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   【軌轍(きてつ)幻像(げんぞう)


―存在は認識に内在する 発見したとき、それが始動となる。


 ミスツ・アスティリカがここに記す。

旅の道中、変梃(へんてこ)な何かを見た。

私は、それに動ずることなく足早に立ち去ったが

暗き雑木林の只中でそれが蠢き、確かに存在しているのを確信した。

将来性の危機を感じた私は、ここに、脅威の始まりを記す。



古ぼけた手記が索寞(さくばく)とした浜辺に漂着した祁寒(きかん)の頃、

まだ降雪していない大地は

異様な冷気に包まれ、冬の到来を知覚させる。

(ほとり)の向こうは無辺に続く大海(たいかい)、振り向けば山脈が見える。

その山々を越えれば世界統一主義による一国の一端が窺え、

中央都市を冠する巨大国家の東端に位置する。

俗に"アースリー"と呼ばれる中央都市外縁の一帯は

最近完成したばかりの劇場型多目的施設"テアトルム"が注目され、

観光などの諸事で、以前は寂れていた東側の領域が大いに賑わっていた。


アースリーの地下には無数の路線が敷かれている。

中には公式に把握し切れない不法な軌条もあり、

一部で今では使われていない廃棄された輸送列車が無人で運転して

夜な夜ななにかを運んでいると噂されていた。


階段が形骸と化し、崩落寸前の高層建造物の中層から

(ひび)割れた小窓を覗く少女の姿がある。

雲間の月光が照らす彼女の様相、黒色の外套(がいとう)が暗晦を際立たせ、

背丈は小さく、幼さも垣間見える姿態(したい)だったが

少女の纏う気概が外見以上の潜在を思わせる。


懐中から取り出した時計を見やって時刻を確認すると、

少女は(おもむろ)に上階へ向かった。

半壊した階段を体重をあまり掛けず器用に上り、

時には跳ぶようにして上段へ足を進めると屋上へ到着する。

格子を失ったビルディングの屋上は周囲の建物より一際高く、

(すさ)ぶ風が少女に吹き付ける。

暫く屋上の縁で屈んでいると、風は止み

微かに金属音が響いてきた。


少女はすかさず立ち上がると、下方に目を凝らした。

トンネルの間隙(かんげき)に鉄路が続く、その先の隧道(ずいどう)との間隔は短く

この機を逃せば瞬く間に列車が通過するだろう。

少女が意を決すると、瞬間を見定め勢いをつけて飛び出した。

中空へ跳べば必然的に落下するだけ。少女は姿勢をなるべく維持したまま

上空から望む空間目掛けて墜落する。

すると、無人のトランスポーターが疾駆してきた。

少女は僅かに想定とずれた位置を身を翻して回転すると

高速で横切る列車の貨物車両の上へと着地し、そのまま屋根でうつ伏せる。

この間、数秒の刹那。少しでも無駄な挙動があれば乗り遅れ、

衝突もしくは転落死していただろう。


外套が揺揺と、疾風に(なび)く。

車上の天井に貨物車特有の昇降口がある。

それは本来、積荷を降ろすためのものであって人間が通るような場所ではない。

列車がトンネルを抜けた短時間、少女は狭い昇降口を開き車内へ降り立った。

この車両は通常編成の車両が組み込まれており、内装は至って普通。

座るスペースがあって、乗客が居てもおかしくない。

一部分はこんな客車もあるのだろう。

しかし、少女の目的は移動と、貨車の調査にあった。

事前の情報から中ほどは通常の客車で両端付近に貨物車両があると判明している。

左右のどちらに寄っているかは乗車時点の位置を推測するに、左側。

左端へ向かうのが手っ取り早い。


少女は少し、息を整えて 足早に連結された扉を越え、次々に車両を移っていく。

そして、貨物車を目前にして立ち止まった。

何らかの気配を感知したのだ。


「…」

沈黙し、思慮する少女は首から提げていたケースを取り、

中から切っ先の小さい短剣を(あらわ)にする。それを右手に握りしめ、

静かな足取りで貨物車へ押し入った。


けれど、車内に人影は無く

生物の姿色(ししょく)も見えず。

ただ、暗闇だけが漠然と広がる。

積荷などない、廃棄された車両に如何なる所用があろうか。


殺風景な、点灯すら儘ならない空間に微かな冷気が漂っていた。

少女に纏わりつくソレは、やがて冷ややかな殺意を確信させる。


今、この場には居ない。だが、先刻まで誰かがいた。

そしてその誰かは恐ろしく強烈な殺意を抱いて

今も、この列車のどこかに潜んでいることだろう。


場数を踏んだ経験者なら慎重に、(こと)に同業者がいるかもしれない場所で

自らを感づかせる失態はしまい。が、時にそれすらも超越した玄人となれば

あるいは逆にプレッシャーという牽制を罠のように張り巡らせているのだ。


それほど、少女にとってそこに残留する思念は稠密(ちゅうみつ)なものだった。

後部車両へ移るまで、気配は(おろ)か何の痕跡も見当たらない。

車上や下部に張り付いているわけでもないのなら

残る箇所は、先頭車両の運転室しかないだろう。

 "奴"はそこにいる。


そうして、貨物車を後にする。

駆け足だった、少女は堪らず疾走する。

先客が何をしでかすかわからない以上、これより後手に回るのは危うい。

機関部を掌握しているのなら尚更だ。

いつ列車を急停止されるか、或いは加速されるか

どちらにせよ不測の事態が増えるのは厄介なことだ。


侵入した地点へ引き返し、さらに進み 音もなく、颯爽(さっそう)と疾駆した。

たどり着いた運転室の目前にして、こちらが入室する間もなく

扉が開き、前面の硝子から差し込む朝日が鮮烈に周囲を照らす。


けれど、またも中に人影(じんえい)(あら)ず。

少女が(きびす)を返し探索を継続しようと振り向いた矢先

途端に閃光、火花が飛び散った。


(すんで)の所で反射的に反応した少女が

小さき右手に隠し持った短剣を振り上げていた。

瞬く内に衝突し、刃物がぶつかり合う。

僅かな鉄片(てっぺん)を砕き散らせながら

少女の持つ短剣と、相対(あいたい)するは湾刀と(おぼ)しき長刀。

やや下方へ垂れ下がる得物の所持者へ視線を上げるも

相手は即座に退(しりぞ)き、暗中の車内に下がった。


少女は追わず、ただ相手の出方を待った。

不意とはいえ人の気を感じさせない様子は

まるで亡霊のようだ。

はっきりと判別できないが厚めのクロークは灰色で、フードを目深に被っていた。

何れにせよ同業者であることは間違いない。


少女は次に運転席付近を横目に、着目していた。

何らかの罠が仕掛けられていないか、動作させた痕跡はあるか、

正面に注意を向けつつも運転室を隈なく調べまわった。


それでも何も見当たらず。不審な部分は無い。

明らかに、先んじて運転室を占拠していた相手が、

こちらへ奇襲を仕掛けた得体の知れぬ人物にも関わらず

無策で同乗していたとは考えにくい。


何らかの目的があって今、この無人列車へ乗っているのだ。

少女はその目的に大凡(おおよそ)の見当があった。

それは少女の最終到達地点であり、目的である場所

アースリー市外近郊のテアトルム地下駅舎方面、

つまりはテアトルム劇場の襲撃。

同じ目的地であることを少女は悟っていた。


このタイミングを除いて、普段

警戒が峻厳(しゅんげん)な劇場付近へ侵入するにはありえない。

さらに地下は地上の建物を改築しただけで一考の配慮もされぬ手付かず状態。

警備兵や関係者も地下からの侵入を想定している事態は極めて低い。

そんな無防備な経路を襲撃者が利用しない手立てはない。


先刻の同業者は不可解であるが、少女は襲撃自体が目的ではなかった。

劇場に潜入し、目的の物品を奪取或いは消去が依頼された内容であり、

少女の人格から考えても無闇に殺生したり派手な騒ぎは避けたい所だった。


これ以上の不確定要素は危険因子だ、と判断した少女は

運転室を飛び出し、前進した。

一歩 進む度、先ほど通った車内の通路とは思えぬ晦冥(かいめい)な闇が足取りを鈍らせる。

本来は動いていない列車なのだから必要最低限の電力や装置しか存在しない。

故に普通の車両などと比べれば暗がりであれ、不備であれ、必定(ひつじょう)である。

けれどもこの暗澹(あんたん)(さま)は異常なほど不安を誘引させる。


亡霊のような何者かが通れば 道が死に絶え、枯渇していく絶望の途上。

だが、歩みは止めぬ。確固たる意志が少女の追い風となって足を進ませる。

やがて到着するのは少女が最初に訪れた貨物車。

一本道である列車のここへ至るまで何も現出しない以上、

奴はここにいる。


静かに呼吸を整える刹那の直後、少女は貨物車へ足を踏み入れる。

入った瞬間、今度は上下左右八方から(こいし)のようなものが飛来した。

少女は一方の側面、右手の短剣を一回転させ柄と刃先で(れき)を二つ、

斜め左上からの飛礫(つぶて)を屈んだ姿勢で回避し、

左と左下方向からの射撃を前のめりになって(かわ)す。

その勢いで身を捻り、空中へ跳んだ。急速な的の動きに外れる残りの二つ、

そして上空より迫る最後の一つは黒色の靴の(かかと)によって弾かれ、

射手の元へと吹き飛んだ。


それは、見事に命中した。が相手も反応し、顔面へ当たる寸前で払い除けた。

少女の下に散乱した物体は、よく見れば鉛の弾だ。

それも、硬度の高い銃弾である。しかし、

これらは銃によって撃ち出されたのではない。

