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3-2.

 元々面談室ではなかったのだろう。

 古いガラス扉のキャビネットに、ファイルや分厚い書類がびっしり。

 さしづめ滅多に出さないものを追いやった物置きに、机と椅子を置いて再利用といったところ。


 ホコリくさいし、

 ただでさえ狭いのに雑に段ボールを積んでさらにスペースを圧迫するし、

 いまだに空調がなく型落ちの扇風機が鎮座しているし。


 放置具合が半端ない。


 そんな一室に入るなり、先生は椅子に腰を下ろすまえから口火を切る。


「あのね、このまえ、一年生の学年末公演があったでしょ?」

「はい」



 本学の授業でやる演劇は、大きく二つに分けられる。



 多種多様なシーン・感情・演技を経験するための、本当に短い切り抜きの脚本。

『こんなものもあるんだよ』と経験させられる、即興劇(エチュード)やら吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)やら。

 これらは基本的に、単発から数回で終わる単元が多く入れられている。



 もう一つが、年四回に分けて四つの劇をじっくり練習するもの。

 これは教科自体が先ほどのものとは分けられており、実際に舞台に立って公演も行う。

 と言っても四回のうち二回は、教員や生徒が見るだけの学内公演で終わってしまう。


 しかし残りの二回、夏休みまえと春休みまえ。

 これは学期末・学年末公演と題され、学外のホールで一般公開がなされる。


 そこには生徒のご家族はもちろん、近隣の住民、


 そして、我々が将来目指す業界や芸術大学のスカウトたちがやってくるのだ。


 特に三年生の学外公演は凄まじいと聞く。

 進路に関わってくるため、まず学内公演が削られ、この二回に絞られる。

 前述の単発単位のカリキュラムも全てこちらの稽古に注がれる。


 逆に言えば、未熟で卒業もまだ先な一年生の部は注目されないのだが。



「東山さんと紀平さん、正直言ってすごい。先生が今まで見てきたなかでも、ちょっと記憶にないくらいなの」

「ありがとうございます」

「だからね、学年末公演ね。先生あちこち声掛けて、いろんな人に見に来てもらってたの」


 まだ三十代に見えるが、これでも元タカラジェンヌらしい先生。

 本学自体のバリューもあって、業界に広くコネがあるのだろう。


「それでね、ここからが本題なんだけど」


 彼女はずいっと身を乗り出してくる。


「皆さん二人の演技に感銘を受けちゃってね? 『学内公演の時も見に来たい』って言われたの」

「二人の」

「そう、あなたと紀平さん。これ、すごいことよ? もう大スター確定みたいな子でも、三年生の時に言われることがあるくらいなのよ?」

「私と、紀平さんが」

「そう!」

「本当に?」

「そう!!」

「本当に!!」






 その後は、『だから普段の授業や学内公演も気合い入れてがんばってね』みたいな話だった。


 もちろん私は一度とて手を抜いたことはない。

 手を抜けと言われたら、そんな舞台に用はないとすら思うほどだ。

 だからそこはどうでもいいとして。



「私と、私の、紀平吉良が!!」



 面談室を後にした私は有頂天だった。

 人生でこれほどの報せは初めて。

 本学への合格発表でも、当然だろうと眺めていたくらいである。


 そう、これくらい私には当然なのだ。


 芸能一家のサラブレッドで、大天才で、演劇の全てを詰め込まれたスーパーエリート。

 はっきり言って業界人から注目されるなど今更な話。物心ついた時からの日常茶飯事。

 同世代の名札より、業界人の名刺の方を多く見てきた自信さえある。



 だから私が興奮しているのは、紀平吉良のことだった。

 一般家庭の()で、町の教会の聖歌隊、ただの公立中学校演劇部。

 彼女のことを知っている業界人なんて、ほぼいなかったはずだ。


 その才能が発掘された。

 私と高め合い、ついに多くのプロが認めるところまで昇り詰めたのだ。

 私の目に狂いはなかった。

 何より、


 彼女が私とともに演劇の世界へ来れば、



 私たちは卒業後もずっと、変わらず互いを磨き上げてゆける。

 私はこれからも、紀平吉良という照明を浴びて輝くことができる。



