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覚悟

 喫茶店からの帰り道、傘を差しながらしずくはぽつりと言った。


「今日はありがとう。連れ出してくれて」


 拓がうんと振り向いて言った。


「少しは気持ちが楽になった?」


「そうね……あの人みたいに自信がもてたらいいって思う。けど今はまだ……」


「そっか……でもきっと大丈夫だよ」


 そう言われて、しずくはうんと頷いた。


「たっくんはどうなの? これからのこと」


「僕は……どうかな」拓は苦笑いを浮かべた。「――さんのこともあるし、たぶんもう、元には戻れないんじゃないかな」


「大丈夫よ、きっと」しずくは拓に向かって言った。


「みんな、事情を話せばわかってくれると思う……町田くんだって……」


「どういうこと?」と拓が顔を振り向けた。


「告白されたの……町田くんに。彼、おなじ幼稚園にいたみたい」


「そっか……覚えてないや」


 拓が苦笑いを浮かべた。


「彼、わたしのこと心配してくれて。わたしが雨女だってことも、話したら理解もしてくれた。だから……」


「空本さん」


 拓の声が、雨音を切り裂いてこだます。


「僕はね……自分のやったことが悪いことだと思ってる。けど、後悔はしてないんだ」


 だから気にしないでよと、拓は笑った。しずくはそれ以上何も言えなかった。


 ***


 修学旅行から帰ってきてからの学生生活は、それまでとあまり変わりなかった。しずくは相変わらず町田たちのグループに囲まれて身動きがとれなかったし、あれから拓とも顔を合わせていない。むしろ彼の方から距離を取っているように見えた。


 拓の言っていたことを、しずくは徐々に理解していった。帰ってきてからの彼は、明らかに以前と違っていた……いや、最初のころに戻ったというべきかもしれない。誰にも興味がないように話しかけず、そして誰からも話しかけられない。


 けれど彼に向けられる視線は、明らかに以前よりも悪意に満ちていた。特に女子からの視線は、まるで醜悪な化け物をみるような軽蔑のまなざしだった。


 彼はそれをさも気にしていないように振る舞っている。昼休み、普段は彼に注意すら向けない男子が彼の横を通り過ぎる際、わざと肩にぶつかって彼がよろけた。謝りすらしなかった。むしろそれをあざ笑うように振り向いて彼が地面に手を付く様子を眺めていた。


 しずくは思わず立ち上がった。町田たちの視線が自分へと向く。言うべき言葉は見つかっているのに、彼があのとき言った言葉が忘れられなかった。あれは……助けるなと自分に言っていたのだ。それが――彼の覚悟だった。


 しずくは歯を食いしばって座り込んだ。自分が助けることで、彼とのつながりを知られることを彼は望んではいないのだ。


 彼が教室から出て行った。しずくはトイレに行くと言って彼を追いかけた。屋上につながる階段を登り、彼に会おうとした。けれど彼はそこにはいなかった。


「ねえ、もうずっとこのまま?」


 しずくはその場で涙をこぼした。もう二度と会えないのだろうか。まだちゃんとお礼も言えていないのに……。


「そんなのやだよ……」


 彼が誤解されたままなのは、彼に見方がいないのは――助けられてばかりで、彼に何もしてあげられていないそんな自分が……嫌だった。


 彼は何度も自分に傘を差してくれた。濡れた服と涙を拭い、雨の中を一緒に歩いてくれた。

 だったら今度は自分が、彼に傘を差してあげたい。彼の壊れかけの笑顔を壊して、彼の本心を知りたい。


 しずくは急いで教室に戻った。扉の前に来ると、教室の中は拓がいなくなったことで明らかにタガの外れた様子だった。言葉にできない悪口が飛び交い、笑い声が、嬌声のように響き渡る。


 しずくは一歩でも近づきたくなかった……怖い、と人間の悪意を目の前にして足がすくむ。自分が声を張り上げても、きっと届かない。彼のように無茶をするしか、救う方法がないと気づいた。


 しずくは窓から外を見て、今日の天気に気付いた――晴れだ。みんな天気なんて気にしていない。晴れでも雨でも、誰も気にせず思うがまま過ごす。だから雨女なんて、本当はいないのかもしれない。


 雨女なんて、誰かが作った称号で、特別な存在になりたい誰かが……褒められたくて作っただけのものかもしれない。


 今まで雨女でいて、良かったことなんてほとんどなかった。彼に会えたことだけだ。雨が自分と彼を引き合わせてくれた。


 しずくは扉を開け、唇を震わせながら声を出した。


「あーめあーめふーれふーれかあーさんが……蛇の目でおむかいうれしいな……ピッチピッチチャップチャップランランラン」


 しずくは窓を見た。雨はまだ降らない。ならばと続けて歌う。


「かけましょかばんをかあさんの……あとからゆこゆこかねがなる……ピッチピッチチャップチャップランランラン」


 ぽつ、ぽつと窓のそとに雫が垂れた。晴れているのに、雨が降る。クラスメイトの視線はしずくの方に向いた。

 しずくは息を吸って言った。


「わたしは幼稚園の頃……雨女って言われてバカにされてた。わたしがいると雨が降るから……だから誰にも会いたくなくて、休むときもあった……けれどある男の子がわたしに声をかけてくれたの。大丈夫って?」