人力で、パチンコのような投擲方法を用いたように射的したのだ。


「…影を(ほふ)るのもまた、影か。」

闇の只中で低く静かに響く誰かの声。

少女の眼前にようやく相手が姿を見せる。


相変わらず容姿は見えないが奴の周囲は靄のような薄い霧が覆っていた。

「霧……?」

少女は初めて声を出す。如何にも不思議な現象に見えたからだ。


「…そう、|霧《"ヘイズ"》。それが 俺の名―」

言い終わるより早く奴は動いた。

背中から長めの湾刀を取り出し、躊躇無く切り払った。

少女が上半身を反らし、避けたかに見えたが

片方の手で少女の胴目掛けて素早く貫手(ぬきて)を放つ。

鋭い一撃は鉄をも砕く勢いで少女に突き刺さったが、指の先にあるものは

短剣の刃だった。相手が構えを戻すと双方とも後方転回し間合いを取った。


開いた距離で数秒の沈黙が流れる。

どちらも死に対する関心がない。良くいえば恐れを知らぬ者。

それは決して慢心や諦観から来る覚悟ではなく

生存に執着するからこそ得られる死の超越に他ならない。


少女は逡巡(しゅんじゅん)していた。行動に躊躇いなど微塵も感じさせないが

内心は思慮に耽っていた。予想していたとはいえ相手は手練(てだれ)だ。

時間もあまり割けない状態でこのまま膠着するのは拙い。

少女は決意したように、短剣を腰元のポーチへ仕舞うと安らかに息を吐いた。


対して、ヘイズはその様子を見ても何も感じず

目の前の敵の一挙手一投足に神経を注いだ。

どんな動作をしてもこちらが圧倒するように身構えた。


少女が素手のまま、ヘイズへ向き直ると一直線に相手へ走った。

至近に迫った距離で相対(そうたい)する二人は

互いを睨み合ったまますれ違いを思わせる速度で自らの圏内へ入らせる。

致命的な間合いでも怯まない少女に微かな焦燥を感じたヘイズが口火を切って湾刀を振り下ろす。

その速さとリーチでこの距離感ならば当たらぬことはないだろう。

だが少女は自分から一歩踏み出した。

今まで恐怖に駆られ後退(あとずさ)りするものは大勢いたが

こうまで立ち向かってくる敵に少なからず戸惑うヘイズの攻撃を

薄皮一枚隔てるほどの近くで湾刀の軌道を逃れた。

少女は瞬くこともない。勢いは()がれず

ヘイズはこの距離にして、短剣の柄がポーチから覗いていたことを知る。

それに少女の右手が触れた一瞬の内に振り上げられる。


少女の一閃が、風を裂いた。

いわば居合いである攻撃を受け、たじろぐヘイズは

究極的に研ぎ澄まされた感覚によって致命傷を回避していた。

フードが一撃の突風に煽られ、ヘイズの素顔が露となる。

右の目元を押さえ眼光を放つ彼は、仮面と包帯で顔を覆っていた。

暗殺者は素性を知られてはいけない。たった一度の遅れでも、

敗北者となった彼にとって最後まで貫き通す使命感がヘイズを隠す。


「…この場は譲ろう。やがて来る"解放"の時まで……」

ヘイズはそう言い残すと、辺りに霧が(すだ)き、

見る間に靄で視界がホワイトアウトする。

何処からか吹く疾風が靄を霧散させると、ヘイズは忽然と消えていた。


「…はぁ」

少女は呆れたように嘆息する。

その頃、列車は長い隧道を抜け、明かりのある駅舎へ到着した。


――


雑多に人々が入り混じる広場の喧噪は

装飾で彩られた会場に殷賑(いんしん)な歓声を沸き起こす。

この繁華の原因はテアトルムの一般公開日であるからだ。


劇場型多目的施設―テアトルムは央都外縁に住む民衆にとって

唯一といっていい娯楽空間だ。階層建てで数多くの商業スペースに

商店が並び、遊園も備わっているが何より注目されるのが

円柱状に刳り貫かれたような中心部の浮揚(ふよう)式階層劇場である。

(たと)えるなら静止したエレベーターで、幾つかの小部屋に分けられている。

その中でスクリーンなどを通して劇が楽しめる。

浮揚である点はゆっくりと螺旋を描きながら上昇して、

やがて最上階の展望兼大型劇場フロアへ到達する。

最大の見せ場はその大型劇場による上演でその時々のショーが催される。

時間が遅れても移動途中で劇を中継できる飽きさせない仕組みが

先日の関係者お披露目の段階で既に好評を得ている。


大規模な巨大施設であるテアトルムには多くの要人も訪れ、

移動型住宅で施設に接近しようとする富豪も現れている。

大勢の群れが入り口で開場を今か今かと待ち遠しく賑わう。


それから遠方の地、見晴らしのいい高地から俯瞰する数名がいた。


「…衆愚(しゅうぐ)の集い、見兼ねるものよ……」

一人は天蓋(てんがい)を被った僧侶のような男、

その傍らに片膝を突いた若い女子、

背後には大柄の赤い服の男が立っている。


天蓋の男は遊環(ゆかん)のない錫杖(しゃくじょう)を地面に突き立てると西の方角を一瞥した。

「西方の連中が直に現るだろう。」

赤い大男と女子を残し、天蓋の男が背を向ける。

「………首尾良くやれ。」

そう呟くと、始めからそこにいなかったかのように姿を消した。


女子は立ち上がり、赤い大男に合図をしたかと思えば

眼下の崖を一気に駆け下りた。

目指す先の、テアトルムに向かって 二人の刺客が迫っていた。



地下の駅舎は廃墟同然の寂れた(むな)しい小さなプラットホームだった。

真っ暗闇でないことは、運良く電灯が健在だったのが幸いである。

重く、開かずの扉を無視して少女は

最初に通った入り口―昇降口から駅舎へ飛び降りた。

後は不完全な舗装で固められた煉瓦の階段を上り、地上へ出るだけだ。


そこら中に転がる瓦礫を避けながら階段を目指していた少女のポーチから

唐突に機械音が鳴った。


携帯端末だ。ビープな電子音が連絡の報せをする。

すっかり忘失していた、この機械の存在を。

「…はい。」


『おおノエン!心配したよ、無事だったんだね!』

通話の向こう側からけたたましい嬉々の声が伝わる。

『…邪魔だ、退()け。通話機を独占するでない!』

その向こうで一悶着あると、別の声色が表れた。

うら若き女性の声のようだ。

『あー、私だ。そっちはどうだ』

声は冷淡な裏に優しさを伴う語調で少女に問いかける。


「………着いた」

携帯端末を片手に、少女は地上へ降り立った。

瓦礫が未だ散在して有り余る廃れた街路の遠く、聳える巨大な円形の壁。

あれがアースリーのゲートであり、この世界の中心の出入り口だ。


少女は名をノエン・フェオと呼ばれた。

あらゆる事象に介在し、生存を超越する()なる者。

彼女を知る者は救世主と称える一方で破滅を齎す災厄と揶揄する。

通話相手の一人である霜夜漣(そうやれん)

ノエンの理解者であり、保護者のような存在だった。

近くで喚く研究者、暗条弓弦(あんじょうゆづる)を除いて、

ノエンが信頼するのは漣ただ一人だ。



そうして、ノエンがアースリーへ辿り着いた同時刻、

アースリーの一画に テアトルムに最も近しい小さな教会があった。


この世で教皇が擁する教会の勢力は最大国家である央都全勢力に次いで

強大な組織となっていた。それは、単なる宗教活動だけに留まらず

商人の真似事や、方術(ほうじゅつ)と呼ばれる特異な能力を用いて指導や生活に深く関与したり、

今では民衆の支持だけでいえば央都首脳より秀でているかもしれない。


そんな教会にも幾つかの分担があり、大きく二分すれば

聖堂教会と典掌(てんしょう)教会に分けられる。

主導を握る聖堂教会をさらに細かく分けると

指導者に応じて三つの教派があり、今この地に駐在する教会は

過激思想を内包するティスア・マグダレン率いるマグダレン教派の教会だ。


ステンドグラスと美しい装飾が煌びやかで神々しさを彩る

教会の内装は規模の大きいものなら

入り口から身廊(しんろう)までにちゃんとした信徒席があって、

袖廊(そでろう)と祭壇も備わっているが、小規模のこの教会には信徒席は三列で、

袖廊は申し訳程度の狭さ、祭壇も内陣(ないじん)のスペースも小さめだ。

当然の如く、告解室もない。


聖堂教会の分類によれば教会の拠点足り得るのは聖堂のみで礼拝堂は存在しない。

形式に則らない表装だけの施設もあるが、それも聖堂と見做される。

何れもが教徒の"家"ならば神聖な建物なのだ。

また正統な教皇一派以外では典型に拘る必要もない。

特にマグダレン教派では外観はともかく内装は大した一貫性を持ち合わせていない。


そんな乱雑たるマグダレン教派の教徒クルセイヴィアとアルマリーは

憂鬱な毎日を送っていた。


「……もう八日経ちます、アリマリーさん」


「大丈夫よ、司祭様ならきっと」


陰鬱な雰囲気が二人を包み込む。彼女たちはかれこれ

一週間以上、教会の主である司祭の行方を案じていた。


ここは物陰から見守っていた第三者である私がいくしかあるまい。

申し遅れたが、私は一等修道士マリウス・エーデルヴァイト。

人呼んで、空気知らずのマリウス!

これは私が気配を殺す達人で、

呼吸を長らく止められることに由縁しているに違いない。

うむ、絶対そうだ。

しかし…何と声を掛ければ良いか。

如何に私といえど割って入るのは困難だ。

む、それより何故私がここにいるかだと?

それは尤もな疑問だろう。私は穏健派と言われるアリフ教派の一人、

本来ならばマグダレン教派の教会に立ち入ることは許されぬ。

だが今は急を要するのだ!猊下(げいか)から(ことづ)けを賜ったのだ!!

