのか。

キーリアは結界を破壊する方法のヒントを求めて、注意深く眺望していると

気になるものが目に留まった。


ノエンがベルテの攻撃を避けるために、飛ぶ踏み台とした短剣の鞘だ。

放置されていた鞘は、釘の列の一箇所に残留して、結界の構成要素となっていた。


{あれを動かせれば、何とかなるかも…!}


それが本当にノエンを救う結果となるのかわからない。

結界の特質がそうであっても必ず上手くいくとは限らない。

それでも、キーリアは僅かな希望に賭けて動き出した。



ノエンが交戦を開始する数分前のこと。

央都の中央区にある特殊対策機構の本局、"六合ビル"の一間、

大きな会議室では非常招集を受けた代表達が集まっていた。


各々、デスクに並べられた資料の数々と

メインスクリーンに映し出される概要の詳細を見比べながら

本部局長、潟辺修一朗(かたべしゅういちろう)のぞんざいな発表を拝聴する。


「あー、我々対策機構は

 典掌教会の要請により、合同捜査を行うこととなった。」

潟辺局長の語ったことは先のテロルに始まり、マグダレン一派の背教の重事に

特殊対策機構と教会が共同して物事の解決を図る、

特別な協力要請によって合同捜査が行われるという内容だった。

これは異例の体制である。


「諸君等は各班に分かれて探索区域を担当してもらう。

 また、それぞれ一斑に一名の使徒が随行する。」

区分けされたエリアの分布図とそれに付随する仔細の情報を

表示したスクリーンの映像を指し示しながら潟辺局長は尚も、覇気無く喋る。


「捜索対象はマグダレン教派の手勢及び関係者だ。

 詳しくは配布したリストを参照しろー」

最後まで無責任な態度で潟辺局長はスクリーン脇の椅子に腰掛けた。


"辰の徒"の何人かは早くも活動し、マグダレン教派を追跡しているものの

これといった進展もなく 事態を重く見た教皇並びに典掌教会は

今回のような機構との連携を提案したのだろう。


机上の資料から各人が必要なものをピックアップして手に取る。

その中には、遅参した名瀬殿(あらか)の姿もあった。


「…ったく、なんで俺たちが教会の尻拭いをしなきゃなんねぇんだか」

殿(あらか)は資料を投げ打つかのように目を通し、ぼやく。


隣の空席に座ったのは殿(あらか)の後輩に当たる高部久利(たかべひさとし)

殿(あらか)は苦手とする才知のある若者だ。

「これも市民の為ですよ」

そんな殿(あらか)の反感を知ってか知らずか久利はよく絡んでくる。

{コイツが言うとどうも、憎たらしい。}

殿(あらか)は久利を素っ気無く無視して会議室の隅へ椅子を滑らせる。

自分とは正反対で優等生気質の久利を殿(あらか)は全く以て気に食わなかった。


しばらくして、

それぞれ別々の班に分かれて談話が始まったが

特別枠の殿(あらか)は参加せず、疎外されていた。

いや、この場合は自ら輪を外れたというべきだろう。


そこへ、散らばった資料を回収していた数藤巻子が現れた。

「私はB班です。別々ですね」

背凭れにだらしなく寄りかかる殿(あらか)を見下ろし、巻子は微笑んだ。


「なんだ、やけに嬉しそうだな」

そんな表情を見て、殿(あらか)は不思議そうに聞いた。


「あなたのフォローをしなくて済みますから。」


意に反して、突拍子もないことを言う巻子に殿(あらか)はたじろがされる。

「…冗談だろ?」

遠まわしに自分がフォローされるような失態を仕出かしていると諭す弁舌が気に障る。

これは単なる言葉のからかいだと、自ずと聞き返していた。


「いいえ、マジです。」

口ではそう言いつつも、巻子は茶化した様子だ。


まぁこんなことで憤慨する殿(あらか)でもなく、返しに戯けた。

「へっ!顔を見なくてこっちも清々すらぁ!」

憂さを晴らさんばかりに変な調子になる殿(あらか)

