幕間 繋ぎ合わせた心
「シーラ、気を付けて帰ってね。またすぐに連絡するわ」
「ありがとうございます、お待ちしてます」
エンフィールド公爵家の馬車に乗り込み、イルゼ様に見送られながら公爵邸を後にした。
窓越しに小さくなっていく愛しいイルゼ様の姿を、そっと指でなぞる。馬車が見えなくなるまで笑顔で手を振り続ける姿も愛おしくて、自然と笑みが溢れた。
「……大好き」
言葉にするたび、より彼女への気持ちが大きくなっていくのを感じる。恋なんてしたことがなかったし、異性どころか同性に対して特別な感情を抱いたことなんてなかった。
なぜこんなに心惹かれるのか、自分でも分からない。
──けれどあの日、事故現場で命の火が消えかけた母の姿を見た瞬間、私の心は一度壊れてしまったように思う。
まだ息があるのが不思議なくらい、素人目にも助からないと分かった。死んでしまった方が楽だと思えるほどで、周りにいた人々も言葉にはしていなかったけれど、誰もがもう無理だと諦めていた。
唯一の家族である母を失ってしまうのが怖くて、私はただ子どもみたいに泣くことしかできなかったのに。
『絶対に、助けますから』
イルゼ様だけは、諦めずに母を救おうとしてくれた。
『……げほっ……はあっ……』
血を吐きながら、息を切らしながら必死に治療する姿に、涙が止まらなかった。赤の他人のためにあれほど心を砕き、自らの命を顧みず行動できる人など、他にいるだろうか。
『どうして、そこまでしてくださるのですか……?』
私の問いに対し弱々しい、けれど優しさに溢れた笑顔を向けられた瞬間、どうしようもなく胸を打たれた記憶がある。
きっと女神様が存在するのなら、彼女のような姿をしているのだろうと本気で思った。
──あの瞬間に私の心が壊れてしまったのなら、それを作り直してくれたのはイルゼ様だった。
(だから、私の胸の中は彼女でいっぱいなのかもしれない)
何よりイルゼ様は愛らしくて素直で優しくて、会うたびに彼女自身により惹かれていくのを感じていた。こんなにも誰かを好きになることなんて、もうないと思えるほどに。
けれど、どうしたって埋められない身分の差により、彼女の側にいられる未来なんてないことも分かっていた。
つい、先ほどまでは。
「……私が、ゴドルフィン公爵家の人間だったなんて」
天地がひっくり返るような衝撃だったし、未だに信じられない気持ちはある。とはいえ、イルゼ様がこんな嘘を吐くはずがない以上、事実なのだろう。
大切な母と血縁関係がなかったことにはショックを受けたものの、今までもこれからも家族であることに変わりない。
(私が公爵令嬢で、イルゼ様が平民……)
立場の差に変わりはないけれど、これまでとはいろいろなものが変わってくる。私がイルゼ様のためにできること、彼女の側にいる手段が増えるのだから。
『……実は私ね、ずっとシーラに憧れて励まされていたの』
『本当に、本当に大好き』
イルゼ様だって、私を大好きだと言ってくれた。
いつ私のことを知ってくれたのかは分からないものの、照れたように微笑む姿、まっすぐな言葉や熱のこもった声音からは全て本気だというのが伝わってきた。
たとえ今は私とイルゼ様の「好き」の形に違いがあったとしても、この先は分からない。私が抱くものと同じ愛情を得たいと心から思っている。
(まずは公爵令嬢としての地位を固めるべきだわ)
公爵家の家族からも愛され、完璧な令嬢にならなければ、その権力を行使することはできないはず。平民に身を落とそうとしているイルゼ様を守るためにも、必要なものだろう。
生まれながらにして公爵令嬢の立場だったイルゼ様が平民として暮らすなんて、辛くて惨めに違いない。
それでも私のために「全てを返す」なんて笑顔で言ってのける心の美しさ、気高さには敬服せずにいられなかった。
(そんなイルゼ様を、あんな風に傷付けるなんて……)
痛々しい全身の赤い痕を思い出すだけで、怒りが込み上げてくる。望まない行為を必死に受け止め、公爵様を庇うイルゼ様の健気さに、ひどく胸を締めつけられた。
イルゼ様は別れたがっているのに、そうできない何らかの事情があるようだった。
「……私が、イルゼ様を私が救わないと」
あんなにも美しくて清らかで優しい方を、他の人間に穢されるなんてこと、許せるはずがない。
どんなことをしてでも優しくて美しい彼女を守り、二人だけでずっとずっと生きていける環境を作らなければ。
「待っていてくださいね、イルゼ様」
そっと自身の指先で、唇に触れてみる。今でも目を閉じればあの日の温もりや感触が、鮮明に脳裏に蘇ってくる。
今日だって湯船の中で身体をすり寄せると、イルゼ様は真っ赤な顔で恥じらいながらも、私を受け入れてくれた。
(次はもっと、触れられますように)
愛しい彼女の姿を思い出しながら、私はこれから先どうすべきなのかを考え続けていた。
次からギルバートやナイルの方に戻ります!
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