それを伝える相手だった司祭が、偶然にも去った後だというではないか。

何と間の悪い、 故に私はこうして二人の修道女の面前に現ることなく

身を隠し、只管(ひたすら)時を待っていたのだが。

いいやこれでは拙い!最早一刻の猶予すら惜しまれる事態。

こうなれば已むを得まい、彼女らに更なる伝言をお頼み申すしかあるまい。

神よ、無慈悲な試練を身勝手に与えてしまう私をお許し下さい………


祭壇の陰に怪しげな輩が潜んで深慮していた時、

ちょうど教会の門前に光明が差した。

後光とも取れる光輝を伴って、やって来るのは (くだん)の司祭だ。


「ああ司祭様!」

クルセイヴィアとアルマリーが声を揃えて司祭に駆け寄った。


神聖な衣装を着込む司祭は二人に笑顔を向ける一方で何処かやつれた様子だった。

「暫く留守にして済まないね。………二人共、再会を喜ぶ前に伝える事がある。」

長躯な司祭が顔を上げ、視線が上向(うわむ)くと何かに気付いた。

「続きは、お客人に語って貰おう。」


「あ、貴方いつの間に…!」

クルセイヴィアが驚きの声を上げる。

その隣でアルマリーはただ唖然としていた。

マリウスが颯然(さつぜん)と司祭の視線の先に立っていたからである。


「失礼!今こそ私、マリウス・エーデルヴァイトが説明致しましょう!」

壇上|(それらしき多少の段差)に登壇する彼が

自信に満ち溢れた表情で口上を始めた。


実際を想定すると幾分か実のない長話になるので概括して訳そう。

 教皇は言った。

テアトルムが落成すれば人々は集う。

言わずもがな、これは忌々しき異端者をも誘う結果となろう。―と

それを受け、ティスア・マグダレンは自らの教派を纏め上げ、

戦力を結集させて警備を強化し、

友好的なフムル・アリフ等とそれに連なる

マグダレン教派の中の穏健派が警鐘を鳴らす伝令を走らせた。

それが、マリウス・エーデルヴァイトや司祭である。

そして、現に事件は起こっていた。

まだアースリー市外の一部、それも無人住居が

次々に爆破、倒壊するもので 実害は建築物に留まっているが

首謀が判じない以上、警戒はより厳しくならなければならない。

()して、テアトルムで栄える現状は何が起こるか油断ならぬ。


最後に、マリウスは付け加えた。

テアトルム近隣にある地下大聖堂"グランド・カテドラル"に

事態収拾の為の作戦本部を作り、同志が集まっていると。


「そうですか…やはり、アリフ司教も同じ考えなのですね。」


「では、私はこれにて!いざ、次なる子羊の下へ!!」


「あの人、おかしいですわ……」


「アルマリーさん、それはちょっと失礼なんじゃ。」


「そこまでになさい、二人共。我らも大聖堂に向かいますよ」


司祭が二人の修道女を連れ、教会を出る。



時を同じくして 場面は、アースリーのゲートへと移ろう。

ノエンは絶対無二の巨大な扉のすぐ(そば)まで来ていた。

扉の内と外では決定的に違いがある。

外部から断絶された央都の一帯はアースリーに至るまで

厖大(ぼうだい)でいて、分厚い障壁に遮られている。

人工が着手しない外部は原始に還り、荒野と化し、

(およ)そ人の住める土地ではなくなった。

勿論、そこからの距離は遠いが離れた位置に別の国家は少なからず存在する。

しかし、ここに至るまでの空白の土地が他国を寄り付かせないように

徐々に拡大していっているのも事実。意図せずとも、

この地は隔てられる運命にあるのか。


ノエンは岩場に身を潜めつつ、

目前のゲートを改めて確認し、侵入の糸口を探っていた。

番兵は数人いるが距離があり、まず見つからないと思われるが

少女は無意識に警戒態勢を取っていた。

予定では、例の列車でアースリー内部の駅舎に到達するはずだったが

落盤で寸断され、ゲート前に停留せざるを得なかった。

誰かの作為か、自然の仕業か、どちらにしても目の前の障害を突破しなければ

何も始まらない。こんな時こそ、支援者を頼るものだが

肝心な今、携帯端末が使用不可である。

連絡を絶たれ、退路を失った、 残された道は前進しかない。


ノエンが目を凝らすと、行商人が使う行路が

ゲート中央の別の入り口に繋がっていることを発見する。

 あれしかない。

そう考えたノエンは機敏に哨兵(しょうへい)の死角まで回ると、隙を窺った。


扉の一点、色の違う通用口。ただ一箇所に注視する、ノエンの目先は捉えていた

番兵の動きも、微風(そよかぜ)の流れも、

感覚として受け取る全てが予見して映り込む、寸分の未来。

集中の境地が見せる予測を基に、ノエンが動いた。


門外の見張りは二人。

ゲートの左右の端に陣取り、機械端末で情報を閲覧しながら

彼等はその場で屹立(きつりつ)していた。ノエンのいる現在位置は右寄りのゲート間近。

環状の壁に沿って、回り込めば番人の死角はある程度確保できる。

ゲートはそれぞれ四方に存在するが範囲が広大で、ノエンが

今の地点から別の入り口を探す余裕はなかった。

内側は更に厳重な警戒網であるが、外の警備は案外緩慢なものだ。

それもそのはず、だだっ広い荒野を渡って正面から来訪するのは珍しい。

高名な行商であっても、事前に連絡がなければ入国できないのだ。


一人の隙をすり抜けるのは容易いが万が一、片側の監視者に見つかれば

増援を呼ばれることだろう。 時宜が無い。

ノエンは突入するための最善のタイミングが見出せずにいた。


少女が焦れったい待望を感じていた頃、

門の内、付近では大事が起こっていた。


ゲートから劇場前までの路地、その中間に差し掛かる交差点に群集がいた。

騒ぎを聞きつけ、どよめく見物衆を押し分ける

一際豪奢(ごうしゃ)に着飾った(ふく)よかな男性が現れた。

「どうした!何事だ」


やってきた貴族の装いを模した男、モルデン・パーリアルは

零落した貴族の胤裔(いんえい)で教会との関わりが深い為、一種の特権を持った上等市民だ。

そんなモルデンに事情に詳しい老人が報告する。

「これは、モルデン卿。あちらを御覧になって下され。」

老人が指差した先に無残に崩壊した建物の残骸があった。


「これは…例の爆破事件か」

アースリー市外のビル倒壊事件についてはモルデンも聞き及んでいた。

(いぶか)しむモルデンに、老人は続けてこう告げた。

「それが奇妙な事に、爆発など誰も見ておりません。

 ごく自然に、先ほど突然崩れ始めたのです。」

確かに、爆破されて倒壊したにしては綺麗な崩れ方ではある。

破片が余り散らばっていないのもそれを裏付けていた。

これが一連の事件と同一なら、犯人は劇場近くまで来たことになる。

モルデンは心中、焦慮(しょうりょ)した。

テアトルムには自分が関係した出店も多く、劇場が襲われれば

得られる利益も、保身すら危うい。(しま)いにはあくどい商売を非難されてしまう。

「こうしてはおられん!一刻も早く神父に会わなくては。」

モルデンが急ぎ足でその場を離れようとした直後、

ゲートに最も近い建物が崩れようとしていた。


それに隣接する高層ビルの屋上に一人、太陽を背に立っていた。

大衆がその存在に気付くと同時に、建物は崩れ落ち、

屋上の誰かは日の光で煌めく剣を掲げて、注目を集める。

「国民よ!聴け!! この地は我ら"淡紅(たんこう)の灰"が圧する!

 屍になりたくなければ即刻、立ち去るがいい!!」


卑賤(ひせん)な賊め………!」

モルデンは高らかに宣言する首魁(しゅかい)と対峙するように見下されていた。

自身の傲慢な自尊を嘲弄されたような憤りと、勝手な物言いに立腹するモルデン。

そんなモルデンを残して周りの人々は悲鳴を上げながら逃げてゆく。


宣誓した人物は片手で担いだバッグから無線機を取り出すと仲間へ発信した。

「ロサード、こちらは制圧した。後の処理は任せる。」


「ああ。こっちも終わった所だ」

通話越しのロサード・グライスは纏った粗衣を靡かせ、

鉄塔の(いただき)に立ち、眼下を展望していた。

"淡紅の灰"を統率する真のリーダーは彼自身だ。

しかしそれを知る者は仲間内でも数人しかいない。


ロサードは遠目にテアトルムを見やると、

すぐさま塔を滑り落ちた。中空を舞う落下、

緩やかに楕円を描き大地へ降下していく。

衝突手前の衝撃を受け流し、ロサードは見事に着地した。

「さて、暴乱の時間だ。」



― 時刻午前、晴天の(もと)

それぞれの思惑が複雑に交錯する央都の末端、アースリーで

一つ、物語が始動する。


―――【downward inward】


大きな轟音、舞い上がる土煙。

門前の門番たちは呆気に取られていた。

内側で一体何が起こっているのか。


散漫となった注意が逸れる。未だ潜伏するノエンにとっての好機、

待ちに待ったアクシデントが発生したのだ。

この寸隙(すんげき)、逃すまい。

ノエンは中腰のまま最寄りの門衛(もんえい)に接近した。

間、髪を容れず行商人の通用口の戸に手を掛ける。

通常のゲートと違い、通用口は民家の戸口に似た簡易なものだ。

錠前などない、ただ開けて入るのみ。

守衛に目撃されなければ侵入も可能だろう。

ノエンに(かか)れば二人を無力化し、素通りすることはできるが

一抹の不安要素を取り除く慎重さの上では危険性が高すぎる。


扉の内は街路から少し離れた林中の僻陬(へきすう)

ノエンは遂にアースリーに足を踏み入れた。

即刻、騒然とする方を樹林の(はた)から盗み見ると

数箇所の建物が倒壊し、荒れ果てていた。


逃げ惑う群集を余所に微動だにせず、見上げた男がいる。

モルデン・パーリアルだ。

モルデンは高層ビルの頂上に居座るテロルの実行犯と睨み合う様に対面していた。

今回の騒動は奴等の仕業らしい。

犯人の一人は(しき)りに腕時計で時刻を確認し、何かを待っている様子だ。


ノエンの第一目的はテアトルムへ潜入することなので

こんな所で時間を費やすわけにはいかない。

モルデン等の合間をすり抜けるのは困難だが、迂路(うろ)を探す手間も惜しい。

ここは、騒動の主犯を撃退して通過するか

それとも、このまま様子を見てやり過ごすか。


少女の寸秒の思惟なぞ知らず、事は更なる展開を見せる。

彼方(かなた)からモルデンに急迫(きゅうはく)する物体がある、

ノエンから見ても、それは恐らく

原動の騎馬"オートバイ"らしい乗り物であると窺えた。

そのフォルムが流線形のバイザーによって覆われていることを除けば

一般的に普及しているバイクと相違ないだろう。

独自にカスタマイズされた、バイクがモルデンが立つ交叉点最近の

街路樹直近で急停止すると乗り手が降車してきた。


「あんたがモルデン・パーリアルだな。」


「誰だ、貴様は!」


「ロサード・グライス、そう言えば分かるかな。」


乗り手は事の首謀、ロサード・グライスだった。

ロサードは薄いローブをターバンのように巻きつけていて、

隙間から淡紅の髪を揺らす。

その特徴と彼の過る場所は灰燼しか残らないことから

"淡紅の灰"と畏怖されるテロリスト集団の首領。

教団の統制が央都で徹底されてから暫く沈黙していたが

テアトルム完成間近になって、目立った活動が日々過激化していた。


ロサードが今になって表舞台に参上したのは理由がある。

その一つに

テアトルムの劇場総合運営管理者であるモルデンと接触する必要があった。


「中央区画と地下を除いて、テアトルム周辺は既に占拠した。

 ………逃げ場はないぞモルデン」

ロサードは他意なく冷淡に宣告した。

モルデンからすればそれは警告以上の敵意に思えた。


自らの内面を指摘されたように感じ、モルデンは声を荒げる。

「逃げるだと?……時代錯誤の盗賊風情が!

