イルゼとシーラ 1
「……はあ、本当に本当に酷い目に遭ったわ……」
平民服と変わらない地味な服装を身に纏い、帽子を被った私は、溜め息を吐きながら王都のはずれを歩いていた。常に足腰が痛くて、身体中がだるくて仕方ない。
そう、昨晩は例の制約魔法による、月に2回のギルバート様とのあの日だった。
ここ数日、元のイルゼのストーカー手帳に真っ赤なハートが描かれていて「これはなんだろう?」と嫌な予感がしていたものの、その日をウキウキで待っていた形跡らしい。
『俺から目を逸らさないでください』
『…………っ』
『はっ、酷い顔ですね』
今回も終始ギルバート様に翻弄され、ひたすらされるがままだった。たくさんの知らない感覚の波に飲まれ、自分が自分でなくなるような感覚が怖くなり、涙が止まらなくなる。
ギルバート様はイルゼを知り尽くしている感じがして、もう無理だと伝えても、彼は聞く耳を持ってはくれなかった。
『はあっ……、ど、して……』
『短時間であなたを満足させるために、努力したんですよ』
それなのに今回も前回も朝までコースだったのは、私が嫌がる素振りや抵抗する様子を見せていたからに違いない。
涙を浮かべる私を見下ろすギルバート様の顔には愉悦が浮かんでいて、泣き顔がよっぽどお気に召したらしい。
(制約魔法っていう名目のもと、イルゼを好きに虐められるのは気分がいいんでしょうね)
前回から時間が経っていなかったのは、ギルバート様はいつもこの二回ノルマをギリギリまで先延ばしにするらしく、月末に続くことが多いからだと今朝リタから聞いた。
私個人としては全て迷惑で腹立たしいものの、ギルバート様の境遇を自分に置き換えて考えてみたら、ゾッとした。
──好きでもない相手と結婚し、異性と少しでも関わるたびに大激怒され、いつでもどこでも裸で迫られた挙句、愛の言葉や卑猥な言葉と共に性行為を強要されるなんて、私ならとっくにおかしくなっていると思う。
そんな相手を許すことだって、一生できない気がする。
(もう悪役キャラの私にはどうにもできないところまで来ているし、早くシーラになんとかしてもらわないと……)
そう思った私はヒロインパワーに救いを求め、重い身体を引きずってシーラの捜索へとやってきていた。
小説の時間軸で今どの辺りなのか正確には分かっていないものの、さっさと二人を出会わせるべきだと思ったからだ。
本来より多少時期が早くなったところで大きな問題はないだろうし、私がシーラを殺そうとせずに親切にすれば、無事に逃げ切れる可能性も高くなるはず。
シーラは誰よりも心の優しい女性だし、私がピンチになったとしてもギルバート様を止めてくれるかもしれない、という下心も物凄くある。
何より愛する女性と出会えば、たとえ制約魔法が解けなくとも朝までコースの嫌がらせなんてしなくなるはず。現状、私としてはこれを最優先になんとかしたかった。
(シーラと恋に落ちればギルバート様は幸せになる上に、私はまた放置されるようになるだろうし、一石三鳥ね)
さすがの公爵家の情報網で、今朝「シーラ・リドリーという18歳の平民女性について調べてほしい」とお願いしたところ、数時間後には住所まで報告が上がってきた。
お願いしておいてなんだけれど、この世界の平民には個人情報保護法のようなものは存在しないのだろうか。
申し訳ないものの、これはシーラのためでもあると自分に言い聞かせ、私は住所が書かれた地図を握りしめた。
この先シーラは貧しくて辛い平民生活から一転、公爵夫人として華やかで幸せな生活を送ることになるのだから。
『どこへ行くんですか? ずいぶん元気そうですね』
『ちょ、ちょっとお散歩に……』
ちなみに屋敷を出る際、出会したギルバート様に恐ろしいほど気さくに声をかけられた。
後半は副音声で「もっと虐めてやれば良かった」という言葉が聞こえてきた気がして、逃げ出したくなった。
『そうですか。俺も同行したいところですが、残念なことにこれから予定があるので、護衛をつけますね』
『い、いえ! 結構で──』
『大事な妻に何かあっては困りますから。また無理をされて死にかけられても迷惑ですし』
『……ハイ』
笑顔の圧を受けながら先日の話を持ち出され、反論できなくなる。そして、大事な妻とやらはどこにいるのだろう。
そんなこんなで今現在、私の隣にはギルバート様の護衛──ではなく、彼の側近らしい黒髪の美形男性の姿があった。
私を監視するため、信頼している人間をつけたのだろう。執事らしくない長めの髪を緩く結んでいる彼をこそっと見上げると、ばっちり目が合ってしまった。
「ああ、普段は側近の俺が護衛では心配ですか? こう見えて腕は立つのでご心配なく」
「あ、ありがとうございます……」
にっこりと笑顔を向けられたけれど、ギルバート様同様に胡散臭い。それでいて彼もイルゼのことが嫌いだと私の勘が言っており、極力関わらないのが吉だと判断した。
「シーラ・リドリー様とはどのようなご関係で?」
「えっ……い、以前、街で助けてもらったお礼をしたくて」
私はまだ彼に何も話していないのに、既にシーラのことまでバレているらしい。暗に「しっかり見張っているからな」と言われているようで、どきりとしてしまった。
「なるほど。奥様はとても律儀な方なんですね」
「……本当に思ってる?」
「はい、それはもう」
「…………」
この護衛は誰よりも信用できないと察した私は気持ちを切り替え、小さな家が並ぶ住宅街を見回した。この辺りは平民が住む区画らしく、治安もあまり良くないんだとか。
シーラとコンタクトを取った後は、犯罪組織についても調べたいと思っている。犯人はまだ捕まっていないらしく、またあんな事件が起きるかもしれないと思うと怖かった。
(そういえば、いつの間にかナイルお兄様の姿もなくなっていたけれど……大丈夫かしら)
緊急事態だったこともあり、平民に対して心ない言葉を放ったお兄様を放置し、駆け回ってしまったことを思い出す。
人助けをする様子を見られた以上、お兄様だってイルゼの言動を怪しんでいるはず。
彼に対しても改心したというていで何とかなるだろうかという不安もあり、まだまだ問題は山積みだった。
(とにかく今は、さっさとギルバート様が私と関わりたくなくなるような展開にしてやるわ!)
ふふんと心の中で嘲笑いながら、私は地図の指し示す家の前で足を止めた。
「こ、ここがシーラの家……!?」
想像していた以上に小さくてボロボロで、あの天使のようなヒロインがここに住んでいるなんて、信じられない。
本来は公爵令嬢という立場なのに、派手な生活をしているイルゼとは酷い差だった。やはりシーラのためにも、少しでも早く本来の立場に戻してあげるのが良いだろう。
「あの、すみません」
ドアをノックして声をかけると、中からは「はーい」という少し年上らしい女性の声がした。
読者として想像していたシーラの声とは解釈不一致だったけれど、シーラは一人暮らしだったはずだし、本人のはず。
「お待たせしました、って、あなたは……」
ドアの前で憧れのヒロインとの対面をドキドキしながら待っていた私は、やがて現れた人物を見た瞬間、息を呑んだ。