4 鴉の嘴
「ケイさん? ああ、うん。お得意様だけど?」
ヤタに命屋のことを尋ねると、そんな答えが返ってきた。
肉屋は仕事の内容に『死』が絡む相手とは手広く商売を行っている。命を売る命屋とは取引があるのではないかと思い尋ねてみたところ、案の定であった。
「命ってのは、本来値段が付けられないほど貴重なモノだろ? それに値段を付けて売るってんだから、命屋の商品はバカ高い。んで、金が払えないヤツは自分が死んだ後の肉体を担保に入れるワケ。もちろん命屋で買った命で生き返って、その後また死んでからの肉体ね。新鮮で状態のいい死体が手に入るから、結構重宝してるんだよねー……詳しい仕組みは言えないんだけど」
「どうせ七日で寿命が尽きることを言わずに買わせて、寿命が尽きるのを待ち構えてんだろ」
路上で命屋の店主と初めて出会った時のことを思い出す。
店主は悪漢に追われていた。あの男は命屋の客で、自分が騙されていると気が付いて報復に来たらしい。店主がアラクネに殴り飛ばされた悪漢を放置したのは、あとわずかの時間で命が尽き、追ってくることはないという確信があったためと後に判明した。
一連の流れは店主が人畜無害を装うために仕込んだものだったのではないかと疑ったが、そうではなかった。アラクネが店を訪れることは予期していたが、出会い自体はまったくの偶然であったようだ。
アラクネの言葉に、ヤタは苦笑いを浮かべた。
「あはは~……まぁ、そういうことなんだけどね……って、なんでキミが知ってんのさ? 命屋さんと知り合いだっけ?」
殺し屋と命屋、命を奪う者と与える者。対照的な組み合わせだ。その二人に交流があるなどという話は、今まで耳にしたことはなかった。
「護衛になった」
「は……? えっ!? 何がどうなってそうなったのさ?!」
過程を丸ごと跳ばした端的なアラクネの回答に、ヤタは驚きの声を上げる。
アラクネは少し考えてから、
「殺しに行ったら命を植えられて、殺された」
そう説明した。
相変わらず端的なその説明を聞いたヤタは「えー」「あー」などと呟き、最後には「はあァッ?!」と叫んだ。命屋の能力を知っていた分、理解が速かったようだ。
「それって、放っときゃ七日で死ぬ身体にされて、命を盾に脅されたってこと?!」
「そういうことだな」
「じゃあ、今の身体って……」
「さっき死んで、また生き返った」
寝て起きた、くらいの感覚で無感動に言ってのける。
異常事態に動じない張本人の代わりに、ヤタが頭を抱える。
「あー……てゆーか、殺しに行ったって……もしかしてこないだ言ってた『なんかの店の女』ってケイさんのこと?」
「だな」
肯定され、がっくりと肩を落とす。
「も~~~、下見とか悪趣味なことしに行くからだよ! ……てゆーか、ターゲットがウチのお得意様だって知ってたら止めてたのに……いやそれよりも、ケイさんに殺されたって、どうやってさ?」
ヤタの知る命屋店主は細腕のか弱そうな女性だ。そんな女性がプロの殺し屋をどうやって返り討ちにしたというのだろうか。
「茶に盛られた」
「あ~~……」
確かに毒薬を使えば、か弱い女性でも殺人は可能だ。
ヤタは常々、このアラクネという男は迂闊な人間であると思っていた。
この男は人を殺すことで己の生を実感する。それすなわち、それ以外の時は死んでいるような状態だということだ。
殺人以外でも突然感情を爆発させることは稀にあるが、基本的には常時スイッチはオフの状態である。
人間観察が趣味のようだが、ただ見ているだけで相手の心理分析をしている訳ではない。強襲には強いが騙し討ちにはめっぽう弱い。スイッチオフ時は注意力が足りていないのだ。
「……で、ケイさんはキミに命を与える代わりに、自分を守ってくれるように頼んだってワケ?」
「そういうことだな」
