世界と世界の繋ぎ目で
衝撃を覚悟して目をつむったが、いつまで経っても痛みが来ない。もしかして、失敗したのだろうか。しかし確かに、トラックの大きさに似合わなく高いブレーキ音が、耳元でわんわんと鳴り響いていた、はずである。――それも、いまはしない。
恐る恐る、まぶたを上げる。
そこは、硬いアスファルトの上ではなく、ふわふわとした白の上だった。
「どうも、この度はご愁傷様でした」
背中側から聞こえた声に、私は振り向く。そこに居たのは、黒のスーツでビシッと決めた、メガネでオールバックの男性。
「……え」
「わたくし、ここ〝狭間〟の管理をしております、皆星と申します。早速ですが、今回は自殺とのことで宜しいでしょうか」
「え、あの……うん?」
頭がついていかないことを示すため、私は左に首を傾げた。すると、男性――皆星さんも同じ方向に、首を傾げる。ちょっとかわいい。
「まだ、気づきませんか? ……あなたは、自殺に成功したんですよ」
そのかわいい仕草に対して、声は涼やかだ。
「は、はあ」
「なのでこれから、行き先を決めてもらわねばなりません」
音もなくメガネを定位置に戻す皆星さん。
「行き先?」
「はい。まずお断りさせていただきますと、自殺者は原則、天国へは昇れません。そこで選んでいただくのが、」
ぱしっ、という音がして、羊皮紙が開かれる。そこに書いてあった選択肢は、三つだった。
一、地獄にて職業訓練を受ける
一、〝狭間〟で暮らし、現世へ転生する
一、生前の姿のまま、別の世界へ飛ぶ
「さあ、どれにいたしましょう」
「や、どれ、って」
「何か質問が?」
「うーん……質問というか、ツッコミどころ満載ですよね」
地獄って職業訓練施設なの。私たちニート扱いかっ。転生、はまだ分かるけど、〝狭間〟で暮らすって? 一番の謎はみっつめ、別世界、って。
「ひとつめは、我々のように働きたいとの願望がある方に限ります。本来ならば訓練を受けるために様々な試験が必要なところを、自殺者の皆様は免除させて頂いています。それなりの人生経験がありますからね。
ふたつめは、一番人気の安全コースになります。ひとつめを選んでいる途中でリタイアすることになれば、こちらへ移動となります。
みっつめ、は――」
皆星さんはそこで言葉を切ると、咳払いをした。
「どうしても記憶を残したまま生きたい方のための救い道です。しかし、あまりおすすめできません。生前の肉体と今の状態の記憶のままで、あなたがたの地球とは別の、パラレル世界へと飛ばします。ただし、その……行き先はランダムになります故……」
「ど、どうなるの?」
「最悪、飛ばされてすぐに死にます」
「また!?」
「しかも、その世界で死んだことになるので、〝狭間〟や天国も、その世界の理に倣っています。例えばオタマジャクシ族の台頭する世界は水中で、人間にはただの地獄となってしまいます」
「ええー……」
それは、考えちゃうなあ。
普段使わない頭をせいいっぱい動かしていると、「ゆっくりで大丈夫ですよ」と皆星さんが言ってくれた。そもそも時間の流れが違うから、じっくり考える時間があるんだとか。ありがたい。お言葉に甘えて、もう少し考えることにする。
悩む傍ら、盗み見た皆星さんの横顔は、なかなかに整っていて端正に見えた。
結論から言うと、私は「ひとつめ」を選んだ。理由はいくつかあるけれど、一度投げた人生、ここで生前とは違う何かをやってみるのも悪くない、と思ったのである。でも、ひとつだけ、予期していなかったことが。
私が地獄、もとい訓練施設にお世話になるタイミングで人事異動があり、古株の先輩方が、今度はどんな人だろう、と話していた。私はそんなことよりも、人事異動があることのほうがびっくりだったけど。まあそれはそれとして、とにかく、人事異動があったのだ。そして、紹介された人が、まさしく。
「皆星と申します。前部署は〝狭間〟の管理で、担当は死人出迎えでした。こちらでも出来る限りのことはしたいと思いますので、よろしくお願い致します」
涼やかな声に、きゃあっ、と黄色い声が辺りから湧き上がった。
北派文学クリスマス号掲載予定。