表と裏 2
今話と次話、2話同時更新してます!
カフェから劇場までは徒歩圏内とのことで、前回と同じく腕を組ませられながら街中を歩いていく。
前から思っていたことだけれど、お兄様はいつも恐ろしく良い香りがする。本人曰く香水らしいけれど、ずっと嗅いでいたいと本気で思えるくらいで、何か良くないものでも入っている気がしていた。
「紅茶とケーキ、ごちそうさまでした。とっても美味しかったです、特に生クリームの甘さがちょうど良くて……」
突然お店を出たせいで、ご馳走になったお礼を言うのも忘れていた。するとお兄様は、吹き出すように小さく笑う。
「あはは、律儀だねえ。どういたしまして」
あまり兄妹間では、こうしてお礼を言ったりしないのだろうか。まあ、元のイルゼは何に対してもお礼なんて言わなさそうだと思いながら、歩みを進める。
「うわあ、ド派手なネックレス……それにしてもこの宝石、大きすぎない? 私の親指くらいありそう」
「気になるのなら買おうか?」
「このドレスの刺繍、細かすぎて芸術品みたい」
「そうだね。着替える?」
その途中、大通りにあるお店のショーウィンドウを覗いて他愛のない感想を言うたび、お兄様は当たり前のように買ってくれようとするから、断るのが大変だった。
もちろんどれも値段だってとんでもなく高いし、お金持ちの感覚というのはすごいなと、妙な感動を覚えてしまう。
「ううん、大丈夫。こうして見ているだけで楽しいもの」
「……見ているだけで楽しい?」
「ええ。たとえ何かを買うにしても、じっくりどれにしようかなって考えるのもわくわくするし」
私の言葉を全く理解できないらしく、首を傾げている。
裕福な公爵家の人間からすれば、この程度の金額なら悩むくらいなら買った方が早い、という感覚なのかもしれない。
「それに、たくさん悩んだり苦労したりして手に入れたものの方が、自分の中での価値が上がる気がするの」
「自分の中での、価値……」
学生の頃、どうしても自分のバイオリンが欲しくて、一生懸命バイトして節約して、お金を貯めて買った記憶がある。
もっと良いものを大人になってから買ったけれど、必死に手に入れた最初のものの方がずっと、自分にとって価値があって大切なものだったように思う。
「そうなんだ。俺は何でも簡単に手に入るから、よく分からないかな。その分、大切なものなんて何ひとつないけど」
笑顔のままそう言ってのけたナイルお兄様の姿を見て、少しだけ悲しくなった。きっと彼にとっては元のイルゼ同様、家族でさえもさほど大切な存在ではないのだろう。
「……いつかお兄様に、そう思えるものができたらいいな」
お兄様は平民を人とも思わない身分至上主義だけど、どんな人でも誰かにとっての大切な人だと考えられるようになれば、優しくすることができるかもしれない。
そんなことを思いながら彼の腕をきゅっと掴み、やがて到着した劇場に足を踏み入れた。
◇◇◇
「すっごく素敵だった……! 夢の中にいたみたい」
オペラを見終わってお兄様と劇場を出た私は、思わず両手を握りしめて興奮を隠しきれずにいた。
ただの劇のようなものを想像していたものの、出演者もみんな元の世界では拝めないほどの美男美女だった上に、演技も歌もそれはもう素晴らしかった。
衣装や音楽の素晴らしさだけでなく、魔法を使った幻想的な演出がそれら全てを引き立てていた。何もかもがこの世のものとは思えないくらいに美しくて、本当に物語の世界に入ったような錯覚を覚えたほど。
「最後のシーンも涙なくしては見られなかったし、途中の水辺でのすれ違いのシーンも本当に切なくて──」
「…………」
つい熱く語ってしまっていたけれど、ふと我に返り、隣を歩くお兄様がじっと私を見つめていることに気付く。
「ごめんなさい、うるさかった?」
「……いや、そんなに喜んでくれると思わなかったんだ。これほど喜ばれたのは初めてだったから」
元のイルゼ含め貴族の女性はみんな子どもの頃から見慣れているだろうし、こんなはしゃいだりはしないのだろう。
けれど私はオペラが始まってすぐ夢中になって、さっきまでの不安だとか憂鬱な気分なんて全て吹き飛んでしまったくらい、心から感動をしてしまった。
「私にとっては本当に素晴らしい経験だったの。きっとあの席だって特別なものよね? 本当にありがとう」
初めて劇場に足を踏み入れたけれど、私達が座った席は他と違って高い位置にある個室のような場所だった。そして、1番の特等席だったように思う。
だからこそ、笑顔で心からの感謝を伝えると、お兄様はやっぱりどこか戸惑ったような様子で私を見つめていた。