「キレイな顔して、やることおっかねぇー……」
ヤタは命屋が詐欺まがいのあくどい商売をしていることを知っていた。故に命を狙われる可能性もあるだろうと考えていた。護衛を欲しがる気持ちは解るが、まさかこんな手段を取るとは思ってもみなかった。
「でもさ、生きるために拒否権がなかったのは解るんだけど、仕事はどーすんの? 元々ケイさんを殺す依頼を受けてたのに、殺せなかったじゃ済まないだろ?」
しかも殺害対象の護衛に就くという裏切りだ。命屋に次の刺客が送られるどころか、裏切り者のアラクネ自身も命を狙われる危険性は充分に考えられる。
「元の依頼人はどうしたのさ?」
「それ」
アラクネは短く答え、ヤタの足元を指差した。そこには先程アラクネが殺し、今からヤタが片付ける予定の死体が転がっていた。
「……まじですか……」
「あの女に倍の金額を出されてそいつを殺す依頼を受けた」
「あ、あっさり言ってるけど、それって信用問題としてどうなのさ……仕事なくなるよ?」
「殺しの仕事がなくなるのは惜しいが、護衛の給料は出すと言っていたから最悪でも生活には困らん。それに……――てめぇが口を開かなきゃいいだけの話だ」
裏切りの事実を知っているのは当事者たちと、ヤタただ一人だということだ。
アラクネは無表情に袖に仕込んだワイヤーを撫でる。
「えーと……なんで弱みを握った俺が脅されるみたいになってんの……? ――いや、言わないよ? 言わないけどさぁ……」
無茶苦茶だなぁ、と声を出さずに口の中で呟き、自分のやるべき仕事に取り掛かる。
「ま、俺は俺の仕事をきっちりやるだけで、商売相手の事情に干渉つもりはないよ……キミを敵に回すのも怖いし。それを手懐けたケイさんはもっと怖いよ」
「手懐けられた覚えはねぇ」
「だから睨まないでって、怖いから。はぁ……ケイさん、なんでこんな怖い男を護衛にしようと思ったんだろう? ボディガードが欲しいだけなら、わざわざ危ない橋を渡る必要もなかっただろうに……」
ヤタの疑問は、そのままアラクネにとっての疑問でもあった。
結果的に命屋の目論み通りに事が進むことになったが、殺し屋の命の主導権を握って脅すなど、普通に考えればリスクが大き過ぎる。条件を呑まず、理性を失い逆上した相手にそのまま殺されてしまう可能性も充分に考えられたはずだ。実際、アラクネはそうしようとした。
事前に暗殺の情報を掴み周到に毒薬を用意する暇があるのならば、その間に護衛を雇っておくことも出来たはずである。命を握って脅した相手に給料を払う余裕があるのならば、普通に護衛を雇った方が危険はなくて済む。
――――そもそも、どこから情報が洩れた?
アラクネは背中を向けて作業を続けるヤタを見て呟く。
「てめぇじゃねぇよな……」
「へ? 何?」
呟きは、ヤタの耳には届かなかったようだ。
「いや……なんでもねぇ」
「? ……ところで、いつまでもここで俺とくっちゃべってていいワケ? ケイさんのボディガードなんでしょ、早いとこ戻った方がいいんじゃないの?」
アラクネがこの場にいるということは、その間命屋は一人無防備な状態でいるということである。アラクネがこの場にいる理由は命屋の依頼によるところではあるのだが、目的を果たしたのならばさっさと彼女の元へと戻るべきではないのかとヤタは思った。
アラクネは部屋の中を見渡し、時計の針を確認した。
「いや……まだ大丈夫だ。あの女が出掛けている間は自由にしていいと言われてる。自分が呼んだ時以外、傍にいる必要はないと言っていた」
「必要ないって……それって何のための護衛なのさ……」
殺し屋の男の感覚も理解出来ないが、命屋の店主の感覚は更に理解出来ない。
普通を自称する肉屋の男は、それ以上詮索するのをやめて自分の仕事に集中することにした。