何だかんだで心の何処かでは巻子を頼もしく思っていたのかもしれない。


悪態をつく殿(あらか)は小柄な破落戸(ごろつき)を連想させ、

その善悪のギャップに笑みが零れる巻子。

「ホント、ちっちゃいヤンキーみたいですね」


「次 身長に関わること言ったら殺すからな!」

不良呼ばわりされるのは慣れているが、劣等感でもあった

低身長を嘲弄されれば殿(あらか)が剣幕を激しくさせるのは無理もない。


「あ、気にしてたんだ。」


巻子のささやかな呟きを皮切りに、

班別の談合を終えて、再び潟辺局長が仕切り始めた。


「……というわけで、面倒だから後は各自確認してくれ給え。」

と立ち上がって会議の纏めをするかと思った矢先に、

後の事を総員に丸投げして欠伸をしながらスクリーンの表示を消していった。

潟辺のやる気の無さはいつも通りである。


会議を終了する手前で、一人が挙手をした。

高部久利だ。

「…本部局長、一つ質問が」


「何かな?手短に。」


「散々私達を除け者にしてきた教会が、今になって手の平を返すというのは

 聊か虫が良すぎませんか?」

久利の言いたいことは尤もだ。何せ、央都創立以来 互いに助け合う所か

どちらかといえば敵対視していた機構と教会が

今更、急事においては手を組むなどと都合が良すぎる。

しかも警護から何まで主導していたのは教会であり、

機構の介入を遠ざけてきたのも事実である。


「マァ、連中も 猫の手でも借りたいってことだろう。

 何はともあれ、上の決定だ。了承しなさい」

潟辺局長はそれだけ言って、早々に切り上げた。


「はぁ……。」

久利は納得できずにいたが、潟辺局長に念押しされて大人しく引き下がった。


「じゃー以上、解散。

 あ、名瀬課長は残ってくれ」

こうして会議は閉会した。

因みに殿(あらか)の配属されている課は

実質的に殿(あらか)一人であり、課長の肩書きも手続き上の形式だ。


別れ際に巻子はまた、殿(あらか)をからかった。

「おや、名指しですよ。また何かやらかしたんですか?」


「人聞きの悪いこと言うな。どーせ、碌でもねェ小言だろうよ」

殿(あらか)は暴言やその態度で勘違いされやすいが、

仕事は確実にこなす腕利きでもある。この場合、ヘマではなく、

殿(あらか)に対しての内密な呼び出しだろう。


潟辺局長と殿(あらか)を残して、全員が退室すると

対顔して話を切り出した。

「それで、話ってなんだ」


「お前は、相変わらず敬いませんねぇ…」


「そういうアンタも少しは威厳ってのを知った方がいいんじゃねぇのか」

潟辺と殿(あらか)は単なる上司と部下という垣根を越えた間柄だった。

それは殿(あらか)からすればただの腐れ縁であるのと同時に

目を掛けてチャンスを与えてくれる恩人というのも若干含まれ、

局長からすれば面白く、見込みのある人材であり興味深い存在だと認識していた。


「ま、気張る必要もないことだしね。

 …本題に入ろう。名瀬課長は襲撃を受けたと聞いたが本当かね?」

真剣な顔つきで潟辺局長が持ち出したのは

六合ビルへ来る前に殿(あらか)が襲われたことだ。


「ああ。運転手の野郎がな。数藤と協力して捕縛はしたが。」

巻子と殿(あらか)によって南方支部で拘束された犯人の一人は、

設備の整った施設へ移送され、今は取調べを受けている頃だろう。


「うむ。…その襲撃されたという報告が君以外にも届いているのだよ」


「俺以外にも?」

殿(あらか)が襲撃される前に、二人の構成員が襲われた。

一人は息絶え、一人は重傷を負い入院しているらしい。

どちらも幹部クラスの人員で、タイミングは緊急招集によって

ビルへと向かっていた殿(あらか)と同じケースだった。


「ある程度の信頼を置いていた人物が、

 いずれも急変したように突如、銃を向けてきたそうだ。」

殿(あらか)の性格上、

あの運転手の場合は、殿(あらか)が信用していたわけではなかったが

他の襲撃犯は身内の犯行のようだ。


急変といえば、殿(あらか)が襲われる前に別の襲撃者が二人ほどいた。

殿(あらか)を始末したいだけなら、運転中にわざとコースを逸れて

狙撃を当てさせれば済む話だが、それをせずにあの時点までは味方であった。

それが殿(あらか)を油断させる為なのか真意は分からないが

不自然なようにも思える。考えられるとすれば殿(あらか)を狙っていたのは

複数の組織で偶々行動が重なったのかもしれない。


心掛かりがありながらも、殿(あらか)は型破りなことを言う。

「部外の洗脳工作…か?」

自分でも妙なことを口走っているという自覚はあったが殿(あらか)

真っ先にそんなことを思い浮かべた。


「いや、それはないだろう。彼らの意思はしっかりしている。

 だが明らかに意図してタイミングを窺っているな。」

潟辺の言うとおり、襲撃の瞬間が一致しており

殿(あらか)を欺瞞する、仕組まれた計略は

こちら側の情報を熟知している行動のように思えた。


そして、それは最悪を想定させる。

「内通者がいると?」

内応の可能性。情報のリークが確定的であれば必然

そういった疑わしい人物は現出する。

殿(あらか)自身も近頃の情報伝達に不審があった。


「そうだ。そこで、

 その調査を秘密裏にやってもらいたい。」


「俺にスパイの真似事をしろってのか」

厳密には、内探は間諜と違うが

敵と味方を欺く二面性という意味ではスパイ同様の働きをしなくてはならない。

味方に潜む敵に気付かれずに調査をしろというのだから。


「襲撃されて無事だったのは名瀬課長だけだ。

 何処に潜んでいるか分からない以上、お前に頼むしかない。」

実際のところ、殿(あらか)も巻子が参じなければ危うかった。

敵の戦力は未知数で内通者もいるとなれば

襲撃で死傷者が出るのは避けられない事だったのかもしれない。


「それで、俺だけ特別班ってわけか…」

班別に分かれて合同捜査を行う今回の会議で殿(あらか)

