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誰がために君はある

 大騒ぎのなか、拓はその場をあとにした。殴られた頬がヒリヒリと痛んで、よろよろと通路を歩いた。


 自業自得だ、と拓は薄笑いを浮かべた。自分も人のことなんて言えない。感情のまま、身勝手に人を傷つけた。誰かに好かれる資格なんてどこにもない。


「丸田くんたちに……あやまらなきゃ」


 騒動はすぐに広まり、丸田たちの耳にも届くだろう。彼らが自分をどんな目でみるか、想像もしたくないが、何を言われても受け入れるしかないと、拓は気持ちを切り替えた。


 拓はポケットから修学旅行のしおりを取り出した。自分と丸田の部屋には印をつけている。他の班の詳しい部屋割りは伝えられていないが、男子と女子は階を分けられていると考えるのが普通だ。そしてホテルは通常、上の階に行くほど値段が高くなる。いくら修学旅行といっても、タワマンの階層マウントのような意地の張り合いがあるわけじゃない。


 拓たちの部屋の階は二階なので、三階に女子部屋が用意されているのは想像に難くない。

 拓はエレベーターを使って三階に向かった。二階も三階もフロアの豪華さはさほど変わらない。おそらくスイートとの境界になる階が上にあるのだろう。


 三階の部屋数はおよそ五十である。一つずつ回ると途方もないが、幸運にも時間はチェックアウトの直後だった。ある部屋の前には掃除用具の入ったカートが置かれていて、拓は中にいた五十代ほどの女性に声をかけた。


「すみません。これまでの部屋に高校生くらいの女子生徒がいる部屋はありませんでしたか?」


「ああ、団体のお客様だね。十五部屋ほどあったかね……」


「中に人はいましたか?」


「いなかったと思うよ。服が適当に散らばってるだけだったね……ああでも、一部屋だけ入室禁止の札が掛けられている部屋があったね。両脇も高校生の部屋だったからそうだと思うんだけど、無理やり入るわけにはいかないからねえ」


 拓は、間違いないと踵を返した。すると女性から、もし中に人がいて説得できたら教えてほしいと頼み事をされる。

 拓はそれを了承して、札の掛けられている部屋を探した。すると確かに、一部屋だけ扉の前に札が寄りかかるようにして立てかけられている部屋を見つける。


 コンコンとノックをすると、中からは返事はなく、無人かと思われた。拓は、ゆっくりと扉を押す。中は明らかに一般客のものとは思えないような惨状だった。部屋で暴れたのではないかと疑ってしまいたくなるほど、シーツは崩れ、荒れ放題だった。


「さすがにひどいな……」拓は顔をしかめる。掃除をしないままこんな惨状を見過ごしていては、最悪ホテル側から何らかの請求が来てもおかしくない。


 もう一つのベッドは比較的キレイだった。それが彼女のベッドだろう……いや、もしかしたら逆かもしれない。スーツケースはどちらも壁際に置かれていて、片方は開いたままだった。


 拓が外を見ようとすると、カーテンがかかっていた。通常であれば、特に気になることではない。ただ、今日は大雨だ。日射しもない。なのに……なぜカーテンを閉める必要がある。


 一般的なホテルには、ベランダのついているものもあれば、無いものもある。上層階のスイートルームは、景色を楽しむために付いていることが多いが、やはりホテルの種類によるだろう。


 とりわけこのホテルの売りは、その見晴らしの良さにあった。東京には背の高い建物が多いので、比較的階の低い場所でも、それなりの夜景を楽しむことができる。


 カーテンを開けた瞬間に拓は、心に雨が降ったような気持ちで、それが徐々に大きく周囲を飲み込んでいるような感覚に陥った。


「空本さん……しずくちゃん!」


 声をかけると、小さなうめき声が聞こえた。よかった、息はある。拓は急いで彼女を抱き上げる。思った以上に軽かった。部屋の中に運び込み、脱衣所からバスタオルを持ってきて体中の雨を拭き取った。しかし……それだけで体調が回復するはずがない。