 知っておるぞ、お前たちが聖堂の域外に隠遁していたことを!!」

モルデンにとって容易に逃亡することは保身を捨ててでも憤ることだ。


「…それがどうした」

反対に、ロサードは冷静なままだ。

事実、教会と真っ向に対峙するのは無謀極まりない。

逃げ隠れていたのも当然だろう。


「儂を始末しようというのなら、教会が黙っておらぬぞ!」


「教主の後ろ盾がなければ、低俗で無価値な奴が何をほざくか」

ロサードの後方で、ビルの上から降りてきた仲間の一人が反発して呟く。


「まぁ待て、別に俺はあんたを殺しに来たんじゃない」


「何!?……そうか、交渉に来たのだな。

 じゃがな、賊と対等に譲歩などせぬわ!」


「いいや、あんたには広告塔になってもらう。

 恐怖を標榜する伝道師としてな」


「な……!」


ロサードは発言力とある程度の権限を有するモルデンを利用して

テアトルムを内側から乗っ取る計画を企てていた。

聖堂教会によってアジトが次々に撲滅されている現状で

次なる拠点と据えたのがテアトルムだった。


ノエンが陰から見守る中、

ロサードは仲間にモルデンを押さえ付けさせ、

バイクに積載していた荷物からロープの束と怪しげな装置数種、

小型の信管を取り出すと、それらをモルデンに括り付けた。


堪らず、地団駄を踏むように暴れだすモルデンにロサードは忠告する。

「おっと、動かない方がいい。そいつが着火すれば全部吹っ飛ぶぜ」


透明な信管は青い硝子で外装され、単体では作動しない高度な起爆装置だ。

それに連結される機械群は信管の作動に反応して大爆発を起こす。

すべて爆発すれば外形など残さず一溜まりもないだろう。


ロープは複数回複雑に交差し、ロープ自体も頑丈なため解くのは難しい。

しかし、

後ろ手に縛られ、不自由であること以外は問題無く、足を奪われたわけではない。


そんなモルデンをロサードはすぐに解放した。

「さぁ、教会へ逃げ込むなりなんなりすればいい

 だだ、ソイツは外れないがな」


怪訝と危機感に襲われつつモルデンはぎこちない足取りで聖堂へ向かった。

たとえプライドが傷ついても、たとえ相手の思い通りでも そうする(ほか)ないのだ。


モルデンの後姿を見送って、ロサードらもまた、次の行動へ移ろうとしている。

「では、後は手筈通りに。………どうした、ロサード」

別の仲間に連絡を取っていた男がロサードの不自然な振る舞いに注意を向ける。


「いや。近くに誰かいるような気がしてな」


「密偵か?」


「…気のせいだ。さっさと、劇場へ行こう」

ロサードは一瞬、ノエンの方を流眄(りゅうべん)に見やるとすぐに向き直り、退去した。

ノエンはロサードの視線を感じながらも障害を突き抜け、

彼等が進む道路の反対から、テアトルムを目指した。



時は昼間を過ぎ、テアトルム前は閑散としていた。

ちょうど 大型劇場の開演時間だ、上階は人々で溢れているだろう。

内外の差は瞭然に、

静まり返った1階のエントランスでは二人の刺客が居た。


売り主不在のワゴンから遠く、正面玄関から堂々たる入場を果たした

赤い大男と青いドレスの女子が物音立てずにエレベーターの前で停止する。

「杜撰な警備だ。……マスターは何を恐れていたのだ」


「口を慎みなさい炎陽(えんよう)、油断はだめよ」

赤い外套の大男、炎陽は 隣の女子、陽氷(ようひょう)に注意され低く呻いた。

エレベーターの到着を待っていると、ワゴンの物陰から何かが動いた。


「むっ、敵か!?」


「……いいえ炎陽、ただの猫よ」


現れたのは銀の首輪を付けた黒い猫、瞳は青く透き通り

言い難い神妙さを醸し出していた。


「待て陽氷、何かがおかしい」

陽氷が近付いてきた足下の黒猫に触れようとした時、炎陽は怪しんだ。

銀の首輪が奇妙な形状をしていたからだ。

そして、突然首輪が強烈に閃光を発すると、猫は消え

背後から(やかま)しい声が聞こえた。


「その通り! ソレは確かに可笑しな猫さ」


「誰だ!」

炎陽は一縷(いちる)の遅れを取らず、臨戦する。

円柱の暗闇から出でる声の主は

白衣に似た紳士服を着衣した奇天烈な雰囲気の男。

「俺は警備主任のヘーン・アニシュ。君達は見たところ不法侵入者だね」


「…陽氷、発見されたからには排除する。いいな?」

炎陽が目眩で屈んでいた陽氷の手を掴み、立ち直らせる。


「ええ、わかってるわ」


「待ちたまえ君達、まずは話し合いをしようではないか。」

ヘーンは両手を開き、交戦の意思が無いことを証明しようとするが

炎陽は構わなかった。


「問答はせぬ!」


「やれやれ、俺は肉体労働は嫌いなんだ。

 代役を呼ぶとしよう……」

二歩後退りするヘーンは右のポケットから紙片を取り出し、

それに刻印を書き入れた。


「……これは!?」

突如、炎陽と陽氷の足場を中心に円状の文様が浮き上がる。

白線で形成された円に光が灯り、重力が増したかのように炎陽達の動きを鈍らせた。


「初歩的な包囲結界さ。教会に(くみ)する者としてこれくらいはできなきゃな」

教会に属する人間が神への祷祀(とうし)の末に編み出した

奇跡の御業(みわざ)を具現する手段

"方術"と呼ばれるものだ。ヘーンのこれは主に媒体を要する紋章方術である。

結界はその中でも一般的な防御用の遮断手段だった。


「奇怪な術を使う…

 だが、この程度の足止めでは止められぬぞ」

炎陽は片足を軸に固定し、一方で大きく蹴り上げると猛烈な疾風と共に

結界が破壊された。見えざる壁が取り払われたように動作は軽快なものに戻る。


「俺の専門は聖霊召喚。といっても仮初のものだがな」

結界が破られるまでの僅かな間で紙片二枚と銀色の首輪を取り出し、

ヘーンは新たな刻印で紙片に挟まれた首輪を囲んだ。

すると、何処からとも無く先程の黒い猫が現出し、炎陽の下へ駆け寄っていく。


「さっきの猫?!」


「今度は威嚇なしだ、大人しくしてもらおう。」

黒猫が炎陽へ飛び掛かる。衝突すると、爆発し 辺りは閃光に包まれた。


「炎陽!」


爆音のない爆風が晴れると炎陽は無傷のまま、床に倒れこんでいた。


「くっ……力が………」


「安心しろ、物理的損傷はしない。ただ脱力するだけだ。」

ヘーンの言う通り、炎陽は指一つ動かせないほど無力化されている。


「さぁ次はお嬢さんだが、このまま彼を連れて立ち去ってくれると有り難いね。」


ヘーンが対峙する陽氷は観念などしていない。

果たすべき使命を全うする為に、この男は打破しなければならないのだ。

「……師父に禁止されていたけれど、使うしかないわね。」


「………やめろ陽氷。」

力無き炎陽の制止を余所に、陽氷は直立し呼吸を小さく整えた。


水色の瞳が深い青へ変わり、白い花飾りで留められた髪が解けて後ろへ靡く。

「碧眼…」

思わずヘーンはそう呟いた。

彼女の冷ややかな眼差しがより一層碧く輝いたからだ。


さっきまでの陽氷とは異なり、明らかに雰囲気が変貌した。

炎陽と対比して小柄である彼女は外観以上に幼く見えたが

今や、―冷徹な暗殺者 を形容するに相応しい静かな殺気が垣間見える。


ヘーンはその様子に尻込みしつつも、予備の紙片を取り

手元で幾つかの刻印を描いた。


陽氷は(しば)し黙ってヘーンを観察したが、

ヘーンが次なる結界を張ろうと床に紙片をばら撒いたのと同時、

腰に備わる短刀を片手にヘーンに詰め寄った。


瞬間、凍てつく冷気がヘーンの喉元に突き刺さる感覚の数秒後、

陽氷の短刀が瞬時に首元を斬りつける距離まで間合いをきった。


速度が上がった、なんて悠揚(ゆうよう)な呆気に取られている場合ではない。

ヘーン・アニシュは一刻にして身動きのできない状況に陥った。

「……強化系の方術に似ているようだが…」


陽氷はヘーンを短刀の長さと僅かばかりの距離の所で立ち止まっている。

その視線はヘーンの手先にある紙片を睨む片や天井を見やっているようだ。

ヘーンが陽氷の豹変振りに一驚した挙句、刻印の紙を数枚落としてしまった。

残ったのは二枚だが、それも果たして効果があるかどうか。

それ以前に少しでも動作すれば彼女の短刀が先にヘーンを殺傷させるだろう。


(うつぶ)せのまま、炎陽は成り行きを見守っている。

真価を発揮した陽氷の勝利を確信しつつも彼女が使ったわざの負担を憂慮していた。

炎陽と陽氷の師である天蓋の男、黒煙(ヘイイェン)

