表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/8

跪け

セレーネが「この山賊ダリルを自分の騎士にする」と宣言したとき、額を床にこすりつけて伏していたその男を指さしながら、エヴァンデルは彼女を正気を失ったかのように見つめた。


口を開きかけ、閉じ、また開き――言葉を選ぶのにひどく苦労しているのが見て取れた。


「あなたの判断を疑うわけではない……奴らを制御する手立てはあるの? 何しろ山賊。荒くれ者よ」


セレーネの声は落ち着いていた。むしろ、落ち着きすぎていた。

「北方では、どうしているのです?」


「通常は……爆裂首輪をつけるんだ。首に不安定な魔石をはめ込む。逃げたり誰かを傷つけようとした瞬間に、ドン、だ」


天気の話でもするように淡々と告げる。


(さすがに柔らかい性格とは言えないわね)

セレーネは皮肉に思った。長年そうした残酷な慣習に慣れ切っているのか、それとも北方特有の冷酷さなのか、エヴァンデルは眉一つ動かさなかった。


「効果的なのは確かですね」

彼女は口に出して認めたが、内心の感想を言う気はなかった。哀れみだけで罪人を許すほど愚かではない。北方には北方の事情がある。人手不足、絶え間ない魔物の襲撃、さらには政治。牢獄など短期の拘留所にすぎず、刑罰といえば鞭打ちか処刑が常。だから罪人を北へ送り、砲弾の代わりに使うのが効率的な政策とされた。


「今、爆裂首輪があればよかったのだがな」

エヴァンデルは続けた。

「もちろん、私の騎士たちなら力ずくで服従させられる。しかし、君にはその手はない」


侮辱ではなく、ただの率直な事実。罪人を相手にすれば当然の懸念だった。


「心配には及びません」

セレーネはすっと歩み寄り、ダリルの前に立った。


そして膝を折り、片手を彼の剃り上げた頭に軽く置いた。掌の下で頭皮が緊張して震える。


「よく聞きなさい、ダリル。選択肢は三つ。一つは、ここで死ぬこと。二つ目は、北へ連れて行かれ、刑罰部隊で短い余生を砲弾の肉壁として終えること」


ダリルはごくりと喉を鳴らし、かすれ声で問う。

「……三つ目は?」


「三つ目は――私の騎士となること」


「……騎士だと?」


「ええ」

彼女は再びその頭を撫でるように撫でた。ダリルは怒りを噛み殺し、こめかみに青筋を浮かべる。巨体に無数の傷、丸坊主に斧を振るう姿は野蛮そのもの――その彼が、貴族の娘の前で屈辱に耐えている。それだけで十分な自制の証だった。


(見た目以上に賢い男ね)

セレーネは確信していた。冷静さ、戦いの勘、統率の才――それがあるからこそ、仲間は彼に従っている。規律なき山賊の群れが纏まるはずもない。


「もちろん、すぐに騎士とするわけにはいきません。まずは刑罰部隊で罪を贖うこと。そのうえで価値を示せば、私自らあなたを解放し、身代金も払ってでも騎士に叙任します」


「……それなら、二つ目と何が違う?」


「大きな違いです」

セレーネの声は揺るがなかった。

「あなたが価値を証明すれば、自由がある。未来がある」


ダリルは沈黙した。不可能と必然を天秤にかけているのが見て取れた。


「……仲間たちは?」


「剣を振れる猫でも雇うつもりよ」セレーネはさらりと答えた。

「役に立つなら受け入れる。戦うしかできなくても兵や護衛にはなる。ただし、彼らもまずは罪を償わねばならない」


周囲でアシュフォード家の従者たちがざわめく。


「本当に受け入れる気なのか?」

「信じる奴は馬鹿だ」

「セレーネ様に、そんな約束を守れるのか?」


だが北方の騎士たちは薄く笑みを浮かべていた。


「面白いご令嬢だ」

「芯がある」

「エヴァンデル様の婚約者というのも納得だ」


セレーネは一切気にせず、ダリルの答えを待った。


ついに彼は顔を上げる。

「……本当に俺を信じるのか?」


「もちろん、信じてはいないわ」


即答に、ダリルは一瞬侮辱されたかと思い身を震わせた。

「それで雇うと?」


「ええ」


「……爆裂首輪もなしで?」


「首輪で縛られた主のために命を捨てるかしら?」

彼女は静かに問い返す。

「いいえ。むしろ主を危険に突き落とすでしょうね」


脅しよりも正直さのほうが、彼を動揺させた。目が泳ぎ、思考が巡る。


(彼を知らなければ、私も迷ったかもしれない。でも私は見てきた。仲間を見捨てず、忠誠を誓えば裏切らない男だと)


肩を落としたダリルが呻く。

「……なら、一つ頼みを――」


「駄目」

セレーネは言葉を遮った。


「立場を誤解しているようね。あなたに残された権利は一つだけ。選ぶこと。それだけ」


噛み締めた歯に血管が浮かぶ。きっと仲間の命乞いをするつもりだったのだろう。だがこれも馴致の一部。圧力も、時に残酷さも必要だった。


「ただ……選択が気に入らないなら、四つ目をあげてもいい」


「……四つ目?」


「決闘よ。ここで、今。もし私を倒せば、あなたも仲間も全員解放する」


「セレーネ!」

エヴァンデルが叫ぶ。怒りに震え、彼女を狂気と見なした。


「エヴァンデル様」

彼女は視線を返す。揺るがぬ瞳に、彼の言葉は喉で止まった。


「大丈夫です。無能と呼ばれてはいますが、ただの山賊に負けるほど弱くはありません」


エヴァンデルの顎が強張る。

「……無謀にも限度がある!」

吐き捨てたが、従者たちの目を意識し、それ以上は言えなかった。


セレーネは柔らかく笑った。

「そんなに心配しなくても」


「し、心配など……」

エヴァンデルは口をつぐみ、渋々一歩退いた。


「死んでも、後始末はしませんからね」

「ありがとうございます」

彼女は軽く微笑んで答えた。


セレーネが歩み出ると同時に、ダリルも立ち上がる。山のような巨体が彼女を見下ろす。目は鋭く、表情は冷たく。


「……もし決闘でお前が死んだら、その約束はどうなる?」


「貴族の誇りは、そんなに軽くはないわ。私が倒れても、エヴァンデル様が私の名誉を守る」


――もっとも、倒れるつもりはないけれど。


自信に満ちた微笑みが、彼をさらに挑発する。荒い息を吐き、目を細めた。


「……いいだろう。俺が勝てば、全員解放だ」


「保証しよう」

エヴァンデルが断言する。

「セレーネを倒せば、彼女の言葉どおり全員自由だ」


ダリルは鼻を鳴らした。

「貴族は……理解できん」


「それは彼女だけだ」

エヴァンデルは即座に突き放した。


(早いわね、手のひら返し。でも、それも信頼の証よね)

セレーネは内心で笑った。


「ならば、俺が負けたら一生お前に仕える。それでいいな」


「いいわ」


次の瞬間、巨腕が振るわれた。空気を裂く拳に、周囲は息を呑む。


だがセレーネは口元を歪め、片手を掲げた。


冷たい声で、ただ一言。


「――跪け」


ダリルの頭上に光が走る。見えざる力が叩きつけられ、膝が砕けるように折れ、轟音とともに大地へ崩れ落ちた。


ざわめきが広がる。顔が凍り、目が見開かれる。


当のダリルも呆然と彼女を仰ぎ見ていた。何が起きたのか理解できないという顔で。


セレーネは彼を見下ろし、春の水のように澄んだ笑みを浮かべた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