仲間外れになっていたのも他のグループではない個別の任務が与えられるからだった。


「お前なら炙り出せるはずだ。」


「わーったよ、やりゃあいいんだろ。」

これなら小言を聞かされる方がマシだったと殿(あらか)は思いつつ

渋って了解した。


「合同捜査よりこちらを優先してくれ」

特別班の殿(あらか)は始めから合同捜査の例外だ。

捜査には参加するが、優先は内探であり捜査は建前なのだ。


「俺に付く使徒ってのは?」

潟辺局長の説明では各班に一名の使徒が教会から派遣されるという。

当然、殿(あらか)にも随行するはずである。


「単独の方が都合がいいだろうから、同伴は無しだ

 と言いたいが 生憎スペシャルな監視者が同行するようだ。」


「監視者だと?」


「使徒の中でも別格、"辰の徒"のノエティアだ。」


"辰の徒"三位にして賢しい方術使いであるノエティアが殿(あらか)に同伴する。

他の班は無名の使徒ばかりだったが殿(あらか)に限って

貴重な戦力である"辰の徒"を寄越すとは

殿(あらか)の優秀さが教会にも知れ渡っているということだろうか。


「そんな大層な奴と組めってのか」

教会を毛嫌いする殿(あらか)でも"辰の徒"の名前くらいは聞き及んでいる。

殿(あらか)にとってはプレッシャーというよりやりづらさが増したというべきか。


「気取られんようにな。」

そして、そんな相手にも隠し通して調査をしろと潟辺局長は無理難題を押し付ける。


「まったく…厄介な事になりそうだぜ。」

殿(あらか)は受難が続くことを予感していた。



再び森の中。

身動きを封じられたノエンを助けるべく、

時間をかけて呪言を刻み続けるベルテの隙を見て、キーリアは走った。


物陰から出て直ちにキーリアを目視するベルテだったが

これといって特に反応もせず、準備を続行した。

外側を迂回して結界に近付くキーリアは、ノエンの目にも入ったが

一切動くことはできない。


なるべく中腰になりながら、キーリアが短剣の鞘のある地点まで最近すると

ベルテの手がピタリと止まった。

キーリアが結界を壊そうとしていることに気付いたのだ。


だが、刻印の儀式は途中で止められないようで

ベルテはキーリアを凝視するだけで、棍棒を彫刻する。


鞘はキーリアの予想通りに釘の線上にあった。

{あったけど、どうすればいいんだろう…}

鞘が既に結界の構成要素となっている以上、普通に触れれば

結界に接触するのと同様に細切れにされてしまうだろう。


苦心した末にキーリアは、ポシェットの中を探し出し、

丸みを帯びた筒状の金属を手に取った。

紛うこと無きそれは、後城の所持していた内の一個を

いつの間にか拝借していたDCS82だ。


{おじさんが何だか言ってたし、これなら…!}

キーリアが思い出したのは、DCS82が衝撃を発生させるという話。

衝撃波によって鞘を動かし結界を崩壊させるというわけだ。

普通に物体を当てて鞘を押すのは結界のせいで無効化されてしまうが

衝撃波ならばたとえ物体が破損しようとも動かせる可能性は大きい。


しかしこの状況で、通常起爆してしまえばフラッシュしても

遠くのベルテに効果はなく、何ら変わりない。無意味に発光するだけだ。

第二の性質である複数刺激による起爆でなくてはいけないが

そんなことは知らないキーリアはそれをそのまま放り込もうというのだ。


博打ではあったが、別の方法を考える余裕はない。

少し距離を置いて、キーリアは目を瞑りながら慎重に、そして大胆に

ピンすら抜かずにDCS82を鞘に向けて放った。


幾許かの空白の後 静けさの中で恐る恐る目を開けるキーリアは

何事もない不変の結界と鞘を見向いて、失敗したのかと失意した。


だが、変化はあった。空気が流動し、ゆらりと動き出す結界の外面。

偶然にも結界の作用が過る物を千々に破砕する見えざる壁の棘だった為か

一度に複数回の刺激となってDCS82は衝撃波を生じさせた。

爆裂すると、局地的な突風のように吹き荒れて震動が起こる。


それによって鞘はぐらつき、結界の外へと弾き出された。

その瞬時に、結界は効力を弱め、三方結界は一時停止する。


「ノエン!」

今こそ好機と、振り向き様に叫び、ノエンに脱出を促すキーリア。


予見していたのかノエンは結界を飛び抜けて走った。

キーリアの横を通って 感謝するような仕種をしてから転がった鞘を拾って

ベルテへと突っ走る。


結界に閉じ込められていた間、すぐに攻勢に転じるべく体力を温存していたのだ。

必ず機運が到来すると希望を信じて。


結界はまだ機能していたが今ならば、ノエンの短剣が一突きし

一点の綻びから釘の列は瓦解した。


結界を難なく壊し、ノエンが突き進む。目標はベルテのみ。

加速して、一気に戦いを決しようと

ノエンがベルテへ肉薄する、直前にベルテは遂に儀式を完了した。


「コれで仕留めル……!!」

釘の棍棒に刻まれた紋様が赤みを帯びて、淡く光る。

オーラとも言うべき微小な煙霧を纏わす棍棒は巨大化したように錯視させる。


速度は増幅し、威力も跳ね上がった棍棒を振り回すベルテの攻撃を

全神経を使って回避するノエン。


空振りでさえ勢いは衰えず、直撃でなくとも死に瀕するような

一撃必殺に値する強力無比な痛打が大地を抉った。


常人ならばそれを目撃しただけで竦む

死のプレッシャーにノエンは怖気づくことはない。

あのとき、エニュオと戦った時の異常な集中力のように

今のノエンはとても沈着して無駄な動作がなかった。


「今度はこっちの番…!」


鞘を片手に短剣を裏返し、棍棒の振り下ろしに合わせて刀身を斜めに立てる。

強化された棍棒が振られる度に発する真空の刃を鞘で防ぎつつ

棍棒の側面をなぞってベルテの指先まで上がった短剣を横から突き刺すように握って

強く小突いて棍棒を撥ね飛ばした。


よろけはしたがベルテは棍棒を離さず、構え直した。

しかしその須臾(しゅゆ)、ベルテはノエンを見失うと

左寄りの死角に敵意を感知し、そちらを向けど

瞳に映るは宙に投げられ浮いた鞘。

即刻、正反対の背後へ棍棒を振るえば突き当たる剣。

ベルテは見ようが、速く 力の籠もった短剣が棍棒を貫く推進力で裂くように衝突する。


体勢を変えて向き直る一寸もないまま、

ベルテの目線の正面にノエンの顔が浮かぶと、ノエンは

空中に投げられていた鞘を片手で掴み、短剣と鞘で棍棒を挟み込んだ。


それはノエンの全力であったがそれだけではない、

儀式の彫刻によって剥き出しになった部分を両側で突き刺し、

繰り出される速度と正確さで並外れたパワーを生み出している。


そして耐え切れずに棍棒が砕けると

貫いた状態を維持して、交差する短剣と鞘を引き戻し

流れるようにベルテの胴体を斬りつけた。


それでも、ベルテはまだ倒れない。

戦意は喪失せず、ベルテがバッグから最後の鉄の棒を手に、

渾身の力でノエンを叩き潰すように大きく振り下ろす。


しかし、勝敗は付いていた。

それがノエンに当たることなく、ベルテは寸前で後ろへ倒れた。


ベルテの外傷は浅いが、与えられたダメージは凄まじかった。

ノエンの最後の一太刀はそれだけでも十分高い威力だったが

更に、ベルテの強化された強力な攻撃を反射して相乗した結果、

生命力のあるベルテを討ち果たすことができた。


だが代償として、力の受け皿となった短剣と鞘には大きな負荷が掛かって、

刀身には亀裂が入り、鞘は先端が欠けてしまった。

戦闘が長引いていればもっと大破していただろう。


走り寄って、キーリアは少し脱力して落ち着くノエンの戦勝を確認する。

