シンデレラの最愛 5
幻想的な庭園の中にいる、私服に着替えたシーラは息を呑むほど美しく、いよいよ小説の展開が始まるのだと思うと興奮を抑えきれなくなる。
シーラは私のお願い通り木の下に立ち、じっと星空を眺めていた。まるで映画のワンシーンのような雰囲気の中、カツカツと石畳を歩く足音が近づいてくる。
(ギルバート様だわ! 良かった、これで全てが揃った)
心の底から安堵しながら二人を見守る中、足音を聞いたシーラが振り向く。
そして、間違いなく二人の視線が絡んだ。
「…………っ」
その光景に感動してしまいつつ、ギルバート様がシーラの元へ向かっていく姿を見つめる。
(これで二人は幸せに……って、あら?)
やがてギルバート様はシーラの目の前で立ち止まり、2人は見つめ合い続ける──はずが、彼はそのままシーラの横を通り過ぎて少し離れた場所で足を止めた。
ギルバート様はシーラを他所に、眉を顰めながらじっと木を見上げており、私の脳内は「???」でいっぱいになる。
小説では目が合った途端、まるで時が止まったように二人は動かなくなり、見つめ合い続けたと書いてあったのに。
「あっ、シーラ! そうよ、頑張って! 名前を聞いて!」
だんだんと絶望感が広がっていく中、なんと動いたのはシーラだった。彼女はギルバート様の元へ行き、声をかけた。
両手をきつく握りしめ、必死に声量を抑えながら、ついつい熱くなってしまう。
「…………?」
するとシーラは何かをギルバート様に言い、丁寧に頭を下げた。ここからは会話が聞こえないものの、ギルバート様はシーラに対して一言だけ返し、彼女から視線を逸らす。
一方、シーラも元の位置に戻り、二人は互いに背を向けて無言で立っているだけ。
「…………」
「…………」
そんな状態が数分続いた後、ギルバート様は何のためらいもなく、元来た道を歩いて屋敷へ戻って行ってしまう。
その姿を呆然と眺めていた私は、はっと我に返った。
(ど、どうして……!? 小説ではお互い一目惚れをして、ギルバート様がシーラに名前を聞いて、それで……)
予想外の展開に、動揺と冷や汗が止まらなくなる。どこからどう見ても二人は一目惚れどころか、お互いに興味すらないようだった。訳が分からない。
とにかく今分かるのは、私の作戦は全て失敗してしまったということだけ。
健気で真面目なシーラは、私がもう戻っていいと言うまでずっと木の下で立ち続けている気がする。
パニック状態ではあるものの、ひとまず今日のところはもう帰ってもらい、作戦を立て直そうと思った時だった。
「ふうん、あの二人を出会わせようとしたのか」
「…………っ」
突然肩に回されていた手で、顔を鷲掴みにされる。
ずっと二人に夢中になっていたせいで、隣にいるお兄様のことを気にしていなかったことに気づく。
「離婚するために他の女をあてがおうとしたんだ? 本当にあいつのことはどうでも良くなったんだな」
口元には笑みが浮かんでいるものの、金色の目は全く笑っていない。私の両頬を掴む手には強い力が込められていて、普段の愛する妹への優しさはもう感じられなかった。
まさか、と脳内で警鐘が鳴り響く。
「なあ、知ってるか? イルゼは子どもの頃から熱しやすく冷めやすくて、色々なものを欲しがっては手に入れるんだ」
「…………」
「だが、飽きていらなくなったものでも、絶対に他人の手に渡ることだけは許さない。どんなに不要なものでもな」
だんだんと不安や予想が、確信へ変わっていく。
「あれほど執着していたギルバートへの愛情がある日突然冷めたこと、ナイルと呼んでいた俺をお兄様なんて呼び始めたこと、嫌がっていたキスを自分からするようになったこと、俺同様に見下していた平民を命懸けで救おうとしたこと」
「…………私、は」
「そして極めつけはこれだ、もう心を入れ替えたなんて理由くらいじゃ説明がつかない。間違いなく全くの別人だよ」
ナイルお兄様──ナイルは私の頰を掴んでいた手を下へと滑らせ、首に手のひらを添えた。
もう抵抗することすら恐ろしく、ゆっくりと首を締める手に力が込められていく。だんだんと呼吸が苦しくなり、はくはくと金魚のように唇を動かすことしかできない。
「──で? イルゼの中にいるお前は一体誰なんだ?」
お互いが一番大切であろう両親、イルゼを何よりも毛嫌いしている夫、イルゼに怯える使用人たち。
(……1番イルゼを見ていたのは、ナイルだったのね)
だからこそ、彼だけが全くの別人だと気付いたのだろう。
これまでは記憶が欠けた、改心したと言ってごまかしてきたけれど、ナイルは別人だと確信している上に、適当なことを言えば殺されると本気で思えるくらいの圧があった。
嘘を吐いてここで殺されるくらいなら、本当のことを話して自分だって困っている、元のイルゼに身体を返したい、というアピールをした方がまだ生存確率は高い気がする。
入れ替わる魔法なんて存在しない以上、もちろん元の身体に戻る方法なんて見つかる気がしないけれど、ひとまずこの場を乗り切るためにはこれくらいの嘘は必要だろう。
「……っ、……」
酸素不足で働かなくなっていく頭でそう判断した私は、話すから離してほしいという気持ちを込めて、首を絞めているナイルの手に触れた。
「ああ、ごめんね。これじゃ話もできないか」
全く悪いと思っていない様子で私からぱっと手を離し、ナイルはにっこりと微笑んだ。
きっと私を誤って殺してしまったとしても、この人はこうして笑うんだろうと、ぞくりと鳥肌が立った。
「げほっ、ごほ……はあ……っ」
その様子すらも怖くて、咳き込みつつ一気に酸素を取り込みながら、涙で歪む視界の中、ナイルを見上げる。
ふたつの黄金の瞳は何もかもを見透かしそうで、改めて心を決めた私は呼吸を整えた後、口を開いた。
「……私は、イルゼ・エンフィールドではありません」