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初仕事

 斉藤昭はパソコンの画面を前にして眉をひそめた。


『人助け募集してます! 雨を降らせることで誰かの役に立ちたいと思いこのたび活動を始めました。具体的な依頼はDMにて受けつけております。(冷やかしではありません)』


 アカウント名とアイコンを見た時点では冷やかしの印象しかなかったが、プロフィールは簡潔で真面目な印象を受けた。


 もともと農協の知り合いの紹介で始めたサービスだが、同業者だという者のアカウントを覗いてみれば、それなりにちゃんとしているものもあれば、若者が気取った写真を撮って上げているだけのアカウントもあって、それだけで良し悪しは判断できないが、あまり関わりたくない相手だと思った。


 とはいえ、検索窓のトップに出てくるアイコンはいわゆる成功した農家たちで、コミュニケーションをとるにはいささかハードルが高かった。斉藤のような個人で細々とやっている農家は、主体的に発信するよりも、おいしいネタを探して情報の海をダイビングする方が主だ。親子二代であればテクノロジーを駆使した商売も可能性はあるが、斉藤は妻との二人家族。子供はとっくの昔に家を出て行った。いまはアイティー企業で働いているという。


 今の時代、個人で活動するには限界がある。農業に関わらず、関わりやすそうな相手を探して暇つぶしに画面を眺めていたときのことだった。

 善人か悪人かで言えば、当然善人の方が良いに決まっている。検索のタグ付けを最初使い方がわからなかったが、とりあえず人間性を第一として、『人助け』とだけ入力しておいた。以来ずっと固定している。


「雨降らしか……いまどきバカなホラフキもいたもんだ」


 古来では実際に干ばつなどで雨が必要になったとき、村で唯一の雨女を連れ出して儀式を行ったとされている。そんなものは迷信だと、斉藤は一切信じなかった。


「やれるもんならやってみろ」


 冷やかしには冷やかしで対応する。斉藤は冗談のつもりでそのアカウント向けにDMを送った。


『農家をやっています斉藤といいます。雨を降らせるということを目にして連絡しました。そこで一つ、私の畑に雨を降らせてほしいのですがお願いできますでしょうか』


 するとすぐに返信が返ってきた。


『ご依頼ありがとうございます! 僕たちは現在○○県にいるのですが、斉藤さんはどちらにいらっしゃいますでしょうか』


「……偶然か?」


『わたしも同じところにいます。場所は××市です。お願いできますでしょうか』


『はい、その場所なら大丈夫です。ですが日時は週末でお願いできますでしょうか』


 わりと本格的な打ち合わせになってきたなと斉藤は感じる。


『わかりました。何か機材などは持ってこられますでしょうか。トラックで良ければ送りますが』


『いえ、大丈夫です。それでは住所を送ってもらえますでしょうか』


 斉藤は住所を手打ちで打とうとしたが、はっきり言って地元民でも迷う場所だった。なにせ周囲には田んぼしかなく、駅から車でも三十分以上かかる。


 引き返すなら今だと思い、最後の賭けのつもりで次のように送った。


『私の畑ですがなかなか複雑な場所にございまして、よろしければ○○駅からお送りいたしますがいかがでしょうか』


 返信がしばらく沈黙した。やはり冷やかしかと画面を閉じようとすると、


『えっと……いいんですか?』


 斉藤は思わず笑ってしまった。


 ***


 ある意味見事と思いながら、拓は駅の入り口でじっと外の風景を眺めていた。

 今日は約束の日、初めての依頼者と対面する日だが、天気はあいにくの雨。

 いや、あいにくという程でもない。今日は晴れる予定だった。ここ二日三日ほど天気予報は的中していて、今日の降水確率は四十パーセントだった。


 こんな日もある。しかし『また日を改めて』と依頼者にメッセージを送ると、いい機会なので少し会えませんかと返信が返ってきた。


 暇なので、拓は考え事をしながら時間をつぶす。あのあと斉藤の他にも、何人か依頼者が現れたのだが斉藤以外返事はしなかった。というのも一人は完全な冷やかしで、もう一人は内容があまりにも非現実的だったからである。彼女の雨女の力を、拓はまだ完全には理解できていない。ほんの少しだけ、偶然という可能性も疑っている。