「やったの!?」


「うん……」

倒したことに違いないが、今にも起き上がって反撃してきそうな

仰向けのベルテの迫力に気圧されたか、ノエンは討ったという実感があまりなかった。


ノエンを引っ張るキーリアが

しばし休憩しようと、ベルテが投げた通せん坊の木片をベンチ代わりに 座らせる。

「ちょっと休んでから行こうよ!」

ノエンは体力はまだあったが、心身は疲れていた。

キーリアは屈託の無い笑みでノエンを励ます。


数分後には、森の奥地から姿を出した後城がやってきて合流した。

「おーい!」


後城の声に反応してキーリアは元気良く振り返った。

「あ、おじさん!」


「お嬢ちゃん達も無事だったか。」

後城は視界の隅で倒れたベルテを見やり、激戦が繰り広げられたことを悟ると

深くは追究せずに 素直に二人が無事であることに安堵した。


「そっちこそ!」

キーリアはこれでも、後城のことを心配していた。

キーリアの見立てであっても二対一で残された後城の劣勢は確実だったからだ。


「まぁな、なんとか追っ払ったよ。

 さて、こんな所に居ても何だしな。出口はもうすぐだ、行けるか?」

思わぬ妨害が入ったが、歩いて数分後には森を抜けられる。

後城はノエンを気遣いながら木片を跨いだ。


「はい…」


「…それじゃ、しゅっぱーつ!」

キーリアが奮って、ノエンの手を取った。

そうして、立ち上がったノエンが先頭を行く後城に後続して、進み始める。

その先に待つであろう"騎士"を捕まえるために。



―――【奇禍の予兆】


時を同じくして、後城に"他"のシャムロック・シャルトリューズの逮捕を

託された臣月一太郎と雨月宗司は隊員を連れて

地図上の印の通り、虱潰しにあたっていた。


まずは、地下駅舎に潜伏する犯人からだ。

廃線となった線路を渡って地下の鉄路を歩む。

トンネルとしての利用が盛んになる以前は、

多くの地下道が採掘資源を運び出す鉱坑であり、その名残が今もある。

暗がりを照らす淡い照明灯を吊るす天井には露出した電線が延び、

地上から供給される電力を伝わせる。


後城が印した地図を片手に、雨月が折り返し地点の駅舎を過ぎた頃、

今になってこの強行に至って情報不足を痛感していた。

「臣月、後城は何か言ってなかったのか?」


それを、隣の一太郎は携帯端末で地下構造の情報を閲覧しつつ答える。

「いえ何も。ただ考えていることは大体分かりますよ。

 この通り魔事件が単なる突発的な事件じゃないってことがね」


「それはどういう意味だ?」


「計画的な犯行には必ず裏がある。そして、

 大それたことを為そうとするほど背後に巨大な支援者がいる。」


「以前、後城が言っていた言葉だな。」


一太郎の引用は、過去に後城が公官となって日が浅く、発生した密輸事件で

関わっていた犯罪シンジケートを特定した時に言った台詞だ。

その時も、今回と同様に複数の犯人を後城の立案によって犯行を阻止した。


「はい。考えてみてもこの時期に同時多発的に、

 しかも同じ条件下で事件が起こるなんて偶然とは思えません。」


「そうだな。アイツの思い通りなら

 問題はその黒幕か。」


「そうですね…。ここからは僕の憶測もあるんですが、

 関係しているとすれば あの男、かと」

後城が行きついた最終目標と同じく、一太郎や雨月は

黒幕を問題視した。何らかの膳立てが無ければ

複数の通り魔が連動するのは困難だろう。第三の手引きがあるのは確実的だ。

そして、元凶である黒幕に、一太郎は心当たりがあった。


「あの男?」


「雨月さんも聞いたことあるでしょう。

 西方で名高い国際的なテロリスト……」


「…ジルヴェス・デイクロア……か。」

西方諸国の人間ならば、その名を知らぬ者はいない。

名前と元教会関係者ということ以外は一切不明で

国際的に指名手配されているものの自発して事件を引き起こすことはない。

主にテロなどに助力し、各地で火種を撒く危険人物だ。


「ええ。謎も多く、自らは進んで表舞台に立たない奴ですが、

 何かと事件に関与して陰ながら犯罪に協力していることが多い。」


「確かに奴ほどの人物なら簡捷に手筈を整えられるだろうな。」

実際、近年発生したテロ行為などの背景には、

ジルヴェスの名が挙がることも多い。真に恐るべきは

圧倒的な財源や情報力だけでなく、事件に関与しても自分の情報は

謎に包まれており、テロルを煽動する人間性ということだ。


「しかし、奴が関係しているとしても

 何故、影響力の弱い通り魔集団に協力するんだ?」

雨月が不思議がるように、通り魔などという個人的な欲求を満たす目的の

犯罪者たちに支援しても意味はない。犯罪の協力者としてならば、

たとえば"淡紅の灰"といったテロリストに協力するのが普通だ。


「それは分かりませんが、僕は後城さんが追った通り魔が気掛かりですね。」


「そいつが諸悪の根源だとでも?」


「同じ格好をしているのは、あの男が関わるのとは別に

 先導する者として指揮者がいた気がするんです。」


「それがあの騎士か。」


他の犯人像は掴めてないが、確かに

あのシャムロック・シャルトリューズは異質だった。

存在自体が明確に、意思を伴って

単純に、人を無作為に傷つける通り魔ではない 大きな目的があると思わされた。


「確証はありませんが。」


一太郎と雨月が話し込んでいると、

先行していた隊員の一人が雨月を呼んだ。

「隊長、地図に載っていない坑道を発見しました!」


「そうか… 印の方向とも合致する。

 この奥に犯人がいると見て、間違いないな」

地下の構図ではこの地点に、分岐する道はない。

しかし、その地図上に存在しない道の先に印があるということは

隊員の発見した坑道の奥に潜伏する通り魔がいるはずだ。


後城は地下の構造に詳しいわけではなかったが、

潜伏先の方角は推定していた。


実際正確な地図でもなく、地下を熟知した隊員の道案内がなければ

ここまで迷わずに来れなかったかもしれない。


「残りの通り魔、一体どんな奴なんでしょう…」

ウォールフォート方面の犯人は既に一報して、国境の警備隊に任せてある。

この先の犯人と、ミッドウェイに隠れる犯人の二人を捕まえれば今回の騒動は片付く。


「凶悪犯かもしれん…臣月は後ろに付け。先陣は俺が切る」

戦いを好まず、得意としない一太郎を隊列の一番後ろに下がらせ、

雨月が先立って隊を率いた。


「…頼みます。」


「よし、行くぞ。」

制圧用の特殊な銃弾を込めたM97S-SAを手に、坑道を行く雨月。


M97S-SAはM97Sの強化改造バージョンであり、

装填口径は通常のよりさらに限定されるが拳銃としての性能は随一で

その扱いやすさは高く評価されている。

普通は特殊対策機構の中でも幹部クラスの人間にしか支給されないが

雨月のような一部の警備隊長も所持を認められている。


地下鉄道を開拓する際に、工事の為の資材を運搬する為に確保された

横穴は非常に狭く、一列になるしかない。

暗い坑道内を先頭の雨月が携帯電灯で照らしながら、進むと

向かいの駅舎が薄らと見える距離の間に空洞が広がっていた。


空洞の幅はそれほどないが縦に長く続いているようだ。

恐らく、他の抜け穴と繋がっているのだろう。

照明は所々に一個ずつ点灯し、全体は仄かに明るいものの、

やはり電灯で照らさなければ視認し難い。


此処こそ、印の付いた場所。

通り魔はこの空間の何処かに潜んでいる。


雨月は周囲を見渡しながら、宣告する。

「…ここに隠れていることは分かっている!