東方の暗殺集団の生き残りで東洋に伝わる神秘の業"外術(げじゅつ)"を扱う兇手(きょうしゅ)だ。

彼から教わった外術によって二人は一時的に人間を超越した能力を得る。

しかしそれは過度な増進と等しく心身への負担は計り知れない。

更に、表面化してはならぬ秘術であるために禁じられていた。

自身の不覚が招いた結果とはいえ、

陽氷に外術を使わせてしまったことに自責の念が炎陽にはあった。


ヘーン・アニシュは辛抱した。

沈黙の冷戦が精神をすり減らしていくこの事態に。

陽氷は変わらず、間合いを詰めることも離れることもなく

じっと何かを待っているように動かないでいる。

それは、刃を向けられたヘーンも同じだ。

西方の人間であるヘーンが疑義を抱いた陽氷の外術は

根源に遡れば方術と同種であるといえる。

しかし、今までヘーンが見てきた

身体強化に類する方術ではここまでの性能がなかった。

ヘーンが未知の術を用いる相手に幾らか動揺したのも事実だ。


それにしても、仕掛けてきた陽氷が黙って静止しているのは妙だ。

襲撃者が時間を掛けることは得策ではない。

何より、ヘーンにしてみれば異変に気付いた他の仲間が現れる可能性がある。

依然として不動なのは何らかの思惑があるに違いない。


そうやってヘーン・アニシュが考えを巡らせていた時、

足先から違和感を覚えた。

下を向けば、知らぬ内 ヘーンを中心に床から背後の柱に至るまで

楕円形に氷結していた。冷気が周囲を包み、ヘーンが凍てついている自身を認識した

その時点、急激に体温は失われ一秒とかからずに凍結していった。

遅延する身震いすら通り越し、ヘーンは停止する。

意識だけが取り残されて現実を理解し切れずにいた。


{………何が起こったんだ。}

声は発せられず、風前の灯となった生命は必死に答えを探っていた。

ヘーンは動けず、四肢の感覚もないまま、

もはや固定された視界の隅に奇妙な氷柱(ひょうちゅう)を発見した。

それは逆さ氷柱(つらら)で、地面から生えてるようだった。

そこから氷で凝固されたような只今になった原因があるように思える。

薄れる思考の最中(さなか)、氷柱の高さを見てヘーンは確証を掴んだ。


氷柱は陽氷の短刀から生じる

見えないほど微量でいて濃密な寒気によって零露(れいろ)してできたもので

氷柱が形成される前から冷気は高速度で撒布され

人間が冷たさを智覚するよりも早く感覚を喪失させた。


意味のない睨み合いと思われたあの場面から既に

ヘーン・アニシュは敗北していたのだ。


コールドスリープをしたようなヘーンが氷像と化した後、

陽氷はしばらく脱力していた。

外術の反動で、ふらつく彼女を 無力の状態から解放された炎陽が支える。

ヘーンが聖霊を利用した方術の効力が切れたのだ。


「大丈夫か陽氷」


「……平気よ。………思ったより疲れるみたい」


「マスターが禁じたのも頷ける。………あれは過ぎた力だ」

炎陽はそう言って陽氷を壁際に(もた)れさせる。

そしてこう切り出した。


「陽氷、時間が惜しい。お前はここで待て」


「何を言うの…炎陽、任務の遂行には私も必要よ……」


「わかっている。だが少しばかり休んでいてもいいだろう」

炎陽が陽氷を置き去りにする形でエレベーターを目指し始めた頃、

遠くで爆音が響いた。それは微かな振動を含み、テアトルムの壁を伝った。

ちょうど"淡紅の灰"が宣誓をしている時だ。


これに炎陽は気付かなかったが、壁に背中を預けていた陽氷は外の事件を知り得た。


「いえ、そうはいかないみたいよ」

陽氷は立ち上がって、背筋を伸ばすと 炎陽に続いて後を追った。

少々心配そうに炎陽は見つめていたが陽氷の行動に頑なな決意を感じると

連れ立ってエレベーターに乗り込んだ。


展望フロアへのボタンを押すと、緩徐(かんじょ)に上昇していく。

座り心地に拘ったソファシートが弧を描き快適な待ち時間を味わえる。

モニターも備わり、通常のエレベーターよりも人数が制限されているが

数台が昇降を循環しているため(さなが)らアトラクションように運行される。


二人はモニターなどには目もくれず、ただ黙って精神を集中していた。

次にドアが開いたとき、迅速且つ最適な行動を実行できるように。



外の騒ぎは一応の収拾を見せ、静寂がビルの無残な荒廃を強調していた。

倒壊の規模は小さく、纏まっているので損害がそれほど無いように見える。

ロサード等、実行犯側もこれらは一種のプロパガンダであると考えていた。

だからこそ、無人の廃墟が狙われたのだろう。


ノエン・フェオがロサード達が通行した道から外れて数分が経った。

既に彼等の姿は無く、何処へ向かったのかは知る(よし)もない。

アースリーへ侵入してから変わらない電波状態によって

通信を絶たれたノエンだったが端末の使えない状況で困惑しているといえば

現在位置が判然しないことだ。そして、予想以上にアースリー内部が

複雑な地形をしていた事も重なり、少女は半ば迷子のように彷徨している。


出立前に散々確認させられた央都関連の地図では予測できない

路地裏や以前の情報と異なる未知の世界は

外界に疎いノエンにとって迷宮そのものだ。


()りとて確実に前進し、テアトルムへ近付いている。


そうしてノエンがテアトルムを眼界(がんかい)に捉えると

これまで機能していなかった通信機が再び着信した。


『あー、テステス。聞こえるか』


「…漣。」


『電波状態が復帰したようだ。弓弦に調査させていたが

 今回の依頼はどうもきな臭い。くれぐれも教団と接触しないように注意しろ』


「了解。」


ノエンが属する異端商会は表向き、何でも屋のような調査会社で

"商品"の購買を対価の名目に情報を取引したり、

時には暗殺を嘱託(しょくたく)されたりする。その代表者である漣が

教会の関係者との遭遇を危懼(きく)するのは

最も影響力の強い教会が介入すれば任務どころではない、

というのもあるが 同時期に、

教会内部でも要注意人物である枢機卿(すうききょう)がアースリーを訪れているらしい

情報を耳にしたからだ。普段、央都の中枢を離れることが滅多にない

枢機卿が自ら赴く事態なほど現時点で発生している事件は(だい)それたものではない。

だが、もし枢機卿がアースリーを巡見しているのならばいつも以上に危険だ。


依頼内容がテアトルムへ遊覧しに来ている要人からの機密の回収

なのだが一般公開初日に合わせて指定されたのも不審だ。


漣はこれが偽装された罠なのではないかと怪しんでいた。

教会が台頭して以来、中央都市では取り締まりが厳粛に強化され、

央都へ関係する不当な組織を一掃すべく教会側が仕組んだ偽の情報や依頼が

裏の世界では悪事の摘発に繋がっている。


とはいっても違法な情報に関わるかよほどの殺人行為でもない限り

異端商会は灰色の立場にある。(いわ)んや、さほど認知されていない無名の組織に

わざわざ教会が手を出すとは考えにくい。


だので漣は杞憂であるとも思っていた。


しかし事実は少なからずあった。

ノエンが警告を受け、緊張した面持ちでテアトルムへ入場していった

その他方で

地下大聖堂"グランド・カテドラル"ではアースリー各地の教徒が(つど)っている。


中には修道女のアルマリーとクルセイヴィアを連れた司祭や

アリフ教派を束ねる大司教フムル・アリフがいた。

欧風な装飾がなされた洞穴の広間で大きな円卓を囲って

それぞれの聖堂の(おさ)達が談話している。


「………法王は何と仰られたのです?」


「この地に()いては我が信頼する卿を遣わせる、と」


「まさか……枢機卿が来られるのですか!」


その名にどよめく司祭たち。

固唾(かたず)を呑んで見守る修道士や修道女が無意識に強張る。


枢機卿、カーディナルは教皇が随一の信頼を置く右腕で

実力的に教皇派の二位に相当する。以前と比べて先立って

活躍することはなくなったが今でも衰えず大いなる名声を博する。


そんな最高位の人物がアースリーへ向かったことに驚倒したが

同時に、これが単なる爆破テロに過ぎない些事ではないことが暗黙の内に理解した。


「それで、我々はどうするのです」


「枢機卿が()られるのであれば、手出しは(かえ)って足手纏いになるのでは?」


「いえ、私たちにもできることが御座いましょう。」


「テアトルムが襲撃されるなら民の誘導をした方が良いのではないでしょうか」


「それは妙案です、早速取り掛かりましょう」


遅れ馳せながら対処を提案する一人の助祭の意見に周囲の

教徒は賛同して行動を奮起する、そんな司祭たちを静観していた

アリフ司教が遂に口を開いた。

「…皆さん、お待ち下さい。騒ぎを大変にしては手に余ります。

 ここは隠密に事を運ぶのが上策かと存じます。」


それは肯定多数で聞き入れられ、アリフは続けて具体的な内容を述べた。

まずテアトルムへ少数の信徒を偵察として忍ばせ

事の成り行きと異常を報告させる。

何が起きてもいいように近傍で一団が待機し、

残りの者はグランド・カテドラルで連絡や枢機卿の報せを待つ。


発案者であるアリフは()うに手配していた数人を

劇場最上階の様子を調べる為に指令を送ると

上演が閉幕した後、速やか且つ自然な避難誘導をするように計画していた。



次第にテアトルムへ集結する演者の存在を知らぬノエンは

エントランスホールにいた。


炎陽と陽氷は見知らぬ、戦闘の痕跡もなく、

氷像となったヘーンは撤去され 残留するのは少々の水溜りのみ。

ノエンが来る前、二人の刺客が上階へ向かった 合間の短時間に

何者かがヘーンを運び出したのだろう。

そしてそれは監視映像をモニタールームで観覧していた

シアター管理者、ヘリエ・アイグレーに他ならない。


彼女は部下の上級修道士、エニュオ・アレクトに命じてヘーンを保護すると

治癒の方術で回復を施させた。まだ意識は戻らないが

このまま安静にすればいずれ復活する。


侵入者との顛末を了知していたヘリエが

交戦していたヘーンに応援を寄越さなかったのには理由がある。

開演中は積極的に動けない事、

増援できるほどの人員が不足していた事、

単純に彼女の性格が見物を楽しんでいたという事が重なったからだ。


そもそもヘリエは管轄外でいて運営手腕は目を(みは)るものがあるが

それ以外は至って普通の一般人であって戦闘なんて専門外なのだ。

だからこそ、エニュオが補佐をしている。


無論、この時ノエンが侵入したのを監視カメラ越しに見たものの

先述の理由から、今すぐ対応することはない。


警戒心の強い侵入者を欺瞞するカメラは微細にして巧妙で

安易な死角がそのまま行動の推測に直結できる仕掛けだ。

これを調整し、配置したのはヘリエ自身であり

彼女が如何に他人を予測する人間かがわかる。


ノエンは辺りの不気味な静けさと絢爛な内装が

