僕しか知らない彼女のヒミツ
問題が起こったときに誰かのせいにしたくなるのは、人間の心理に根差した行動だといえる。曰く、我々の先祖たちも地震や雷などを神の仕業ととらえ、その原因を人に着せたらしい。生贄を捧げれば神の怒りは収まり、災害もやむだろうと。
馬鹿馬鹿しい話だが、本当にあった出来事だ。田舎で呪いや祟りを信じている老人が多いのもそのせいかもしれない。けどそれは、田舎に限った話じゃない。皮肉な話、現代に生きる若者のDNAにも少なからずその思想は根付いている。
「雨女だー!」
森嶋拓は、そう叫んだ同い年の男の子を白い目で見つめた。よくある話だ。遠足や修学旅行などで、雨が降ったときに誰かのせいにしたくなる現象である。
その日は普通に幼稚園の日だった。朝はとても天気がよくみんな外で走りまわっていたが、昼頃になると急に空が曇ってきて、やがて大雨になった。
大抵は、グループでも気の弱い女の子が標的にされることが多い中で、拓たちの時は少し状況が違っていた。標的にされた女の子は確かに休みがちで目立った存在だった。その日も午後から幼稚園に来ていたし、雨が降ったその直後にやってきたのだから、運が悪かったというしかない。
けれど、その子は気が弱いというわけではなかった。むしろ久々に会った男子に対して、初手でこう言い放ったのだ。
「しってる? 雨って頭にたくさん当たるとハゲるんだって」
そうして、その子は『雨女スプラッシュ』なる技を繰り出し、からかってきた男の子の前で合羽を勢いよく振り回した。水滴が男の子の顔に当たり、男の子はやめてと何度も懇願したが、その子は頑としてやめなかった。やがて、男の子は泣いて声をあげた。
それまで、ろくに同い年の人間とコミュニケーションを取ろうとしてこなかったが、拓はその女の子のことだけは無性に興味を持った。
「雨、大丈夫?」
へいき、とその子は笑った。名前だれだっけと人差し指を顎に当てる。
「拓、森嶋拓っていうんだ……君の名前は?」
「空本しずく! じゃあたっくんだね」
それから二人は、他の子たちとは離れて遊ぶようになった。彼女は見た目こそ元気だったが、度々休むこともあってその後もみんなからは白い目で見られていた。拓はそういった子たちとはそりが合わず、ずっと建物の中でひとり本を読んでいたりしていたが、幼稚園の先生もそういう大人びた子がいてもいいと言ってくれたので、孤独というものを感じたりはしなかった。
ただ、久々に彼女の顔を見れたときは、拓は飛び跳ねるほど嬉しかった。
自分たちは互いに少し人と違っている。だからこそ仲良くなれたのだと拓はそう思った。
ある日のこと、みんな外で元気に遊んでいたその時、拓は彼女に外に連れ出された。
「あのね、たっくん。聞いてほしいことがあるの」
外の運動場につながる靴置き場の段差に二人並んで座ると、彼女はゆっくりとした口調で言った。
「驚かないできいてね……わたし、ほんとに雨女なんだ」
そう言うと、彼女は拓の目の前で傘置き場から水玉の傘を引っ張り出した。そしてその傘を持ったまま、雨乞いでもするように唐突に歌い始める。
「あーめあーめふーれふーれかあーさんがー……」
リズムに乗って、時折傘を神主さんがやるお祓い棒みたいに上下に振る。
「ぴっちぴっちジャブジャブランラン!」
彼女は歌い終わると達成感に満ちた顔をしていた。少し赤くなった顔に向かって、「大丈夫?」と声をかけると、彼女は、「見てて」と人差し指を上に向けた。
すると、顔にぽつりと一滴水滴が落ちてきた。拓はまさかと空を見上げた。少しだけ雲がある青空からぽつぽつと雨粒が落ち始め、やがてざあざあ降りになった。
「ね、言った通りでしょ?」
建物の中に避難したあと、彼女はこっそりと拓の方を見た。拓はうんと頷いた。
「けど、どうしてそんな大事なこと教えてくれたの?」
すると彼女は、その質問が意外だったのか、困った顔をした。
彼女が引っ越すことを拓が聞かされたのは、それから数日後のことだった。園ではささやかながら卒園パーティーが開かれて、みんなが彼女に向けて寄せ書きを書いた。中身を見て、別れを悲しむ声が多かったのは拓にはとても意外だった。あとは拓が真ん中にメッセージを書くだけになり、何を書くか悩んだ拓は、こんなことを書いてしまった。
「次に会ったら答えを教えてくれる?」
パーティーの最後、寄せ書きを渡したときに彼女は真っ先に色紙の真ん中の方に視線を向けて、一瞬視線を振り上げた。拓は頷いてくれることを期待していた。けれど彼女は、困った顔をして、拓にだけ聞こえる声でぽつりと言った。
「ごめん、やっぱり忘れて」
それが、明確に拒絶されていることを拓に伝えるには十分だった。あわよくば、期待している答えが返ってくると思っていた拓は、一瞬で心を砕かれた。
