第八話① 「魔女と、魔方陣での攻防」
召喚の間。
就寝前の小一時間。私は毎晩のように、魔術の特訓に励んでいた。
その広間の隅っこには、ゴウトもいた。
彼は床に腰を下ろして、柔軟運動やストレッチ、時には自重トレーニングのような鍛錬を己に課していた。
あれ以来。
ゴウトは頻繁に、ここに姿を見せるようになっていた。
私たちは、お互いの存在を視界に入れながらも。ほどよい距離感を保ちつつ、自身の克己心と向き合う。
ともに充実した時間を過ごせていた、と思う。
「おい魔女、あんたもそろそろ寝たらどうだ。あまり無理するなよ」
「ええ、もう少しだけ頑張ったら終わりにするわ。おやすみなさいゴウト」
「ああ。おやすみ、魔女」
挨拶を交わす、私たち。
そんな日常を過ごすうちに。しだいに溝は埋まり始め、理解が深まっていく。少しずつ、私たちの距離は縮まっていった気がした。
そして、ある晩のこと。
おやすみなさい、という恒例の挨拶の際。
ゴウトはその際に、意を決したかのように、静かに話を切り出してきた。
「なぁ、魔女、あの」
「どうしたのゴウト」
「い、いや、もう少し、その。ちゃんとした挨拶を、してもいいか?」
「え?」
「その、ハグとか、ビズとか。頬と頬をくっつけて、チュッとするやつだよ」
あー、フランス式挨拶ビズ。 チークキスね。
どうしたの、急に。
文化的伝統的には、親しい友人や家族の間で、親愛の証しとしてするものだけど。
まあたしかに、今や使い魔は私の大事な従臣で、家族のようなものではある。
「いやか?」
「いいわよ」
「無理にとは言わない」
「いいわよ」
ルイくんとも、すでにハグや軽い抱擁くらいは交わしているしね。
軽く抱きしめたり頬にキスくらいなら、挨拶の範疇として、そこまで抵抗ないわよ。
狂戦士嘉紋とは、絶対に嫌だけど。
嫌悪感や拒絶反応というよりは、警戒心として生じる自己防衛本能からの意識でねぇ。殺気や狂気を、ついつい感じてしまうから。
何考えてるかわからないし、あいつ。
次の瞬間にどんな行動を起こすのか、まったく読めないし。予測つかないのが、本当に怖いのよ。
ああ、そういえば、嘉紋を召喚したばっかりの時に。
なんの対策もない状態で、しかも至近距離でうっかり背を向けてしまったことがあったのよねぇ。あれはまずかった。
背後から羽交締めにされたことがあったわ。
あのバックハグは、まるで悪魔のスキンシップ。
嘉紋には日常下でも、極力近寄りたくないわー。たとえば、館の廊下ですれ違う時でさえも、戦闘態勢になっちゃって身構えてるしね。あいつの攻撃範囲内には入りたくないのよ。
まして、ハグとかビズとか抱擁とか肉体的接触とかは、絶対無理だわ。
その点でいうとゴウトは、安心安全。
わかりやすいし。
感情がすぐに態度に出るから。
何考えてるか、手に取るように把握できるものね。
「それで、どうすればいいの?」
「えっ」
「私たちずいぶん身長差があるから。届かないのだけど」
「あ、ああ。えぇっと」
私は、ゴウトの目の前にまで歩み寄って、彼の顔を見上げてみた。
「オ、オレが、そこに座るから。それでちょうど目線が同じ高さにならないか?」
「わかったわ」
樽の上に腰掛けるゴウト。
私は、座ったゴウトの眼前に立った。
両手を伸ばして肩に手を置くと、彼のほうも私の二の腕あたりに優しく触れてきた。
顔を傾けて、自らの右頬を近づけて、私の左頬へとそっと寄せてくるゴウト。
静かな時が流れた。
おやすみの挨拶。
不思議に、心が落ち着きほっとする。ひとときの触れ合い、優しくて温かなスキンシップとコミュニュケーション。
たしかに、よい夢が見られそうだ。
「……もうしばらく、このままでいてくれ」
挨拶が済んだ後も、彼は私の二の腕を離さなかった。
そのままの状態を維持したい、と申し出る。
「こんな間近で、真正面からあんたの顔を見れて、嬉しいんだ」
「まぁ、おまえどうしちゃったの。今日はどうしてそんなに素直なの?」
「やっぱり、あんたには、オレの気持ちなんてバレてたよな。オレの好意なんて筒抜けだったんだよな」
「えっと、うん、まあ」
「いまさら気のないそぶりで硬派を気取ったところでな、お笑いだよな」
「じゃあ、私のこと、好き?」
「……ああ」
「まあ〜」
「……好きだよ」
「へぇー」
「なんだよ」
「どうしちゃったの?何があったっていうの?」
ツンデレのおまえが、こんなに素直になるだなんて。
「焦りや、対抗心もあるのかもしれない」
「ええ?」
「オレだけが、あんたとの仲が、進展してないから」
他の使い魔たちに対する、ライバル意識、ということらしい。
「すでにルイ先輩は、安定した信頼関係をしっかり築けてるわけだしな」
まあね、ルイくんもルイくんでグイグイ来るから、積極的過ぎてちょっと強引だなぁと、そのあたりを苦手に思う時もあるのだけど。
