表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/8

山賊王の身代金

エヴァンデルは、数日間の道中を共にして、セレーネ・アシュフォードという令嬢が予想以上に興味深い人物だと悟っていた。


ちょっとした沈黙を埋めるためだけに見せた彼女の小さな芸当が、思った以上に彼の心を惹きつけたらしい。


その感覚は、セレーネにとっても同じだった。


これまでのところ、彼の態度は至って常識的だった。

危険人物と評されることの多い彼が、なぜそう呼ばれるのか不思議に思うほどに。


剣の腕が立つだけではない。

会話を重ねるうちに、彼の興味が剣術だけでなく、地理や戦略、軍事運営を形作る各種の学問、さらには政治や社会全般にまで及んでいることが分かった。


「この行列の準備が進んでいる間に、少しだけアシュフォード領を見て回ったんだ」

ある日の午後、エヴァンデルがそう切り出した。


「人々の顔には安らぎと笑いがあった」


「そうですの?」


「ああ。肌で感じる熱気があった――直接、心を打たれるほどの。北部ではあまり見られない光景だ」


「きっと、そうでしょうね」


北部の厳しい土地は、交易で潤うアシュフォード領とは比べものにならない。

セレーネは、エヴァンデルがそのことを理解しているのを知っていた。

だからこそ、この先に本題があるのだと察した。


「ただ、中心部を離れると……思ったより貧しい人々が多かった。正直、意外だった」


「どういう意味で?」


「アシュフォード家の富なら、飢える者などいないと思っていた」


セレーネはすぐには答えなかった。

事実は、そう単純ではないからだ。


「南部の一部では、余った穀物を埋めたり、海に捨てたりするのをご存じですか? 倉に置く場所がないからです」


「珍しい話じゃない」エヴァンデルは答えた。

「領主や商人は、価格を維持するためにわざと生産を減らしたり、作物を処分したりする」


「北部では、人々はたった一個の芋を奪い合って殺し合うんですのよ」

セレーネは静かに言った。


エヴァンデルは眉をひそめ、窓の外に流れる黄金色の畑に目を向けた。


「毎年、何千という子どもが飢えで死んでいく。それを知っていて、生産を削ることを正当化できるのか?」


「耳障りな言い方ですが、貧民の飢えは市場価値にはならないんです」セレーネは答えた。

「むしろ、飢饉を武器として利用することすらあります」


「……冷酷だな」


「それが現実ですわ」


前世のどれにおいても、そう大きな差はなかった。

ただ、この世界では階級の溝がさらに深く、貴族が庶民の暮らしを思いやることは滅多にない。


「……本当に、救う方法はないのか?」

エヴァンデルの声には思案の色があった。


「貧困を完全になくすことは不可能ですわ」セレーネは言った。

「ですが……最低限の生活水準を引き上げることなら、できるかもしれません。少なくとも、子どもが飢え死にしない程度には」


「……理想論のように聞こえるな」


「今のところは」


彼女の言葉に、エヴァンデルは横目でじっと見つめ、興味深そうに目を細めた。


「“今のところ”か……時間が経てば可能になるとでも?」


「時間と、資源と、意志さえあれば」

セレーネは淡々と返した。


彼がさらに言葉を続けようとした、その時――


「止まれ!」


鋭い声が響き、馬車が急停車した。


エヴァンデルの表情は瞬時に冷たくなり、手元の剣に手を伸ばす。

その瞳には苛立ちの色が宿っていた。


護衛の騎士が窓際に駆け寄る。

「失礼します、閣下」


「何事だ?」


「……山賊です」


セレーネとエヴァンデルは視線を交わした。


「山賊ですって?」


「ああ」


エヴァンデルは眉を上げた。

「中央部の山賊は、自殺願望でもあるのか?」


「……そのようですわね」セレーネが低くつぶやいた。


セレーネは思った。――これで何度目だろう。

外から見れば、自分たちの行列がいかに馬鹿げて大きく見えるかを。


幾十台もの荷馬車が、まるで民族大移動のように延々と続き、軋む音を響かせながら進んでいく。


護衛もまた壮観だった。

小規模な辺境領など一瞬で威圧できるほどの騎士と兵士の隊列。

しかも全員が、徴兵兵とは比べものにならないほど整った武具で武装している。


極めつけは、風にはためくマイエル家の紋章旗。

――こんな行列を止める者がいるだろうか?