 最初が農家というのは、拓としてもちょうどいい相手だった。雨が降ることで農家が喜ぶことは容易に想像できる。仕事の大きさとしても、個人で経営していれば失敗してもリスクはそう大きくない。

 そんな自分の作意を見透かしたような天気に、拓は心の中で苦笑いした。そんな簡単に思い通りになるかと、太陽がそっぽを向いたような気持ちになった。


 周囲に人影はなく、週末の田舎特有の閑散とした雰囲気を感じていると、雨音を立てて傘の影が近づいてきた。


「遅れてごめんなさい」


 息を切らせて現れたしずくに拓は、「全然まってないよ」と首を振った。


「僕こそごめん。こんな天気……ああいや、来てもらうことになって」


「気にしないで」としずくは首を振った。


 斉藤と待ち合わせている駅は、そこから電車を二つ乗り継いだ所にあった。距離としてはそこまで遠くなく、天気も変わらず雨だった。


 駅につき改札を出ると、目の前に一台の軽トラックが停まっていた。そこから顔を覗かせている老人に視線を合わせると、老人は「もしかして」と声を震わせた。


 老人の乗っている軽トラックに近づいて、「はじまして」と拓は頭を下げた。


「斉藤さんですか?」


「ええ、斉藤です。ではあなた方が……雨女クラブの」


 拓は頷いた。すると斉藤が傘を持った二人に気付いて言った。


「まあまあ、まずはどこか店に入りましょう」


 そして三人は駅の中にある適当な喫茶店に入った。席についてすぐ、斉藤が言った。


「今日はわざわざ来ていただいてすみません。少し話をしたかったもので」


「いえ」と拓は首を振った。「僕たちこそ……」


「いえいえ、今日は予報では晴れだったので、今朝起きて雨だと知ったときはぴっくりしましたよ。まさか本当に雨を降らせる力をお持ちだとは」


「いやそんな」拓は苦笑いを浮かべた。二人を呼び出したのは、そんなつまらない世辞をわざわざ言うためだったのか。隣を見ると、しずくは顔を上げられずに固まっている。思えば斉藤と会ってからというもの一言も発していない。


 斉藤もそれを気づいていて、しずくの方に視線を向けた。


「不安にさせてしまってすみません。僕はあなた方のことを特別疑っているわけでも、真に受けてもいません。本当にただ……お話をしたかっただけです」


 しずくの顔がゆっくりと持ち上がる。


「最初見たときは、大学生かどこかのNPOだと思いました。雨を降らせるというのも、ただの水撒きを誇張した表現だろうと」


 まあ、誰しもそうだろうと拓は思った。雨を降らせるなんて、簡単に信じる人間がいるとは思えない。その上で声をかけてきたこの依頼者は、やはり本当に困っているのだろう。


「どうしてこの活動を始めたのですか?」


 活動理由はプロフィールに書いているが、始めたキッカケを載せてはいない。必要ないとは思わなかったが、文字数の制限で書けなかったというのも理由としてある。


 拓は、たまたま帰りに雨が降って学校の後輩の女子が先輩に告白している場面を目撃したことを話した。こうした雨による幸運が日常にまだ隠されているのではないかと。


 斉藤は納得した様子で運ばれてきたコーヒーを呷った。


「普通は晴らすことを考えると思うのですが……逆なんですね」


「晴れたら嬉しいのは当たり前なので」拓は言った。雨だと嬉しくないのが、もったいないのだ。


「農家以外のことは考えているんですか?」斉藤が訊ねた。


 拓は首を振った。「候補は考えているんですが、なかなか思いつかなくて」


 探せばあるといった手前、見つけられないのは恥ずかしい。ここで斉藤から何かアドバイスをもらえるかもと思ったが、そううまくはいかなかった。


「募集をかけても、なかなかうまくいかなくて」


「疑っている人も多いんでしょうね」


 そもそもほとんど見られてはいないのだが、それでも連絡をくれたのはその中の一割にも満たない。冷やかしすら一件しかなかったのは、拓は意外にショックだった。


 もしかして、今の時代、雨はそこまで求められていないのかも……。


「提案なんですが、依頼ではなく、現場に直接出向いてみるというのはどうでしょうか?」


 斉藤からの提案に、拓は横目でしずくの方をみた。彼女も彼女で話を聞こうとしている。


「詳しく聞かせてもらえますか」


「私がいうのも何ですが、今の時代、インパクトのあることがないと人々の興味は引けないでしょう。たとえ雨を降らせる力が仮にあったとしても、それを実際に目の当たりにしないと信じる人は少ないと思います」


