予感 1
「僕が少し様子を見てきます」
「え、ええ。お願い」
嫌な予感がしたのは私だけではないらしく、護衛の騎士の一人が男性の方へ向かっていく。そして彼が声をかけようとしたのと同時に店内が一瞬、眩い光で包まれた。
「結界……? なぜこんな真似をした!」
「何だお前らは! 邪魔をするな!」
男性客は店の周りに結界を張ったらしく、光の壁のようなものが辺り一面に広がった。騎士達の拳や剣も弾かれており、別の騎士達も魔法を使って加勢するも、びくともしていない。
「はっ、何をしても無駄だ。魔道具も仕込んで数日かけて準備したものだからな、そう簡単に逃げられやしないさ」
既に男性は取り押さえられているものの、勝ち誇ったような薄ら笑いを浮かべるだけ。どうやら私達は店内に閉じ込められたらしく、心臓が嫌な音を立てていく。
(どうして、そんなこと……)
危険を察知した騎士達は剣を抜き、戸惑う私を守るように囲んでくれる。不安が大きくなっていく中、店の奥から五人組の男性客の声が聞こえてきた。
「ゲホッ……おい、大丈夫か!?」
「うっ……」
「この煙……毒だ! 逃げろ! ゴホッ……」
そんな声がして振り返れば、紫色の煙がぶわっと店内に広がっていくのが見えた。甘ったるい臭いが鼻をつき、咄嗟に口元を手で覆う。
すでに男性客五人のうち、二人はぐったりして動かなくなっている。その光景を見て、一気に血の気が引いた。
「奥様! なるべく呼吸をしないように、ぐっ……!」
ハンカチを取り出して口にあてたものの、こんな対処では限界がある。護衛の騎士達がどれほど強くても、毒煙から守ることなどできるはずもなかった。
既に毒が身体に回り始めているのか、眩暈がしてくる。
とにかくここから出なくてはと出入口へ目を向けるも、騎士達は今もなお、結界を破ろうと必死に攻撃を放っていた。
「申し訳、ありません……まだ時間がかかりそうです……!」
彼らだって毒に蝕まれ始めているだろうし、いつまで持つか分からない。焦燥感で頭が真っ白になっていく。
「ははっ、死ね! お前らのような愚かな人間がいるから、この国は衰退していくんだよ!」
「貴様ら……例の組織の人間か……」
床に取り押さえられたままの結界を張った男性に対し、苦しむ男性客の一人が「組織」という言葉を口にした。
(まさか、あの爆発事件を起こした犯人の一味なの……?)
やがてコツコツとヒールの音を響かせてこちらへ近づいてきた女性客は、私達の前で足を止めた。
取り押さえられている男性と同様に彼女も毒の影響を受けていないようで、解毒剤を飲んでいたに違いない。
「あら、お嬢様と騎士達は不運だったわね。今日この場所に来たのが運の尽きかしら? もちろん解毒剤はないから、ここで奴らと一緒に死んでちょうだい」
楽しげに笑う彼女らの目的は奥にいた男性客達を殺すことらしく、私達は巻き込まれただけのようだった。
とはいえ「不運」なんて言葉で片付けられて、ここで死ぬわけにはいかない。
(どうしよう、どうすれば……)
だんだんとぼうっとしていく頭で、必死に考える。
そして先日、治癒魔法について学んだ際、毒に対しても効果があることを思い出していた。
「…………っ」
両手を前に出した私は一か八か、治癒魔法をこの空間にいっぱいに向かって放った。一度に大勢に対して魔法を使ったことなんてないし、そもそも可能なのかも分からない。
けれど一人ずつ対処していては、間違いなく死人が出る。
それに毒が充満しているこの状況では、一度浄化したところでまた同じことの繰り返しであることを考えると、もうこれしか方法はなかった。
(良かった、効いてる……!)
