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みことや  作者: ナルハシ
3/41

3 蜘蛛の血

 ――――俺は、どうなった……?

 

 アラクネは、硬い床の上で目を覚ました。

 身体を起こそうと手を突くが、力が入らない。身体がだるい。

 一旦諦めて突いた手を投げ出すと、びしゃり、と濡れた感触が手の平に伝わった。

 二の腕から指先に向かって視線を這わせていくと、その先端が赤く濡れていた。更にその先へと目をやると、床に血塗れのナイフが落ちていた。


 ――――そうだ、俺は……


 自分の胸をまさぐる――傷がない。痛みも感じられない。

 シャツを摘み上げて見てみると、それは真っ赤に染め上げられていた。


 ゆっくりと身を起こす。眩暈を感じた。

 頭を軽く振って視線を落とすと、周囲の床には点々と血が撒き散らされていた。


 ――――あの女は……?


 周囲を見渡す。

 殺風景な部屋――命屋の店に間違いはない。

 女の姿はない。女の着ていた服だけがソファーの背もたれに掛けられている。床と同じように点々と、血が染み付いている。


 カチリ、とドアノブの回る音。

 奥の扉が開かれ、件の女が姿を現した。

「あら……起きたのね。気分はどう?」

 服を着替え、シャワーを浴びた後なのか濡れた髪を拭きながら尋ねる。

「てめぇ……っ」

 アラクネは一瞬で距離を詰めると、女の首を掴み壁に叩きつけた。

「――うっ!」

 衝撃が背中から肺へと伝わり、女は呻き声を洩らす。

「……っ」

 女の首を掴んだまま、ぐらりとアラクネの身体が(かし)いだ。

「急に動かない方がいいわよ。血が足りていないのだから」

「……るせぇ……っ」

 なんとか踏みとどまり、女を睨みつけた。

「てめぇ……何しやがった……?」

「判っているのでしょう? 貴方はちゃんと見ていたのだから」

「…………」


 振り上げられたナイフ。

 ずぶりと胸に浸入する、冷たい異物の感触。


 死ぬ直前、その瞬間の記憶。


 ――――覚えている。


 そのためにこの女は、わざわざ身体の自由を奪う薬を使った。

 抵抗出来ない状態で殺し、その光景を本人に見せつけるために。


 だが、そうする理由が解らない。


 自分を殺しに来た男を、殺される前に殺すのが目的だったと言うのなら、致死性のある毒薬を使えばいい。そうすればそれで終わる。

 自らの死を理解させることに――理解させた上で『生き返らせた』ことに何の意味があるというのか。


「何を考えてやがる……? こうなることは考えなかったのか?」

 細い首を掴んだ手に、一瞬だけ力を込める。女はわずかに顎を上げ、か細い喘ぎ声を洩らした。

 力を緩めると、女は軽く息を吐き――微笑んだ。


「貴方に私は殺せないわ」


「……んだと……?」

 指が微かに動くが、それ以上力を込めずに話の続きを聞く。

「私を殺せば貴方も死ぬわ」

「どういうことだ?」

 指の代わりに、眉間に力を込める。女は表情を変えない。


「蛍の寿命は七日間。貴方に与えたのは、蛍の命」


 女は、謡うように言う。

「どういうことか……解る?」

「解らねぇよ。俺には学がねぇんだ……簡単に言え」

 女は少し困ったような表情をして、少し考えてから口を開いた。

「貴方は七日後、確実に死ぬわ」

「…………」

「だけど私が命を与えれば、貴方はもう七日、生きることが出来る」

「…………」

「貴方はもう、私なしでは生きていけな――ぐ……ぅッ!」

 アラクネは、女の首を壁に押し付けた。

「ざけんな。てめぇに生かされて堪るか」

「でも……もぅ……手遅れ、よ……」

 指に力を入れる。女が呻く。

「俺がてめぇを殺せねぇか、試してみるか……?」

「……い……わ……試し、て……み……」

 女は苦しみに表情を歪める。


 しかしその目は己の生を確信しているかのように――アラクネを見ていた。


「……気に入らねぇ」


 アラクネは吐き捨てるように呟くと、手を離した。

 女は咳き込みながらその場に崩れ落ちた。首元を押さえ、酸素を求めて荒い息を吐く。首と襟元が、アラクネの血に汚れていた。

 女は、アラクネを見上げる。

「死ぬのが……怖い?」

「……るせぇよ……」


 この女が気に入らない。

 この女の目が気に入らない。

 自分はまだ死なないのだと確信している態度が気に入らない。

 自分はまだ死ねないのだと言いながら、死に抗おうとしないその態度が気に入らない。


「てめぇが気に入らねぇ。てめぇは、もっと生かしてから――……死にたくねぇと泣かせてから殺す。それまでは、てめぇに生かされてやる」

「それじゃあ、私は貴方に泣かされないように頑張るわ。ひとまず、契約は成立かしら?」

 女は立ち上がり、乱れた襟元を正す。

「俺はてめぇに命を貰う。てめぇは、俺に何を望む?」


 アラクネは睨む。

 女は、微笑(わら)う。


 ――――気に入らない。



「私を――守って欲しいの」

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