我々がコントロールできること
第一部 二十七階からの眺め
坂だった。里美の朝は、いつもこの坂を下ることから始まる。横浜の山手に連なる古い住宅街は、迷路のように細い道と急な坂でできている 。革靴の踵がアスファルトを叩く乾いた音だけが、静かな空気に響く。ふくらはぎに心地よい張力を感じながら、一歩一歩、駅へと向かう。この身体的な感覚だけが、一日の中で唯一、自分が確かに存在していることを教えてくれるような気がした。
電車はすぐに満員になった。揺れる車内で吊り革を握り、窓の外を流れる景色をぼんやりと眺める。片道およそ40分 。この時間は、誰のものでもない宙吊りの時間だ。他人の息遣いとスマートフォンの青白い光に満たされた箱の中で、里美はゆっくりと自分を消していく。
桜木町の駅を降りると、空気が変わる。潮の香りが混じる風が、未来的にデザインされた高層ビル群の間を吹き抜けていく 。里美が勤める会社は、みなとみらい21地区に聳え立つガラス張りのオフィスタワーの二十七階にあった 。音もなく上昇するエレベーターの中で、鏡に映る自分の顔はいつも無表情だった。三十歳。会社員。年収は五百万円を少し超えるくらい 。横浜で一人で暮らすには、何不自由ない金額だ。その安定が、彼女をこの場所に縛り付けている鎖であることに、彼女は気づいていた。希望があるわけではないが、失望もしていない。ただ、このまま歳を重ねるのが、なんとなく怖いだけ。
その日の午後は、冷たい雨が降っていた。二十七階の窓ガラスを、無数の筋が静かに流れ落ちていく。眼下に広がる港の景色は、灰色の靄に滲んでいた。観覧車も、赤レンガ倉庫も、その輪郭を失っている 。まるで自分の未来みたいだ、と里美は思った。はっきりとした形がなく、ただぼんやりと霞んでいる。雨の日は、街の活気が屋内に吸い込まれてしまう。美術館やプラネタリウム、ショッピングモール。この街には雨の日でも楽しめる場所がたくさんあるはずなのに 、どこかへ出かけようという気力は湧いてこなかった。
自分はどこに向かっているのだろう。このままでいいのだろうか。答えのない問いが、雨音に混じって頭の中で繰り返される。三十歳という節目は、祝祭ではなく、静かな宣告のように感じられた。可能性という名の扉が、一枚、また一枚と音もなく閉じていくような、そんな感覚。
帰りの電車は、朝と同じように混雑していた。そして、一日の終わりには、あの坂が待っている。今度は上りだ。湿った空気の中、喘ぐように坂を上る 。自分の部屋のドアを開けると、しんとした静寂が彼女を迎えた。きれいに片付いているが、生活感のない部屋。コンビニで買った弁当を電子レンジで温め、無言で食べる。テレビをつける気にもなれなかった。静寂が、自分の存在の空虚さを際立たせるようだった。
第二部 アルゴリズムの囁き
夜。里美はベッドに寝転がり、タブレットの画面を漫然と指でなぞっていた。暗い部屋の中で、液晶の光だけが彼女の顔を青白く照らしている。この行為に意味はない。ただ、思考を停止させ、心のざわめきから逃れるための、習慣的な儀式だった。
YouTubeのアルゴリズムは、彼女の心の空白を見透かすように、次々と動画を差し出してくる。北欧の家具で統一された部屋で、丁寧にコーヒーを淹れる女性のVlog 。持ち物を極限まで減らしたミニマリストのルームツアー 。どれも美しく、洗練されていて、けれど自分の人生とはかけ離れた異世界の出来事のように見えた。彼女は無意識のうちに、何かを探していた。この漠然とした不安を埋めてくれる何かを。
いくつかの動画を通り過ぎた後、ふと、一つのサムネイルに目が留まった。派手なテロップも効果音もない、静かな佇まいの動画だった。いわゆる成功者、というにはあまりに地味な印象の、初老の男性が穏やかに語りかけている。自己啓発というよりは、哲学の講義に近い雰囲気だった 。なぜだか分からないまま、彼女はそれを再生した。
男性は、古代ギリシャのストア哲学について話していた 。混沌とした時代を生きる現代人にとって、その思想がいかに有効であるかを説いている。小難しい話のはずなのに、不思議と彼の言葉はすんなりと心に入ってきた。そして、彼がストア派の哲学者、エピクテトスの言葉を引用した瞬間、里美の指はぴたりと止まった。
「自由こそが、人生における唯一価値ある目標だ。そしてそれは、我々がコントロールできない物事を意に介さないことによってのみ、手に入れることができる」 。
