予感 3
何かの間違いだろうともう一度尋ねても、やはり同じ答えが返ってくる。
言いようのない違和感が全身に広がり気が付けば俺は、さらに問いを投げかけていた。
「あなたのことを教えてくれませんか」
「……私は──県生まれで、両親と三人暮らしでした。幼い頃はよく、祖父母の元でも──……」
それからも彼女は抑揚のない声で、淡々と自身の人生を語り続けた。生まれや家族のことから始まり、これまでどんな風に生きてきたのかを。
だが、イルゼ・エンフィールドとはまるで別人の人生、聞いたことのない言葉ばかりで、俺だけでなく側で聞いていたモーリスもまた、動揺しているようだった。
「なぜ、こんなことを……」
イルゼが飲まされた自白剤の効果は強力なもので、国でも禁止されている。今の彼女を見る限り、嘘や冗談を言えるような状態ではないのは間違いない。
ならば今彼女が話しているのは、一体何だというのだろう。
(……まさか)
そしてふと脳裏を過ったのは過去、何度か考えては打ち消してきたひとつの仮説だった。
馬鹿らしい、ありえないと分かっていても、それ以外に彼女の言動の説明がつきそうにない。
それから少し悩んだ末に、俺は口を開いた。
「あなたは、イルゼ・エンフィールドではないのですか」
こんな問いを投げかけるなんて、どうかしているという自覚はある。だが返答を待つ間、鼓動は速くなっていく。
そして、ぼんやりと天井を眺めたままの彼女が発したのは「はい」という、肯定の言葉だった。
医者には目が覚めるまで側にいるよう言い、俺とモーリスは執務室へと戻ってきていた。
一度、彼女と離れて冷静になりたかった。
「……やはり彼女は、イルゼとは別人なのか」
くしゃりと前髪を握りしめ、自嘲する。
理由や仕組みなんてもう分からない。だが、生まれも育ちも俺やイルゼとは全く違う人間が、イルゼという人間の中にいるとしか思えなかった。
──これまでも、違和感は数えきれないほどあった。
突然、性格が真逆のように変わったこと。
あれほど執着していた俺への好意が消え失せ、むしろ嫌がる様子を見せていたこと。
自身の治癒魔法は「絶対に安売りしない」と言っていたのに、あれほど嫌悪していた平民まで無償で救っていたこと。
中身が別人だったとすれば、全て納得できてしまう。
『あなたと離婚をしたいと思っています』
『もうギルバート様のことが好きじゃなくなったからです』
『なので私のことはこれまで通り、放っておいてもらえたらと』
そして彼女が離婚を望み、俺を避けるという選択をするのは至極当然だった。
イルゼ・エンフィールドという悪女の身体に入ったせいで、何の罪もない──むしろ誰よりも優しくて誠実であろう彼女は理不尽な扱いをされ、悪意を向けられ続けていたのだから。
そして、そんな彼女を一番傷付けてきたのは俺だった。
(……彼女から見た俺は、どれほど最低な男なんだろうな)
様子がおかしくなったのは、まとわりついてきたイルゼを廊下で振り払い、頭を打って意識を失った直後からだ。
あの日、あの時以降の彼女に対する自分の行動を思い返すと、吐き気さえした。
『用がないのなら、俺に話しかけないでください』
『望まない相手に触れられるのがどんな気持ちか、あなたに教えてあげようと思いまして』
元のイルゼは俺の気を引くために数多の嘘をついていたし、この世に「他者と身体を入れ替える魔法」など存在しない以上、ある日いきなり中身が別人になるなんて想像できるはずなどなかった。
だが、そんな言い訳をいくら並べ立てても過去の行いが消えることなどない。
『謝って済むことではないと分かっていますが、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。もう二度とギルバート様には関わらないと誓います』
『過去の行いを消すことはできませんし、ギルバート様に許してもらえるとも思っていません。それでも今は全てを深く反省していて、変わりたいと思っています』
──彼女は何ひとつ悪いことなどしていないのにイルゼの罪を受け入れ、俺や周りからの嫌がらせや強い風当たりに耐えながら、必死に大勢の人間を救おうとしていた。
『お願いします! 大勢の人を助けたいんです』
『……ごめんなさい、絶対に助けるから』
どれほど彼女が健気でまっすぐで心の優しい女性だったのか、今さら思い知っていた。
それなのに俺は冷たい態度で心ない言葉を浴びせ、傷付けるために無理やり身体を暴いたのだ。
(これでは、元のイルゼと何も変わらない)
いくら謝罪をしたところで、受け入れられることはないだろう。そう思うと、どうしようもなく胸が痛む。
「今後、どうされるおつもりですか」
彼女に強く当たっていたモーリスも、俺同様に悔やんでいる様子だった。
(……離婚して、彼女を自由にすべきだ)
俺やイルゼ・エンフィールドを知る人間から離れて、静かに暮らすのが彼女の願いのはず。
そして俺にできるのは、金銭面での支援くらいだということも分かっている。
「…………」
だが、口に出すことは躊躇われた。自分でも何故なのか分からずに戸惑っていたところで、ノック音が部屋に響く。
「旦那様、奥様がご自身の意識を取り戻されました」
メイドの報告に安堵するのと同時に、こみ上げてきたのは「恐怖」だった。真実を知った今、彼女にどんな顔をして会えばいいのか分からない。
本当の彼女について何も知らないふりをすべきなのか、これまで通り「イルゼ・エンフィールド」として接するべきなのかも。
「……すぐに行く」
結局、答えは出ないまま立ち上がり、俺は再び彼女のもとへ向かったのだった。




