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みことや  作者: ナルハシ
11/41

11 蛍の貌

「あ……」

 

 病院のエントランスを出ようとしていたケイは、その入口に見慣れた男の姿を見つけて一瞬歩みを止めた。

 男はケイの姿に気付くと、逃げるというわけでもないようだが、声を掛けることもなく歩き出した。

「ちょっと、なんで貴方がここにいるの? まさか、つけてきたの?」

 ケイは小走りで追いつくと、男――アラクネを問い詰めた。

「つけたわけじゃねぇ」

「じゃあ――……ヤタさんね……」

 恨めしげにその名を呟く。それに対してアラクネは肯定も否定もしなかったが、他に可能性も考えられないので沈黙が肯定であると考えて間違いはなさそうだった。

 アラクネは急に立ち止まり、振り返った。早足で後を追い掛けていたケイは立ち止まったアラクネの踵を踏みそうになり、慌てて急停止した。

 アラクネの視線が、ケイの旋毛からつま先へと下っていく。

「……怪我は……してないようだな」

「何? 急に……」

 らしくない言葉に、訝しげに目を細める。

「よく解らないけれど、心配してくれているの? 慣れた道だもの、特に何もないわよ」

「何もないならそれでいい……てめぇが他の奴に傷付けられるのが気に入らなかっただけだ。てめぇを傷付けていいのは――……俺だけだ」

 聞きようによっては情熱的な愛の告白のようにも聞こえる台詞だが、その言葉の真意を知っているケイは、

「それはどうも」

 と実に適当な返事をした。

「何もないのだから早く帰るわよ。ヤタさんのこと、お店に置いてきたのでしょう?」

 そう言ってアラクネの脇を通り抜ける。心なしか、声に苛立ちを感じられた。人を食ったような態度を常としているケイだが、時折このように不機嫌そうな態度を取ることがある。それほど顕著なものではないが、アラクネが普段の態度との違いに気が付く程度には判り易い。プライベート、あるいはもっと限定的な何か――それが何であるのかアラクネには判っていないが――に踏み込まれると、感情の舵取りに乱れが生じる。

(何か、あるのか?)

 アラクネは先程までケイがいた病院を見上げてから、踵を返した。

 建物に完全に背を向けたところで、轟音と、ガラスの割れる音が背後から響いた。即座に振り返ると、先程まで見上げていた建物から、ガラスの破片が陽の光を乱反射しながら地面に降り注いでいくのが目に映った。三階の窓から、黒い煙が立ち昇る。


「……アキ……」


 背後から呟きが聴こえ振り返ると、ケイが蒼白の表情で黒煙を見上げていた。数秒間フリーズしていたかと思うと、急に建物に向かって走り出した。

「何をしてる」

 すれ違う瞬間に、アラクネが素早くその腕を掴んだ。

「は、なして……っ!」

 ケイは腕を掴んだ手を振りほどこうともがくが、アラクネの腕を数センチ動かすことすら叶わなかった。

「何てめぇから危険に飛び込もうとしてやがる」

「離してっ! アキ……アキが……!」

「アキ?」

 その単語を反復すると、ケイはハッとした顔をして、口元を引き結んだ。

「……放して。貴方には関係ないでしょう……!」

 平静を装おうとしているが、身体は未だに走り出そうともがいている。

「関係なくはねぇだろ」

 曲がりなりにもアラクネはケイの護衛である。依頼主が自ら危険に飛び込もうとするのを許すはずもなかった。

「いいから、離しなさい!」

 ケイはアラクネを睨みつける。アラクネはその感情の篭った眼を見て、考える。


「……面倒臭ぇな」


 考えた結果、アラクネはケイの腕を引き寄せた。

「ぐ……ッ」

 引き寄せる勢いを使って、アラクネはケイの腹に拳を叩き込んだ。呻き声を洩らし、ケイの身体からくたりと力が抜ける。崩れ落ちる身体を抱き留め、道の脇に横たえた。

 病院の入口からは叫び声を上げる人々が次々と吐き出されている。

「要は、そのアキってのが無事ならいいんだろ」

 誰にともなく呟いて、アラクネは人の流れに逆らい危地へと赴いた。



「皆さん落ち着いて! 怪我をされた方がいたらこちらに……とにかく、外へ!」

 エントランスは混乱していた。病院のスタッフがエレベーターや非常階段から降りてくる民間人の誘導に追われている。多くは外に向かって走っているが、入院患者の身内であろうか、一部の人間は階段を上ろうとしてスタッフに止められている。

「おい」

「はい――ひゃっ?!」

 アラクネが誘導をしているスタッフの一人に声を掛けると、振り返った女性スタッフは驚きの声を上げた。振り返ったところに民間人とは思えない強面の男が立っていて、思わず怯んでしまったのだ。アラクネはその反応を意に介さず、スタッフに尋ねる。

「アキってのはどこにいる」

「ア、アキ……?」

「ケイって女の……多分、身内だ」

 随分と曖昧な尋ね方だが、それでもこの女性スタッフには思い当たるところがあったようだ。

「アキ……――アキツさん? それなら、七階の――――」

「七階だな」

 それだけ確認するとアラクネは階段に向かった。

「あ、ちょ、ちょっと……――きゃあッ!」

 スタッフは制止をしようとしたが、上階から二度目の爆音が響き、身を竦めた。

 エントランスに更なる混乱が広がる。その混乱に乗じて押し問答をしていたスタッフの脇をすり抜け、階段を駆け上る。


 二階を通り抜け、初めに爆発のあった三階へ。火薬の臭いが濃厚になってきた。アラクネは進路を逸れ、一旦通路へと躍り出た。


 そして、そこでの光景を目にしてアラクネは動きを止めた。


 割れたガラス、焼け焦げた壁。

 焼け爛れた皮膚の色、血の色。

 血の臭い、肉の焦げた臭い。

 呻く声、泣き叫ぶ声。それを助けようとする人間の怒号にも似た声。


 そこでは爆発に巻き込まれた怪我人の救助が行われていた。

 不幸中の幸いと言うべきか、ここは病院だ。重傷の者が三人、その場で医者の処置を受けていた。


 アラクネは身震いをした。

 震える身体を抑えつけるように、片方の腕を掴む。

 しかしこの震えは恐怖によるものではない。


 これは――高揚だ。


 アラクネは、自らの五感が研ぎ澄まされていくのを感じていた。しかしその割に、己の口の端が高く吊り上っていることには気付きはしなかった。


「悪くねぇな」


 アラクネは身を翻す。

 人の生に――自らの生に悦びを感じながら、アラクネは階段を駆け上った。

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