彼女との会話は、それが最後だった。幼いながら、それが拓に強烈なトラウマを植え付けたことは言うまでもない。けれど、彼女ほど話の合う女友達はいなかったのも事実だ。
高校生になった拓は、あの頃よりもだいぶ根暗になっていた。女子と話す機会も極端に減って、小、中学は三年間一人で過ごした。唯一、勉強だけが彼のアイデンティティだった。進学先を決める際、ガリ勉だけしかいないと噂の進学校にも行くことはできたが——むしろ担任にはそれを熱望されていた——結局、エスカレーター式に高等部に進んだ。
最初の自己紹介のとき、中学からの同級生のはずなのに、誰も拓のことを覚えていなかったことにはちょっと参ってしまったが、勉強ができるというアイデンティティだけは失わずにいれたようで、それなりにクラスで必要とされる存在だった。
ただ、人気者というにはほど遠い。クラスの影の存在であることには変わりなかった。
たまたま体がぶつかってきたとき、クラスメイトの男子が言った。
「あ、ごめん……森山」
「森嶋です」
小声で言ったので聞き取れなかったのだろう。男子は逃げるように立ち去った。
自分でも本当はもっと明るい人間だとわかっている。けれど、どうしてかそれがうまく表現できない。話している話題が、自分にとって少し幼稚に思えるからだろうか。彼女のように本音で話し合えるような感じがしなかった。
居たたまれなくなって、昼休みに拓は逃げるように教室から出た。外が雨で、普段中庭などで食べている生徒も戻ってきて騒々しさが三倍増しになることが想定された。
しかし食べる場所は限られている。人目につかず、心を落ち着ける場所なんて早々見つかりっこない。歩き回っても先生に見つかっては面倒くさいので、適当に暗い場所を探すとある場所が目に飛び込んできた。
そこは屋上に続く渡り廊下のある階段。薄暗さもちょうどよく、教室からも近いベストスポットだった。
先客がいた。渡り廊下の奥で、足を伸ばして弁当を食べる人影を拓は目撃する。
「……っと」
息遣いに気付いて影の顔が勢いよく動いた。視界が晴れてきて顔がわかるとそれは意外にも女子だった。拓は一瞬で体を硬直させるが、相手も同じように息を止めて互いを見つめる。
「ご、ごめん……おじゃましました!」
「あっ、まって!」
女子の声に拓は疑問符を声に出して振り返った。女子生徒は座っていた位置から少し横にずれてスペースを作るとそこに手を触れて言った。
「ここ以外、静かになれる場所もないし……共用スペースだから」
「あ、そうなんだ……」
拓はちらりと廊下の方を振り返ったが、さすがに引くのは違うと思い、女子の隣に腰かける。女子は伸ばしていた足を横にして、先ほどよりも静かな仕草で食べ始めた。
気まずい……と拓は食べながら内心溜め息をつく。騒がしい女子も苦手だが、無口な人も話しかけるのにハードルが高い。今ここで話しかけるという選択肢はそもそも拓にはなかったが、視線をあちらこちらに向けていると女子の方から話しかけてきた。
「雨はきらいですか……?」
「え……?」
突然のことに拓の思考は一瞬停止する。どういった脈絡でその質問に至ったのか理解できなかったし、どう答えるべきかもわからなかった。
「ふ、普通……かな」
我ながら根性なしだと拓は思った。こうした質問には何をもっても好きだと返すのが常識だと知っていたからだ。
「どうしてそんなことを……?」
訊ねると女子はぽつぽつと言った。
「最近、雨……多いでしょ。だから、みんな嫌がってるんじゃないかなって」
「僕はべつに……イヤじゃないけど」
「ほんと?」
女子の声が少し弾んだ。
「晴れよりも雨がすき?」
「いや、傘持ってくるの面倒くさいし、走るのもきついし……」
また答えにミスったと拓は内心頭を抱える。女子の方もあからさまに落ち込んでいるし、自分のせいなので慰めるべきだとはわかっているが。
「けど、嫌な気持ちになったとき、雨はそれをみんな洗い流してくれるんだよ」
すると女子は、唐突に歌を歌い始めた。それは聖歌のように繊細な歌声で、けれど歌詞は驚くほど身に親しんだものだった。
「あーめあーめふーれふーれかあーさんが……蛇の目でおむかいうれしいな……ピッチピッチチャップチャップランランラン」
歌い終わると、女子はふうと息を吐いて言った。
「これ歌うとね、心がすーっと軽くなって、不思議と楽しい気分になるんだ」
「しずくちゃん……?」
拓は、だんだんと女子の口調がかつての彼女に似ていることに戸惑いを隠せなかった。
人違いだったらどうしよう、そんな不安を抱く暇もなく、女子は振り向いて言った。
「覚えててくれたんだね。たっくん」
扉の隙間から入った光が彼女の顔を照らした。当時よりも印象が落ち着き大人びた彼女の姿がそこに映った。