虚像と実像 4
なろうの限界でカットしている部分はいずれどこかで……!
「……ん、ぅ…………」
泣いたせいで赤くなった目元に触れると、気絶するように眠ったイルゼは小さく身体をよじらせた。
少し前までは彼女の一挙手一投足に嫌悪感を抱き、憎らしくて仕方なかったというのに、今ではそんな感情は消えてしまっていることに自分でも驚きを隠せずにいる。
「……本当に頭を打って、別人になったと言うんですか」
顔にかかったローズピンクの髪を、そっと指先で除ける。
この女を心の底から憎み、泣いて縋ってきても必ず地獄に突き落とすと決めていたのだ。こんなにも簡単に絆されてしまうのかと、自身への呆れや苛立ちすら感じている。
たとえ今は俺を救おうという気持ちでいたとしても、俺が先程まで苦しみ、寿命が削られていったのも、元はと言えば全てイルゼがかけた制約魔法が原因だった。
『はっ、その程度で俺が満足するとでも?』
だからこそ優しくしてはいけない、苦しませ続けなければいけないという思いから、無茶な要求をし続けた。
今さら芽生えたらしいくだらない慈善心が、今や愛情も失せた俺に対しどこまで続くのか、試してやるつもりだった。
いくら彼女が泣いて嫌がっても、俺が罪悪感なんて感じる必要はない。そう、思っていたのに。
『……ごめ、なさっ……ちゃんと、しますから……』
彼女は俺の無茶な要求だって必死に呑み、従い続けた。
羞恥で頬を赤く染め、涙を浮かべながら必死に応えようとする健気な姿を見て何も感じなかったと言えば、嘘になる。
『……ギルバート、さま……っん、う……』
母に対して呪詛の言葉を吐いた彼女の唇と唇を重ねることだって、気色が悪くて仕方なかったはずなのに。
気が付けば、貪るように何度も口付けてしまっていた。
「……やはり俺も、本当におかしくなったんだろうな」
この1年は気の休まる時間なんてなく、常にイルゼの影に付き纏われたせいで、まともな精神状態ではなくなっていても何ら不思議ではない。
このまま彼女のあどけない寝顔を見ていたらよりおかしくなってしまいそうで、寝室を後にして執務室へ向かう。
するとそこには待機を命じていたモーリスの姿があり、彼は俺の姿を見るなり立ち上がって駆け寄ってきた。
「ギルバート様、体調は……!」
「もう問題ない」
つい数時間前までは常に息苦しく、自分の中で何かがすり減っていくような感覚がしていたものの、イルゼと身体を重ねてからは驚くほど楽になっている。
本当にふざけた「呪い」だと、乾いた笑いが漏れる。モーリスも俺が誰と何をしてきたのか察したのか、それ以上尋ねてくることはなかった。
「そちらの書類は全て奧様が確認してくださったものです。効率よく作業するためのマニュアル作成もされていました」
「…………」
早速仕事に取り掛かる中、机の上に置かれていた書類の束を指差したモーリスは柔らかな表情で、それでいてどこか誇らしげにそんな話をする。
最近は公爵夫人としての仕事をするようになり、彼女に厳しい態度だったモーリスさえ、働きぶりを評価していた。
(……文字を見るだけで吐き気がすると言っていた人間が、頭を打ったくらいでここまで変われるのか?)
イルゼは努力や勉強がとにかく嫌いで、平たく言えばかなり頭の悪い女だった。手紙すら自分で書こうとせず、メイドに字を真似させて書かせるほどだというのに。
モーリスは仕事の早さについても褒めていたが、そうなると単なる知識だけでなく、経験も間違いなく必要なはず。
やはり不可解なことは多く、自分の中で違和感がさらに大きくなっていくのを感じる。俺は書類にペンを走らせていた手を止めると、モーリスへ視線を向けた。
「人間の性格が変わる──もしくは人間の中身が入れ替わるような方法がないか、調べてくれないか」
◇◇◇
窓から差し込んでくる日差しが眩しくて、逃げるように寝返りを打って、毛布の中に潜り込む。するとふわりと慣れない甘くて優しい良い香りがして、思い切り息を吸い込んだ。
「……んん…………」
全身がだるくてあちこちが痛くて、倦怠感がひどくて瞼が重たくて仕方ない。もう一度眠ろうと枕をぎゅっと抱きしめたところで、久しぶりのリタの声が頭上から降ってきた。
「奥様──もう──したよ。───しても──ですか?」
まだぼんやりしていること、枕に顔を埋めていたこともあって、リタの声はほとんど聞き取れない。けれどいつものように「朝食を部屋に運んできても良いか」という話だろう。
働かない頭でそう判断した私は、ベッドの上で丸くなったまま「それでお願い」とだけ返事をした。
(あと10分だけ……本当に眠くて仕方ないわ……)
再び夢の中へ落ちていく、とまどろんでいたところで、室内に複数の足音が響く。
「──イルゼ様?」
そして聞こえてきた声の主が誰か気付いた途端、頭から冷水をかけられたような感覚がした。嘘みたいに一気に眠気が覚め、ばっと毛布から顔を出す。
すると予想通り、そこにはこちらを戸惑いながら見つめるシーラの姿があった。
「えっ……な、なんで……」
それもここは私の部屋ではなく、ギルバート様の部屋であることに気付いてしまう。何もかもが理解できず、パニックになりながら自分の額に手をあてた。
(そうだわ、今日はシーラを公爵邸に招いていて……)
今日はシーラとギルバート様を偶然を装って引き合わせるため、彼女を招いていたことを思い出す。さっきのリタの問いかけも朝食の話ではなく、シーラのことだったのだろう。
普通の客人ならこんな状態で出迎えるなんてありえないけれど、シーラが平民である以上、使用人程度の扱いで良いと判断されたのかもしれない。
昨日まで忙しかったこともあり、きちんと彼女について説明しておくべきだったと反省した。
「ご、ごめんなさい! 私ってば寝坊し、て……」
とにかく急いで対応しようとベッドから降りた途端、私を見つめるシーラの空色の瞳が見開かれる。
どうしたのだろうと彼女の見つめる先、自身の身体へ視線を向けた私は、声にならない悲鳴を上げた。
「…………っ」
薄い肌着姿の私の真っ白な肌の上には、例のごとく全身にたくさんの赤い跡と噛み跡があって、激しい行為があったのは一目瞭然だったからだ。