 大人しく投降しろ!」


「静かですね……」

隊列の後ろで一太郎は呟く。

気配はするが、物音一つしない。


「やはりすぐには出てこんか。

 作戦通りにいくぞ、各員散開しろ。」


雨月の指示で、隊員が散らばって展開すると、

間も無く雨月の正面からのっそりと大きな鎧が姿を見せた。


「………」

無言の巨人はゆらゆらと慣れない足取りで鈍く近付いてくる。


「現れたな……。」

雨月は待ちわびた獲物の登場に高揚する。


「微妙に見た目が違いますね」

一太郎の指摘通り、あの"シャムロック・シャルトリューズ"の鎧とは少し意匠が異なる。

細かなデザインが粗く、表面の金属も淡い。


「我々と一緒に来てもらおうか」


雨月の説得に耳を貸さず、鎧の男は一刻立ち止まり

どこかに隠し持っていた幅広の西洋剣を握る。

「……!」

鎧の男は見た目通りの重量感でこちらへ向かって走った。


「隊長!」

迫る巨人に圧されて、広がって包囲していた隊員が雨月を呼ぶ。

攻撃の許可を求めたのだ。


「発砲を許可する!」


隊員たちは徹甲弾を装填したM97Sで一斉に射撃した。


しかし全ての弾丸は鎧を貫通せず、傷一つ付けることなくその場に転がる。


「なっ…!」

鎧の異常な頑丈さに隊員たちは一驚する。


「後城さんの見立て通り、彼らの鎧は共通しているようですね。」

一太郎は冷静にそう分析した。

報告にもあったように、鎧は外観以上に丈夫で

シャムロックと対面した後城は忠告として

一太郎に渡した手紙に鎧の堅牢さを追記していた。


それには雨月も同意見だった。

「砲弾さえも防ぐ装甲か。だが、捕まえるだけならば障害にはならん」


「古典的ですが"お縄"といった所ですかね」


「そのまんまの意味で、な。」

無敵の鎧であっても、それを踏まえた上で雨月たちは策を用意していた。

鎧の破壊や無効化ができなくとも犯人を捕らえるのならばさほど難しくはない。

ロープなどを使って動きを押さえればいいのだ。


「各員、包囲して待機しろ」

雨月は隊員達に令して、鎧の男との間合いを計る。


「了解!」

隊員達は鎧の男を取り囲むように動き、徐々に包囲網を狭めていく。


頃合いを見て、雨月は指示を送る。

「よし、構え!」

雨月の一声で隊員達は背中に折り畳まれて携行していた

ロケットランチャーのような射出機を素早く組み立てると

肩で支えるように構え、片膝を立てて雨月の合図を待つ。


鎧の男は立ち止まり、警戒しているような感じだったが

雨月はM97S-SAを構え、兜の端を狙って撃った。

その銃撃によって吹っ飛ばされる兜、そして

すかさず号令を掛ける。

「今だ!トイルネット射出!」


男を包囲した隊員達はランチャーから白くて細長い糸状の網を撃ち放つ。

斜め上に向けた射角で同時に発射されたトイルネットは折り重なって

男の全身を包み込むと、筋交いに絡まって男の動きを完全に封じた。


兜の取れた男は素顔を露呈して、愕然とした。

「な、なんだぁ!?」


状況を把握できていない男は、唯一動かすことのできる首を左右に振って

キョロキョロ辺りを見回しながら粗暴な口調で言明した。

「……なんなんだ?オメェらは!」


この状況で この横柄な物腰とは勇ましいヤツだが、

雨月と一太郎はその態度と顔に覚えがあった。

「…貴様は確か、後城がしょっぴいたっていう悪態な客だな」


「厳重注意だけに留まって、その後すぐに釈放されたんですが

 まさか通り魔の一人だったなんて……」

一太郎も予想外の犯人は、コルカノの市場で店主を恐喝して

安値で取引したあの小悪な悪漢だった。

鎧のイメージが強すぎて、兜が取れなければ全然分からなかっただろう。


「後城の言うように、些事であれ前科があるなら罪を繰り返すものだ。」

如何に小物の悪党であろうと今回のような事件で見過ごすわけにはいかない。

何故通り魔の騎士に扮したかは不明だが悪事は消えぬ。

そんな悪意の連鎖が犯罪者の循環でもあると後城は語っていた。


状況をイマイチ理解できない男は暴れている。

「おいっ、離せよ!このっ」

どんなに暴れてもトイルネットは男を封じ込んでいる。

このネットの利点は力を吸収する素材で、柔靭であることだ。

普通のロープなどであれば、最悪 上手くして自害する可能性があるが

トイルネットでは自殺することもできない。


捕縛用のトイルネットはランチャーで発射する特殊擲弾で、非致死性兵器である。

幾重にも纏まったワイヤーを拡散して巻き付かせ、対象の動きを封じる。

ワイヤーは細いながらも強固で、解けることはない。

武装鎮圧の際の拘束手段として用いられるが、

捕獲という性質上、実戦で活躍する場面はそうない。


「無駄な抵抗はよせ。……さ、移送の準備をするぞ」

雨月は男に言い聞かせて、隊員達を集合させ連行の準備を始めた。


「……それにしても、急に喋りだしたな。」

兜があったときは終始無言だった男が、取れた途端

別人に豹変したかのように言葉を発し始めたことが気になった雨月。


「あの兜が声を遮断していたみたいですね。

 後城さんが追って行った騎士は発言していたようですし

 明らかに違いがあります。」

あの"シャムロック"との異なる点はこんな所にもあった。

自由に発言できない者とすべてが異質な騎士。

主従の関係があるならば、あの"シャムロック"が主、リーダー格となるだろう。

そして、この小悪党の態度から察するに、洗脳とも言うべき

制御をされている可能性が高かった。が、一太郎はそんなことを

思いつつ敢えてここでは雨月に相談しなかった。


「そうだな…。ともあれ、コイツをしょっ引いていかないとな。

 戻ったら次の場所に向かわんといかんし 急ぐぞ!」


すぐにでも坑道を出て、署に戻ろうとする雨月。


しかし、一太郎の持つ携帯電話に連絡が入った。

「あ、ちょっと待って下さい。

 外部からの通信です。」

そうして、一太郎が取り出したるは警備隊用の携帯通信機だ。