不自然な違和感を表現しているのを感じ取って

動きを最小に、しかし足早に空間の把握を行った。


案内板を一目しても分からない場所の正確な物的距離と位置関係を

見識し、1階のホールはノエンの見知った庭のように理解できる。

「移動手段はエレベーター……階段は両端。」


ここまでくると如何に監視されていようが炎陽達みたいに

エレベーターで乗り込むのが手っ取り早いのだが

ノエンは敢えて、階段で上階を目指すことにした。


今が上演の最中なら時間が掛かっても階段で間に合う。

目的である要人は、恐らく いや必ず最上階の展望劇場フロアにいる。

ノエンは意図しない誰かとの接触を忌避し、

身動きの取り辛いエレベーターよりも徒歩で上ろうとしたのだ。


それでも高層施設であるテアトルムの最上階へは

1階から上って容易に辿り着けるものではない。

まるで高峰(こうほう)に登頂するようなものだ。


極まった歩きや走りには独特の規則がある。

通常より疲弊を抑えて走り続けることができるとしたら

それは持久だけに非ず、動作の洗練と柔軟が必要となる。


華奢な少女であるノエンは体力の心配がされるが

整った呼吸と精緻(せいち)な動きが合わさって屈強な大人顔負けの忍耐力がある。

最速で体力の消耗を比較的抑えるとしても

ノエンが階段を上り切るには終演間際、下手をすれば間に合わないかもしれない。

かといって全速力で上るには後半のスタミナが足りなくなる。


ノエンはそうこう考えながらも階段の欄干(らんかん)を使って

回り込むように勢いをつけて、脇目も振らず次々段差を越える。


そしてノエンが半分程度の中層に差し掛かったところで

展望フロアへ不穏な影が迫っていた。



―――【疾雷(しつらい)、走る。】


炎陽と陽氷はエレベーターから展望フロアへ降り立った。

降りてすぐ、目の前に

分厚い扉が塞ぐその先に公演真っ最中の屋上大型ホールがある。


「ここか。」


「思ったより静かね」


二人は師である黒煙から複数の任務を請け負っていた。

一つはある組織から離反した逃亡者の抹殺。騒ぎを引き起こして

現れた教会の抑止と事によっては聖堂の制圧を任されている。

逃亡者は民衆が集まるテアトルムを利用して遠方へ脱出する算段で

協力者とこの時間帯の劇場で落ち合うことになっていた。

展望の大型劇場が待ち合わせ場所になったのは

他の客も(こぞ)って展望フロアへ集まっていったからだ。


「皆、中にいるのだろう。………陽氷、用意はいいか」

炎陽が陽氷に声を掛けるが、応答はなかった。

「……」


「どうした陽氷」

黙り込み、炎陽が注意深く見てみれば 陽氷は明らかに雰囲気が異なっていた。


炎陽が疑い始めると、陽氷は突然微笑しだし、幼く中性的な声で告げる。

「フフフ……僕はお姉さんじゃないよ」


その態度を見て、炎陽に判然として陽氷以外の何かを思わせる。

「なっ、貴様!陽氷ではないな」


「僕は黝簾(ゆうれん)。初めましてだね東のお兄さん」

相貌(そうぼう)は陽氷そのものだが声も、感じも、何かが違う。

黝簾(ゆうれん)と名乗る、"少年"と思しき存在は只一つ

陽氷とは似つかない箇所がある。

片目だけ、透き通った黄褐色で

目にする者に不可思議な威圧感を植え付ける。


「心配しなくていいよ、お姉さんは1階の休憩室でお休みしてるから。

 誰も近寄れないお呪いも掛けてあるしね」


「……何が目的だ」


「あれ?いつ入れ替わった、とか気にならないんだ。

 目的なんてないよ、ただちょっとした実験に付き合ってほしいだけさ」


「実験だと?」


「マァ、その前にネタばらしさせてよ。実はね…」


黝簾(ゆうれん)は語った。

最初から存在していながら、存在しない彼は

通常、目視することのできない幽霊のような存在だ。

陽氷がヘーン・アニシュを討ち破ったあの後

倒れそうになった陽氷を炎陽が支えたまではまだ普通だった。


問題は、エレベーターに乗ろうとするまでの間。

炎陽がエレベーターに乗った直後から陽氷は陽氷ではなかった。

黝簾は方術でも外術でもない表現し難い謎の異能を有していた。

少年がその力を使って、陽氷に成り代わり炎陽を今まで欺いていたのだ。

それは実際に対面する炎陽にしか認識できないくらいに

極めて完成された擬態。 簡単なまやかしではなかった。


そして実体を持ち合わせない黝簾はたとえその場に見えようとも

本当はいない。空疎で無意味の虚構なのだ。


「そんな奴が、何故 俺達の邪魔をする!」


「だからね、今は"こっち"へ関わらないで欲しいんだ。

 君たちのお師匠さんには悪いけど、もう少し待っていてよ」


「……貴様、何処まで知っている」

炎陽は自分達だけでなく黒煙のことを深く知っているような口ぶりを見せる

黝簾に益々得体の知れない不可思議(ミステリアス)を感じた。


「とにかく、僕らはまだいるべきじゃない。

 今日は退こうね。お姉さんも一緒に転送(・・)してあげるからさ」

少年はそう言うと、陽氷でいた姿を泡のように消し、

黒い影の塊へ変容すると炎陽を閉ざす暗闇を一気に放出した。

闇は炎陽の影すら呑み込み、黝簾自体も徐々に暗黒へ引きずられる。


「!」

炎陽は咄嗟に身を捩り、闇から抜け出そうとしたが

すでに半身は闇黒に沈み 床の底、向こう側の奈落へ深く落ちてゆく。


少年の姿形に留まっていた黝簾の影は崩れ、闇と一体化する。

「スグニオワルサ、スグニ。」

異形の闇が多重の声を発し、何処か笑ったように暗色へ融ける。


炎陽は何度も脱出を試みたが最後には暗闇と共に消え失せた。


そこには始めから、何も存在しない。

映像にも、記憶にも残らず彼らは何処かへと行方を晦ませる。



劇が終盤に入り、あと少し経てば観客が出てくるだろう。

矢張り息を切らして、ノエンは何とか間に合った。

無人のホール前、展望フロアだけあって外の景観は壮美な夕景だ。


ノエンは正座しながら事前に渡された央都の便覧を読解した。

劇の案内の項目を時計の時刻と照らし合わせ残り数分で再び開場すると知る。

場内では大勢の見物客がいることだろう。余り目立って行動できないノエンは

流れ出てきた客たちの隙間をすり抜け、目的の要人に近付かなければならない。


ノエンにとってそれだけならば容易いが、

こちらに気付かれれば人混みに紛れて逃がしてしまう可能性もある。

何より不測の、アクシデントは避けたい。


階段を上る際にフロアの大まかな空間を覚えたノエンは

非常口を回って迂曲(うきょく)する経路を選択した。

その方が見つかる危険性は低く無駄な接触を避けられるからだ。


非常口から回り込んだ先はホールの裏側、片方の階段があって

関係者以外は基本的に立ち入らない領域だ。

しかしながら正面を通過してしまえばノエンと鉢合わせることなく

素通りされるだろう。それを要人が裏口から出ると断定したのは

前回の通信の終わりに漣から情報があったおかげだ。


ほんの数分後には雑踏が生じ、行動が始まる。

ノエンは決心して非常口の入り口を開けた。



傍観している女性は橙色の長髪を束ね、紐で後ろへ垂らした

変哲のないヘリエ・アイグレーだ。キャミソールにショートパンツといった

極めて露出した格好がずぼらな人格を印象付ける。

彼女は元々央都の中部で象徴される

中央管理塔(タワー)に勤務していた一般ガイドだが、

この度テアトルム完成に伴い、

異動され、劇場全体を運営する責任者となった。

異例の大抜擢であったが彼女自身、この役職は喜ばしいものではなかった。


「さすがにこのままじゃあ、マズイわよね……」

ヘリエは消え去った炎陽などは忘却し、

残る侵入者であるノエンに対して危機感を感じていた。

ノエンが非常口に入ったことで監視から逃れ、行動を追えなくなった所為でもあるが

このまま放置すれば最終的に自分へ責任が問われることを恐れていた。


「エ・ニュ・オ くぅーーん!」

ヘリエが甲高く間を置いて大呼すると

奥の部屋からエニュオ・アレクトが現れた。


「何です素っ頓狂な声を出して」


「もー、ヒドイわねー。それよりぃ、お願いがあるんだけど………」


「はぁ、またですか。」


「今度は真面目よ。……子鼠ちゃんを始末してくれないかしら」


「………生死は?」


「排除よ。生き死にもないでしょ」


「わかりましたよ…」

エニュオは渋々承諾し、階上を上がった。

モニタールームはちょうど中層付近に一室ある。

ノエンがその地点にいた時はヘリエも小事と見做していたが

今になって焦り出したのは先程、グランド・カテドラルにいた

アリフから連絡があったからだ。


偵察を終えたアリフの部隊は劇に乗じて観客に

正面ではなく、通路側の出口から退席することを勧めていた。

その一連の動きが図らずともノエンの標的が裏口を利用する事が確定となった。


ノエンより逸早くテアトルムに到着していたロサードは仲間を集めて、

内部に爆発物を取り付けていた。そして律儀にも犯行予告を教会に流し、

観客は真相を知らないが、避難は滞りなく完了する予定だ。


"淡紅の灰"の手際は敏腕で多くのカムフラージュに富んでおり、

最も対処すべきロサード一行が警邏(けいら)に追い回されずに済んだ。

また、警備が追いついていないのも一因ではある。



場内に動きがあった。

静かな鑑賞は終了し、ガヤガヤと各々が嬉々として会話する。

ノエンは淡い電灯だけが照らす非常通路を走り、曲がり角を左折した。


さらに続く通路の奥にある扉の先が、裏側に繋がっている。

非常通路は使われていないため閉塞感があり、物のない物置に近い。


通路を抜け、裏口に近しいそこは舞台袖が見える。

今回の上演は映画のようなものだったが演劇であれば、ここも使われるだろう。

暗幕が隔てて、ノエンから見て左のスペースには観客席があって

遅れて退出する数十人くらいの話し声が聞こえた。


ノエンが通り過ぎようとした手前、瞬間に(くるめ)く光の柱が立った。


「そこで止まってください。」

背後から神父服の青年が姿を見せる。

エニュオ・アレクトだ。彼が指揮棒のような棒切れを振るうと

ノエンの前にあった光の柱が明滅して消えた。


「………」

ノエンの見立てで十中八九教会の人間だろうエニュオとの対峙は

漣が警告し、予感した通り 実現してしまった。


「…死ぬか、退くか。こちらとしては後者をお勧めしますが」


ノエンは構わず短剣を手に、エニュオに向き直る。

戦闘の意思だ。


「そうですか。どうやら貴女はヘーン隊長を打倒した輩とは無関係のようだ」


「……?」

エニュオも関わった面々と同じく炎陽達を忘れていたが

ヘーン・アニシュが何者かに襲われ、治療をした事実は覚えている。

ノエンがそのヘーンを倒した相手とは到底思えなかった。


「方術を見るのは初めてですか?

