2-2.
「ここは?」
「じゃじゃ〜ん! 『|Chartreuse 《シャルトルーズ》』って言いまぁす」
「読めば分かります。ケーキ屋さん、ですか?」
「見れば分かるでしょ」
寮を出て30分ほど歩いたか。
彼女に連れてこられたのは小ぢんまりとした、いかにも町のケーキ屋。
チェスボードと同じ柄の庇が愛らしい佇まい。
決して日本でも指折りの味とかいうこともなさそうだが。
近所の子どもは毎年ここのケーキで歳を重ねるような、そんな雰囲気。
「ここがね、いいんだよ〜」
「あなた、遠方からの寮生ですよね? よくもまぁ数ヶ月で、こんな穴場めいた」
「作るのが好きな人はね、食べるのが好きなことも多いの」
紀平吉良はわんぱくに笑ってドアを押す。
カランカランと、万国共通そうなベルが鳴った。
これを付けていないケーキ屋を、ついぞ見たことがない。
「いらっしゃいませー!」
店内はひんやり涼しく南欧の民家風。陳列棚の向こうでは、大学生だろう女性が微笑む。
見るからにケーキ屋かカフェでバイトしたがりそうな顔。次点で本屋か花屋。
「透子ちゃん、何食べたい?」
そして、ややファンシーとは離れる長身の彼女が。
腰を折って並んだケーキを覗き込む姿が、実に空間によく馴染む。
ベージュのボウタイブラウスにインディゴの鮮やかなロングデニム。
フェミニンとユニセックス、シックとスタイリッシュ。
相反する全ての狭間にあって、全てに順応する、役者の鑑のような。
「私は、なんでも。おすすめは?」
「なんでもおいしいから、パイナップルのタルト・タタンな気分」
「ではそうしましょう」
「じゃあ先座ってて」
紀平吉良が注文しているあいだに、私はイートインスペースに座る。
二人がけのテーブルが三つ四つある程度の狭い空間。
けれど窓辺のぬいぐるみや観葉植物、外に見える四車線の大通りが素敵な空間。
しかしその全てを堪能するまえに、一番眩しいものが正面に腰掛ける。
「お飲み物、紅茶でよかったかな?」
「えぇ。気分ですか?」
「ううん、このあと学校行って実践でしょ? コーヒーは、息がね」
「なるほど、分かります」
「タルト・タタンは紅茶と一緒に持ってきてもらうからね」
「はい」
まるで冷静かのように受け答えをしている私だが。
これがあなたか! 紀平吉良!
実は胸の内が、やたら熱くなっていたりした。
技術や演劇論でないドリンクのことにすら意識を向けている。
本番やリハですらない練習にも、弛まず意識を向けている。
のんやりとしていながら、むしろだからこそ、全てが自然体で演劇を見据えている。
そう! それでこそ私のライバル!
これこそ私が、実力と同じくらい周囲に求めていた意識の高さであり、
『少し声を震わせてビブラートをかけるのよ』
『すり足をするときは絶対につま先を上げるな。足の裏を見せてはいけない』
『美しく見える指先の角度は』
とにかくひたすら、機械のように高度な技術を詰め込んだ私。
メンタルや思考の底から、存在そのものが演劇に満ちている紀平吉良。
名門同士のサラブレッドであり、厳しい環境でなるべくして作られた私。
聞けば小さい頃は地元の聖歌隊で中学が演劇部だっただけの、『好き』だけでここまで来た紀平吉良。
私と好対照という、
このうえなくライバル心を与えてくれる存在であり、
このうえなく敗北感を叩き付ける存在であった。
震える私の目の前に、
「お待たせいたしました。パイナップルのタルト・タタンとアッサムティーでございます」
運ばれてきた愛らしくも優雅なセットは、
「あれ、紀平さん。これ」
タルト・タタンが1切れしか載っていなかった。
注文ミスかと思って顔を上げると、
そこにはパイナップルより瑞々しく、キャラメリゼより艶やかな笑顔。
「分けよ? 私たち太っちゃいけないからさ。でも1個も食べなかったら罪悪感なしね!」
「……なるほど。良い考えです」
フォークが手汗で滑りそうになる。
この女は、どれだけ私を喜ばせ、苦しめるのか。
タルト・タタンは人生で一番甘かった。
甘くて甘くて、実家へ手土産に持ってこられる和三盆より下品に甘くて、
蜜に絡まり、溺れてしまいそうだった。
そんな私の様子を見て紀平吉良は
気に入った?
二人で半分ずつなら定期的に来られるね。
笑った。
溺れることは確定事項となった。




