シンデレラの最愛 3
イルゼはやがて俺の側にいるエディに視線を向けると、丁寧に礼をした。
「ギルバート様のお知り合いの方ですか? 来てくださってありがとうございます、ごゆっくりお過ごしください」
「は、はあ……」
「ではギルバート様、また後ほど」
そしてそれだけ言うと真っ白なドレスを翻し、すぐに去っていった。この短時間のやりとりでも、俺に対して何の期待もしておらず、興味すらないことが伝わってくる。
彼女が去った後、辺りにいた招待客達がどよめき出した。
「今のは本当にイルゼ様なの? 別人のようでしたわ」
「女性は化粧で変わるというが……いやあ、お美しかったな」
人間は表情や態度、服装、化粧、髪型などによって印象を決めるという。それら全てが正反対のものになれば、別人のように錯覚してしまうことにも納得がいく。
そして本来ああいった清楚な装いの方が、彼女の素材を最も生かせるのだろう。
(……だが、本当にどうかしてるな)
それでも全てを嫌悪していたイルゼに対して美しいなどと思ってしまった自分に、呆れを含んだ笑いが溢れた。
「なあギルバート、今のは嫌味なのか……?」
固まっていたエディも我に返ったらしく、困惑しながらそんな問いを投げかけてくる。
『またあの男との予定ですって!? いい加減にして!』
いつもイルゼの誘いから逃げる口実としてエディの名前を使っていたため、イルゼは心底エディを毛嫌いしていた。
それにも関わらずまるで初対面のような顔をして、にこやかに挨拶をしていたのだから、戸惑うのも当然だろう。
「お前の言う通り、何もかもが本当に別人みたいだな。あれが演技ならそれで食っていけるって」
「…………」
──最初は、俺の気を引くために適当な嘘を吐いているのだと思った。そんなことは日常茶飯事だったからだ。それも鬱陶しくて憎らしくて、彼女の全てに嫌悪する日々だった。
そして今回だって、すぐに飽きていつものように化けの皮が剥がれると思っていたのに。
『あなたと離婚をしたいと思っています』
『もうギルバート様のことが好きじゃなくなったからです』
あれから彼女はずっと変わらないまま。俺への愛情が失われたというだけなら、まだ理解できる。
だが、まるで人格も行動も何もかもが別人のようで、あの全てが演技だとは思えなくなっていた。
記憶を一部失っているというのが本当だとして、それが原因で人格にも変化が出ている、とでもいうのだろうか。
「まあ、面倒な嫁が大人しくなったのなら良いじゃないか。お前の言う『復讐』だってスムーズに進められるだろうし」
「……俺も以前はそう思っていたよ」
彼女が少しでも自分に興味を示さず、関わらず、大人しくしていてほしいとどれほど願っただろう。
それでも、いざその状況になってみると、あの頃の方がマシだったと思えるくらいの息苦しさを感じていた。
「もう、そんな単純な話じゃないんだ」
──ベッドの上で「生きている方が辛い」と苦しみ続け、自身の吐き出す血で染まった母の姿を思い出す。
そんな母を見ても、まだ死ぬことはないだろうと笑ったイルゼの笑顔も、脳裏にこびりついて離れない。
彼女が彼女らしくなくなる度に感情の行き場がなくなり、自分の中でそれらが濃く煮詰まっていくのを感じる。
罪悪感やくだらない情など決して抱くことがないよう、イルゼには因果応報、凄惨な結末が相応しい、最低な人間であってほしいのだと今更になって気付く。
「……すまない、少し頭を冷やしてくる」
エディにそれだけ言い、俺は人で溢れる会場を後にした。
◇◇◇
「よしよし、ギルバート様もちゃんと来てくれていたし、準備はばっちりね」
大勢の招待客で溢れた華やかな会場内を歩きながら、私は計画が順調に進んでいることを確信していた。
──ちなみにお兄様と共に屋敷内を歩いて回った結果、庭園にてギルバート様とシーラが出会うに相応しい、雰囲気の良い場所を見つけることができた。
その後は公爵家のメイドに「お任せで」と伝えたところ、公爵夫人が「イルゼに似合うと思ってこっそり買っていたの」という清楚なドレスや髪飾り、靴が次々と出てきて、あっという間にお姫様のような姿に仕立て上げられた。
(どうして今まであんな毒々しい格好をしていたのかしら)
今の私は驚くほど綺麗で愛らしくて、これまで悪妻感溢れる格好をしていたのが本当にもったいない。家族だけでなく友人だという令嬢達、招待客達にも常に褒められていた。
むしろ人妻という立場なのに、口説いてくる男性までいてびっくりしてしまったくらいだ。
「あとは自分の目でシーラを確認しにいかないと」
なんと彼女は美しすぎてトラブルが起こるかもしれないという理由で、厨房での裏仕事に回されているらしい。
そもそもあの街中での事件の日だって、シーラが深くマントのフードを被っていたのは、自分の身を守るためのはず。