「町田だろ?」


 男子の誰かが言った。しずくは首を振った。


「町田くんはバカにしてた方。声をかけてくれたのは……森嶋くん」


 嘘だろ、という声が飛び交った。


「本当……彼だけだった。助けてくれたのは」


「あいつはそんな奴じゃない」


 また別の男子が言った。しずくはぐっと拳を握って言った。


「どうしてそんなことがわかるの? 友達でもないのに」


「だってあいつは……」


「たった一回、見ただけでしょ。それも彼が大勢の前で――さんを罵倒してるとこを。本当に嫌な人だったら、バレないように隠れてするはずじゃない?」


 それに、としずくは続けた。


「だったらどうして、――さんを誰も助けてあげなかったの? 罵倒されたままの――さんを放っておいたりしたの? 助けなかったひとは、言えなかっただけで、同じ気持ちだったんじゃないの?」


 しずくは――の方を見た。――は複雑そうな表情を浮かべて顔を伏せる。


「もういいよ、みんな」


「――さん、わたし。――さんがしたことまだ許してないよ」


 すると、——の顔が一層引きつった。やめて、とか細く言う。

 言ってしまいたい。そうすれば、矛先は彼ではなく彼女に向くだろう。けれどそれでは、何も変わらない。彼が守ったものを守ったことにはならない。


「わたしは、森嶋くん以外……このクラスにいるみんなが嫌い。何も知らないふりして、問題が起こったら、一人を悪者に仕立て上げて……吐き気がする」


 しずくの言葉に、男子が黙り込んだ。


「このクラスに、自分を犠牲にして悪者になれる人が他にいるの? 正義面してかっこつけて、周りからチヤホヤされたいだけの臆病者ばかりじゃない」


 町田グループの男子が言った。


「町田は違うだろ。町田は……孤立してるお前を助けてくれただろ」


 しずくの視線の先で、町田の顔が青白く染まる。


「町田くん、わたし……あなたにも謝ってもらってない。昔の話だから、忘れたなんて言わないで。あなたが真っ先にわたしをいじめたんだから……みんなに教えてあげようか?」


「やめろ!」


 町田が立ち上がった。「俺が悪かったから」


 クラスの視線が町田に集中する。しずくは町田を見下ろした。


「もう幼稚園に来るな。触ると雨女になるぞ。遊んできて雨が降ったら雨女(わたし)のせい。外に出るなって無理やり押し入れに閉じ込められたりもした」


「それは周りの女子が命令するから……」


「やったのは町田くんでしょ? カッコつけたかったんでしょ、悪者を退治するヒーローみたいに。気持ちよかった? 悪者を退治できて」


 子供のころは、やんちゃな男子が女子に好かれやすい。町田はその典型だった。そしてそのまま、人気者であり続けた。


「助けてくれたのは、森嶋くんだった……彼はわたしを助けても、誰にも何も言わなかった。どうしてかわかる?」


 町田はどんどんと表情を変えていった。しずくは言った。


「それは……彼がわたしたちよりもずっと大人だったから。幼稚園の先生は、一日中忙しくて、子供のケンカなんかに時間を割けるほど余裕がないの。けど無理してそうしてる。それが仕事だから。そうしないと子供が怪我をしたり、来なくなったりするから」


 そうすると親からの苦情が入る。そこで言い訳なんかできないから、無理してでも仲裁に入る。


「けど厄介な幼稚園児がいるとね、それもだんだんできなくなるの。じゃれあってるだけとか……ちょっとかわいらしく言ってね。注意してもやめてくれない。ひどいときは、先生にいじめられたって親にウソを言うことだってある。そんなの先生だって疲れるわよ」


「俺はそんなことしてない!」町田が叫んだ。


「わかってる。けど、同じようなものでしょ? 彼が教えてくれなかったら、わたしはもっと早く来なくなってた。転園したのも親の都合だけど、半分は彼と先生のためだった」


 他人に迷惑をかけたくないとそのころからしずくは強く思うようになった。自分のせいで誰かに負担を強いる。それならば自分が我慢をすればそれだけで済む。


「彼は大人だから、あなたたちに何を言われても何も言い返さない。あなたたちが子供すぎるから、相手になんてならないから……彼はいま我慢してるのよ。恥ずかしくないの?」


 しずくは言った。自分もまた、歯止めなんて無視して叫んでしまっている。

 それを止めたのは、意外な人物だった。


「僕は、森嶋くんの本音を知ってる」丸田が立ち上がって言った。「みんな誤解してるよ。この一件、森嶋くんだけが悪いなんて僕には思えないんだ。空本さんを孤立させてた僕たちにも責任がある。それなのに……彼だけを悪者にしようっていうみんなの考えが、理解できなかった」


「えっと……誰?」しずくが言った。


「丸田幸助です。森嶋くんの――親友です」


「そっか」としずくは笑みを浮かべた。「拓くんにも、そう言ってくれる人ができたんだね」


 よかった、と安堵していると、ふと扉の方に視線を感じて、しずくは振り返った。拓が扉を目の前にして固まっている。やがて、周りの視線に気づくと拓が逃げるように走り去った。


 しずくはすぐに後を追いかけた。

次回最終話です

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