「ワーハッハッハ! 持ってる物を全部置いていけ! 下着までだ! そうすりゃ、この山賊王ダリル様が命だけは助けてやる!」


「ウオオオオッ!」


……どうやら、正気ではない者がいたらしい。


セレーネは、これをあの馬鹿げた“遭遇イベント”の一つだと分類するしかなかった。

この世界が元々“ゲーム”であった名残――理屈も何もないのに、なぜか発生してしまう現象。


それは、彼女自身の奇妙な加護にも似ていた。

――どんなことがあっても、三年間は死なないという加護に。


「山賊王ダリル」。

中央領を活動拠点にしていれば、遅かれ早かれ必ず遭遇するイベントだった。


「愚か者ダリル……」彼女は小さくつぶやいた。


「有名な犯罪者か?」向かいに座るエヴァンデルが片眉を上げる。


「ええ。中央領を通る商人たちにとっては天敵ですわ。うちのアシュフォード商隊も被害を受けたことがあります」


「君の所もか?」エヴァンデルの目がわずかに見開かれる。


セレーネは頷いた。

「活動を始めてまだ一年も経っていませんが、すでに帝国の指名手配犯です。中規模領の騎士団を単独で壊滅させるとも言われています」


――それが事実であることを、彼女は過去の“周回”で確認済みだ。


ゲーム的に言えば、ダリルの戦闘能力は高位マナ・エキスパート級。

小領地の騎士団長なら容易く打ち破るだけの力を持っていた。

多くの騎士団が彼を侮り、結果として徹底的に叩きのめされて退散している。

とはいえ、彼は滅多に殺しはせず、地元領主たちも面子を守るために黙殺してきた。


今回は、おそらく調子に乗りすぎたのだろう。


もしアシュフォード商隊だけだったなら、本格的な戦闘になっていたかもしれない。

――だが今回は、エヴァンデルがいる。


人間兵器。

魔物狩り。

冷血の北の領主。


……要するに、ダリルは相手を間違えた。


エヴァンデルは立ち上がり、口元にうっすらと笑みを浮かべる。

「俺が片づけよう」


「じゃあ、ここで待ってますわ」セレーネは、“気をつけて”などとは一切言わなかった。


その無関心ぶりにエヴァンデルは苦笑し、馬車を降りていく。


――そして、セレーネが見たのは予想外の光景だった。


あの巨体を誇る山賊王ダリルが、額を土に擦りつけてひざまずいている。


「降参だ! 降参しますぅうう!」


「……まだ生きているのね」セレーネは淡々と問う。


「殺す理由がない」エヴァンデルは肩をすくめる。


「山賊でしょう」


「だが、奴らには掟がある。通行料は取るが、旅人は解放する。討伐に来た騎士団ですら、武装を解除して帰すだけだ」


「……争いの拡大を避けるための戦術に聞こえますわね」


「さあな。そこまで考えているとは思えんが」エヴァンデルは口の端を上げた。


「へへっ、その通り!」地面に這いつくばったまま、ダリルがやけに嬉しそうな声を上げる。


セレーネは無視した。

「それで、どうするおつもり?」


「北部では、罪人部隊を使って刑期を労働で償わせる制度がある」


「ここは中央領ですわよ」セレーネが指摘する。


エヴァンデルは「だから何だ」と言わんばかりに肩をすくめた。

「わざわざ都まで賞金を受け取りに行く気はないし……全員ここで斬り捨てるのも、後味が悪い」


“斬り捨てる”という言葉に、山賊たちが一斉に肩を震わせる。


「では――彼は私に預けていただけます? 北部に着いたら、ちょうど良い護衛になりますわ」


エヴァンデルの視線がダリルに向く。

「……本気か?」


セレーネは頷いた。

使える駒を逃すつもりは毛頭ない。


「光栄ですぜ、姐御!」

ダリルは勢いよくひざのまま回転し、額で地面に半円を描いた。


セレーネは笑みを押し隠し、エヴァンデルは――周囲が狂人だらけだと言わんばかりの表情をしていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