6-1.
「えっ」
紀平吉良のリアクションは、朴訥そのものだった。
そりゃ思いもしないだろう。
再度オーディションの時間もないとはいえ、指名で
しかも、せめてライバル役のオーディションに敗れた子からでもなく
まさかもまさか、裏方に回ったメンバーから
自分が。
これには全員がざわざわしたが、
「こう言ったらなんだけど、照明って事前のセッティングがメインみたいなところあるからさ。だから藤田さんが交代で入っても、本番でミスが起きにくいっていうかさ」
先生は聞こえていないかのように、彼女の前でしゃがみ込む。
だがそんなのは詭弁だ。
なんなら本番での機器の操作に関しては、音響などより複雑まである。
だが、今思えば。
先生は欠員が出た時点で決めていたのかもしれない。
それだけ彼女も、紀平吉良の才能を愛し惜しんでいた。
あるいは業界のスカウトたちから『彼女を出せ』と言われたかもしれない。
この世界は逸材を見つけると容赦ないものだ。個人の進路希望など考慮しない。
私が業界側だったら、実家に押し掛けて両親まで説得する。
そんな裏があったかは知らない。
が、事実として
「紀平さん、裏方でも一番台本読み込んでメモも取ってたし。けっこー頭にも入ってるでしょ?」
目の前で迫られ、逃げ場がないと悟ったのだろう。
「ね、お願ぁい」
「……善処します」
紀平吉良は、小さく頷いた。
「紀平さん、いける?」
「はい、お願いします」
「じゃあガウェインがランスロットに一騎討ち挑むシーンからー!」
いきなり舞台の上。
しかも新聞紙を丸めた軽いものなどではなく、最初から本番と同じ小道具の剣で。
紀平吉良は、何ヶ月ぶりだろう、私の前に対峙した。
一応
『台詞が飛んだら右手を挙げて、先生が代わりに読み上げる』
というシステムではあるが、脚本も持たず、
本当の、舞台の上モード。
久しぶりだ。
本当に久しぶりだ。
はっきり言ってブランクはあるだろう。
それでも小さいころ大好きだった駄菓子を開けるように、私はワクワクしていた。
そうしてニヤつくのを抑えられず、目印につま先を合わせた瞬間だった。
「『おぉ! ランスロットよ! サーの称号を失いし者よ!』」
私は舞台の送風装置でも動いたのかと錯覚した。
「『おまえは不義の男であり、我が三人の弟の仇であり、恩ある王を裏切った恥ずべき悪漢であり、ブリテンと円卓を二つに割った犬畜生!! 湖の乙女も“あの時おまえを沈め殺していれば”と嘆いていることだろう!』」
違う。
風は吹いていない。
物理的なものは何もない。
圧だ。
私が勝手に圧を感じているのだ。
それも才能ある舞台役者が
『この役を演じきって魅せる』
『最高の舞台にして魅せる』
と放つものではない。
もっと深い。
ガウェインそのものが、ランスロットに向ける殺意だ。
ゾッとする。
背筋が震える。
手汗が模造刀の収まり具合をずらす。
私にはそれが恐怖か、
高揚か分からなかった。
「『サー・ガウェイン! 私のことは今更申し開きもあるまい。だが! あなたが真に王のことを思うのであれば、なんの道理をもって和議の邪魔をする!』」
「『黙れ、荷車の男! 主君の妻を口説き騎士道に泥を塗った、おまえの口で道理を説くか! 真実にとって、これ以上の辱めもないだろう!!』」
いや、間違いない。
これは
紀平吉良が、ガウェインが剣を掲げ、走り出す。
まさか裏方をしていたとは、ブランクがあるとは到底思えない、澱みない足運び。
「『おまえは、フランスの土を咬め!!』」
あぁ! これは!
これだ!
舞台の強い照明を浴びて、真っ直ぐ私へ向かう紀平吉良!
全身全霊が光り輝く彼女は、まさに太陽の騎士ガウェインそのもの!
そのスラッとした体躯! しなやかな手足! 柔和で甘い品のある顔立ち!
力強い声! ダイナミックな動き! 意志と情熱に光り輝く瞳!
まるで、ずっと役を練っていたような
いや、
全てが彼女のために当て書かれていたような
結末は雑な脚本だった。
学期末公演は無事終了。
紀平吉良はたった一ヶ月のガウェインで、その場の誰よりも輝き、
そう、私を含む誰よりも輝き、
観客のスタンディングオベーションをほしいままにし、
藤田さんにも悔しさすら浄化された、感動と感謝の涙を流させた。
無事幔幕が閉じられたあと。
まだ向こうに観客が残っているかもしれないことすら忘れて。
生徒も、先生も、全員が彼女を囲んでキャアキャア飛び跳ねるなか、
私は輪より離れた位置で、白熱する照明を見上げていた。
あぁ、せっかく忘れかけていたのに。
忘れつつあることにしていたのに。
また触れてしまった。
あの輝きに。
全てを失い、真っ暗の真っ黒に燻っていた私を
彼女は今一度、真っ白に焼き尽くしてしまった。