 ですが、退かないのであれば容赦はしませんよ」

エニュオは棒切れを投げ捨て、一歩 左足を後ろへ下げ呪文を呟く。


「我が心、主を崇め、我が霊は我が救い主なる神を喜び祀る。

 略儀、金剛地象"マニフィカト"」

方術の基礎たる祷祀詠唱を用いるとき、一説に聖歌や自己に親しい口上を加える。

それが精神を高めるものならばどんな言葉でも構わない

複雑性の少ない いい加減な術だ。が、即興で媒体を要さず

手軽に扱える特長から普遍の低級修道士の修練に持ってこいの入門技である。


実戦に使うとなれば余程の自信家か牽制を行う場合か、

慎重なエニュオは当然、後者だろう。


本来の金剛地象は大地を穿ち、裂開する強烈な上位方術だが

略儀にして祷祀詠唱による発動なので威力は乏しく

地面に罅が入るのが関の山。

そうであっても衝撃をノエンにぶつける。


例えれば 強風に煽られる、攻撃的じゃない衝撃だが

ノエンの注意を削ぐには十分だった。


「怯みはしない、か。ならばここからは我が槍でお相手しましょう」

エニュオが腰に下げる、折り畳まれた連接棍を各部連結させ、

先端に刃先を取り付けると簡易な槍ができた。


「教会の修道士は大方が棒術を習うものです。」

エニュオは流れるように即席の槍を回し、如何に扱えるかノエンに見せた。


相手が熟達しているのは背後を取られた時点で悟っていたし、

ノエンは方術なんて知らぬ 新奇な見聞だったが

至って平静だ。


ここで決め手となるのは リーチの差。

槍と短剣では、分が悪いノエンに勝ち目はないだろう。

しかしノエンが短剣を単に使うことはない。

次の動作を埋める一つのアクションに過ぎず、

何らかに連動して短剣を振るうことが多い。


流れる律動に沿ってノエンは円舞(まが)いに翻る。

短剣を揺れ動かし、機敏に間合いを詰める

少し屈んだ姿勢からノエンと槍先は、射程を越え間近に迫った。


一心不乱に突っ込んでくるノエンに向かって

エニュオはやはり(つつし)んだ。

そのまま薙ぎ払うことのできる距離だったが槍を下げ、

短剣の刺撃(しげき)に備えて胸の前に構え直した。

防御する気だ。


エニュオの槍は鉄製のパーツで繋がっているがさほど太くなく

どちらかといえば脆弱だ。

膂力(りょりょく)のない少女が突き刺す短剣も、力を受け流さなければ破損するだろう。


「刃が柄に接触する瞬間に回転を加えれば容易く流せる…」

エニュオはそう思い、槍のリーチを捨てたのだ。


エニュオの選択は通常の相手なら間違っていない最良の行動だった、

しかしノエンは短剣が防がれようが()なされようが問題ではなかった。


ノエンが目掛けたのは槍ではなく、

その上を掠める鋭い突きがエニュオの右頬をすり抜ける。

攻撃を逸らしたのも束の間、短剣は直後にエニュオの首筋へ刺さった。

けれども周到なエニュオは予め全身に微弱な護身結界を纏っていた。

これによって威力を散らした為に致命傷を受けずに済んだが

一度目の衝突は無傷で終わらなかった。


エニュオが後ろへ飛び退くのと同時に、ノエンもまた距離を取る。


躱さなければ右目を失ったかもしれない一点集中の精密攻撃に

エニュオは戦慄した。さらに、

柄が(こす)れて電火を迸らせるほど高速な動きを少女が実現した事と

過ぎ去った短剣の行方が背面、死角からの攻撃に連続した事が

エニュオを戦慄(わなな)かせる。


「っ……まさか、見て呉れに反してここまでやるとは。

 外界の娘は皆そうなのですか」

エニュオは慢心どころか入念に準備をしていた。

それでも意想外なのは外見に惑わされた点も一因だった。


「………浅かった…?」

対してノエンは

必殺の一撃で負傷させることができなかったエニュオを不思議に思った。


「手応えの無さに驚いてるみたいですね。

 用心して張っておいた結界がこうも破られるなんて…」


「……結界………」


方術に続き、ノエンにとって聴きなれない言葉だ。

不可視の被膜、見えざる防壁― 知識の内で語るならそれらに形容されよう

障害がノエンを手子摺らせる。


「方術を使う者同士なら特性を見知っている以上、あまり意味はありませんが

 物理的な手段に頼らざるを得ない貴女には有効だったようだ。」


護身結界は結界の中でも特に効力の弱い微弱な質量で保たれる脆い防御方術だ。

それは、相手がその性質を知っていれば有効的ではない。


確かに、

ノエンは無駄の少ない最小で最大の攻撃を撃ち込むが

(かなめ)となるのは得物である短剣だ。

素手による打撃も可能だが、短剣で損傷を与えられない

堅固な相手に対して得策とは言い難い。


ノエンの武器は、精神性を除いて 主に、俊敏な動作と力の結集にある。

それを活かすにはフィールドと不意が必要だ。


劇場裏の通路という比較的狭い空間、照明すら儘ならない薄暗い場所での対峙は

既知であるエニュオに利点が多い。

ノエンがただの襲撃者であればエニュオは難なく撃退しただろう。

が、暗がりで戦うメリットはノエンにもある。


ノエンの特徴を挙げるなら、夜戦を得意とする事だ。

普通の人間なら盲目に等しき環境でも少女にとって暗闇は

目を見開いてこそ、出方を探知する。

一般的に、暗がりでは瞳孔が開き 光を求めるが

ノエンの場合は普段と何ら変わりない。

何故なら、目視ではなく動的な気配を追うからだ。


とはいってもこの場は完全に消灯されているわけではない為

淡い電光が両者を照らしている。

細々したオブジェクトもなく、暗幕との間にあるスペースを含めれば

圧迫感の少ない広々とした印象を受けるかもしれない。


戦場は十分、不意を突くのは先程実行したが狙えぬ事もない。

コンディションは最良。

方術なんてものが無ければ取るに足らない敵だったかもしれない。


生憎(あいにく)、長居はできませんので

 これで終わらせて貰いますよ。」


エニュオは構えを槍で貫く形に戻した。

いや、最初よりももっと好戦的で威圧する

穂先を下げた突進のような構え方だ。


そこから腕を引き、繰り出せば槍のリーチを活用し、激甚(げきじん)に穿つだろう。

現にエニュオも、一歩踏み出すと槍を突き出した。

当然、ノエンはそれを避け 勢いのある動きだけにエニュオが生じる隙も大きい。


だが、エニュオの攻撃はまだ続いた。

先端とは真逆の石突きから程近い連結部分を片手で器用に外すと

槍は長さを減らし、短くなる。取り回しが素早くなったのだ。

最初の勢いを殺さず、横に薙げばノエンの首を刎ねるように連鎖する。


反射的にノエンが短剣でガードしたが

尚々エニュオは続けて、三つ目の連結を解いた。

これで最短の槍となり 軽やかに、そして継続する。

突き、薙ぎ払いときて、最後は切っ先で剪断(せんだん)

エニュオの槍は短剣と同程度の長さでノエンを切り裂こうとする。


短剣で阻止したからには手早く行動に移れない。

エニュオの怒涛の三連撃がノエンを追い詰める。


「光の風よ……!」


ノエンの反応が本能で即応する石火、

それよりも早くエニュオの槍は尠少(せんしょう)に揺らいだ。

すると、槍を包むように流れる微風が(まばゆ)き、小さな渦を作って疾風となる。

エニュオ・アレクトが現れ出でた際に

威嚇目的で使用した光の柱に似た光源を伴って槍は風を纏った。


ノエンにとってそれは予想外の出来事で

何れにしても窮地であるのは明白だったが

逃れられぬ現実の脅威を目のすぐ先にしても、ノエンは泰然(たいぜん)でいて

一秒一秒を長らく体感していた。


「……」

遅緩(ちかん)な流れが見える。

光の風が迫って、ノエンはこれでは回避できないだろう。

今の状態ではどうやっても直撃する。

 最悪、死を免れない。


或いは、致命ではないかもしれないその攻撃に、

ノエンは恐怖こそ感じなかったが危機感はあった。

畏怖無き無心の衝動が押し寄せ、

ノエンの意中 唯静かに生存だけを求める。


光の風を宿した槍からは如何なる逃避も許されない。

エニュオは勝利を確信した。

確実にノエンを討ち果たした、はずだった。


しかしそこにいたはずのノエンは見えず、

エニュオが見失った須臾(しゅゆ)、エニュオの膝元で(うずくま)っていたノエンが驚異的な速度で

立ち上がり、翻身(ほんしん)して弧を描きつつエニュオの後背(こうはい)に回り込んだ。

周りから見れば優雅なターンだが瞬発力は凄まじく、エニュオの反応も追いつかない。


槍の風圧は横軸に拡散していた為に下側の一定空間に穴ができていた。

そこへ屈んだノエンがエニュオの槍の動きを見極め、

紙一重で反撃と回避を同時に行ったのだ。


身体能力を上昇させる方術を以ってしてもこの爆発力は異常だ。

方術やその類とは無縁の、ノエンの常人離れした所作が

加速的な初動を生み、方術を駆使したエニュオを出し抜いた。


ノエンはそのまま短剣で一刺しを加えるかに見えたが

短剣はいつの間にか(ほう)っていて、無手だった。

少し跳躍したような高さの位置で、後頭部に打ち込まれるは

正確無比な掌底。少女の体術にしても余りに効果的で無駄の無い一打だ。


これも、いつもならば脳震盪のような症状を引き起こし一時的に無力化しただろう。


だがそれを喰らったエニュオは後頭部を摩っているだけだった。

「……酷い頭痛だ。

 参りましたよ、何ですかさっきの動きは」

直前の集中力を切らし、エニュオは口を開いた。

二度も不発、想定通りに進捗しない相手にエニュオは

多様な感情よりも先に感嘆した。


そのことにノエン自身も驚いていたが

これでも無傷に等しいエニュオに違和感を感じた。


また結界か、と半ばげんなりして嘆ずるも

ノエンは無意識に追求する生残(せいざん)に執着していた。

誰しも九死に陥れば生きたいと願うのは当然かもしれない、

それすら超越してノエンは、土壇場で死を遠ざける"能力"があったのだ。


それは無自覚に、絶対的に発祥する寸時の危機回避反応だ。


ノエンは纏っていた黒衣を脱ぎ捨てた。

短く総髪は黒い、瞳は漆黒に染まり 淡い鈍色が混じったジャケットと

装飾のない涅色(くりいろ)のカーゴパンツような下衣が(あらわ)になる。

デザインなんてお構いなしの実戦を想定した作りだ。


戦闘に赴く身なりであるが戦地に似つかわしくない少女の懸隔(ギャップ)