平民で母親と二人暮らし、魔法も使えず自分の身を守る術を持たないシーラは自分の容姿をなるべく隠して生活しているということは、小説にも書かれていた。
「そしてギルバート様と上手く遭遇するように、後で少し庭園に行くようお願いして、っと……」
頭の中でこの後の予定を整理しながら、こっそりと会場を抜け出し、厨房に続く廊下を歩いていく。
正直、小説のファンからすると二人が出会うシーンを生で見られるのは楽しみで仕方ない。
(あの意地悪なギルバート様だって、シーラの前では優しい王子様のようになるんでしょうし)
ちなみに心配だったパーティーも、今のところ笑顔で話を合わせているだけで何とかなっている。
変化について突っ込まれても、健気な顔で「過去のことを反省して、改心しようと思って……」と言うだけで、みんなそれ以上突っ込んでくることはなかった。
今後は出会った二人が愛を育んでいる間、私は最重要問題である制約魔法についての対策を考えれば完璧だろう。
「あ、ごめんなさい」
そうして軽い足取りで廊下を歩いていると、誰かと肩がぶつかった。途端、アルコールの強い香りが鼻を掠める。
すぐに謝って見上げれば、見知らぬ中年の貴族男性と目が合い、彼は私の顔を見るなり眉を寄せた。
「イルゼ・ゴドルフィン……いや、今はエンフィールド公爵夫人でしたか。お久しぶりですね」
「あの、あなたは……」
事前に頭に叩き込んだリストにも当てはまる人はおらず、そう尋ねたところ、男性の口元が歪む。
「俺の顔なんて覚えていませんよね。あなたからすれば虫ケラの一匹に過ぎないのでしょうから」
自嘲するような、それでいて怒りを隠しきれない様子の男性からは、イルゼに対しての強い恨みが感じられる。
嫌な予感がして一歩後ろに下がるのと同時に男性の腕がこちらへ伸びてきて、ぐっと髪を掴まれた。
「痛っ……離してください……!」
「あなたのようなお姫様は、こんな風に扱われたことも強い痛みや苦しみを感じたこともないのでしょうね」
髪を引っ張られ、思い切り壁に押し付けられる。男性の顔は赤く、かなりお酒に酔っていることが窺えた。
イルゼがギルバート様以外からも恨みを買っていることは分かっていたけれど、公爵夫人という立場もあってこんな風に手を出されるなんて思っておらず、恐怖で足が竦む。
「ど、して……こんなこと……」
「ははっ、どうしてですって? あなたが見捨てたせいで、もう娘は動くことも話すこともできず、生きているとは言えないような姿に……っ……」
そんな言葉や強い怒りと悲しみに震える姿から、事情を察してしまった。彼は元のイルゼに病気の娘さんの治療を頼んだにも関わらず、断られてしまったのだと。
『イルゼ様、どうか娘を救ってください……もう本当に命が尽きてしまいそうで……』
『はあ? この私に力を使わせたいのなら、相応の対価を払いなさいよ。まあ、お前ごときに私が望むものなんて用意できないでしょうけど。ふふっ』
同時に小説に出てきていたやりとりを思い出し、背筋が冷えていくのが分かった。
小説では軽く読み飛ばしてしまうようなたった二行の出来事でも、この世界では私と同じように生きている人々の人生の一部なのだと、思い知らされる。
元のイルゼが最低な人間であることに、間違いはない。
けれど強い力を持っているからと言って、全ての人を救う義務があるわけではないのも事実だった。
イルゼにも断る権利や選ぶ権利はあるし、公爵令嬢なんて恵まれた身分であれば尚更だろう。「見捨てる」という言葉は男性側の目線であって、正しい表現とは言えない。
(……どれほど優れた魔法を扱えても、苦しんでいる全ての人を救うなんてこと、不可能だってことも分かってる)
それでも、代わりのいない大切な家族を救いたい、という男性の気持ちだって痛いほどに理解できた。
「……今からでも、娘さんの治療をさせてもらえませんか」
「嘘をつくな! どうせこの場から逃げるために、適当なことを言っているんだろう!」
「本当です、必ずできる限りのことはすると約束します」
だからこそ、綺麗事だとしても今の私の手の届く範囲にいる人は助けたい。髪を掴まれている痛みを堪えながら、そんな気持ちを込めて男性をまっすぐに見つめる。
すると男性の目が、揺れたのが分かった。元のイルゼへの怒りと娘さんが助かるかもしれないという期待の間で、葛藤しているのかもしれない。
「っうるさい、あなたの言うことなど信じられるものか!」
けれど男性には私の言葉は届かなかったようで、髪を掴んでいない方の腕を思いきり振り上げた。
ひどく酔っているらしいことも、その一因かもしれない。
強い力で掴まれていてもう逃げることもできそうになく、殴られる、ときつく両目を閉じた。
「…………っ」
けれどいつまでも痛みは来なくて、恐る恐る目を開ける。
「ギルバート、様……」
そして視界に飛び込んできたのは、眩しい銀色だった。