私用の物もあるが、真面目な一太郎が調査に持ち歩くはずもなく、

コルカノの業務回線を通じて連絡が繋がる。


電話から聞こえるのは軽薄な声色。

『あ~、ども。対策機構の和辺(わべ)です。

 ちょこっと報告がてらに路上で不審人物捕らえたんで、

 一番近場のコルカノに引き渡したいんですけど』

機構の人間だという通話相手は、軽はずみにそう告げた。


相手は面識のない人物だったが、不穏なワードに一太郎は聞く耳を持った。

「不審人物?」


『あー、なんか鎧っぽいの着た変人?』

変人というと語弊があるが、鎧のイメージから連想するに

今回の事件で騎士を模した通り魔の一人だと推測できる。


「それって、もう一人の通り魔じゃあ…」

連絡がウォールフォートからではないとすると、

残りはミッドウェイに隠れているはずの最後の通り魔だ。


一太郎は悪戯電話かと考えたが、この通信を使えるということは

正式な関係者であることは確かなのだろう。だが、

仮に対策機構の人間だとしても、余りにも軽すぎる調子に信用し切れなかった。


『通り魔?まぁ、なんかわからないけど

 とりあえずそっちに行くんでよろしくー』

直後に切れる通話。最後まで一方的な電話だった。

相手は疑問符があるような言い方で、事件に関しては存知ではないようだ。


「あ、ちょっと!」

一太郎は何故捕まえられたのかなど 聞きたいことがあったが、

通信は終了していた。


連絡が終わったと判断して、横から雨月が一太郎に話し掛ける。

「どうした?誰からだ」


「それが…特殊対策機構の和辺とか言う人が

 …最後の犯人を捕まえたと。」


「機構の人間が? なぜ、ここまで…」

突然の電話に、相手が特殊対策機構の者であれ、

どうしてミッドウェイにいるのか、

どうして犯人を捕まえたのか、雨月も一太郎と同じく疑問だった。


和辺道徳(わべみちのり)

機構に配属されて一年にも満たないが早くもエージェントに抜擢され、

ゲリラ的な制圧作戦を得意とする期待の新人。

雨月は警備隊であるが、その筋の情報に目ざとく、名前だけは知っていた。


しかし、機構の人間である彼が

教会と大規模連携作戦が開始されるこの現況で

ミッドウェイにいたのは不思議だ。


「報告があるとか言ってましたが…とにかく、急いで戻りましょう。」


「ああ。…その男を連行しろ!」

隊員を急かして、雨月は大人しくなった通り魔の男を引き連れて、道を引き返す。


機構の関係者にしても、自分達が居ない間に

他人に 署内を勝手に詮索されては困る。

早々に地下から抜け出て、署へと戻っていった。



数分後のコルカノ署内では、

拘束した通り魔を地下室に作られた牢屋に収監していた。


作業を終えた隊員が戻って来て、雨月に報告する。

「隊長、犯人の留置 完了しました!」


「ご苦労。…俺達の仕事は終わったな。」

雨月は感慨深く呟く。


一足先に着いていた和辺は電話の通りに

ミッドウェイで潜伏していた通り魔を連れてコルカノの署を訪れた。

コルカノに居残っていた隊員が引き渡しを受諾し、通り魔が牢屋送りとなったそのすぐ後に

雨月たちは帰り着き、一足先に署へ戻った一太郎と鉢合わせとなったが

ひとまず一太郎が応対すると、談話室に案内した。

雨月は犯人の留置を優先し、地下室へ続く階段の前で待機した。


収監を雨月に報告し、手続きをしていた隊員は少し間を置いて

話を切り出した。

「それと、今し方 犯人確保の報せが届きました。」

ウォールフォートの警備部隊からの連絡で、

その近隣にいた通り魔を無事、逮捕したらしい。

あちらは、雨月達と違って、自分達から動いたわけではなかったが

偶然にも犯人がウォールフォートの門前を通行したとき、

強化された警備に見つかって御用となった。

時間にして、雨月達が通り魔を確保した瞬間とほぼ同時刻のことである。


「そうか…これで後城が目を付けた通り魔は全員捕まったわけか。

 ……機構の者だという奴はどうした?」

雨月は一太郎と入れ違いであった為、

和辺がこの署内に居るのは分かっていたが、行方は知らずだ。


「談話室で臣月さんが相手してますよ。」

隊員が教え、雨月は確認を済ませると部屋へと向かった。


談話室。ラウンジや休憩室とは名ばかりの質朴な

所謂、応接間である。

コルカノ警備隊の詰め所でもある公署はコルカノにある建物の中では

比較的大きく、設備も整っている。

これは、ミッドウェイの橋渡し的役割を担う立地と

周辺環境の狭間にあるコルカノが要地と見られていることに一因する。


その署内の一室の、談話室は飾り気こそ無いがゆったりと

談合できる広々としたスペースが保たれている。


しかし、悠長に話し合う雰囲気など無く、

一太郎は得体の知れない和辺を相手に、気が抜けなかった。

「ご協力ありがとうございました。」

一太郎は入室してすぐに、遠慮なく座った和辺にお辞儀をする。

何であれ、この男のおかげで犯人を逮捕できたのだからお礼もしよう。


反対に、和辺は至って気さくに飄々とした趣で寛いだ。

「いやいいって、変な鎧の男が突っ立ってて邪魔だったから

 ついでに捕まえただけだし。」


そんな和辺を一太郎は疑った。

「……失礼ですが、あなたは本当に対策機構の人なんですか?」

一太郎も元対策機構であるからか、違和感を感じる。

当時の同僚とかの印象とは掛け離れていたのだ。

強いて言えば後城も同類ではあったが、

これほど露骨に不真面目さを感じさせられる人柄ではない。


「よく言われますよ。機構はお堅いイメージがあるからね、

 一応こういうのもあるさ。」

和辺が差し出したのは、名刺だ。


名刺にはシンボルである機構のマークと、

和辺道徳の名前がイタリック体の文字で印刷された下に、

"Special Agent"の英字が小さく見えた。


「……特別諜報員?」

直訳すると一太郎の言う意味になる。


「その儘の意味だよ。エージェントっての?

