2-1.
それからというもの、私は何かと紀平吉良に拘うようになった。
それは彼女という最高の照明を浴び続けるためであり、
正直言うと。
あの日のことを『敗北感』と感じていた私だが。
それは裏庭での自主練によって『真の敗北』へと進化しており、
『トップだったはずの私を上回るほどの存在』
『ありえない』
『信じられない』
『認めない』
『苦しい』
『妬ましい』
などという、激しいライバル心を超えた敵意を抱えると同時に
『その輝きの源泉を、秘訣を暴きたい』
『そして必ず吸収し、彼女を上回って見せる』
という、自身で燃やし続けるのとは別の情熱の味を知ったからだった。
「紀平さん。先ほどの現代文、『私』と『先生』を読み解きたいのですが」
「役作りの練習だね」
「はい」
それと、もう一つ付け加えるとすれば、
「じゃあそういうわけだから、私ちょっと外すね」
「いいけど、最近キラ、東山さんと多いね」
「透子ちゃんすごいんだよぉ? 勉強熱心だし、私も勉強になるし」
「へーへー、やっぱり上位勢は心構えが違うんだなぁ」
「では、紀平さんを借りていきますね」
「ちゃんと返せよ〜」
私は紀平吉良の手を引き、足早に教室をあとにする。
「透子ちゃん、どこ行くの?」
てっきり机を合わせてくらいに思っていたのだろう。
彼女は少し戸惑っていた。
「裏庭なんていかがでしょう」
「また? 好きだね、あそこ」
「えぇ。花壇がきれいでしょう? それに邪魔が入らない」
「邪魔? ちゃんと断ったんだから、誰も邪魔しないと思うよ?」
要領をつかめていない、間の抜けた声が返ってくる。
私は思わず足を止め、彼女の方へ振り返った。
「紀平さん」
「はっ、はい」
「決して悪く言いたくはありませんが、それでも学友の皆さんは少し意識が低い」
「えー」
急な内容に彼女は困っているようだった。
思えば声もキツい感じだったかもしれない。
「別に『四六時中演技について考えていなければならない』とか。『私が紀平さんに声を掛けたのを見て、自身も練習への参加を求めなければならない』とか。そこまでは申しません」
「うん」
「しかしそれでも、『成績上位は違うなぁ』などと。あのようなマインドは不健全です」
「そう、かも、だけど」
「時にそういう方は、同じ空間にいるだけで影響してしまう」
「そんな言い方」
私がつかんでいる手を胸の高さまで持っていくと、彼女の戸惑いはいよいよ強くなった。
口付けせんばかりに顔を近付けると、うぶな少女のように目を逸らしてしまう。
それが心を浮つかせたか。
「紀平さん、あなたは本当に素晴らしい。優れた演者です」
「あ、ありがとう」
「だからどうか、あなたはそのままでいて。ああいった人に染まらないで」
勢いのまま歯の浮くような、それでいて何サマな言葉を口走る。
ともすれば
『友人を侮辱するな』
『不愉快な物言いを』
と言われかねない発言だったが。
やはり元来穏やかなのだろう。
紀平吉良は私を否定したり拒絶したりせず、なんと答えていいか分からない顔をしている。
逆にはっきりしていることは、
私は紀平吉良が低レベルな連中とつるむのが許せなかった。
また、私は彼女から他者を遠ざけたかった。
このスポットライトを浴びる権利があるのは、私だけだと思っていた。
そんな嫉妬と傲慢、独占欲が入り混じってたまらなかったのだろう。
それはだんだんと、とんでもない形で肥え太っていく。
「……来たんだ?」
「いけませんか?」
日曜日の昼中。
私は紀平吉良が住む76期生寮を訪ねていた。
「いけないことはないけど」
シェアハウスタイプの玄関で応対した彼女は、言葉どおり平気そうだったが。
リビングのガラス戸から、二階の窓から、長身の肩の向こうから。
こちらを窺う他の生徒は、『襲来!』という顔をしていた。
「お邪魔でしたか?」
「ううん、誰かの友だちが来たらいつもこうだよ。大丈夫だから上がって」
邪魔かと聞いただけでピッタリな回答が返ってくる。
本当に日常茶飯事なのだろう。
しかし、
「ねー、リビング、あ、使ってるね」
「あっ! やっ! すぐどくよ!」
「いいのいいの。透子ちゃん、私の部屋でいいかな」
「むしろ好ましいですね」
「じゃじゃーん、ここが私の部屋でー」
「ひっ、東山さん!?」
「この子がルームメイトの澄美ちゃん。柿崎澄美ちゃん」
「東山透子です。教室でもよく紀平さんとお話しになっていらっしゃいますね」
「あっ、はい、柿崎です」
他の人が遊びに来たときはどうなのか知らない。
が、私に対しては明確に、
「澄美ちゃん取り込み中?」
「う、うん! ちょっとね! イタリア語がね!」
「澄美ちゃんすごいの。高校出たらイタリアにオペラ留学したいんだって。それで今から勉強してるの」
「そうですか」
「じゃ、邪魔しちゃうと悪いね」
「そうなの! ごめんね!」
いつもは皆、特に舞台に立てば、私への崇敬や憧れの視線と喝采を注ぐ。
観客かモブのように、必ず少し離れた位置から。
だからこそ。
至近距離や1対1に近い状況、またプライベートでは対峙したくない。
そんな敬遠をひしひしと感じた。
これが圧倒的トップの孤高であり心理的障壁
であると思いたい。
決して、この瞬間も
あなたの演技も印象にない。イタリア語など勉強している場合ではないのでは?
などと思っているような、醜い傲慢さがバレていたわけではないと。
そう信じたい。
あるいは、
他の誰にバレていても、
紀平吉良にだけは──
「しかし、困りましたね。場所がないのでは」
結局締め出された私たちは、リビングの縁側に腰掛けるしかなかった。
「今日も演劇論?」
「はい。あとは実践もしたいので、直接こちらに」
「うーん、庭で草むしりしながら、っていうのもガラじゃないよね。透子ちゃんせっかく白いのに日焼けしちゃう」
足をぷらぷらさせる紀平吉良。
その足だって、つま先から脛にふくらはぎ、膝、
ハーフパンツから少しだけ覗く太もも。
輝かしく白いと私は言いたかった。
言わなかったが。
「それは構いませんよ。しかし、出直しましょうか?」
「うーん、先生に言ったら空き教室くらい貸してもらえると思うけど、そうだ!」
彼女は不意にポンと手を打つ。
オフとはいえ、正直二流の演出家みたいなアクション。
しかし続く「ふふん」とした表情で顔を寄せてくる絵面は、
「私いいとこ知ってるんだ。ちょっと付き合ってよ」
CMなら大バズり間違いなしの小悪魔スマイルだった。




