1 蜘蛛の糸
初っ端から残酷描写注意です。苦手な方はご注意ください。
――――生き足掻く姿を見るのが、好きだ。
首に巻きつけたワイヤーを少し滑らせてやると、それは首を絞められたかのように一瞬呼吸を止めた。
ワイヤーに触れた皮膚が薄く裂け、首にぐるりと一周赤い線が走る。
頭がまだ胴体と繋がっていることに気付くと、荒い息を吐き、また命乞いを始めた。
それをしばらく聞いてから、今度は本当に首を絞めてやる。
恐怖と苦痛に眼が見開かれる。気道を確保しようと自然に口は開き、顎が持ち上がっていく。
首のワイヤーを取ろうと、首を爪で掻き毟る。爪は細いワイヤーを捕らえられず、裂けた皮膚をさらに傷付けていく。
首筋が、涎と血に塗れていく。それでもまだ、酸素を求めて口を開き、首を引っ掻くことをやめようとしない。
こんなに情けない姿になっても、まだ生きようとしている。
――――その姿のまま、死んで欲しい。
最高潮にまで達した生への執着。それが消えてしまわぬうちにと、ワイヤーを滑らせながら強く引き寄せた。
栓が飛んだ発砲酒のように、噴き出す赤い液体。
血が流れる。生が流れ出す。
高みにまで達した生が急速に失われていく姿を眺めながら殺し屋の男――アラクネは、己の生を実感する。
「あーあーあーっ! まったく、また派手にやってくれちゃってさぁ……」
布袋を抱えて部屋に入ってきた黒いツナギ姿の男は、部屋の中の惨状を見るなり開口一番文句を口にした。
「……るせぇよ、ヤタ」
生の余韻に浸っていたアラクネは、不機嫌そうに男を睨む。
ヤタと呼ばれた男の頭には薄手のタオルが巻かれていて、そこから鮮やかな赤毛がはみ出している。ツナギと合わせて工場で働くエンジニアのような格好だが、彼はエンジニアでもなければ工場で働いてもいない。
彼の仕事場は死体の転がるこの場所であり、黒い作業着はある種の汚れを目立たせないためには最適のものであった。
「その眼やめてよ。キミが睨むと本気で怖いんだから」
言いながらヤタは血溜りの中を進み、壁にもたれ掛かった胴体だけの死体を足で転がした。布袋を広げ、ジッパーを開く。
「それがキミの仕事だから殺すのは別にいいんだけどさ、もう少しキレイに出来ないかなー? 死体の処理よりも部屋の掃除の方が大変なんだけど」
床には血の海が広がり、壁どころか天井にまで血が飛び散っている。アラクネ自身も大量の返り血を浴び、顔とコートは赤く染まっている。
「血抜きしてやってんだろうが『肉屋』」
アラクネはヤタを通称で呼んだ。
「あーのーねぇ……全部が全部、そっちの趣味の人に卸してるワケじゃないっての。必要に応じた加工はこっちでやるし、パーツが揃ってる方がいろいろと都合がいいんだって」
「知るか」
「うーわっ、開き直りやがった! ……てゆーかさぁ、そろそろ顔洗ってきたら? そんな血みどろの顔で睨まれたら怖さ倍増なんだって、本当に」
言われてようやく気付いたらしく、アラクネはコートの襟首を掴んでその汚れ具合を確認すると、バスルームへと消えて行った。
ヤタは大きくため息を吐き、作業を続行した。
死体の胴体を抱え込み、手足がはみ出さないように丁寧に布袋に入れる。人間だったものを動かすのはなかなかの重労働だ。作業中、死体と床を濡らす血に触れてしまうことはやむを得ない。黒い作業着が、赤い色を吸収してぬらりとした光沢を放つ。
「おい」
分離したパーツをやや乱暴に袋の中に蹴り入れたところで呼び掛けられ、ヤタは振り返った。
「何――んぶッ!」
丸められた血塗れのコートが顔に直撃した。
「棄てといてくれ」
「棄てといてって……どっか行くの?」
コートを脱ぎ、頭を洗い流したことで、アラクネは外を出歩いても問題にはならない程度の身なりになっていた。問題がないと言い切れないのは、濡れたままの髪からぽたぽたと水が滴っているからだ。
「下見」
手で乱暴に雫を振り払いながら、アラクネは短く答えた。
「またぁ? 勤勉は褒めるべきことだけどさ、キミの場合は悪趣味なんだって」
アラクネは殺しの依頼を受けると、必ずと言っていいほどターゲットの『下見』を行う。
標的に接触し、その人柄や私生活――生きている姿を見るのだ。場合によっては相手と酒を酌み交わすほど密に接することもある。
そして互いに顔を見知った状態で、後日仕事に取り掛かる。
顔見知りに牙を剥かれることで恐怖は増長される。平常と極限状態の差が大きければ大きいほどいいのだと、ヤタはアラクネから聞いたことがあった。
「てめぇには解らねぇよ」
「あー解らないね。解らないから、俺は殺し屋稼業辞めたのっ」
かつてはヤタもアラクネと同じく、殺しの代行を生業としていた。現在はその当時のパイプを利用し、死体の処理請負と仲買をしている。仲買といっても大半の場合、死体の元手はタダだ。むしろ死体を手に入れる際には、死体処理の費用を受け取る場合も多いので割がいい。
手に入れた死体の使い道はその状態やニーズによって様々だ。主なケースは病院相手に検体や移植用臓器として販売。特殊なケースとしてはその手の趣味の顧客を相手に、一部分あるいは丸ごとを販売――など。ただの肉の塊となった死体の無駄のない利用振りから、ヤタは顧客から『肉屋』などいう呼ばれ方をしている。
アラクネはヤタが殺し屋をしていた頃から面識があったが、その当時の印象は『その頃は髪の色が違っていた気がする』という程度にしか残っていない。アラクネという男は死に向かう人間の生き様には執着するが、基本的には他者への興味が薄い。
「好き好んで人を殺すなんて、普通の感性じゃ理解できないよ……っと」
ヤタはコートを袋の隙間にねじ込みジッパーを閉めると、勢いを付けて死体袋を担ぎ上げた。
雑談しながら死体を片付けるのは普通の感性で出来ることなのか、とアラクネは疑問に思ったが、そもそも『普通』の基準というものがよく判らないので尋ねずに置いた。
「で? 次に俺が苦労して片付けることになる死体はどんな人?」
皮肉をたっぷり込めて次の標的を尋ねるヤタ。皮肉であることに気付いていないのか、単に気にしてないだけなのか、アラクネは表情を変えず端的に答えた。
「何かの店の、女」
「相変わらず、ざっくりしてんね……」
ヤタは呆れたようにそう言って、肩からずり落ちそうになる死体を抱え直した。