 特命を受けて、あちこち廻ってるのさ。人使い荒くてねー」

特殊対策機構内部の位置付けでも特異な諜報員は

各国が情報を探り合う現代において、重宝されている。

だが、その特殊性から誰でもなれるわけでもなく

後進の育成にはどこも手を焼いている。

故に、たとえ新米だとしても過分に重用されるのだ。

因みに数藤巻子のような支部に配属されている諜報員は

支部の任務が優先されるので実質的に諜報活動はそれ以外の

フリーランサーに委ねられる。


「…では通り魔の件もエージェントの仕事で?」


「いいや、さっきも言ったがありゃあ気まぐれみたいなもんだ。

 通り魔なんて知らないしな。…喩えるなら道端のゴミを清掃したって感じかなぁ。」

一太郎の質問に、和辺は軽々しく答えた。


雨月達が捕まえたあの通り魔は西洋剣は脅威だったが、他は際立ってはいない。

高速で動くことのできる"シャムロック"と違って他のシャムロックは

鎧が堅いだけで、動作は相応に鈍い。

結局、鎧が優れているだけで着用者は平凡なのだ。

と、ミッドウェイの通り魔も同様であると仮定すれば

無力化すること自体は難しくないのかもしれない。


「それにしても、捕縛した様子はありませんでしたがどうやって…」

一太郎が思うように、

和辺が連れてきた犯人は、鎧が破損した形跡も無ければ

トイルネットのような相手を繋縛する道具を使ったわけでもない。

一体どうやって無力化して、連行できたのだろうか。


「んー、まぁ、確かに鎧は超硬かったけど

 その内は脆いってね。軽く気絶させたら後は引き摺って来たわけよ」


鎧の内側からの攻略手段。それは、

およそ、後城がDCS82でやろうとしていたことに近い。

その仕方は言うまいが、和辺は淡々と述べた。


「そんな簡単に…」

エージェントの処方なんて知らない一太郎だが、

和辺は一貫してあっさりしていた。


「んで、コルカノに寄ったのも近場ってこともあるんだけど

 もう一つ目的があってね……」


ようやく本来の題目を報じようとしたその時、

談話室へ入った雨月が和辺の言わんとしている事を改めて聞き返した。

「…それで、お前はどんな目的でここに来たんだ。」


口伝よりも見た方が早いと、和辺は懐から束ねられた紙を提示する。

何かの資料のようだ。

「これですよ、コレ。

 各警備組織にも通達しろってことでね、何処も人手足らずで

 コキ使われてますよまったく。」

そんな愚痴を零しながら和辺は表紙を捲り、

資料は雨月の手に渡った。


「なになに……?