その言葉は、まるで雷のように彼女を撃ち抜いた。成功するための五つのステップでも、金持ちになるための秘密の法則でもない。それは、世界の捉え方そのものを変える、根源的な視点の転換だった。里美は何度もその部分を巻き戻し、再生した。静まり返った部屋に、その言葉だけが響き渡る。まるで、ずっと昔からそこにあった鍵が、今、目の前に差し出されたような感覚だった。自分が持っていることさえ知らなかった錠前に、ぴたりと合う鍵が。
第三部 選択の地図
翌日、オフィスからの眺めは昨日と同じだった。だが、里美の目には、世界がまったく違って見えていた。彼女は頭の中で、静かにリストを作り始めていた。エピクテトスが説いた「我々がコントロールできること」と「できないこと」の二分法を、自分の人生に当てはめていたのだ 。
まず、「コントロールできないこと」のリスト。 自分の年齢。時間の経過。会社の景気。上司の機嫌。将来、結婚するかどうか。今日もまた雨が降っていること。このリストを眺めると、昨日までの、あの漠然とした不安が蘇ってくる。巨大で、抗いようのない力に押し流されていくような無力感。
次に、「コントロールできること」のリスト。 今日の昼食に何を選ぶか。同僚に話しかけるか、黙っているか。今夜の時間をどう過ごすか。何を読み、何を学ぶか。そして、この自分の両手で、何をするか。
こちらのリストに意識を集中すると、不思議なことが起きた。「私の人生の意味とは何か?」という、あまりに壮大で答えの出ない問いが、もっと小さく、具体的で、実行可能な問いへと姿を変えていったのだ。「今、私にできることは何か?」「この一時間で、私が選べることは何か?」。未来への恐怖が消え去ったわけではない。しかし、それはもはや彼女を paralysさせるほどの力を持っていなかった。
ガラス張りのオフィスは、もう檻のようには感じられなかった。ただ、今の自分がいる場所に過ぎない。帰り道に上るあの坂は、もはや苦役ではなかった。自分の意志で、自分の足で一歩一歩踏みしめる、身体的な行為そのものだった。彼女は、自分の人生の多くが、外部からの刺激に対する受動的な反応の連続であったことに気づいた。昨日、あの動画に出会ったのはアルゴリズムという偶然だったかもしれない。しかし、その言葉に耳を傾け、それに基づいて行動しようと決めたのは、紛れもなく彼女自身の選択だった。その小さな事実に、彼女は確かな自由の萌芽を感じていた。
第四部 粘土と轆轤
新しい思考は、新しい行動を求めていた。抽象的で、モニターの向こう側で完結する仕事とは対極にある、何か tangibleなもの。自分の手で触れ、形作ることができる何かを、彼女の心は渇望していた。
その夜、里美は能動的に検索を始めた。ただ時間を潰すためにスクロールするのではない。明確な目的を持って、指を動かした。横浜市内で参加できる、初心者向けのワークショップ 。画面には様々な選択肢が並んだ。フラワーアレンジメント、アクセサリー作り、絵画教室 。どれも魅力的だったが、彼女の心をもっとも強く捉えたのは、「陶芸」の二文字だった 。
形のない土の塊を、自分の手で、自分の意志で、世界に一つだけの器へと変えていく。そのプロセスが、彼女がこれから自分の人生に対して行いたいことの、完璧な象徴のように思えた。彼女は、みなとみらいの喧騒から離れた、静かな住宅街にある小さな陶芸教室を見つけ出した。大規模で洗練された施設ではない。個人が営む、温かみのある工房だった 。
土曜日の朝、彼女は初めて乗る路線で、訪れたことのない街へ向かった。その移動自体が、一つの決意表明だった。地図を頼りにたどり着いた工房は、古い建物の1階にあった。大きな窓から、素焼きの器が並んだ棚が見える。静かで、実直で、地に足のついた空気がそこには流れていた。
ドアの前で、里美は一瞬だけ立ち止まった。古い自分のかけらが、最後の抵抗のように彼女の足を躊躇させる。だが、彼女はゆっくりと息を吸い込んだ。それは、意識的な選択だった。
震える手で、ドアノブに手をかける。 そして、押し開けた。
物語はここで終わる。彼女がどんな器を作るのか、そもそも上手に作れるのかどうか、それは誰にも分からない。それは、コントロールできない領域のことだ。重要なのは、彼女が自分の意志で、コントロールできる最初の一歩を踏み出したという、その事実だけだった。工房の中から漏れる、ひんやりとした土の匂いが、彼女を新しい世界へと招き入れていた。




