13 蜘蛛の牙
イナバより先に階段の終点へと辿り着いたアラクネは、鉄製の重い扉を開けて屋上へと出た。
扉を半開きにし、その間にワイヤーを仕掛ける。扉を開くとたわんでいたワイヤーが胸、腰、膝の高さに張る簡単な仕掛けだ。三本のワイヤーは全てアラクネの手元に繋がっている。
アラクネの使うワイヤーは人間の肉と骨を断ち切るほどの切れ味を持っているが、ただ触れただけで皮膚を傷付けられる物ではない。手元での微妙な操作があって初めて、それだけの切れ味を持たせることが出来る。
イナバが扉を開けて勢い任せに屋上に出てくれば、ワイヤーに掛かった肉体を切り裂く。ワイヤーの存在に気付かれたとしても、先制攻撃を仕掛けるだけの隙は生まれる。
普段はじっくりと相手をいたぶって殺しを楽しむアラクネであるが、今回ばかりはそのつもりはなかった。通路でのやりとりから察するに、イナバは殺し合いに関しては素人だ。しかし、その得物が厄介だ。どういう趣味なのかヌイグルミに偽装してはいたが、イナバが使うのは手榴弾タイプの爆弾だ。先程通路で使われたのは煙幕弾であったが、当然殺傷能力を持つ物も持ち合わせているだろう。しかも、おそらくは起爆式と時限式を使い分ける。攻撃のパターンが読み辛い上に、間合いも取りにくい。爆弾そのものを避けたとしても、爆風が対象を襲う。完全に避け切るのは難しい。
正直なところ、分が悪い。故にアラクネは一瞬で勝負を付けようとしていた。
扉を見据え、獲物が罠に掛かるのを待つ。
しばらくの後、階段を駆け上ってくる気配を感じた。
そして、その気配は途中で歩みを止めた。
「……?」
アラクネがワイヤーを絡めた指の力を少し緩めた瞬間、鉄の扉が炎と熱風によって勢いよく押し開かれた。
「――――ッ!!」
咄嗟に横に転がって、爆風を避ける。その勢いで、扉に仕掛けたワイヤーが外れた。
「チッ……!」
先手を取られた。舌打ちをして、素早く体勢を立て直す。
「けほっ、けほっ」
煙の立ち込める階段から、少女が咳き込みながら姿を現した。
「うぅ……初めて使ってみたけれど、思っていたよりすごい威力だ……」
鉄扉の蝶番は歪み、周りのコンクリートはひび割れて半壊していた。これまでこの爆弾魔が起こした事件の中では死者は出ていないという話だったが、今の爆発は確実に人を殺せるだけの威力があった。今までは死なない程度の威力の爆弾しか使ってこなかったのであろう、使った本人がその威力に驚いていた。
「けれど、これならお兄さんを殺してあげられるね!イナバの本気、解かってくれたかい?」
アラクネはワイヤーを放つ。
「おっと」
イナバはヌイグルミを放り、小さな爆発でその軌道を逸らした。
アラクネは腕を振り上げ、ワイヤーを鞭のようにしならせる。ワイヤーは辛うじてイナバの頬をかすり、一筋の血を流させた。
「届かねぇか……」
アラクネはもう一度舌打ちをした。
「あははッ! いい、いいね! お兄さんも本気だ! 本気でイナバを殺してみせて! イナバも本気でお兄さんを殺してみせるから!!」
イナバは鞄に手を入れる。引き出したその手のそれぞれの指の間には、ヌイグルミが挟まれていた。アラクネに向けて、それを一気に放る。数体のヌイグルミが大爆発を起こす。
遮蔽物のない屋上では、とにかく距離を取って爆風を避けるしかない。しかし周囲を気にしながら移動しなければ、あっという間に屋上を囲う金網に進路を遮られる。
「あははははッ!」
煙の中から飛んできたヌイグルミをアラクネは横跳びで避ける。ヌイグルミは金網に引っ掛かり、フェンスに大穴を空けた。
次々と投げつけられるヌイグルミを、アラクネは屋上を走り回って避けた。何度かイナバに向けてワイヤーを放ったが、爆発に阻まれて目標に届かない。風が煙を空へと流していくが、それでは完全に煙を晴らすことが出来ないほどに、爆煙は次々と発生していた。もはやほとんど視界は利かない。二人は感覚だけで攻防を続けていた。
「あはははは! ――あれ?」
やがてイナバは足を止め、周囲を見渡した。爆発が途切れ、煙が晴れていく。初めはイナバを中心としてその周りをアラクネが逃げ回っていたが、逃げるアラクネを追い回すうちに、いつの間にかイナバは外周へと追いやられていた。
背後には破れた金網。正面には腕からワイヤーを垂らしたアラクネの姿があった。
イナバは鞄に手を入れる。
「あれ? あれ??」
鞄をひっくり返し、振ってみるが埃しか出てこない。
「ようやく弾切れか」
爆弾は強力な武器であるが、使いきりであるということがその弱点だ。あれだけ派手に消費していれば、すぐに手持ちは尽きる。アラクネはその時を狙っていた。
イナバはじりじりと後退すると、破れた金網の端を掴んだ。
「あはッ」
笑い声を洩らし、ポケットから端末を取り出した。
――――起爆装置!