「先生に伝えないと……」


「ま……っ、て」


 咳をするようなか細い声がうっすらと聞こえた。拓は振り返って、彼女を見た。


「いわ……ない、で。おね……がい、たっくん」


「言わないでって……これのどこを見たらそんなことできると思うんだよ」


 拓は声を震わせた。怒りが何もかもを飲み込もうとしている。あの時よりも数段、口にしてはいけないことまで言ってしまいそうだった。


「イジメじゃないよこんなの……犯罪だよ」


 女一人の力でやれる行為とは到底思えなかった。おそらくは班の男子が手伝ったのだろう。それは町田を含めた何人か……人数は特定できない。だが、おふざけでやっていいことには限度がある。


「何が理由でもこんなことをする人を……僕は人間とは思わない。醜悪な人の形をしたバケモノだ……君はバケモノを庇うの?」


「わたしの、せいで……みんなの修学旅行を台無しにしたくない……」


「雨でもみんな、楽しくやってるよ。さっきだってずっと中でゲームして遊んでたんだよ? 雨が降ったからって、それだけでみんなが……(きみ)のことを責めるなんて……ないよ」


 拓は、自分が泣いていたことに気づいた。


「謝らなきゃいけないのは……僕のほうだよ……」


「……どうして?」


「さっき、君と同室の女子を泣かせた。徹底的に言葉で傷つけた」


「……」


「楽しい雰囲気を一瞬でぶち壊しにしたんだ……明日はたぶん、今日以上に騒がしくなる」


 それを拓一人で受けられるなら、まだいい。けれどあの場には、何人もの生徒がいた。目に焼き付いている人も多いだろう。


「わたしの……せい?」


 しずくの言葉に、拓は歯を食いしばった。


「なんで……どうしてそこまで、自分のせいにしちゃうんだ……誰も君を責めたりしてないだろ……それなのに、君をゆるしてあげられないのは、君だけじゃないか……」


 自分の方が何倍も、責められる理由がある。なのに……何もしていない人間が……たった一つの、それも思い込みだけでこんなにも追い詰められるのは……悲しすぎる。


「君を嫌ってる人なんて、誰一人いないよ。君の性格が、誰かを傷つけていることなんて……あるわけがない。あっていいはずがないんだ」


 どれだけ気持ちを込めても、彼女に伝わっている気配がしない。暴言は、その何十分の一の大きさの感情でも、簡単に相手の心に突き刺さってしまうのに……。


(わたし)なんて……消えちゃえばいいのに」


 拓は、彼女に覆いかぶさった。


「死んだら本当に恨むぞ! 君が消えたら悲しむ人間がいないなんて思ってるのか⁉ だったら本当に君はバカだ! 僕以上に大馬鹿だ!」


「わかってるわよ……そんなこと」


「いいやわかってない。君は何にもわかってない! 君が消えるべき存在なら、僕はなんだっていうんだ。地獄に落ちればいいのか? それでも償えないよ……君は僕にどれだけ苦しめば良いっていうんだ」


「しなくていいわよ、そんなこと……」


 そう呟いたしずくに、拓は呆れたように溜め息をこぼした。


「だったら君も、消えなくていいだろ」


 しずくがようやく口を閉じた。説得なんて、生易しいものじゃない。告白よりも痛々しくて、演説よりもカッコ悪い……そんな数分間。


「消えなくてもいいけど……忘れてよ、いままで言ったこと」


 その場に座り込んで拓は言った。すると入り口の方から叫び声がした。耳を澄ますと拓としずくの名前を呼んでいる。

 やがて、男性教師が部屋の中に入ってきた。それは二人の担任だった。男性教師は部屋に入ると、その暗がりの光景に一瞬足を止め、奥を見つめた。


「森嶋……」


 低く重い声が響く。拓が顔を上げると、男性教師は床に仰向けになったしずくに気付いた。


「何があった」


 拓は彼女を一瞥すると、男性教師に事情を説明した。

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