シンデレラの最愛 6
私の言葉を聞いたナイルは、軽く目を見開く。確信しているようだったけれど、肯定されると驚きはあるらしい。
「あれほどの治癒魔法が使える以上、イルゼの偽物なんてことはないだろうし……本当に別人が身体に入ってるんだ?」
「……はい」
そう返事をすると、ナイルの唇は綺麗な弧を描いた。
「へえ、すごいな。どうやって?」
「目が覚めたらこの身体に入っていて……私も好きでこうなってしまったわけではなく、色々と困っているくらいです」
「あはは、そうだろうね。イルゼは嫌われていたから」
妹の身体を返せと詰められるだろうと思ったのに、先程までの圧はもう感じられない。
それからはいくつか質問をされ、ここが小説の世界、異世界から来たということは誤魔化した上で、私自身はありふれた人間であることを話した。
ナイル達のことを知っていたのは、ぼんやりとイルゼの記憶が残っているからだと嘘を吐いたけれど、別人だという本当のことを話した以上、疑われることはなかった。
「そうなんだ、面白いな。そんな魔法は存在しないのに」
全くの別人が乗り移って妹のふりをしていたなんて話、冷静になれば恐ろしい話なのに、ナイルは怒るどころか楽しげな様子さえ見せている。
その姿がまた不気味で怖くて、思わず口を開いた。
「あの、どうして怒らないんですか……? 妹の身体を別人が乗っ取っている状態なのに」
「なぜだろう、腹は立たないな。悲しいって気持ちもない」
他人事のようにさらりと言うナイルは顎に手をあて、考え込むような様子を見せる。
そして少しの後、「ああ」と軽い調子で笑みを浮かべた。
「分かった、俺はきっと『自分と同じ血が流れている妹』がかわいいだけなんだろうな」
「……え」
「我が儘で反抗的なイルゼより、今のお前の方がいいし」
あっさりとそう言ってのけた姿に、私は心の底から引いてしまっていた。彼は本当に身分至上主義で「血統」でしか相手を見ていないのだと思い知らされる。
17年一緒に暮らしていたはずの元のイルゼの人格がどうなったとか、全く気にしていないようだった。
「イルゼと同じ見た目をしているだけの別人なら、どうしていたか分からないけどね」
「…………っ」
つまり見た目だけが同じ、別の血が流れている人間なら殺されていた可能性もあるのだろう。
小説でもあれだけ可愛がっていたイルゼが平民だと知ってからは、すぐに見捨ててシーラを可愛がっていた。彼は「自分と同じ尊い血の妹」なら何でもいいのかもしれない。
(ど、どうかしてる……異常だわ……)
それでもイルゼがまだ平民だとバレていない以上、この身体の中にいる間は何をしても許されるということにはなる。
ギルバート様がイルゼの過去を暴くのはまだ先だろうし、ひとまず今のところ安全は確保されたと思うと、内心ほっと胸を撫で下ろす。
すると不意にナイルの手が伸びてきて、思わずびくりとした私の身体を抱き寄せた。
「いきなり知らない環境に放り込まれて、さぞ不安で怖かっただろう。周りもお前に当たりが強いんだから、尚更だ」
「…………」
「今後は俺が守ってあげるから、安心するといい。困ったことがあれば俺に言って、これからは家族なんだから」
ナイルはどう考えてもおかしいし危険だし、信用できないと分かっている。私を優しく抱きしめているこの手で、さっきまで首を絞めていたのだから。
──それでも、この理不尽だらけの世界で最初からずっと私に優しいのはナイルだけだった。
先程の作戦が失敗してしまったこと、私を抱きしめている温もりが心地いいこと、この世界で初めて「本当の私」の気持ちに寄り添ってくれたこと。
一時的な歪んだものだと分かっていても、ずっとひとりぼっちだった私に「家族」だと言ってくれたこと。
そんな要因が重なって、自分でもどうかしていると分かっていても、少しだけ甘えたくなってしまった。
「……ありがとう、ございます」
思わずそっとナイルのジャケットを掴むと、ナイルは私の耳元でふっと笑う。
「敬語もやめて、これまで通りお兄様って呼んでほしいな」
「いいの?」
「ああ。お前はもう一人じゃないからね」
それからはギルバート様との離婚や、シーラと二人の仲を取り持つことまで手伝ってくれると言ってくれた。
この提案を断る理由なんてないし、いずれこっぴどく見捨てられるのなら、全てがバレるまでは頼ってもいいのかもしれない。今の私には、味方だっていないのだ。
「ありがとう、お兄様」
「いいんだよ。今週末は気分転換に街へ出かけようか。たまには肩の力を抜いた方がいい」
「ええ、ぜひ」
結局、開き直った私は、今だけは思い切り甘えてしまおうと決意した。私としては助けになるし、彼にとっての私はいずれシーラという最愛の妹ができるまでの繋ぎなのだから。
そして味方を得た以上、また明日から自由で平和な生活を目指して頑張ろうと誓ったのだった。
──その結果、ナイルから向けられる愛情がより歪んだものに変わっていくことも、この時の私はまだ知る由もない。