表と裏 7
手に持っていたティーカップを吹っ飛ばさなかっただけ、誰か褒めてほしい。
「優しいお前は制約魔法のことを気にしているんだろう? あと四ヶ月弱で解けるんだし、裁判を起こして必ず成立させてやるからさ。最近ちょうど裁判官も一人、掌握したんだ」
笑顔でとんでもないことを言ってのけるお兄様は、どうやら本気らしい。
とはいえ、離婚裁判についてはぜひお願いしたかった。制約魔法の期間が過ぎても、ギルバート様が復讐のために私を開放してくれなければ、いつまでも離婚は成立しない。
当初は離婚届を置いて逃げることも考えていたものの、治癒魔法を使って多くの人を治療して生きていくのなら、身を隠すことなんて不可能なはず。
黙り込む私を見て、お兄様は形の良い眉を寄せた。
「……お前は俺と暮らすの、嫌なわけ?」
「ま、まさか! でもナイルお兄様もこの先、結婚だってするでしょうし……いずれ一人になってしまうなら、最初から一人の方が寂しくないかなって……」
小説のストーリーとかけ離れてしまっている以上、いつ何が起こるか分からない。
いつ生まれのことがバレるか分からない中で、二人きりで暮らすなんて心臓に悪すぎる。
愛と憎しみは紙一重と言うし、本来のイルゼよりも気に入られている今バレてしまえば、裏切られたような気持ちが強くなって、殺されてしまうのではないかとすら思う。
(なんとか誤魔化しつつ、断らないと……!)
かと言って、正直に理由を言えるはずもなく、下手に断ってお兄様を怒らせるのも怖い。
「なんだ、そんなことを気にしていたのか。イルゼは本当に可愛いな。いずれ家のために結婚はするだろうけど、形だけのものだから妻なんて放っておくし大丈夫だよ」
「えっ……あっ、そう……」
けれどお兄様には遠回しの拒否は伝わらない上に、またもやとんでもない発言が飛び出した。むしろ好感度が上がってしまったようで、大失敗にも程がある。
「俺にとってはお前が一番大切だからね」
お兄様は私の頭を撫でながら、柔らかく目を細める。その笑顔も声音も、何もかもがあまりにも優しいから。
(……本当に「自分」が好かれているのかもって、バカな勘違いをしてしまいそう)
けれど、お兄様にとっては「尊い血が流れる妹」という大前提があるからだ。
元々お兄様に冷たく当たっていたらしいイルゼですら可愛がっていたことを考えると、あれよりはずっとまともであろう私がかわいく見えるのも納得ではあった。
「お前との愛の巣を用意しておくから」
「あ、愛の巣……」
どう考えても兄妹間で使う言葉ではない。結局、それから二時間ほど他愛のない話をして、この後大事な用事があるというお兄様は帰り支度を始めた。
「次は来週の始めに来るよ。裁判のことも調べておく」
「本当にありがとう」
「ああ」
何度も音を立てて頬や手にキスをされ、再び目眩がしながらもなんとか見送る。
ふらふらと部屋へ戻る中、私はずっと側にいてくれていたリタに声をかけた。
「ごめんね、リタ。その、変なものを見せてしまって」
「……いえ」
リタの表情も声も少し暗くて、内心は引いているのかもしれない。大人の兄妹でこんなにもベタベタしたり、二人で暮らそうなんて話をしたりするのは異常すぎる。
お兄様の来訪頻度について物申すどころか同棲話まで出てきて、状況は悪化してしまっていた。
「午後からはどうしようかしら」
「実は昨日、オーダーしていたドレスが完成したとマダム・リコから連絡があったんです。これから街中へ取りに行こうと思っていますが、奥様もいかがですか?」
「そうなの? 私も気分転換に一緒に行こうかしら」
マダム・リコは国一番のドレスデザイナーで、三年待ちなんて言われているほど人気だというのは私でも知っていた。
どうやらかなり前に元のイルゼが依頼したものが完成したらしい。黒や赤で露出の多いド派手なドレスに違いないけれど、貴重で高価なものだろうから一度くらいは着るべきだろう。
◇◇◇
それからすぐにリタと馬車に揺られ、街中へ向かった。
やがて目的地の近くに到着して馬車から降りると、ぞろぞろと現れた護衛達に囲まれる。
(……素っ気ないくせに、こういうのはちゃんとするのね)
私が出かけると知ったらしいギルバート様がつけてくれた彼らは、公爵家の騎士の中でもトップクラスの実力だそうだ。
「私はドレスを取ってきますので、奥様は近くのカフェでお待ちください」
「ありがとう、そうするわ」
元のイルゼは態度が悪すぎてマダム・リコにあまり好かれていなかったそうで、顔を合わせない方がいいだろうというリタのお言葉に甘えることにした。
「申し訳ありません、現在満席でして……」
「空き次第のご案内になってしまいます」
しかしながらリタと別れた場所から一番、二番に近いカフェに行ったところ、続けて満席で溜め息を吐く。
特に街中やこの辺りが混んでいる印象はなかったため、不思議で仕方ない。よほど運が悪かったのだろう。
「今日って何かあるのかしら? やけに混んでいるわね」
「こんなことは滅多にないのですが……ああ、確実に空いている店がありますよ」
そんな中、護衛の一人が教えてくれたのは、上位貴族ばかりが利用するという超高級なお店だった。ここから近いそうで外で待つのも落ち着かないため、行ってみることにした。
大通りから少し離れた路地裏にあり、隠れた名店という感じの雰囲気がある。
「ようこそいらっしゃいました。こちらのお席へどうぞ」
「ありがとう」
元のイルゼもたまに利用していたそうで、知り合いがいても面倒なことになると思い、帽子を深く被って入店した。
すんなりと案内された店内は聞いていた通り空いていて、私達ともう二組しかいない。
奥の方には、貴族らしい男女二人組の姿がある。その近くのボックス席では同じく貴族らしい男性達と、簡素な平民服を着た男性達の五人組の集団があった。
(……なんだか不思議な集まりね)
高級な店内で平民服は浮いており、彼らはやけに真剣な表情で何かを話し合っている。少し気になったものの、あまり見ては失礼だろうとメニューへ視線を移した。
「お、美味しい……!」
やがて運ばれてきたお茶もケーキもとても美味しくて、感動してしまう。何もかも高価なだけあり、リタも合流したら一緒に食べようと誘おう、なんて思っていた時だった。
「お客様、一体何をされて──」
「────」
何か揉めているような声が聞こえてきて、ケーキを食べていた手を止める。どうしたんだろうと目を向けたところ、入り口近くで店員の女性と、男性客が揉めているらしい。
男性客は女性と二人で来ていた若い貴族で、出入り口に向かって、何かを呟きながら片手をかざしている。その手は青白く光っており、何らかの魔法を使っているようだった。