「嘉紋は嘉紋で、あんたとの将来に向けて……なんというか、先を見据えた足場を固めようとしてるとこだし」
え?か、嘉紋?私との将来って、先を見据えた足場、って、何。
え、ごめん、ちょっとそこだけは何言ってるのかよくわからないわ。
「だがオレは……」
ゴウトは私の二の腕をそっと掴んだまま。
「オレだけは、何も成し得てない。オレだけ、何も進んでない」
「そんなこともないわよ」
「そ、そうなのか?」
信頼関係というのなら、堅牢な基礎がきちんと仕上がってきている、と言える。
こうして触れられていても、私は平気でいられたからだ。
「……なぁ、魔女」
「なぁに、ゴウト」
「……抱きしめていいか?」
「えっと、それはちょっと……。うーんと、どうかしら」
「……わかったよ」
「うーん、じゃあ、試しに私のほうからやってみましょう」
「え」
私はゴウトを抱きしめた。
彼の頭部を抱えて、自らの胸に引き寄せる。彼の頬は、今や、私の胸肉に密接し埋もれていた。
「……っ、お、おい」
「うん、大丈夫だわ」
「……おい」
「じゃあ次はゴウトが抱きしめてみてよ」
「……あんたなぁ」
「ほら早く」
「さ、誘ってるのか?煽るなよ、オレを。あぶねぇぞ」
「抱きしめるだけでしょ」
ゴウトは私の背に手を回し始めた。
静かに、ゆっくりと。おそるおそる、こわごわ、といった手つきで。
優しく、ふんわりと。
力加減をして、壊れ物を扱うかのように丁重に包み込んでいた。
ゴウトに優しく抱きしめられる私。
「私、ゴウトのことは怖くないのよ。私にひどいことをするはずがない、って。信じられるからかしらね」
「い、いや、信じるな。男なんて」
「おまえ、私のことを大事に思ってくれてるんでしょう?」
「そう簡単に心を許すなよ、もっと警戒しろ。オ、オレだって、あんたに何するかわかんねぇぞ」
「え、おまえ、私に何するの?殴るの?」
「そんなことはしねぇよ……」
「そうよね」
「向こうにいた頃は、競技以外で人を殴ることなんて一度もなかった。一般人相手に、しかも女相手に、殴るなんて考えたこともねぇよ」
「じゃあ、安心してそばにいられるわね」
「そ、そうじゃねぇんだよ。警戒しろ。その気がないなら」
「……その気?」
ゴウトは私の肩を掴んで、グイッと後方に移動させる。自らの体から、引き剥がすように。突然、強引に距離を取るのだった。
「お、おやすみ。オレはもう寝るからな」
それだけを言い残して、扉のほうに向かうゴウト。
バタン、と、荒々しく扉を閉める。
ゴウトはこんなふうに慌しく、すぐに去って行ってしまった。
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ゴウトが立ち去った後。
召喚の間は、しんと静まり返っている。
私は一人、その場に取り残されたように感じてしまっていた。
もしかして、何か、自分が失言をしてしまったのかもしれない。何かやらかしてしまっていて、彼を怒らせてしまったのかもしれない。
その場に呆然と佇んだまま。あれがいけなかったか、これがだめだったのか、と。私は悶々と反芻し、一人反省会をするしかなかった。
しばらくはそんな調子で、魔方陣の床の上に立ち続けていた私。
すると。
その床が、いきなりパカッと開いた。
「ええっ⁈」
なんと、落とし穴の仕掛けが起動したのだった。
「きゃあああああ!」
私はそのまま落下していく。
どうして⁈故障⁈何かの不具合⁈
ウソでしょ!このままじゃ地下室の床に叩きつけられちゃう!
高さはせいぜい5mくらいとはいえ、うまく着地できる自信なんかないわ!大怪我しちゃう!足首の捻挫くらいじゃ済まないかも!
やばい!まずい!
「ライドseven!エア・カレントー!」
咄嗟に風魔法を放ち、小さな上昇気流を発生させる私。
すると、すぐに落下スピードや勢いが緩まり、ゆっくりと、ふんわりふわふわ浮いた状態となれた。
「は、はぁ、助かった」
これは飛行魔法の亜種というか、代用。
練習してた甲斐があった、かも。
しかし魔力の消費量がハンパない。めちゃくちゃ疲れるわね、これ。
と、次の瞬間。
「オーライ、オーラ〜イ、いいよーそのまま降りてきて〜」
そんな声が聴こえた。
「オッケ〜魔女さん、ナイスキャッチ〜、無事身柄確保〜」
「嘉紋⁈」
なんと、嘉紋が地下室にいた。
大きく両腕を広げて、落とし穴からゆっくり落ちてくる私の体を受け止めていた。
結果として。
私は、嘉紋にお姫様抱っこをされてしまった。
「ちょ、ちょっとぉぉぉ!!」
「俺がちゃんと受け止めてあげるから、魔法なんか使う必要なかったのに」
「ど、どうして!なんでこんなとこに潜んでるのよ、おまえは!」
━━━━━━━━━━━━━━つづく!!