とにかく必死に魔力を放ち、少しだけ身体が楽になったのを感じる。近くにいた騎士達の顔色も良くなっていて、どうやら効果はあるようだった。
それでも現状維持以下なのも理解していて、かなりの勢いで魔力が減るのを感じていた。
──本来なら「この空間にいる人」に対して、治癒魔法を使うべきなのだろう。
けれど魔法を習ったわけでもない、正しい使い方もよく分かっていない私は「カフェの広い店内全て」に魔力を放つことしかできない。間違いなく効率としては最悪だった。
私の魔力が切れる前に結界を破って脱出できなければ、全員が命を落とすことになると思うと、どうしようもなく怖くなって背中に嫌な汗が伝っていく。
「何よ、この女……! 邪魔をしないで!」
「……奥様に、触れるな……!」
私が毒を浄化していることに気付いた女性はこちらへ向かってきたものの、戦闘能力はないのか毒で弱りつつある騎士に押さえつけられていた。
(……なんだか、こんな目に遭ってばかりだわ……)
必死に治癒魔法を使いながら、この世界ではとことん理不尽な目に遭う運命なのかもしれないと自嘲する。
毒に蝕まれつつ魔力を使っているせいか、苦しくて辛くて仕方ない。立っているのも辛くなり、膝をつく。
(……また妙な事件に巻き込まれて、ギルバート様が知ったら呆れるでしょうね)
意識が朦朧としていく中で、思い浮かぶのはなぜかギルバート様のことだった。けれど呆れながらも、きっと優しい彼はなんだかんだ心配してくれる気がする。
「奥様……申し訳ありません、私達のことは、もう……! どうか、ご自分のことだけを……」
騎士達も、私がかなりの無理をしていることに気が付いたのだろう。けれど見捨てるなんて、できるはずがなかった。
過去のイルゼに酷い態度を取られていただろうし、彼らの主人であるギルバート様に対する所業だって知っているはず。
それでも彼らはずっと、私を守ろうとしてくれた。
「っ奥様……あと、少しです……!」
毒に耐えながら、騎士達は懸命に結界への攻撃を続けてくれており、光の壁に亀裂が入っているのが見える。
(どうか、もう少しだけ持って……!)
爆発事件が起きた際に治療をして回った際、吐血した時の感覚に近いものを感じた。魔力切れを起こす寸前なのか、お腹の奥がどうしようもなく熱くて痛くて苦しい。
それでも耐え続けていた末に、やがてパンッと何かが弾けるような大きな音がした。同時に店のドアが開け放たれる。
誰かが風魔法を使ったのか、ぶわっと煙が外へ流れて店内の毒が薄まっていく。カフェの辺りは人通りが少なく、周りを巻き込まないであろうことだけが救いだった。
「はあっ……はあ……」
私だけでなく既に騎士達も浄化しきれなかった毒が身体に回っているようで、その場で膝をついている。
彼らも本当にもう、限界だったのだろう。私も痛いくらいの動悸が止まらず指先まで痺れて、目も霞んでいた。
「クソ! この女、よくも邪魔を……っ! 殺してやる!」
「奥様……!」
そんな中、騎士達の拘束から逃れた犯人達が、怒りに満ちた形相で近付いてくる。
その手には短剣が握られており、騎士達も私を守ろうと手を伸ばしてくれているけれど、届きそうにない。
「はっ、残念だったわね」
腹立たしい女の顔を最後に見てやろうと思ったのか、白い手が伸びてきて荒々しく帽子を奪われる。
私自身も抵抗する力は残っておらず、もう本当に駄目だろうと思った時だった。
「──イルゼ、様?」
なぜか私の顔を見た途端、犯人の二人は信じられないという顔をして固まった。振りかざされていた男性のナイフを握る手が、ゆっくりと下ろされる。
「どうして、あなたが……そんな……」
はっきりと動揺した様子を見せる二人は、どうやら私のことを知っているらしい。
悪女で公爵家の人間であるイルゼ・エンフィールドは良くない意味で有名だろうから、貴族らしい彼らなら私が周りを救おうとした姿を見て驚くのも不思議ではない。
けれど、とてもそれだけだとは思えないような反応に、妙な胸騒ぎがする。やがて女性は、私の肩をきつく掴んだ。
「なぜ……なぜあなたが私達を……っ! あの方を裏切ったのですか! よりによってあなたが! ふざけるな!!!」
「──え」
裏切るという言葉に、今度は私が固まる番だった。
彼女の言う「あの方」というのは誰なのか、なぜそんなにも取り乱しているのか、私には分からない。
けれど、だって、そんなの。
(……まるで私が、彼女達の仲間みたいじゃない)