エニュオに異様でいて練達された幼い暗殺者を思わせた。


生地は薄手で外套の煩わしさは失せた。

見るからに軽装となったからにはノエンは愈々(いよいよ)正念場を迎えたのだろう。


「光の風を付与した槍は僕の奥義なんですがね、

 あんな躱され方があるとは。

 結界を割増ししておいて正解でした。特に背面には気を配ってね」


ノエンは得心した、通りでダメージがないわけだ。

なるほど、結界とは万能で厄介なものだ。

だが、方術が如何なるものなのかノエンは判断できないが

それを打ち破る力の圧倒か、はたまた意識の外を狙うか、

遣り様は幾らかある。決して無敵の盾ではない。


再び互いの距離は開いた。

エニュオは二度の交戦で警戒を強めている。

慮外(りょがい)の攻撃はさらに厳しくなるだろう。

決定打に弱いノエンにとって圧倒するのは不可能に近い、

となれば畢竟(ひっきょう)、意識の外方(がいほう)に付け込むしかあるまい。


ノエンが拾い上げた短剣の剣先は若干刃こぼれしていた。

槍との接触はなかったが、光の風の衝撃が影響したのだ。

あれが実際に命中していたら甚大な被害を受けていたかもしれない。


幸い、理解し得ぬがノエンは好調だ。

曲技(きょくぎ)(こな)す今ならば敏捷に、相手を軽々と上回る。

結界が全身を覆っていても最も脆い箇所を見つけ、張り直される前に叩く。

なんて明快な事だ、 されど実行は多難。

そう単純に事が進めば良いが、ノエンには気掛かりがあった。


ロサード達、テロリストのことだ。

ここへ向かっていたはずの彼等はノエンが最上階へ到達するまでの間に

確認できなかった。少なくとも、

今現在テアトルム内部に残っている人間は限られる。

その中にテロリストのメンバーが含まれているかは不明だが、

ノエンは予想していた。彼等の目的は既遂(きすい)しているのではないかと。


余計な思考は戦闘の邪魔になる。

それでも今のノエンは澄明(ちょうめい)な感覚を伴って俯瞰する自己を発現していた。

別の人格のような、透き通った潜考(せんこう)がノエンに数多(あまた)の可能性を提示し、

とても落着させる。必要ないはずの情報でさえ観点に加える余裕の表れが

ノエンを緊張とは裏腹の寛闊(かんかつ)な気持ちにさせる。


それは意図して起こるものではない自然の産物だったが

余地があっても、戦意が失われたわけではない。

言うなれば怜悧(れいり)且つ冷静な判断ができる状態になったのだ。

元よりノエンは沈着ではあったが無意識に自制していた

あらゆる能力が最大限発揮されたと言える。


「どうにも、儘なりませんね。たった数分ですが明瞭に感じられる。

 貴女は異質な存在のようだ。先の侵入者やテロルを行う者達とは明らかに違う。

 別の思惑、強い意志を以って現れたと見受けます。」


エニュオがノエンの様子を見て、開口仕出す。


「……如何ですか 矛を収めれば、貴女が渉猟(しょうりょう)するのを黙認しましょう。」


ノエンの目的が紛擾(ふんじょう)を誘発するような悪行でないと察するに、

エニュオは自分の立場を(わきま)えず、見逃すというのだ。

圧倒的優位に立ったノエンと交渉するからには相応の奥の手があるのだろう。

だがエニュオは、それを使うことを躊躇した。

故に、ノエンに停戦を提案するのだ。


ノエンとしても時間を掛けず、任務を遂行したい。

が、一度敵と見定めた相手の言葉を簡単に信用するかどうかは別だ。

こちらの(きょ)に付け入る為の罠かもしれない。

今まで、用心深かったエニュオなら何を仕掛けていてもおかしくはない。


ノエンは短剣を仕舞うが、思い(とど)まり、戦闘の緊張は維持していた。

そして、エニュオの動きに合わせて飛び出そうとしたとき、

下層から鈍い破裂音が反響した。

遅れて、劇場が揺れ 崩落を予兆させる罅裂(かれつ)が床の端に及ぶ。


きっと"淡紅の灰"の仕業だろう。

実際、脅し程度の小規模だがロサードが予め仕掛けていた小型爆弾が作動したのだ。

エントランスホール真上の二階にある支柱が破壊され、不均衡となるが

中心の柱が壊されない限り崩れることはない。


予期せぬ衝撃に怯むエニュオの些細な隙を見逃さず、

ノエンはエニュオを顧みないで、足早に過ぎ去る。

戦闘を続行せず、本来の任務を遂行しに行ったのだ。

まだ圏内に捉えていたが、エニュオは追わず、動かなかった。


「例のテロリストですか……。

 一旦戻ったほうが良さそうですね」


ノエンの去り際を見送り、エニュオは引き返した。

モニタールームのヘリエと合流する気だろう。



爆破が起こったその頃、ロサードは"淡紅の灰"を呼集(こしゅう)し、

劇場全体と周辺を観察していた。


「どうやら、避難は終わったようだ。」


ロサードを取り巻くようにターバンを巻いた団員達が集合している。

中でも一際体躯のいいサングラスの男がロサードの傍らで告げる。


「こちらの配置は完了している。いつでもいいぞ」


「…そうか。………待ちに待ったこの時が 遂にきた、

 今日!この日を境に、俺達の反撃が始まる!

 さぁ、お前達 盛大に暴れてやろうぜ!!」


ロサードが鼓舞を宣言すると、集団は結束し、一斉に叫声をあげた。


ロサード等が陣取っていたのはテアトルムに程近い

廃ビルの一室だ。そこは、教会の巡回ルートから外れた位置にあり

様々な死角に面した発見困難なアジトだった。


"淡紅の灰"が動き出した同刻のグランド・カテドラルでは

数人の司祭が連絡を通して進展を整理している。

フムル・アリフ主導の避難誘導が着々と進み、テアトルムを離れた

教会の施設兼観光スポットでもある黎元(れいげん)の離宮へ劇場の客たちが集められていた。


央都一帯は教会勢力が台頭する以前まで宗教国家ではなかったが

中央から見て、所謂(いわゆる)田舎であるアースリーに聖堂が偏在する今日(こんにち)になって、

教会に連関する事柄が根強くなっていった。そういう意味で、

アリフ司教といえば偶像として崇拝されるほど人民の信望が厚い人物だ。

その名を担ぎ出して、ここまでスムーズに導引できたのだ。


「……枢機卿がテアトルムに到着なされたというのは本当ですか!?」


「…いいえ、こちらでは確認できていませんが」


「ですが、目撃した修道士の報告もあります。」


「……アリフ司教と連絡を取るべきでしょうか。」


フムル・アリフは不在だ。

大衆を統率すべく、一派を連れて黎元の離宮へ向かったからだ。

中央ならまだしもアースリーは諸所でアナクロな傾向がある。

通信手段が完備されていないのも一部の教会が

古い仕来りに拘泥し、受け入れない所為もあるが、

文化が停滞し、未だに通信機器を整備していない施設が多い。

だから、連絡員が態々(わざわざ)足を運んで伝令をしなければならない。


居残った人数を考えても、不確かな情報で動員できる余力はない。

誰しもが連絡係を務められるわけではないのだ。

そうした経緯で枢機卿の到着を知るのは事後となっていた。



誘導される観客に紛れ、要人たちも離宮に同道した。

ノエンは通路を進み、劇場裏手の関係者用エレベーターの前にいる。

すれ違う様にターゲットを逃したが、行き先を知らないノエンが

階段を駆け下って時間を短縮するか決めかねていると通信機が振動する。

知らぬ間に、マナーモードへ切り替わっていた。

これは携帯電話に相当する代物であり、漣が改造を施した特別製で

見た目は単なる小型端末だが、余計な機能が色々入っている。

ある一定時間使用しておらず且つ電波が弱まると着信が振動になるのもその一つだ。


『……ノエン、事態は思わしくない。

 不詳の連中が依頼者を葬った。

 徒労に終わったが、即時中継地点まで帰還しろ。』


「………わかった。」


『それと、教会の主力が近くに来てるらしい。

 遭遇は避け、別路で脱出してくれ…』

『ノエーン!気を付けておくれよー!!』

『弓弦が煩いから以上、交信終了。』


依頼主が殺害されるのは、この手の業界では珍しくないが

外部からこのアースリーまでやってきて草臥(くたび)れるだけとは実に徒爾(とじ)だ。


ノエンは黙って、階段を使うことにした。

またも1階~最上階の長途(ちょうと)が待っているが今度は逆だ。

上るより下るほうが容易く手早い。

何故なら、"落下"すればいいからだ。


螺旋ではないが交互にジグザグ段々と連なる階下の

真ん中に身を乗り出し、降下する。

一階ずつ手すりを突いて勢いを増し、速やかに落ちていく。

あっという間に中程(なかほど)に差し掛かり、

増速すればいま少しでエントランスホールに着くだろう。


地上から5階辺りの地点で

制動するため、ノエンは空中で壁際に寄った。

完全に失速して無事に着地するには階層も足りないし

停止させるための引っ掛けが必要だ。


ノエンなら短剣を使って止まることもできたが

この場は利用せず、体の向きを調整して減速しつつ

2階付近の階段の壁を弾むように蹴った。


捩った半身をバネに 直角に曲折し、

ほぼ真っ直ぐに、ホールへの吹き抜けの上を滑空する。

(さなが)ら人間ロケットの状態で対面の壁へ衝突しそうな勢いを

壁を足蹴した反動で一回転して殺し、ずり落ちる形で徐々に停止した。


タイミングが少しでもずれれば着地できなかったかもしれないが

ノエンは至って適確に1階へ辿り着いた。


エントランスホールは深閑(しんかん)と、誰一人もいない。

教会の迅速な対処によって賑わっていたはずの劇場には数える(ばか)りの者を残し、

それに含まれるノエンも出口へ向かっていた。



淡紅の灰は非戦闘員を入れれば総勢40人余りの軍団で、

ロサードを筆頭とした主要メンバーは散り散りに

副長のブルーイッシュと参謀であるサングラスの男、

そしてロサード自身がそれぞれ三つの部隊に分かれ、指揮していた。

最も頭数の少ないロサードの部隊は少数(なが)ら最後の爆破を担う最重要の仕事を

遂行するべくテアトルムの上層、劇場全体を統御(とうぎょ)する空洞のスペースに居た。


メンテナンスフロアであるそこへの侵入経路は隣接する高層ビルの屋上から

盗人(ぬすっと)が用いるかのような接着する扁平(へんぺい)な鉤爪の付いた鋼索を

小型の射出機で射出し、テアトルムへ架橋すると斜行して下った。

屋上の位置からさらに下がるとメンテナンスフロアより下部に降りることになるが

先の爆発で内側から揺らし、特殊なバーナーで元素結合を溶融し

強化硝子を変形させられれば堅牢なテアトルムといえども闖入(ちんにゅう)できる。

そうして、内部へ侵入できればロサードが監視を掻い潜るなど軽易(けいい)だ。


最初の威嚇に続く第二の爆破はブルーイッシュが率いる一隊が担当していた。

それを皮切りにテアトルムを倒壊させるような怒涛の爆発が起こる画策だ。

ブルーイッシュ隊はテアトルム直下の穴蔵にいる。

そこにはメインホールに直結する大きな柱と複数の基盤が点在し、

テアトルムという巨大な建造物を構造的に支える脚を成していた。


「皆、用意はいいか。 ここが劇場地下の主柱だ。

 念の為、分散して配置しておいた爆弾を一斉に起爆させる。」


ブルーイッシュが先行して柱の前を陣取るとセットされた

爆発物に備え付けられたコンソールを開いた。


これらすべての爆弾は予めロサードを中心に設置していた。

実行者の中にはテアトルムの関係者に扮し、内部に潜り込んだりと

緻密な計画に基づき、テアトルム完成直後から水面下で準備を進めていた。

新たなシンボルとなったこのテアトルムを瓦解させることで

央都へ反逆の意思を表明するのだ。


ブルーイッシュがコンソールのタイマーを調整し直し、最終確認を終えると

地下の方々へ散って爆弾の位置を計算していたメンバーの一人が

寄ってきたブルーイッシュに告げる。


「諸々、問題ないっす!」


「よし。時限式だが迅速に動かなければな、

 作動を確認したらすぐにロサードに合流するぞ」


「へい!じゃあ早速……

 ん?なんだ…あれ………」

起爆スイッチを持った一人が押す間際、遠くに朧に動く影が見えた。


「どうした、起爆はお前がやるんだろう」


「いや、向こうに何かが……」


ブルーイッシュが視線の先に捉えたのは法衣を着た

祭祀用の仮面と装飾が目立つ幻怪な何者かだ。

それがゆっくりと、確かにこちらへやってくる。


そして、全体像がはっきりする近さまで来ると立ち止まり、

くぐもった声で囁いた。


「汝、(あがな)うか……」


意味も明瞭にならぬまま、法衣の人物が右手をかざすと

遠くから鮮烈な輝きが発せられたかと思えば

一面を炎が覆っていた。

感じる熱さは遅れて、赤赤と燃え盛る烈火が天にも迫る。


ブルーイッシュ達がこの異常さに気付いて逃げ出そうと思った時には

行く手を灼熱の壁が遮り、やがて高波のように彼等を襲う。


「我が神に、慈悲無し……」


法衣の人物は猶予なくその場から消え、

苦しむ間もない罪人たちは灰燼に帰し白煙だけが残留した。


この作品は、基本がシリアス調なので

敢えて難解な熟語などを多用しております。

分かりづらいかと思いますが予めご了承を。

初心者でしてそのまま投稿したので副題は本文中に書き込んでいます。

尚、1~6話くらいまでは小説内の複数の小節(副題)が付くと思います

あと一話分長めです。携帯で見る方には不親切かもしれません。

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