 合同捜査に伴う央都防衛の任命書だって?!」

見出しに書かれた文章を読んで、雨月は即座に理解した。


「捜査で空いた防衛力を埋める為に、僕らを配備するってことですか」

資料を横から覗き見して一太郎は内容を要約した。


資料には、マグダレン教を追う捜索部隊が大規模に編成され、

それに付随して央都の自衛戦力を補充する為に、各地の警備隊などから

募った人員を防衛戦力として警戒配備する計画であると書かれていた。

言わば、戦力を穴埋めする為の防衛任務の就任を要求する旨が記載されていたのだ。


「ま、そーゆこと。決定権はアンタらにあるけど

 央都を守る気あるなら早めに集合してくれってさ」

欠伸をしながら、和辺は素知らぬ顔をした。

当事ではない和辺にとってはどちらでもいいのだ。


この書面に強制力はないが 実質、央都が被害を受ければ

二次的にコルカノまで波及することは有り得る。

詰まるところ、央都を守ることが"自国"を守ることになる。


「他の都市はお構いなしか…!」

雨月は心の内で憤慨した。

首府として央都は大切だが、自分たちが護る国や都市を蔑ろにすることが

いけ好かない。中央のこれまでのやり方も一国主義に則った

価値観で、雨月はそれが嫌で仕方なかった。


伝えるべきことを伝え、役目を終えた和辺は椅子から立った。

「これは予感だけど、近い内に央都は戦場になるよ。

 あの、西端紛争みたいにね…」


「何だと…!?」

和辺の思い掛けない一言に動揺する雨月。


「そんじゃま、確かに伝えたぞ。」

資料を残して、和辺は談話室から出て行った。


静けさの中、談話室で一太郎は呆気に取られていた。

「西端紛争……。まさか、その言葉を聞くことになるなんて」


一太郎は見聞だけの知識だったが、西端紛争という名前を

戦後に聞くのは久しい。誰もがその言葉を忌避して、

記憶から忘却しようと平生を暮らしていたが

今になってその名称を聞くことになろうとは思っていなかった。


そして、実際に前線で戦い、生き延びた雨月はそれが何を意味するかを

より深く実感していた。

「だが、強ち正しいかもしれんな。

 央都で起きた一連の事件、簡単には終わらんだろう…」

紛争というのは多少大袈裟かもしれないが、

雨月は央都で起こった事件、これから起こるであろう出来事が

結び付いて動乱が瀰漫することを 胸騒ぎと共に予期した。



地下に建てられた白銀の城、"ヘオフォン"。

教会の最大拠点にして教皇の住まう聖庁を繋ぐ聖域でもあるこの場所は

無数の結界で隔たれ、何人たりとも侵入を許さない。


ヘオフォンの内部構造は階層ごとに分けられ、

上層よりも下層のほうが重要度が高い。

最上層には円卓協議の議場が設けられ、その下に

祭祀の式場や教典を管理する書庫、

ヘオフォンを守護する神祇教団の居住区画などがあり、

最下層には長い通路の先に一つの部屋とその奥には大きな扉がある。


"聖者の門"と呼ばれる巨大な扉は、教皇の居る聖庁へと繋がる唯一の道であり、

手前の部屋では神祇教団の長である総大司教、ヴァイナス・ゼフィールが

直々に見張り番をしていた。


聖庁は皇居のようなもので、教皇が生活する住居である以外に

施設としての特徴はない。離れ座敷となっているが聖庁の場所全体は

ヘオフォン内部であり、その廊下も含めてヘオフォンの中に存在する。


"聖者の門"の前にある部屋は、白くて四角いテーブルと白い椅子があって

装飾も無く 広い白色の空間。


そんな中、

お供の神官がテーブルの前を陣取るヴァイナスに話を持ち出す。

「大僧正、こんな事をしている場合ではないのでは……」


ヴァイナスの目の前にあるテーブル、

四角の卓上には透明な盤が置かれ、その上には数個の駒が並ぶ。

西方諸国で流行っている一人用のボードゲームだ。

もう一台接合すれば複数人で遊べるが

醍醐味は想像力を働かせたシミュレートにある。

付属製品も多く、ルールや駒の種類によっては

実戦を想定した高度な軍事戦略を訓練する教材ともなる。

時間の制約が無く、長考することを主体とする為、暇潰しには打って付けだ。


「こんな時だからこそ、暇を持て余すのだよ。

 それと、此方では何だったかな?」

ヴァイナスは駒を動かしながら

想像で繰り広げられる思考の戦いに没頭して、見向きもしない。


そんな普段の光景に、冷淡な返しで応える神官。

「総大司教です、ヴァイナス様。」


「ああ、それだ。修道院で兼任していると忘れがちだな。」

修道院の指導者でもあるヴァイナスは堂奥修道院では大僧正、

教会では総大司教と 二つの称号を持つ。


本当なら総大司教のような高い階位の聖職者は

ミトラのような宝冠を被ったり、豪華な衣装を身に纏うのだが

ヴァイナスは祭儀を執り行うときを除いて、平時では

下級の修道士と何ら変わらないラフな格好を好んでいる。


「娯楽に熱心なのは結構ですが、面会の件 お忘れでは御座いませんね?」

神官は念を押すようにヴァイナスに確認を取る。


ヴァイナスがここに留まっているのも

勿論、教皇の護衛という大役もあるのだが、

今回の場合、呼び寄せたある人物との会談が目当てであった。


「…卿なら一々拝眉するのに承認が必要あるまい。

 ……すでに、居るのだろう?」

ヴァイナスは盤面の駒から手を離し、部屋の隅を注視する。


物陰で何かが動いたと見えれば、

ヴァイナスの前に忽然と、カーディナルが現れた。

「……。」

カーディナルは僅かな時間で

テアトルムからここまでの長途を交通機関を使わずに戻って来ていた。


「卿の活躍で事件は迅速に処理できた。

 向かってもらった甲斐があったというものだ。」

ヴァイナスはカーディナルを称賛した。


事実、カーディナルがテアトルムに出現して、"淡紅の灰"を鎮圧していなければ

マグダレンの背教と重なって、央都に甚大な損失が生じたことだろう。

カーディナルの手際によって事態は急速に落着し、

結果的に後手とはなったが 早期にマグダレン教への対策を講じることができた。


「法王は中に…?」

カーディナルは訊ねる。

"聖者の門"の向こうに敬愛する教皇がいるのだ。


「この扉が一度でも開くことはない。

 教皇は座しておられるのだ。」

ヴァイナスが言うように、"聖者の門"は閉ざされたままだ。

これが開くのは年に数回あるかないかで、教皇は滅多に顔を見せない。


(しか)らば何を望む…?」

カーディナルを呼んだ理由が教皇との謁見でないのなら

何のために、自分を召し寄せたのか、理由を問うた。


「教皇の詔命だ。帰還して、すぐに発ってもらうが…

 卿にも掃討に参加せよと。」


「それは法王の裁断か?」

カーディナルはその立場と人格から、

教皇の判断を仰がなければ実動できない。

命令を聞くとすれば、教皇直下のヴァイナスの指令くらいだ。


「そうだ。場所は南西の国都 アリスタ。

 戦力が集中している……激戦地になるだろう。」


アリスタは、央都から見て南端の堂奥修道院に程近い南西の小国。

古くは、中立都市であったが西端紛争後、西方諸国に加盟している。

西方諸国の連合国ではあるが修道院の傘下でもあり、教会との繋がりも深い。


そんな地に、マグダレン教派の足取りを掴むべく、各地に先遣した使徒の情報では、

異邦人の集団がアリスタ方面へ集まりつつあると報知された。

それが新生マグダレン教派に加わった協力者か定かではないが

いずれにしても注意すべき動向ではある。


そこへ、教皇の勅命を受けた枢機卿を向かわせるとなれば

紛擾は避けれらないだろう。


「承った…」


早くも去ろうとするカーディナルを

制止してヴァイナスが教皇からの仰せを通達する。

「その前に、教皇のお言葉を伝える。」


「………」


「"緋連"も已む無し……だそうだ。」

ヴァイナスが強調する、その単語に 常に自若なカーディナルが少しの反応を見せた。


「…出立する。」

無関心に、カーディナルは言い捨てて

部屋から煙のように姿を消した。


「…ヴァイナス様、今のは……」

神官の疑点、"緋連"という意味深い単語。

それは、強過ぎるが故に教皇が禁じた封印されし枢機卿の力。

その解放の許可を意味するものだ。


「教皇も本腰を入れたようだ……。私も、見てみたいものだな。

 枢機卿のお手並みとやらを…」

カーディナルが力の解放を認可されたということは

教皇が本気になって、マグダレン教派との対決を決断したということだ。


カーディナルの真の力はヴァイナスも、誰も まだ知らない。

ヴァイナスは好奇して、今後のカーディナルの動きを期待した。


戦乱の渦中に枢機の者が生ずる限り、

大火は絶えぬのだから。


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