イベント
翌週の月曜日、拓は屋上に向かう階段を登っていた。世界が元に戻ったように止まった時間が動き出す。
「久しぶり」と声をかけると、しずくは顔だけ上げた。
「戻ってこないと思ってた」
言われて拓は、いやあと苦笑いを浮かべる。
「やっぱり僕の場所は隙間だったみたい」
「なにそれ」
しずくは顔を綻ばせた。久しぶりに腰を落ち着けると、懐かしい気持ちになる。
「人との関係性って強いように見えて意外とあっけないんだなって」
終わった直後は忘れがたいと思っていたが、一日経てば妙にすっきりしていた。同じクラスなので挨拶はする、目も合わせるし多少雑談もするが……不思議とどちらも、以前のようには話さなかった。
「友達にはなれなかったの?」
「趣味が合うだけの人のことを友達とはいわないよ」
自分にも意外なプライドがあることを拓は思い知る。最初から丸田とは友達にはなれなかったのかもしれない。
「そういえばそろそろ修学旅行の時期だね」
さっき教室でクラスメイトたちが話をするのを聞いていたので、咄嗟にそんな話題を切り出した。しずくがうん、と頷くと拓は続けて言った。
「雨が降っても、修学旅行は中止にはならないんだよね」
「拓くんは、行きたくないの?」
意外とでも言いたそうにしずくが顔を向けてきたので、拓は少し言葉を強めた。
「行きたくないわけじゃないよ。ただ……急に自由にしていいって放りだされると、何をしていいかわからないんだよ」
そもそもそんな頻繁に外出したがるタイプじゃないし、家の中でも楽しめる方の人間だ。
しかも今年の行先は東京だという。
「行きたいか行きたくないかで聞かれたら……やっぱり行きたくないのかな」
結局、その結論になった。拓は、しずくはどうなのか尋ねた。すると彼女も、「わたしも行きたくない」とぽつりと言った。
「だって私が行ったら雨になっちゃうもの」
「そんなのわからないよ」
「わかるわよ、今までがそうだったんだもの」
しずくは、小、中と二度にわたって修学旅行は大雨だった。小学校で雨女の噂が広まっていたせいもあり、その頃にはたいていのイベントごとでの雨は全て彼女が原因とされた。
拓ならば、単に運が悪かったせいだと受け入れることもできるが、そういう人間ばかりではない。子供の思い込みは、ときに大人よりも容赦がないのである。
「じゃあ、二人して休む?」
拓はたった今思いついたように提案した。しずくが顔を振り向けて、え、と戸惑った顔をした。
「どうせ誘ってくる人もいないだろうし、適当な班に入って、当日休んでも誰も困らないよ」
「そう……ね、誰も困らないなら、そっちの方がいいに決まってるわよね」
***
拓が教室に戻ると、すでに修学旅行のグループが何組かできていた。修学旅行の時期はまだ先のことで、焦ってグループを作る必要は今のところない。
誰かが修学旅行の話題を出したせいで、クラス全体の気が早まってしまったのだ。誰か……というか、クラスの中心の担う生徒たちであることは言うまでもない。確実に関わっていると言えるのは町田という男子生徒だった。
普段から町田は仲の良い男子二人と女子二人に囲まれていて、すでにグループが出来上がっている。修学旅行もそのメンバーで行くのはほぼ確定していて、もうどこに買い物に行くかなどを女子たちが話し合っている。
拓の通う高校は原則バイトを禁止にはしていないが、県外に勤務先を置くのは規制されていて、近所のスーパーかコンビニに行くのが普通だった。二ヶ月もあれば、それなりの金額を稼ぐことはできるだろう。
拓は自分の席に座って、息を殺して町田たちの方を見つめていた。直後に扉が開いて、しずくが俯いた表情で入ってくる。彼女は昼休みの間、保健室に行っていることになっている。
拓はしずくと一瞬目を合わせた。彼女もこの状況を察したようで、なるべく目立たないように席に戻る。どこからか視線を向けられている気がしたが、しずくは振り返らずに席についた。
午後の授業中、拓はどこのグループに入ろうか考えていた。現在決まっているグループは三組で、一つは町田の五人組グループ、あとは女子の三人グループと男子の四人グループだけである。これらのグループはどこも普段から同じメンバーで行動していて、部外者が入るには少々ハードルが高い。修学旅行関係の授業が始まるのはもう少し先のことで、そこで正式に班を決定することになるが、この調子だとそれより前にグループが決まってしまう。
当日休むことを前提としている二人にとって、それは非常にマズイ事だった。なぜならグループが決まってしまえば、その後話し合いに上がるのは班員の役割だからである。ここでもし重要な役割を押し付けられてしまえば、計画はそこで中止せざるを得ない。
「森嶋くん、森嶋くん」
五時間目が終わった直後の休憩時間に拓は後ろから肩を叩かれた。振り返ると丸田が後ろに三人、男子を引き連れていた。
「丸田くん……どうしたの?」
「僕たちのグループに入らない?」
すると拓は、「いいの?」と丸田とその後ろの仲間たちに向かって言った。
「丸田くんから聞いて、森嶋くんと少し話してみたかったんだ」
仲間の一人が言って、周りもウンウンと頷いた。
拓は、ありがとうと答えようとして、話し声に思わず振り返った。
「空本さん、俺たちのグループに入らない?」
町田たちが、しずくの机の周りを囲んでいた。
「え……」と顔を上げたしずくは、怯えるように視線を巡らせた。どこを見ても人の目があって、思わず拓のいる方に視線を向ける。
「どうして……」
「俺たち、空本さんと友達になりたいんだよ。なあ?」
「そうそう。てか町田が言い出したんだろ、空本さん誘おうって」
「いや言ってねえし」
町田は首を振った。遠くから見てもそれはあまり気持ちのいい光景ではなく、男女数人で一人の女子をいじめているように見えても不思議じゃなかった。
「空本さんいつも一人だからさ、このままどこのグループにも入らないままだったら可哀そうだろ」
「うわ、やさしー」
仲間にからかわれて、町田は恥ずかしそうに手を伸ばした。その後の教室が、一変して町田を応援した空気になったことは言うまでもない。寂しい少女に手を差し伸べるクラスの人気者というドラマの場面が出来上がる。
断ることなど、できるはずがなかった。