 確かに、と拓は思った。雨を降らせる力は、思っているよりも使う場面が限られる。例えば晴れているとき、急に雨が降ればそれは殆どの場合にマイナスなことでしかない。そもそも二人があの場面に遭遇したのも偶然で、偶然だったからこそ起きた軌跡といえるだろう。

 だからこそ、前振りというものは重要なのである。偶然、突発的、想定外、これらがもたらすインパクトは大きい。そのうえで、良い結果をもたらさなければいけない。


 雨が必要となるシチュエーション、それらに遭遇する……運。


「難しいな……」拓は苦笑いを浮かべた。


「考えてもすぐに思いつくのは難しいでしょう。身の回りのことなので、普段行っていない場所に行ってみると何かあるかもしれませんね」


「あの」初めてしずくが声をあげた。「どうしてそこまで……協力してくれるんですか」


 斉藤は答えた。


「僕は昔、雨男と呼ばれていたんですよ。子供の頃はそれがとても嫌で、雨を嫌っていたんですが、農家になってから考えが変わりまして。たとえ偶然でも、体質でもなんでも、役に立つことはあるんだなあと思うようになったので。


 もし……本当にそんな力を持っていて、誰かのために使いたいと考えておられるなら、僕も少しは力になれたらと。かつての自分への、贖罪みたいなもんです」


 そう、斉藤は笑顔で語った。


 ***


 斉藤と別れて、二人は電車に乗った。外の景色を眺めながら、拓は斉藤とのやり取りを思い出す。斉藤からは、依頼は取り消しますと正式にキャンセルが伝えられた。冷やかしのつもりで送ったものなので、とその後に丁寧な謝罪があった。


 この先のことを考えると、たとえ冷やかしでも、何らかの実績があった方がいいと拓は思ったが、これ以上斉藤に甘えるのも申し訳ないので、その場は了承して、引き下がった。

 しずくの方を見ると、拓以上に目をどこか遠くにやっている。考え事をしているのか、聞くに聞けない感じがした。


 とはいえ、やるべきことは明確である。斉藤が言ったように、これからは依頼ではなく、自らで雨を望まれるような場面に出くわすように行動しなければならない。そんな場面がいつ現れるのかすら今は想像もできないが、ふとしたとき、あるのかもしれない……。


「知らなかった」ぽつりとしずくが言った。「私以外に、悩んでる人がいたなんて」


「探せばいるもんだね」と拓は笑って言った。これこそ軌跡という他ないが、彼女がこの先悩みを抱いたときに斉藤の存在は大きな助けになるだろう。


 むしろ、もうやめてもいいのかもしれない。


「しずくちゃんは、雨女でよかったと思ったことってある?」


 拓はおもむろに聞いてみた。


「雨が好きだから、一人のときは幸せ。落ち着くし、雨に当たるとね、すごく気持ちいいの」


「すごいね」拓は言った。「僕はそんな風に前向きに考えられないや。晴れたら暑いし、雨だったら傘さすのが面倒くさいし、雨じゃなくても適度に涼しい天気が一番過ごしやすいかな」


「曇りってこと?」


「ああそうだね」拓は頷いた。「空を見上げても眩しくなくて、時間に終われるような感じもしない。ちょっとだけゆっくり時間が流れているようなあの感じが好きなのかも」


 それでも、本心で言っている感じではなかった。曇りはくもりで、特有の気持ち悪さがある。それを気にしなければ一番マシくらいの感覚だった。


 要するに天気なんて何でもいいのだ。気にしなければ、変に喜ぶことも、悲しむ必要もない。心に平穏をもたらせば、どんな天気であっても、凪のように心は動かない。


 どこにも行かないし、どこにも進めない。


 そしていつかは、沈んでしまうのかもしれない。

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