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4.

「えっ」


 私の脳は


「えっ」


 完全にフリーズした。


 楽しげに裏方チームへ混ざっていく紀平吉良を、

 当の裏方チームからも驚きの目で迎えられている紀平吉良を、


 ぼんやり眺めるしかなかった。


 課題が『ウエスト・サイド・ストーリー』らしいということも、後日人から聞いて知ったほどだった。






「どういうことなのですか」


 当然授業後、私は廊下で彼女を捕まえた。


「あぁ、新しい舞台のこと?」


 私はなかなか剣呑な空気を纏っていたと思う。

 普段演劇ばかりしている私たちには、(なま)の感情はむしろ味付けが薄いかもしれない。

 それでも優しいものではなかったはず。


 だというのに、彼女は(ほが)らかな笑顔で振り返った。


 それがすでにやや気が立っている私を、さらにイラ立たせる。

 が、ここまでくると、逆に一周まわってそれを自覚できたので。

 私はなんとか冷静を装える。


「あれは、なんでしょう。『たまには裏方もやってみたい』『これも芸の肥やし』と?」


 それは質問のように見せて、そう、ただの願望。

『そう答えろ』という誘導。

 一見腕を組んだ立ち姿も、実際は両肘を抱えて強張っているだけ。


「いや、違うよ?」


 そんな防御は一瞬で粉砕される。

 私は気が遠くなった。


「な、ん……」


 防御するくらいには心のどこかで身構えていたのに。

 なのにまともにアゴに食らったかのように、目の前が白飛びする。


「私、照明がしたくなったの」

「照、明」

「そう。私、将来は照明さんになりたい。だからそっちを勉強していくことに決めたの」

「な、なぜ」

「なぜって、何?」


 自身が照明の道を行くことに、『なぜ』と問われる意味が分からない

 紀平吉良の声が、表情が、首の角度がそう語っている。


 瞬間、今度こそ私の激情は爆発した。



「なぜだっ!! 紀平吉良っ!!」



 私が急に怒鳴ったものだから、彼女は目を丸くしている。

 他の廊下を移動中の生徒たちも振り返り、教室の窓から顔を出す者もいる。


 舞台とは違う衆目が刺さったのだろう。

 彼女はとりあえず収拾をつけようと声を絞り出す。


「あの、ね? 確かに、今まで一緒に自主練してきた透子ちゃんには困ることかもだけどね?」


 そうだ。私たちは一緒にトップを目指して、志高くやってきたはずだ。

 その思いは一緒ではなかったのか。

 あの時間は、私とあなたの時間は、そんなに安いものなのか。


 奥歯と手のひらに圧が掛かる私へ、彼女が語る答えは


「でも、私、照明がやりたいんだ。なぜ、って言われたらね?」


 持ちまえの長身と表現力で、彼女が魅せる答えは


「照明はね? 役者たちの姿を映し出す最高の手助けができるの。輝いている姿にスポットライトを、悩み苦しむ姿に月の光を。いろんな演出で魅力の全てを引き出して、観客に届ける魔法の光なの」


