予感 2
心臓が嫌な大きな音を立てていく。それでも、その疑問はとても口には出せなかった。
真実だった時、取り返しがつかないことになるからだ。
「ねえ、あの薬を出して。余裕があれば殺す前に情報を引き出すようにって、渡されていたわよね?」
「もう失敗した以上、逃げた方がいい。こんな状況でもイルゼ様に何かあれば……」
「いいから早く出しなさいよ! こんなこと、許されるはずがないもの!」
怒鳴る女性に従い、男性は「俺はもう知らないからな」とだけ言い、鞄から水色の液体が入った瓶を取り出す。
女性は引ったくるように奪い取ると瓶の蓋を外し、私の口元にあてがった。
「飲んでください。裏切っていないって、これには何か理由があるんだって、証明してくれますよね?」
「…………っ」
明らかに普通ではない様子の彼女が浮かべる不気味な笑みに、ぞくりと鳥肌が立つ。
こんな訳の分からないものを飲むわけにはいかないと、身体が動かない中で必死に抵抗する。
けれど結局、鼻を摘まれ、無理やり液体を流し込まれた。
「ゲホッ、うっ……ゴホッ……」
「飲ませすぎちゃったけれど、大丈夫よね」
これまで飲んだことのない、消毒液のような妙な味がして吐き気が込み上げてくる。女性の様子を見る限り命を奪うようなものではなさそうだけれど、恐ろしくて仕方ない。
「これが何の薬なのか気になりますか?」
だんだんと目の焦点が合わなくなり、頭がぼんやりしてくる。私の名前を呼ぶ騎士達の声も、どこか遠くに聞こえた。
薬が効いてきたようですね、と女性が口角を上げる。
「──あなたが今飲んだのは、自白剤ですよ」
そしてその声を最後に、私の意識はぷつりと途切れた。
◆◆◆
「──イルゼや護衛の騎士達が毒を浴びただと?」
外での用事を終えて帰宅し、馬車を降りた途端にモーリスから受けた報告がそれだった。
「奥様や騎士達は治療を終え、屋敷へ運ばれたそうです」
詳しく話を聞いたところ、既に医者によって治療を受けたようで、命に別状はないという。
ただ騎士達は意識があるものの、イルゼだけは別らしい。
「毒を浴びた後、自白剤を飲ませられたそうです。規定の量を越えた薬を摂取した結果、意識が混濁しているようで……」
なぜドレスを取りに街中へ行っただけで、そんな事件に巻き込まれるのだろうか。
すぐに彼女の部屋へ向かおうとしたものの、強い立ちくらみがして思わず机に手をつく。
「旦那様!」
「……大丈夫だ」
そうは言ったもののここ最近の体調は最悪で、限界が近づいていることも分かっていた。
イルゼの出生について知り、整理がついていない状態で彼女を抱く気にはなれず、制約魔法によって身体が蝕まれ続けている。
これまではどんな状況でも命のためだと割り切れていたというのに、本当に自分らしくない。
目眩が落ち着いたところでイルゼの部屋に向かうと、医者と涙するイルゼの侍女、悲痛な表情を浮かべる騎士、そしてベッドの上に横たわるイルゼの姿があった。
彼女の両目は虚ろで、天井へ向けられているアイスブルーの瞳に光はない。
「……ふざけたことを」
とはいえ身体に害のある毒などではなく、少しの安堵を覚えたのも事実だった。医者によると今しがた打った自白剤の解毒薬により、あと三十分ほどで効果は切れるはずだという。
「申し訳ありません……我々がついていながら……」
それから騎士から事情を聞いた結果、不運にも事件に巻き込まれたことが分かった。
犯人は逃走し、騎士団が捜索にあたっているという。
「奥様はご自身も毒に冒されながら、我々や無関係の人々を救おうと手を尽くしてくださり……」
「……そうか」
騎士達が自分達を見捨てて自身の治療のみをするよう言っても、イルゼは頑なにその選択をしなかったらしい。彼女がいなければ、間違いなく全員が命を落としていたそうだ。
人間というのは簡単には変われないし、変わらない。
そう分かっていても今のイルゼは改心したのだと、もう認めざるを得なくなっていた。俺の側で騎士の話を聞き、俯いていたモーリスも同じ気持ちだろう。
「なぜ犯人らは無関係のイルゼに自白剤を飲ませたんだ?」
「……分かりません」
少しの間があった後、騎士はそう答えた。
犯人の目的は、五人組の男性客だと聞いている。その場にいた人々を救おうとしたイルゼを邪魔だと殺そうとするのなら理解できても、自白剤を飲ませる理由が分からなかった。
「私が……奥様に街中へ行こう、なんて言わなければ……っ」
別行動をしていた侍女は責任を感じているようで、涙を流し続けている。君のせいじゃないとだけ声をかけ、医者や騎士らと退室するよう指示をした。
やがて部屋には俺とモーリス、そしてイルゼだけになる。
「俺の声は聞こえていますか」
「……はい」
声をかけると天井を見つめたままのイルゼから、抑揚のない返事をされた。過去に自白剤を飲まされた人間を見たことがあるが、今の彼女と全く同じ反応だった。
今もかなり薬が効いている状態のようで、最近の百面相のような明るい様子はなく、胸が痛んだ。
「自分の名前は分かりますか」
医者は問題ないと言っていたものの、本当に大丈夫なのか気がかりで、再び声をかける。
「はい。……私の名前は──です」
そうして紡がれたのは、聞いたことのない名前だった。