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三つの条件

 ……力が、確かに伸びている。


 ギデオンとの話を終えたセレーネ・アシュフォードは、自室に戻るとベッドの端に腰掛け、しばし物思いに沈んだ。


 開いた掌の上に、そよ風がふわりと集まる。

 次の瞬間、風は一閃の炎となり、ゆらゆらと形を変えて――小さな蜥蜴の姿を取った。


 それは、まるで生き物のようにセレーネの手に頭を擦りつける。


「まさか、この時期にサラマンダーを呼び出せるなんて……」


 ――キュイッ。


 複雑な表情でその火の精を撫でると、サラマンダーは顎を上げ、嬉しげに目を細めた。


 当然のことながら、過去へ戻った瞬間、前世で積み上げた鍛錬の成果はすべて白紙に戻る。

 記憶と感覚こそ残るが、肉体の技量は一から作り直さねばならない。


 ……もっとも、精霊術だけは例外だ。


 はっきりした理由は突き止められなかったが、おそらく精霊契約は魂そのものに結び付くため、戻った直後から使えるのだろう。

 それでも、使えるのは体内にある魔力の範囲内――派手な術など望むべくもない。

 まして精霊を完全な姿で顕現させるには、本来なら一年以上の鍛錬が必要だった。


 だが、今は違う。


(……やっぱり、あのエリクサーのせいね)


 エヴァンドルが命を救うために喉へ注ぎ込んだ一滴は、傷を癒しただけでなく――まさに「至高のエリクサー」の名に恥じぬ効果をもたらしていた。


 魔力を巡らせてみれば、その流れはまるで武侠小説に出てくる「洗髄易骨」の後のように澄み切っている。

 魔力量は倍近くに増え、精霊術の習得段階が大きく前倒しになっていた。


(タバコに火を点ける程度から……焚き火くらいならできそうね)


 この力があれば、今の段階に見合った環境なら十分に身を守れる――ただし。


(……ここは“北部”)


 幾度もの転生を経て様々な土地を渡り歩いたが、北部だけは避けてきた。

 理由は単純――危険だからだ。


 マイエル家を筆頭に北部諸侯は結界を築き魔物の侵入を防いでいるが、それでも全てを遮断することはできない。

 時には町中にまで獣が現れ、人が死ぬのも珍しくない。


 セレーネのように「死んでも終わらない」者にとって、強大な魔物との遭遇は未知の――場合によっては地獄のような――復活を意味する。


(魔物だけじゃない)


 この地で生き残っている人間は、必然的に強靱で用心深い。

 弱き者はとうの昔に淘汰され、外部の人間には根深い猜疑と敵意を向ける。

 交易目的ならともかく、観光で訪れる者などほぼ皆無だ。


(そして――一番危険なのは、エヴァンドル)


 初対面で首をはねようとした男が、今や婚約者。

 爆薬の首輪をつけている気分だった。


 周囲には説明をしてみせたが、彼がなぜ自分を欲するのか――その核心は、まだ掴めていない。

 それが何よりも不安だった。


 ――キュイッ。


「慰めてくれてるの?」


 サラマンダーは熱を帯びた息を吐き、あたかも「そうだ」とでも言うように尾を揺らした。

 魂で結ばれた精霊は言葉を介さずとも主の感情を読み取り、適切な時に寄り添ってくれる。

 前世の記憶を共有することはなくとも、その忠誠は輪廻を越えて変わらない――ささやかな、けれど確かな慰めだった。


「……悪くない滑り出しね」


 ひとしきり戯れた後、精霊を契約の界へ戻し、ベッドに仰向けに倒れ込む。

 予想外の展開ではあったが、今のところは順調だ。


 エリクサーで肉体の成長は大きく加速し、ギデオンからは惜しみない持参金も引き出せた。

 今ごろ執事は手配に奔走していることだろう。


(北部には、いつか行こうと思っていた)


 もっとも、同じ三年間を繰り返す日々は、精神を削る。

 どれだけ足掻いても抜け出せない泥沼に沈むようだった。


 彼女の目的は二つ――生き延びること、そして完全で不可逆な「死」に辿り着くこと。

 ……だが、輪廻を重ねるごとに戦う意思は少しずつ薄れていく。


 それでもまずは、三年後に生きている未来を作る――できれば幸福な形で。

 試せることは、ほとんど試し尽くした。


 ならば、エヴァンドルとの関係を本物にしてみるのも、一つの手かもしれない。


(こうなった以上……やるなら徹底的に)