 到底納得できるものではなかった。


「だから私は照明がやりたい」


 そんな言葉、一年生の終わりにいくらでも聞いた。

 裏方なんて、この学校では自身と周囲の才能の壁にぶち当たり、夢破れ心折れた者が流れ着く場所。

 今みたいな台詞なんてのは、そんな少女たちが


 それでも『負けた』の三文字を認められず、隠すために修飾語で埋め尽くした脚本だ。


 三流も三流の


「ナンセンスな、脚本」

「ん。まぁ、私がやりたいのは照明だからね」


 必死に説明したのに、私がこんな態度だからだろうか。

 紀平吉良の反応が、少し寂しそうな、冷めたような声色になる。


 しかし寂しいのはこちらの方。

 私の中に一瞬で、言葉が、感情が溢れる。



 あんな敗者たちと同じ台詞を、よりによってあなたが。


 しかも照明をやるだなんて。

 誰より眩しい存在だからといって、本当に照明をやるなど悪い冗談だ。


 そもそもどんな照明とて、照らす役者に輝きがなければ意味がない。

 なのに、一番の宝石がいなくなるなど本末転倒ではないか。


『紀平吉良』という才能に無自覚なだけでも罪なのに、ましてやそれをドブに捨てるのか。

 もはやその行為は、他の裏方へ回った役者志望たちへの侮辱ですらある。


 何よりその眩しい姿で舞台に立つ以上に役者を、

 私を照らす照明などあるものか。


 少なくとも、私はそう思ってずっと二人で高め合ってきたのに。

 なのにあなたは、そんなこと少しも思っていなかったのか。


 私はあなたが眩しすぎて、ときに直視できないほどだったのに。

 幾度となくプライドを焼き尽くされ、悔しくて悔しくて眠れない夜があったのに。

 それでも必死に喰らい付いてきたのに。


 むしろあなたこそ、私など視界に映っていなかったのか。


 こんなにも、こんなにも眩しく照らすくせに。

 私程度の光なんかじゃ、白飛びしてしまうほど眩しいくせに。

 こんなにも、眩しい



 とにかく自分の中で洪水となって、うまく言葉に出力できない。

 なので私は、まずは短い言葉にまとめようとした。

 彼女を引き止めるために、役者を続けさせるために。


「あなたは自分の」


『価値を分かっていない』


 そう続けようとして、


「あっ」


 気付いてしまった。


 自分の価値。

 相手に自身の価値を問う私が、私自身に見定める価値。


 一説には、人が他者へ話す言葉は深層心理で一度自分に向けられるという。

 だからだろうか。

 それに一瞬向き合って、私は気付いてしまったのだ。


 私の価値、才能。

 それは


 かつては


『紀平吉良という煌めきを自身への照明にして輝く』


 などと(のたま)い戦ってきたが。


 本当にそうか?

 彼女を巻き込み、かつ、越えていく意志が、本当にあったのか?


 いつしかそれを言い訳にして実は、


 本当は自分の方がむしろ。

 あの最も輝く存在を引き立てる、ふさわしい添え物になりたいのではないか?


 あの輝きを、一番近くで見ていたいにすぎない、

 そのためのトップ2の座でしかないのではないか?


 いや、このタイミングで頭をよぎるということは、それは



 だとすれば、どの口が『あなたは自分を分かっていない』と言えるのか。

 何より


『この天才が二番手に甘んじるなんて、というハングリーさを与えてくれるがゆえに彼女へ付き纏っていた』

『まだ一番を目指している、目指す力と権利がある。私は天才演劇少女』

『そこへ返り咲くために、誰より私が輝くために。高め合う材料として彼女と切磋琢磨した』

『だから舞台にいる。自分が一番だと証明するため舞台に立っている』


 というアイデンティティが、崩壊してしまうのではないか?



 そう。

 一緒なのではないか?

 ついさっきまで私が


『才能の壁にぶち当たり、違う道を選んだ敗者』


 などと思った人々と。

 であれば、私が(いだ)いた、わずかな親近感は……



 結局またも、うまく言葉にできないでいると


「ねぇ、もういいかな? 次の授業始まっちゃうよ」

「えっ、あっ、はっ、はい」


 自分でも驚くほどあっさり、私は紀平吉良を行かせてしまい、

 彼女の説得に取り掛かることすらできなかった。






 あの時何も言えなかったのなら、のちの機会でも何も言えない。

 結局私は最初の一歩すら踏み出せず、彼女を翻意させることはできなかった。



 こうして紀平吉良は裏方の照明役としてエントリーし、

 裏方がつかない授業では今までどおり演じたが


 公演は学年末すらも照明にまわることを要望し、



 私の方は、舞台ではない彼女との絡みでは満足できず、

 しかし演劇論を交わすことも、高め合うこともなくなり、






「はぁ」


Chartreuse(シャルトルーズ)』を訪れるのも、月一回あるかないか。

 一人で行って、ケーキ一切れを丸々食べるようになってしまった。


「紀平さん。ねぇ、紀平さん」


 狭いイートインを見まわし、


「あなたの取り分がありますよ? 食べに来ないんですか? 早く来てくれないと、じゃないと私」


 脳裏に人(なつ)こい笑顔を浮かべ、



「このままだと、太ってしまうじゃないですか」



 それと合致する少女がいることを期待しながら。

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