 それが何よりうれしかった。



 当の彼女は業界からの評価に、


「えぇ、なんか怖いなぁ」


 と舌を出していたが。






 それから一学期、二度の公演があり、

 二度とも私は紀平吉良に敗れた。


 志望する役が被ってオーディションになったのは一回だが、


 やはりそれ以上に、舞台の上での争いで徹底的に敗れ去った。


 であれば、実質三度敗れ……いや、授業のたびに、無数に。



 先生は公演が終わるたびに


「二人とも好評だったよ!」


 と言ってくれたが、私には半分どうでもよかった。


 好評、『素晴らしい』、天才的。

 言われるまでもない。分かりきったことである。

 そんな称賛、今までいくらでも()()()()()にしてきたし、


 あれからずっと進化してきた私が

 紀平吉良という照明を浴びる私が


 輝いていないわけなどないのだから。


 よって私からすれば二回とも、

『二度にわたって自分が紀平吉良に屈する姿を業界に晒した』

 それだけでしかなかった。


 だから今更、千度聞いた評価など慰めにも……


「あっ」


 そこまで頭を巡らせて、私はあることに気が付いた。


「そういえば……」






 紀平吉良が実家へ帰る前日の昼下がり。

 私たちは『Chartreuse(シャルトルーズ)』を訪れていた。

 目の前のテーブルには相変わらずの紅茶が二つと、今日はベイクドチーズケーキ。


「なぁに、話って」


 私が彼女を呼んだのだ。


「いえ、少し思い立って、聞いてみたいことがあったのです」

「夏休みいっぱい、よりは少し早く帰ってくるよ?」

「そういうことではなくてですね」


 呼び付けておいてモジモジしては失礼に当たる。

 もう初めて昼食に誘ったときの私ではないのだ。


「あなたは、私の演技を、どう思っていらっしゃるのかと」

「えっ」


 紀平吉良は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

 さすがの彼女も、こればかりは演技ではなかっただろう。


「私たちはいつもお互いの演技を講評し、演劇論を戦わせてきました。でも」

「『そもそもどう思うか』みたいな話はしてこなかったな、って?」

「えぇ。ですから、お帰りになるまえに一度、聞いてみたかったのです」

「そっかぁ」


 お聞かせ願えますか? という視線を投げると。

 彼女はフォークの持ち手の頭であごを押しながら、うんうんあれこれ首を傾げると、


「美しいよ」


 ポツリと切り出した。

 その目は真っ直ぐ私を映しているが、見ているものは別のようにも感じられる。


「自信があって、しなやかで、力強くて、でも繊細で。まるで黒豹の王みたい」

「黒豹……」


 独特なセンスゆえに、今までに言われたどの称賛とも違う

 というのはいいとして。


「面と向かって言われると、少し恥ずかしいですね」


 久しぶりに、本当に久しぶりに。

 他者からの称賛に胸が熱くなった。


 誰の何万字の喝采より、私が唯一求めていたのは


 しかし、


「でもね」


 彼女の声が少しだけ低くなる。

 それはマイナスの発露というよりは、



「でも、少しだけ足りないの。輝きが、眩しさが」



 何やら思索げな、深い声だった。

 対して私は、


「それは、どういう」


 もちろん疑問だが、それ以上に反射的な。

 自分でも驚くほど掠れた声が漏れ出た。


 しかし紀平吉良が答えることはなく、

 私も呆然として、踏み込むことはできなかった。



 その後私たちが会話を再開するには、何分ものたっぷりした間合いが必要であり、

 そのころには話題も、


『こちらから遊びに行っていいか』

『お土産は何がいい』


 というような、たわいないものにすり替わっていた。



 本当は、本当は私は。

 自分の評価を聞いたあとに


『私の方はこう思っている』



『あなたの演技は誰よりも眩しい』

『私の全てが白飛びしてしまうほどに、激しく美しく照らしてくれる』

『あなたがいるから、私は高みに演じていける』



 そう伝えたかったのに。



 それは戸惑いで虚しく流れていった。

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