 空中で拳を握る。

 指先はわずかに震えていた。


 ギデオンに内戦の可能性をほのめかしたが、それは最後の手段だ。

 戦は、悪い結末を招く可能性を高めるだけ。


 当面の目標は、北部との交易路を開き、民の暮らしを安定させ、中央貴族との衝突を極力避けること。


「明日から、忙しくなるわね」


 微かに笑みを浮かべ、セレーネは毛布を頭まで引き上げた。


***


「……まあ。これはいったい何ですの?」


「持参金ですわ」


「……は?」


 ずらりと並んだ荷馬車を前に、エヴァンドルは目を瞬かせた。どの荷も山のように物資が積まれている。

 その呆けた顔があまりに面白くて、セレーネはひと言説明を添える。


「婚約の件を父にお話ししましたら、とても喜んで“好きな物を持って行け”と。――よほどあなたのことを気に入ったようですわ、エヴァンドル様」


 エヴァンドルは口を引き結び、何か言いたげに唇を動かしたが、セレーネは肩をすくめるだけだった。


「……まあ、いい」


 望む答えは返ってこないと悟ったのか、彼は表情を整え、荷馬車を順に見て回り始める。

 セレーネはその横に並び、手にしていた目録を差し出した。


「大半は領の備蓄食糧です。丁寧に乾燥・包装してありますから、長旅でも傷みません」


「これだけ?」


「北部への初めての旅ですから、このくらいは最低限ですわ。冬を越すには、あと何度か往復することになるでしょう」


「こっちの荷は?」


「香水や葡萄酒といった贅沢品です。あなたの家で使ってもいいし、他の貴族への贈り物にもなります」


 ふたりは列を進みながら、エヴァンドルが目録と中身を照らし合わせて一つずつ確認していく。

 点検は何時間にも及び、その間セレーネは控えめな侍女のように後ろを付き、必要に応じて説明を加えた。


「……これ、本当に全部くれるのか? 見返りなしで?」


「まさか。世の中、無償の物なんてありません」


「……率直でいいな。そういう方が好みだ。で――本当は何が欲しい?」


「北部への交易路開設の許可を」


「不可能だ」


 間髪入れずに返ってきた即答。エヴァンドルの表情はわずかに和らいだが、それは同情というより説明のためだった。


「誤解するな。文字通り“不可能”なんだ。大公自身がここにいても、即答できる話じゃない」


「……なるほど」


 セレーネは頷く。もとより簡単に通るとは思っていない。

 北部諸侯はマイエル公爵の下にまとまってはいるが、それぞれが強い権限を持ち、大方針は全員の同意なしには決められないのだ。


「本当の要求を言え」


「本当の?」


「最初から交易路なんて無茶な条件を出したのは、次の条件を通りやすくするためだろう?」


「あら、気づかれました?」


「隠す気もなかっただろう」


 エヴァンドルは少し不機嫌そうに唇を結ぶ。セレーネは茶化す誘惑に駆られたが、彼を怒らせれば二度とエリクサーなどもらえない気がしてやめた。


 代わりに、周囲に護衛以外の人影がないことを確かめてから、指を広げて見せる。


「条件は三つ。まずひとつ目――婚約者として最低限必要な場所以外、社交の場に出なくていいこと」


「……それは俺への好意的な条件だな」


 だろうと思った。

 セレーネはいまだ彼が何を求めて自分を娶ろうとしているのか掴めていないが、政治的な飾りとしての役割は明らかだった。ならば露出は少ない方が、お互いに都合がいい。


「では了承とみなしますわ。次に――あなたの領の財務官と、個別に話す許可を」


「……なぜだ?」


「北部の財政に、少し助言できるかもしれません」


 エヴァンドルは腕を組み、わずかに身構える。その様子に、セレーネはすぐ補足を加えた。


「公には動きにくいので、小規模な商いを財務官を通して行いたいのです」


「商売をするつもりか?」


「ええ」


「仮に俺が許可しても、中枢の金が北部に流れれば黙っていない連中がいる」


「心配ご無用。私の家の金は使いません。今持ってきた持参金も、一銭も」


「無資金で商売を始めるつもりか?」


 セレーネはまた肩をすくめる。エヴァンドルはしばし考え、頷いた。


「……わかった。父上に話してみよう」


「感謝します」


 断られると思っていた条件があっさり通り、セレーネは内心少し驚く。

 “血の王子”や冷血な貴族と呼ばれる彼にも、意外なほど柔軟な面があるらしい。


「で、最後の条件は?」


「ああ……それは、個人的なことです」


「正直に言え」


「……触れないでいただきたいのです」


「……は?」


「ですから、触らないで」


「……どういう――ああ」


 二度繰り返して、ようやく意味が通じたらしい。エヴァンドルの顔がかっと赤くなる。


「却下だ」





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