そう認識した瞬間にアラクネの背後で爆発が起こった。こうなることを計算していたのかは定かでないが、起爆式の爆弾は絶妙な位置に配置されていた。爆風に煽られ、アラクネは前に跳ぶしかなかった。そしてそれを、イナバが腕を伸ばして待ち構える。
「捕まえた!」
倒れこむように飛び込んできたアラクネの身体を、イナバが包み込んだ。首の後ろに腕を絡ませ、後ろに体重を乗せる。体勢を立て直すことが出来ずアラクネは囲いの外へと引きずり込まれそうになるが、すんでのところで金網を掴み、落下に耐えた。
「まだだよぉ」
耳元で囁かれたかと思うと、至近距離で再び爆発が起きた。爆風に押され、金網から指が外れる。
「ぐ……ッ!!」
落下の直前、アラクネはワイヤーを飛ばした。錘が金網に絡みつき、命綱となる。振り子の原理で二人は壁に叩きつけられたが、イナバはアラクネの首に抱きついたまま手を離さなかった。二人分の体重が腕一本にかかり、肩が抜けそうになる。
「はは……あははははは……」
アラクネの肩に顔を埋めたまま、イナバが笑う。
「やっと……やっと、やっと、やっとこの時が来た! 見て!」
イナバは限界まで首を逸らし、胸をアラクネの方へと突き出した。イナバの首に掛けられた銀色のチェーン、その先に繋がれた赤いウサギのヌイグルミが、彼女の胸の谷間から顔を覗かせていた。
「これはね、イナバのとっておきなんだ! これなら二人とも一緒に死ねるよ!」
それは一生に一度、一度しかない人生を終わらせるための、イナバのとっておきの爆弾だった。
「二人でぐちゃぐちゃに吹き飛んで、どっちがどっちだか判らなくなって、二人は区別が付かないくらいに一緒になれるんだ。ピンは外しておいたよ。もう少しだ! もう少しでイナバたちは永遠に一緒になれる! ああ……素敵、素敵、なんて素敵なんだ!!」
イナバは自らの死を目の前にして、歓喜していた。地に足が着いていれば、踊りだしかねないほどに。
「耳元でうるせぇんだよ」
熱の篭ったイナバとは対照的な、低く冷たい声が彼女の耳に届いた。
イナバは、声の主を至近距離で見つめる。
「言ったはずだ、俺はてめぇと死ぬ気はねぇ」
「え……?」
イナバの丸い大きな眼が更に大きくなる。
アラクネは密着したお互いの胸の間に、空いている方の手を潜り込ませた。反対側の肩に向かって腕を通すと、口を使って袖からワイヤーの先を引っ張り出した。
アラクネの首に絡ませたイナバの腕に、ワイヤーが食い込む。
「え……なんで……どうして……? どうして、イナバと死んでくれないの……?」
イナバは混乱した。
「イナバは試練を乗り越えてみせた。そうしたら、一緒に死んでくれるんじゃなかったの……?」
「勝手に決めてんじゃねぇよ……――教えてやる」
アラクネはワイヤーを噛み締めたまま、舌だけを動かして喋る。
「いや……嫌、嫌、嫌……今更そんなの嫌だ! イナバは、イナバは――!!」
イナバは落とされまいと腕に力を込め、しがみつこうとしているのか、宙ぶらりんになっていた足をしきりにアラクネの身体に擦り付けた。
「うるせぇっつってんだろ。俺はてめぇとは死なねぇ……俺の心中相手はもう決まってんだよ。だから――……」
アラクネは、イナバに見慣れた女の姿を重ねる。
「嫌! いや! いやァ!! 独りで死ぬのは寂しい、独りで死ぬのはいやだァ!!」
女は必死に懇願していた。死にたくない、と。
アラクネは胸の間に通した腕を、勢いよく引き戻した。口に咥えられたワイヤーが、アラクネの腕に向かってピンと張った。
支えを断ち切られたイナバは、短くなった腕から血を撒き散らしながら、重力に引かれる。
「てめぇは、独りで死ね」
女は、目に涙を浮かべていた。その目は、絶望に見開かれていた。
―――そうだ、その顔が見たかった。
アラクネは犬歯を剥き出しにして――嗤った。
「イヤあああああアァァァ――!!」
イナバは存在しない腕を必死で伸ばす。
悲鳴は、地面に届く前に爆音によって掻き消された。
イナバは、空中で焼け焦げた肉片と化した。
これまでの比ではない爆発に、宙吊りになったアラクネの身体が煽られる。
熱風が内側から肺を焦がすのを感じながらアラクネは、さすがにこれは死ぬか――そう思った。




